英雄殺しの魔術騎士
第13話「才能の一片」
休暇二日目。いつものように朝食前に軽いランニングと素振りを終え、順番に湯浴みと朝食をとった二人は詐術の訓練に取り掛かっていた。
「さて。まずは試しにやってやろう」
そう言ってアランがポケットから取り出したのは、一本の銀ナイフだった。おそらく今朝の厚切りベーコンを切り分けるのを手伝った際に使った物だろうと、セレナは推測する。
「このナイフにはタネも仕掛けございません。なんなら試しに触ってご覧なさい」
唐突に変わった口調が妙に気持ち悪く感じながらも、ナイフを手渡されたセレナは、ナイフの柄から切っ先までの隅々を観察する。しかしどこからどう見ても、普通のナイフとしか思えない。
……このナイフで何をするのかしら?
疑心になりながらもナイフを返すセレナは、アランがナイフを受け取るその動作の一つですら注意深く観察する。指の動きすら見逃すつもりはない。
「ではこのナイフ。三つ数えると不思議なことに、唐突に消えてなくなります」
そんな馬鹿な、とは思わない。アランは詐術をすると言ったのだ。つまり本当にこのナイフは消える。
そう言えば、昔読んだ本にはこう書いてあった。マジックとは人の疑う心の隙を突いてこそ、成功するのだと。
ならば疑わない。このナイフは消えると、百パーセント信じ込んで見つめる。
真剣にナイフを見つめるセレナを見てふっと笑うアラン。柄の端を掴んで軽やかに上下に振る。
「それでは一……二……三!」
刹那、ナイフは最初からそこに無かったかのように消失した。
「嘘!?」
飛びつくようにセレナはアランの手を掴み、ほんの少し前までナイフがあった場所を念入りに触れる。だがそこにはナイフの影も姿も無くなっていた。
……一瞬でナイフが消えたって事は。
冷静に観察を進める。アランの手の中からナイフが消えるその瞬間、セレナはまばたきをする事は無かった。その上で消えたとなると、これは単にマジックと言うよりは、
「魔術を使ったわね?   それも光干渉系の魔術か、精神支配系の魔術を」
そう確信的に尋ねる。
「おっ、さすがに分かるか。お前の予想通り光干渉系魔術を使ったぞ。ただし、使ったのは認めるが、この手のひらからナイフ自体が消えているのはどういう事か明かせるか?」
「確かに……」
光干渉系魔術はいわゆる光を屈折させたり反射させたりして、対象に死角を作る魔術だ。手のひらの上からナイフが見えなくなっても、ナイフ自体が消える訳ではない。
……下かしら?   それともポケットの中?
だが下は芝生だ。落ちたとしたら少なくとも音はする。そして消える瞬間まで手の中にあったのだから、ポケットの中も考えにくい。
考えれば考えるほど分からなくなる。
そして、
「参ったわ。考えても分からない。降参よ」
素直に負けを認めるのは悔しいが、今は少しでも時間を無駄にしたくない。そんな優先度が勝った事もあって、セレナは一分と考えることなく白旗を上げた。
「……で?   種明かしを要求するのだけど?」
せめてマジックの種だけは知りたいセレナは、強めの口調でそう尋ねる。するとアランはくっくっくと笑って、
「お前、ほんっと簡単に騙されるのな」
そう言ってアランはポケットに突っ込んでいた左手を外に出す。刹那、
「な……っ!?」
ついさっきまでそこに無かったナイフが、突如アランの右手の上に現れた。
でもおかしい。そこにナイフがあったのなら先ほど触った時に間違いなく感触があったはずだ。光干渉系魔術でなく、精神支配系魔術なはずだ。
……精神支配系の魔術でもない限りこんな芸当は出来ないはずよ。精神支配系の魔術でもない限り……って!
