英雄殺しの魔術騎士
第6話「弱者の妙策」
生徒一同、唖然としていた。
いま目の前で繰り広げられている剣と魔術の模倣戦は、三年生同士が行うそれと同等、いやそれ以上の気迫を感じた。
「《火の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討ちたまえ》ッ!」
限られた魔術の中、最善手と思われるタイミングで詠唱を唱え、死角と思われる箇所を重点的に狙う。アランの手のひらに浮かぶ幾何学的な魔術方陣から、火の矢がベルダーへ向かって飛来した。
「はぁあッ!」
それを豪快にぶった斬ると、ベルダーは腰を屈めて前に駆け出す。狙いはアランの足。強撃の度にバックステップで回避されていては、攻撃も当たらないことを考えての攻撃だろう。
しかしそれを見越して上に飛んで躱すアラン。だがベルダーの攻撃も、まだ終わってはいない。
「《雷の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討つ、悪人たるその数はーー十》ッ!」
「ッ!?」
刹那、ベルダーの幾何学的な魔術方陣から十本の矢が同時に放たれる。それらは独特の弧を描き、それぞれが意思を持つようにタイミングをずらして、アランへと襲いかかった。
……これはやばいな……っ!
すぐさま防御へと切り替えるアランは、体の自由が利かない空中で身を捻りながら、矢の中心を狙って剣を振り続ける。
一本目、二本目、三本目、と立て続けに剣で斬られて消えてゆく矢を見ながら、セレナははぁ、と感心のあまりため息を漏らした。
『これが騎士の戦い……』
『粗雑に見えながらも計算されたあの動き、流石だな……』
『いまベルダー先生は《十》と仰いましたよね?   矢にこんな使い方があるなんて考えませんでしたわ……』
『あの空中での動き、どうやったら出来るんだ……?』
『なんなら今度、試してみようぜ!』
『いや、無理だろ……』
生徒達もそれぞれが思ったことを呟きながら観戦を続ける。ある者はただ関心をし、またある者は自分の動きと照らし合わせる。そうして自分達の思考と技巧の幅を広げていく。
そうしてさまざまな思考が飛び交うその中で、ただユリアだけが静かにアランを見守っていた。
「ユリア、どうしたの?」
「……このままだと、アルにぃ、負ける」
「えっ?」
唐突な発言に、セレナは驚愕を隠せなかった。義理とはいえ兄であるアランの敗北を決断するのは余りにも速すぎるのではないか、とセレナは思う。だがユリアが曖昧なことでそんな事を言うとはとても思えない。
「アランは、そんなに弱いの?」
「ううん、強いよ。アルにぃはとっても強い……けどこれは無理。アルにぃ、戦い辛いと思う」
「……それって使える魔術が限定されているから?」
「うん」
自分の推察を兼ねてユリアに尋ねると、ユリアは首肯した。
そう言われてみれば、確かにこの闘いはベルダーに分がありすぎる。なにせ彼は剣術に特化した腕前を持ち、代償として魔術に関してはほぼ三流だという。
そんな彼が魔術で帝国騎士たるアランと勝負すれば、十秒足らずで勝敗がつくだろう。
だがそれは封じられてしまった。基礎中の基礎に指定されている魔術だけでは、アランは決定的な一撃が与えられない。それに加えてベルダーが常に至近距離に身を寄せてくる。これでは迂闊に魔術詠唱ができない。
ギャギャキャ!   と互いの剣身が擦れ合う音を響かせながら二人は激しく闘い続けている。
……速過ぎる!
あんな肉厚な剣を易々と振り回すベルダーもそうだが、それを何気なしに躱し、防ぎ、隙あらば攻めるアランの動きも凄まじい。帝国騎士の戦闘専門の者は大抵が帝都外におり、真剣勝負はセレナも見るのはこれが初めてだ。
「これが騎士の闘い……」
「……アルにぃ、頑張って……」
ぽつりとユリアが呟いた。そして気のせいだろうか、アランがこちらに気づいたような気がした。
一時の鐘が鳴ってから時刻は五分が経過。両者ともに決定的な攻撃は、未だ与えられてはいなかった。
◆
……また、この感覚だ。
アランには昔から可笑しな体質があった。剣を持つと全身を冷気が襲い、それと同時に血が激しく滾るこの奇妙な感覚が、体の奥底から溢れてくる。
鼻腔が痛むくらいの血を、断末魔の轟く戦いをと、心の奥底で誰かが叫んでいる気がする。その声は蛇のように全身を這い回り、支配しようと試みているようだ。
……あぁ、気持ち悪りぃ。
全身が底なし沼にでも嵌ったかのような感覚に苛まれながらも、アランはベルダーの剣撃に呼吸を合わせる。
ーー殺せ、殺せ。無残に殺してしまえ。
「うるっせぇッ!」
囁きかけるように聞こえた魔の声から意識を振り払うように、アランは豪快に剣を薙ぐ。剣圧によって砂煙が巻き上がった。
……いい加減、黙ってろ!