「アンタ騙したわね!?」
「はっはっは!   だから言ったろう、お前はほんっと簡単に騙されるのな!」
アランが使った仕組みそれは単純で、
……光干渉系魔術を使った、と嘘をついて実際は精神支配系魔術を使っていた。考えれば至極単純な話、けどまだ疑問があるわ。
「……でも、魔術はいつ使ったのよ?   魔力の波動も感じなかったのだけど」
そう、魔術を使う際に体外に漏れ出た魔力は、波動となって他の魔術使いに多少なれど干渉を起こす。強いものだと耳鳴りがしたり、吐き気を促したりする事もあるのだ。
だが今回の魔術使用の際に、アランの身からは魔力の波動を少しも感じ取れなかった。これでは魔術を使っているはずもない。
しかしアランは、その反応を待っていたかのようにニッと笑う。
「トリックの正体はこれだよ、これ」
「術符?」
疑問形の反応に対してアランはそう、と答える。
「術符は本来の魔術とは異なって、身体の内から外に魔力を放出するのではなく、魔力を魔術方陣へと移譲する形で放出するから、外界への影響が圧倒的に小さい。知らせれてなければ気付かないほどにな」
話を続ける。
「これは精神支配系魔術の魔術方陣を描いた術符だ。俺が最初にナイフをお前に渡した時があったろう?」
そのシーンを再現するかのように、再びナイフをセレナに渡す。それと同時にアランは術符を持った左手をポケットに突っ込んだ。
「この時お前の視線はナイフに移る。その隙を利用して俺は術符を発動。次以降に俺が言った言葉は、全てお前に錯覚を与えるよう設定してある」
つまりアランの「三つ数えたら、唐突に消えて無くなる」という暗示の通り、セレナの目はナイフが消えて無くなったように錯覚をしたのだ。
「……つまり、マジックと魔術を合わせて使うこと。それが帝国騎士にとっての詐術ってことね?」
「ああ。マジックっていうのは技術的に上手い程、人を騙すのが上手い。そこに魔術を合わせる事で詐術をより完璧なものにする。普通のマジックよりも仕掛けが複雑だから、騙せた時の快感がもう最高なんだよ!」
「……聞かなきゃ良かったわ」
目を爛々と輝かせながら語るアランに吐息するセレナ。ここに来てようやくアランの変態性を、理解してきた気がした。
「なんにせよ、これに関しては練習と実践を幾重にも重ねて行って、手っ取り早く慣れるしかないな。お前には……これと、これ。あとこれもやるよ」
アランは騎士服のコートの下、腰に巻いてあるベルトポーチの中から、十センチ四方の紙を三枚渡した。
「一枚目が精神支配系魔術、二枚目と三枚目は同じ光干渉系魔術だが、二枚目は光を反射させて見えなくする魔術に対して、三枚目は光を屈折させて攻撃範囲を惑わせる魔術だ。お前がここだって思った時に使えば良い」
術符は決して安くはない。しかも帝国騎士が使う物となれば、たったの数枚で千エルドはくだらない。
……確かにここだって時に使わないとね。
魔剣祭の規定では、殺傷性の無い武器(剣以外)ならば持ち込みを許可されている。ならば術符はかなりの切り札となるだろう。
「精神支配、つまりは幻術。光干渉、つまりは視覚阻害。……ねぇ、これって対象一人にしか効果は無いの?」
セレナは貰った術符を見つめながら、アランに問う。
「いや、効果範囲内であれば精神支配系の術符は何人でも使えるが……それがどうした?」
器用に指の周りでナイフを操りながらそう尋ね返すアランに、いえ別にとセレナは軽く応える。
「ねえ、もしもの話なんだけど、敵が多数いたとして、その全員を範囲内に収めたい場合、範囲を広げるとしたらどうすればいい?」
「何言ってんだお前。そもそも魔剣祭は一対一でやる模擬戦だって規定にーー」
「お願い。ちゃんと答えて」
「……?」
セレナがどうしてここまで執拗に訊くのかをアランは理解が出来ない。だがその目は疑うことなく真剣な眼差しで、まるで何かを覚悟しているかのようだった。
……まあ、もう暗殺計画が終わったとは、考えにくいもんなぁ。
ほんの数日前に起きた、セレナを狙った暗殺計画。自害した故に確固たるものは無いが、一度狙った獲物をそういう奴らは捨て置くはずがない。
そういう場合、もっとも仕掛けてくる可能性があるとしたら、九分九厘で魔剣祭の開催期間だろう。
その場にアランや他の帝国騎士がいないかもしれない。いたとしても助けに来れないかもしれない。そういう場合、自分自身を守ることが出来るようになりたい。そういう事だろう。
ならばとアランは少し考えて、一息吐いてから話し出す。
「もっとも楽だとするなら魔術方陣、今回の場合は術符のヤツな。それを少し改良して範囲を広げる。それが無理だとするなら、あとは結界張りだな」
「……結界?」
セレナの疑問に、アランはすぐさま答える。
「結界とは言ったが、実際は結界の構造とは少し違うがな。さっきも言ったがこの術符には効果範囲がある。せいぜい五メートルと言ったところだろう」
ベルトポーチから取り出したそれは、先ほどセレナに与えた光干渉魔術の魔術方陣が描かれた物だ。
「これ一枚では範囲が狭すぎる。だったら……こうやって囲いたい領域の外側に、等間隔で術符を設置するとどうなると思う?」
試しにアランは庭の周りの柵に、等間隔で術符を貼り始めた。魔力の込められた魔術方陣が青白く輝く。
「でもそれだと発動しないんじゃ……」
「それは術符を使った事がない奴らの勘違いだ。術符に描かれた魔術を発動するには二つの条件が揃えば別に構わない」
続ける。
「一つ。魔術方陣に魔術発動な程度の魔力が込められていること。そして二つ。発動者の発動しようとする意思だ」
「発動しようとする……意思?」
「ああ。だから別に離れていようとも構わない。術符に魔力が込められていて、その上で術を発動しようとするなら、ある程度離れていても発動はできる」
まあ距離に限度はあるけどな、とアランはへらへらと笑うこと無く言う。
「つーわけで、この程度の距離なら難なく魔術は発動可能だ。……で、発動してみると……」
刹那、決して五メートルという距離では届かない範囲までに、光干渉魔術が及んだ。
「……これは一体、どういうトリックなのかしら?」
いい加減驚くのにも疲れたとでも言いたそうな口調でセレナは尋ねる。
「なに、単純な話だ。セレナは『魔術複合法則』って知っているか?」
「ええ……同種の魔術が重なって発動した場合、魔力量が多かった方の魔術が弱かった方を取り込んで、その効果を少し得た状態で発動するっていうあの法則でしょう?   でもこの法則を利用しても魔術は重なって一つになる。効果範囲が極端に大きくなるなんて考えられないのだけど……」
「法則の説明に関しては合ってるが、考え方が違うな。それじゃあこう仮定して考えてみたらどうだ。『全くの同種』で『同魔力量』の魔術が等間隔に発動したとしたら?」
「それは……」
そこまでは考えた事がない、それが答えだ。だが少しは考えてみることにセレナはした。
魔術は重ねることが出来ない。これは『魔術第二法則』で絶対不変とされている法則だ。それを改良して作られたのが『魔力複合法則』。ただし二つの法則には同じ種類で魔力量も同じ場合は、記載されていない。
では視点を変えてみよう。アランは言った、法則の説明は合っていると。つまり魔術複合法則を利用して考えなければならない。法則には魔力量が多い方が少ない方を取り込むと記載されていた。
では互いに魔力量が等しかったら?
同種の魔術は、反発することなく重ね合わさるのが法則の解だ。だったら互いを取り込むものだと仮定しよう。
互いに取り込んで効果を倍増して、さらに隣の魔術方陣までも取り込む。そうして効果が数十倍にまで膨れ上がった魔術方陣は本来の範囲すら超越して効果を発揮するのだ。
「……そうか」
ここまでの仮定と結論が正しいとすれば、確かにこの現象には納得がいく理論だ。
……けど、待って。
この結論に至るにはまず『魔術第二法則』と『魔術複合法則』の二つについて疑問を抱かなければならない。この世界にいる誰もが、完成された法則だと断定している法則にだ。
その上で自身の予想を理論的に解明して、そして実験を行い新たな法則として公に理解出来るように説明する。
そこまで出来るアランはやはり、
「天才なのね……」
呆れ過ぎてため息すら出てこない。こんな魔術世界を揺るがし兼ねない理論を、独りで組み上げて提唱出来るまでに完成させているアランはもはや魔術歴に名を残せるほどの偉人だ。
だがおかしい。
「どうしてこれほど凄い魔術理論をアンタは開発したって言うのに、どうして未だに無名なの?」
魔術理論に関しては博識なセレナは、毎年提唱される魔術理論や魔術法則の全てに目を通している。無論、それを提唱した魔術学者にもだ。
だがセレナはこの理論を知らない。魔術理論に興味を持ったのが十歳からとはいえ、そこから十年以上も前に提唱された理論に関しても知っている。流石のアランもその時は三歳、言語理解をようやくしてきた段階だ。
だとすれば、間違いなくセレナは一度は目を通しているはずなのだ。なのに実際は知らない。記憶に無いのである。
「ああ、それはだな……」
するとアランは何やら気まずそうな顔をした。
「魔術研究者協会のコンペには行ったんだよ。十五歳の時にな。そしたらあの老いぼれジジイどもが『お前さんみたいなガキが来るとこじゃない、帰れ!』って聞く耳持たなくてなあ……。おかげでコンペには不参加。今日まで誰にも話さなかった理論だ」
「え、それじゃあこれって、オルフェリアにいる誰もが知らない魔術理論なの!?」
「そういう事になるな」
目を爛々と輝かせるセレナは、庭を囲う半透明の結界に目を向ける。
「私もこういうのやってみたい!」
「はい、やらなくて結構でーす。さっきも言ったが魔剣祭は一対一だろ?   こんは広範囲魔術使ってたら、早々に魔力限界起こすぞ?」
「それもそっか……」
さて、とアラン。
「あとは剣術だな。これも見るより慣れろだから剣を……っと、もうこんな時間か」
気付けば時刻は正午。皇帝城の鐘が鳴っていた。太陽も高く昇り、商業区からも飲めや食べろやの活気付いた騒ぎ声が聞こえてくる。
「剣術は昼飯を食べてからにしよう。腹が減ってはなんとやら、だしな」
「あら、お嬢様を戦場にでも連れて行くつもりですか、アランさん?   あっ、それとも何かハードなプレイを?」
そして侍女のユーフォリアさん、唐突に降臨。
「あっれぇ、ユーフォリアさん。唐突に現れたと思ったら、いきなり何言っちゃってんの!?」
「ふふふ、ちゃんと言って欲しいですか?   もちろんアランさんのアレをお嬢様のーー」
「言わせねぇよッ!?」
「ふふふ、恥ずかしがり屋さんですね」
「あ、そういう勘違いしちゃいます!?」
「……はぁ」
登場した瞬間からフルスピードだなあと、冷めた目でセレナは見つめていた。
◆◆◆
同時刻。
「ベルダー講師。今日はこの辺りで解散にしましょう」
「そうですね。そろそろお昼ですし、解散としましょうか」
魔剣祭の学院生予選は、もちろんの事ながら学院内にある訓練場で開催する。そのためにベルダー講師を含む実技講師達は会場をセッティングをしていた。
「いよいよ明後日ですか……」
毎年自分の教えた生徒達が予選に出場して選手枠に入り、魔剣祭の本戦に出場するが優勝は難しい。
……やはり帝国騎士でしょうか。
学院生と帝国騎士の実力差は理論で考えるよりも明白だ。剣術にしても魔術にしても確実に劣っている。
……セレナさんはどうでしょうか。
セレナは帝国騎士であるアランに指南を受けている。実力も格段に上がっているに違いない。
「では失礼しますね、皆さん」
荷物を整えたベルダーは訓練場を後にする。
道中では魔剣祭に出場していない生徒達が、講師達の仕事を手伝っている。彼らも魔剣祭を楽しみにしているようで、少し微笑ましいベルダー。
……さて、今日は何を食べましょうか……っと。
「これは……?」
先程まで学院通りを歩いていたはずのベルダー。五年も学院で教鞭をとるベルダーだが、明らかにこの道に見覚えがない。という事はつまり、
「幻術でしょうか……?」
だがいったい何時から?   これほど自然に相手を術中に嵌める人物となると、相当な手練れとしか思えない。
すると、
「やっはー。アンタがベルダー=ガルディオスって言う奴ぅ?」
黒緑のフードを目深に被った、声質からして少年らしき人物が唐突に影の中から現れた。
「貴方は……訊くまでもなく敵ですか」
「いぇ〜す。もちろん名前は秘匿するけど構わないよね?   というか秘匿するけどねっ!」
「ええ、構いませんが……。私に何か用ですか?」
「あっれぇ〜。思ったよりも反応が薄いなぁ……」
少年らしきフードの人物は、つまらなさそうに口を尖らせる。
「まあいいや。それでアンタへの用件なんだけど……」
つかつかと歩み寄る少年。見た目とは裏腹に全身を覆う殺伐としたオーラは、瞬時にベルダーを臨戦態勢に移行させた。
「死ねとでも言うつもりですか?   すみませんが、抗わせていただきーー」
「ああ、いやいや。別に殺したりはしないよ。僕達、敵は敵だけど分別を弁えたつもりの悪役だから」
まぁ、何が言いたいのかというと。少年はニヤリと笑って、
「おやすみ」
ベルダーの視界が暗転した。
「さて。まずは試しにやってやろう」
そう言ってアランがポケットから取り出したのは、一本の銀ナイフだった。おそらく今朝の厚切りベーコンを切り分けるのを手伝った際に使った物だろうと、セレナは推測する。
「このナイフにはタネも仕掛けございません。なんなら試しに触ってご覧なさい」
唐突に変わった口調が妙に気持ち悪く感じながらも、ナイフを手渡されたセレナは、ナイフの柄から切っ先までの隅々を観察する。しかしどこからどう見ても、普通のナイフとしか思えない。
……このナイフで何をするのかしら?
疑心になりながらもナイフを返すセレナは、アランがナイフを受け取るその動作の一つですら注意深く観察する。指の動きすら見逃すつもりはない。
「ではこのナイフ。三つ数えると不思議なことに、唐突に消えてなくなります」
そんな馬鹿な、とは思わない。アランは詐術をすると言ったのだ。つまり本当にこのナイフは消える。
そう言えば、昔読んだ本にはこう書いてあった。マジックとは人の疑う心の隙を突いてこそ、成功するのだと。
ならば疑わない。このナイフは消えると、百パーセント信じ込んで見つめる。
真剣にナイフを見つめるセレナを見てふっと笑うアラン。柄の端を掴んで軽やかに上下に振る。
「それでは一……二……三!」
刹那、ナイフは最初からそこに無かったかのように消失した。
「嘘!?」
飛びつくようにセレナはアランの手を掴み、ほんの少し前までナイフがあった場所を念入りに触れる。だがそこにはナイフの影も姿も無くなっていた。
……一瞬でナイフが消えたって事は。
冷静に観察を進める。アランの手の中からナイフが消えるその瞬間、セレナはまばたきをする事は無かった。その上で消えたとなると、これは単にマジックと言うよりは、
「魔術を使ったわね?   それも光干渉系の魔術か、精神支配系の魔術を」
そう確信的に尋ねる。
「おっ、さすがに分かるか。お前の予想通り光干渉系魔術を使ったぞ。ただし、使ったのは認めるが、この手のひらからナイフ自体が消えているのはどういう事か明かせるか?」
「確かに……」
光干渉系魔術はいわゆる光を屈折させたり反射させたりして、対象に死角を作る魔術だ。手のひらの上からナイフが見えなくなっても、ナイフ自体が消える訳ではない。
……下かしら?   それともポケットの中?
だが下は芝生だ。落ちたとしたら少なくとも音はする。そして消える瞬間まで手の中にあったのだから、ポケットの中も考えにくい。
考えれば考えるほど分からなくなる。
そして、
「参ったわ。考えても分からない。降参よ」
素直に負けを認めるのは悔しいが、今は少しでも時間を無駄にしたくない。そんな優先度が勝った事もあって、セレナは一分と考えることなく白旗を上げた。
「……で?   種明かしを要求するのだけど?」
せめてマジックの種だけは知りたいセレナは、強めの口調でそう尋ねる。するとアランはくっくっくと笑って、
「お前、ほんっと簡単に騙されるのな」
そう言ってアランはポケットに突っ込んでいた左手を外に出す。刹那、
「な……っ!?」
ついさっきまでそこに無かったナイフが、突如アランの右手の上に現れた。
でもおかしい。そこにナイフがあったのなら先ほど触った時に間違いなく感触があったはずだ。光干渉系魔術でなく、精神支配系魔術なはずだ。
……精神支配系の魔術でもない限りこんな芸当は出来ないはずよ。精神支配系の魔術でもない限り……って!
「アンタ騙したわね!?」
「はっはっは!   だから言ったろう、お前はほんっと簡単に騙されるのな!」
アランが使った仕組みそれは単純で、
……光干渉系魔術を使った、と嘘をついて実際は精神支配系魔術を使っていた。考えれば至極単純な話、けどまだ疑問があるわ。
「……でも、魔術はいつ使ったのよ?   魔力の波動も感じなかったのだけど」
そう、魔術を使う際に体外に漏れ出た魔力は、波動となって他の魔術使いに多少なれど干渉を起こす。強いものだと耳鳴りがしたり、吐き気を促したりする事もあるのだ。
だが今回の魔術使用の際に、アランの身からは魔力の波動を少しも感じ取れなかった。これでは魔術を使っているはずもない。
しかしアランは、その反応を待っていたかのようにニッと笑う。
「トリックの正体はこれだよ、これ」
「術符?」
疑問形の反応に対してアランはそう、と答える。
「術符は本来の魔術とは異なって、身体の内から外に魔力を放出するのではなく、魔力を魔術方陣へと移譲する形で放出するから、外界への影響が圧倒的に小さい。知らせれてなければ気付かないほどにな」
話を続ける。
「これは精神支配系魔術の魔術方陣を描いた術符だ。俺が最初にナイフをお前に渡した時があったろう?」
そのシーンを再現するかのように、再びナイフをセレナに渡す。それと同時にアランは術符を持った左手をポケットに突っ込んだ。
「この時お前の視線はナイフに移る。その隙を利用して俺は術符を発動。次以降に俺が言った言葉は、全てお前に錯覚を与えるよう設定してある」
つまりアランの「三つ数えたら、唐突に消えて無くなる」という暗示の通り、セレナの目はナイフが消えて無くなったように錯覚をしたのだ。
「……つまり、マジックと魔術を合わせて使うこと。それが帝国騎士にとっての詐術ってことね?」
「ああ。マジックっていうのは技術的に上手い程、人を騙すのが上手い。そこに魔術を合わせる事で詐術をより完璧なものにする。普通のマジックよりも仕掛けが複雑だから、騙せた時の快感がもう最高なんだよ!」
「……聞かなきゃ良かったわ」
目を爛々と輝かせながら語るアランに吐息するセレナ。ここに来てようやくアランの変態性を、理解してきた気がした。
「なんにせよ、これに関しては練習と実践を幾重にも重ねて行って、手っ取り早く慣れるしかないな。お前には……これと、これ。あとこれもやるよ」
アランは騎士服のコートの下、腰に巻いてあるベルトポーチの中から、十センチ四方の紙を三枚渡した。
「一枚目が精神支配系魔術、二枚目と三枚目は同じ光干渉系魔術だが、二枚目は光を反射させて見えなくする魔術に対して、三枚目は光を屈折させて攻撃範囲を惑わせる魔術だ。お前がここだって思った時に使えば良い」
術符は決して安くはない。しかも帝国騎士が使う物となれば、たったの数枚で千エルドはくだらない。
……確かにここだって時に使わないとね。
魔剣祭の規定では、殺傷性の無い武器(剣以外)ならば持ち込みを許可されている。ならば術符はかなりの切り札となるだろう。
「精神支配、つまりは幻術。光干渉、つまりは視覚阻害。……ねぇ、これって対象一人にしか効果は無いの?」
セレナは貰った術符を見つめながら、アランに問う。
「いや、効果範囲内であれば精神支配系の術符は何人でも使えるが……それがどうした?」
器用に指の周りでナイフを操りながらそう尋ね返すアランに、いえ別にとセレナは軽く応える。
「ねえ、もしもの話なんだけど、敵が多数いたとして、その全員を範囲内に収めたい場合、範囲を広げるとしたらどうすればいい?」
「何言ってんだお前。そもそも魔剣祭は一対一でやる模擬戦だって規定にーー」
「お願い。ちゃんと答えて」
「……?」
セレナがどうしてここまで執拗に訊くのかをアランは理解が出来ない。だがその目は疑うことなく真剣な眼差しで、まるで何かを覚悟しているかのようだった。
……まあ、もう暗殺計画が終わったとは、考えにくいもんなぁ。
ほんの数日前に起きた、セレナを狙った暗殺計画。自害した故に確固たるものは無いが、一度狙った獲物をそういう奴らは捨て置くはずがない。
そういう場合、もっとも仕掛けてくる可能性があるとしたら、九分九厘で魔剣祭の開催期間だろう。
その場にアランや他の帝国騎士がいないかもしれない。いたとしても助けに来れないかもしれない。そういう場合、自分自身を守ることが出来るようになりたい。そういう事だろう。
ならばとアランは少し考えて、一息吐いてから話し出す。
「もっとも楽だとするなら魔術方陣、今回の場合は術符のヤツな。それを少し改良して範囲を広げる。それが無理だとするなら、あとは結界張りだな」
「……結界?」
セレナの疑問に、アランはすぐさま答える。
「結界とは言ったが、実際は結界の構造とは少し違うがな。さっきも言ったがこの術符には効果範囲がある。せいぜい五メートルと言ったところだろう」
ベルトポーチから取り出したそれは、先ほどセレナに与えた光干渉魔術の魔術方陣が描かれた物だ。
「これ一枚では範囲が狭すぎる。だったら……こうやって囲いたい領域の外側に、等間隔で術符を設置するとどうなると思う?」
試しにアランは庭の周りの柵に、等間隔で術符を貼り始めた。魔力の込められた魔術方陣が青白く輝く。
「でもそれだと発動しないんじゃ……」
「それは術符を使った事がない奴らの勘違いだ。術符に描かれた魔術を発動するには二つの条件が揃えば別に構わない」
続ける。
「一つ。魔術方陣に魔術発動な程度の魔力が込められていること。そして二つ。発動者の発動しようとする意思だ」
「発動しようとする……意思?」
「ああ。だから別に離れていようとも構わない。術符に魔力が込められていて、その上で術を発動しようとするなら、ある程度離れていても発動はできる」
まあ距離に限度はあるけどな、とアランはへらへらと笑うこと無く言う。
「つーわけで、この程度の距離なら難なく魔術は発動可能だ。……で、発動してみると……」
刹那、決して五メートルという距離では届かない範囲までに、光干渉魔術が及んだ。
「……これは一体、どういうトリックなのかしら?」
いい加減驚くのにも疲れたとでも言いたそうな口調でセレナは尋ねる。
「なに、単純な話だ。セレナは『魔術複合法則』って知っているか?」
「ええ……同種の魔術が重なって発動した場合、魔力量が多かった方の魔術が弱かった方を取り込んで、その効果を少し得た状態で発動するっていうあの法則でしょう?   でもこの法則を利用しても魔術は重なって一つになる。効果範囲が極端に大きくなるなんて考えられないのだけど……」
「法則の説明に関しては合ってるが、考え方が違うな。それじゃあこう仮定して考えてみたらどうだ。『全くの同種』で『同魔力量』の魔術が等間隔に発動したとしたら?」
「それは……」
そこまでは考えた事がない、それが答えだ。だが少しは考えてみることにセレナはした。
魔術は重ねることが出来ない。これは『魔術第二法則』で絶対不変とされている法則だ。それを改良して作られたのが『魔力複合法則』。ただし二つの法則には同じ種類で魔力量も同じ場合は、記載されていない。
では視点を変えてみよう。アランは言った、法則の説明は合っていると。つまり魔術複合法則を利用して考えなければならない。法則には魔力量が多い方が少ない方を取り込むと記載されていた。
では互いに魔力量が等しかったら?
同種の魔術は、反発することなく重ね合わさるのが法則の解だ。だったら互いを取り込むものだと仮定しよう。
互いに取り込んで効果を倍増して、さらに隣の魔術方陣までも取り込む。そうして効果が数十倍にまで膨れ上がった魔術方陣は本来の範囲すら超越して効果を発揮するのだ。
「……そうか」
ここまでの仮定と結論が正しいとすれば、確かにこの現象には納得がいく理論だ。
……けど、待って。
この結論に至るにはまず『魔術第二法則』と『魔術複合法則』の二つについて疑問を抱かなければならない。この世界にいる誰もが、完成された法則だと断定している法則にだ。
その上で自身の予想を理論的に解明して、そして実験を行い新たな法則として公に理解出来るように説明する。
そこまで出来るアランはやはり、
「天才なのね……」
呆れ過ぎてため息すら出てこない。こんな魔術世界を揺るがし兼ねない理論を、独りで組み上げて提唱出来るまでに完成させているアランはもはや魔術歴に名を残せるほどの偉人だ。
だがおかしい。
「どうしてこれほど凄い魔術理論をアンタは開発したって言うのに、どうして未だに無名なの?」
魔術理論に関しては博識なセレナは、毎年提唱される魔術理論や魔術法則の全てに目を通している。無論、それを提唱した魔術学者にもだ。
だがセレナはこの理論を知らない。魔術理論に興味を持ったのが十歳からとはいえ、そこから十年以上も前に提唱された理論に関しても知っている。流石のアランもその時は三歳、言語理解をようやくしてきた段階だ。
だとすれば、間違いなくセレナは一度は目を通しているはずなのだ。なのに実際は知らない。記憶に無いのである。
「ああ、それはだな……」
するとアランは何やら気まずそうな顔をした。
「魔術研究者協会のコンペには行ったんだよ。十五歳の時にな。そしたらあの老いぼれジジイどもが『お前さんみたいなガキが来るとこじゃない、帰れ!』って聞く耳持たなくてなあ……。おかげでコンペには不参加。今日まで誰にも話さなかった理論だ」
「え、それじゃあこれって、オルフェリアにいる誰もが知らない魔術理論なの!?」
「そういう事になるな」
目を爛々と輝かせるセレナは、庭を囲う半透明の結界に目を向ける。
「私もこういうのやってみたい!」
「はい、やらなくて結構でーす。さっきも言ったが魔剣祭は一対一だろ?   こんは広範囲魔術使ってたら、早々に魔力限界起こすぞ?」
「それもそっか……」
さて、とアラン。
「あとは剣術だな。これも見るより慣れろだから剣を……っと、もうこんな時間か」
気付けば時刻は正午。皇帝城の鐘が鳴っていた。太陽も高く昇り、商業区からも飲めや食べろやの活気付いた騒ぎ声が聞こえてくる。
「剣術は昼飯を食べてからにしよう。腹が減ってはなんとやら、だしな」
「あら、お嬢様を戦場にでも連れて行くつもりですか、アランさん?   あっ、それとも何かハードなプレイを?」
そして侍女のユーフォリアさん、唐突に降臨。
「あっれぇ、ユーフォリアさん。唐突に現れたと思ったら、いきなり何言っちゃってんの!?」
「ふふふ、ちゃんと言って欲しいですか?   もちろんアランさんのアレをお嬢様のーー」
「言わせねぇよッ!?」
「ふふふ、恥ずかしがり屋さんですね」
「あ、そういう勘違いしちゃいます!?」
「……はぁ」
登場した瞬間からフルスピードだなあと、冷めた目でセレナは見つめていた。
◆◆◆
同時刻。
「ベルダー講師。今日はこの辺りで解散にしましょう」
「そうですね。そろそろお昼ですし、解散としましょうか」
魔剣祭の学院生予選は、もちろんの事ながら学院内にある訓練場で開催する。そのためにベルダー講師を含む実技講師達は会場をセッティングをしていた。
「いよいよ明後日ですか……」
毎年自分の教えた生徒達が予選に出場して選手枠に入り、魔剣祭の本戦に出場するが優勝は難しい。
……やはり帝国騎士でしょうか。
学院生と帝国騎士の実力差は理論で考えるよりも明白だ。剣術にしても魔術にしても確実に劣っている。
……セレナさんはどうでしょうか。
セレナは帝国騎士であるアランに指南を受けている。実力も格段に上がっているに違いない。
「では失礼しますね、皆さん」
荷物を整えたベルダーは訓練場を後にする。
道中では魔剣祭に出場していない生徒達が、講師達の仕事を手伝っている。彼らも魔剣祭を楽しみにしているようで、少し微笑ましいベルダー。
……さて、今日は何を食べましょうか……っと。
「これは……?」
先程まで学院通りを歩いていたはずのベルダー。五年も学院で教鞭をとるベルダーだが、明らかにこの道に見覚えがない。という事はつまり、
「幻術でしょうか……?」
だがいったい何時から?   これほど自然に相手を術中に嵌める人物となると、相当な手練れとしか思えない。
すると、
「やっはー。アンタがベルダー=ガルディオスって言う奴ぅ?」
黒緑のフードを目深に被った、声質からして少年らしき人物が唐突に影の中から現れた。
「貴方は……訊くまでもなく敵ですか」
「いぇ〜す。もちろん名前は秘匿するけど構わないよね?   というか秘匿するけどねっ!」
「ええ、構いませんが……。私に何か用ですか?」
「あっれぇ〜。思ったよりも反応が薄いなぁ……」
少年らしきフードの人物は、つまらなさそうに口を尖らせる。
「まあいいや。それでアンタへの用件なんだけど……」
つかつかと歩み寄る少年。見た目とは裏腹に全身を覆う殺伐としたオーラは、瞬時にベルダーを臨戦態勢に移行させた。
「死ねとでも言うつもりですか?   すみませんが、抗わせていただきーー」
「ああ、いやいや。別に殺したりはしないよ。僕達、敵は敵だけど分別を弁えたつもりの悪役だから」
まぁ、何が言いたいのかというと。少年はニヤリと笑って、
「おやすみ」
ベルダーの視界が暗転した。
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