グッと右足に力と魔力を込め、砂煙に向かって駆け出した。あいにく魔力によって互いの気配は感知している。
だがそれは平面的なものであり、立体的に感知できるほど熟達した魔力の使い手など片手の指ほどしかいない。
その数の少なさからアランは賭けに出た。ベルダーにはアランが目の前にいる、というだけの情報しかないはず。そう信じて迷わず前へと足を動かした。
だが。
ーーブォン!
「ぐッ!?」
唐突に視界へと現れた大剣に驚きながらも、アランはとっさに防御へと身を動かした。数十キロはありそうな剣の重さが剣を通じて全身に影響を与える。
そう、甘く見ていた。確かに「魔力」では平面的にしか察知できない。だが体から溢れ出る「敵意」が、自分の居場所を知らせてしまっていた。
「はぁあッ!」
未だ収まらない砂煙の中、ベルダーは躊躇う気配なく剣を前へと押しやった。体の位置が悪いアランは踏ん張る事が出来ずに、少しずつ後ろに押されていく。
「すんげぇ思い切り……もしかして、実は凄腕の剣士だったりしちゃう?」
踏ん張りながらアランはそう尋ねてみた。
「えぇ、実は私、学生時代は『剣舞祭』で準優勝しましてね……っ!」
「やっぱりな!」
刹那アランは剣を斜めに傾け、ベルダーの大剣の軌道をずらした。ドン、という音とともにアランは後退で距離を取る。
……どうする、アラン(おれ)?   あの『剣舞祭』の準優勝者とか、普通に剣で勝負しても勝てねぇぞ……!
剣舞祭。それは高等部の生徒と新米帝国騎士達による剣術のみの決闘大会。毎年千を超える参加者が集まり、三日間にかけて大会は盛大に催させる。大抵は上位の全てが帝国騎士で埋まるが、そうでない年もちらほらとあった。
そして、そういう人物達が卒業前に帝国騎士としてオファーをされたりするのだが、それは置き。
いまベルダーは「学生時代で準優勝」と言った。つまりそれは帝国騎士という肩書きに物怖じせず、学生ながら剣術だけでねじ伏せたというわけだ。
ベルダーの剣の腕前は一流に勝るとも劣らず。アランではどうしようとも勝てない。このままではいづれ敗北が決定する。
……というか、なんで俺はこんなに必死になってんだろうかねぇ?
全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴をあげ、末端から血の気が引いていく。これほどに無茶をしてまで闘う理由が、意義が見当たらない。
べつにこれは模倣戦であって、どっちが負けても良いではないか。自分が勝ったところで、奴が勝ったところで生徒達には「凄かった」の一言で済まされるだろう。
ユリアも別にアランの闘っている姿を見たかっただけで、勝って欲しいとは言っていない。
……負けても良いよなぁ、ユリア。
ちらりと横目でユリアを見た。やはりユリアは一時も見逃さない為に、じっとこちらを見守っている。横にいるセレナと会話をしている時も、一瞬だって視線を逸らさない。
「気をそらしてはいけませんよ!」
刹那、ベルダーが距離を詰めて激しい剣撃を繰り出した。少し驚いたものの落ち着いて剣を構え、接触と同時に軌道をずらしていなす。
ギャギャキャ!   と種類の異なる鋼同士が擦れ合い、辺りに火花が舞う。ベルダーの顔は微笑んでいる。まだ余裕があるという事だろうか。
「あぁ、面倒くせぇ……っ!」
毒づきながらもひたすら防ぐ。全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴をあげる。やはり五年以上も何もしていないと、体が鈍って仕方がない。
「《風の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討つ、悪人たるその数は十》ッ!」
一撃を弾き返すと同時に瞬時に詠唱。
……至近距離からの十本の【五属の矢】だ!   超人的な反射でもない限り防げるはずがねぇ……っ!
だが、アランの期待を裏切るように。
「だぁああああッ!」
言葉通りの力任せにベルダーは大剣を振る。旋風を起こし、残像のできるような速さで矢を、その次の矢をと容赦なく叩き斬った。
「うっそぉ……」
そんなベルダーの馬鹿力に呆れながらアランは後退して距離を取る。やはりこのまま剣で闘えば、九分九厘敗北が決定するだろう。
かといえ魔術で勝負するにも【五属の矢】では火力が足りないし、なにより魔力は消耗品。限界が存在する。
……よく考えれば、もう詰んでるし……。
もう身体的にも精神的にも限界だった。せいぜちこのまま闘い続けても、数分間辛い思いが長引くだけだろう。
ちらりとユリアを見た。
ーーアルにぃ、頑張って。
そう聞こえたわけではない。唇の動きから想像して、たぶんそう言ったんだろう、と思っただけだ。
「『頑張って』ねぇ……」
正直な話、ここから巻き返して勝利を勝ち取るには余りにも遅すぎた。剣を握る筋力が衰えていた。魔力の扱いを若干忘れていた。なにより「殺し合いの世界」という地獄から身を離していた。今のアランにベルダーを倒せるような要素は何一つなかった。
それでもユリアはアランに頑張れと言う。とても客観的な発言で、こちらの現状など知りもしないような発言だ。
「ほんっと、妹っていうものは怖いねぇ……」
義兄に期待している。それは正直に嬉しい。
義兄を信頼している。それも嬉しい。
そして多分、それら色々が合わさって、ユリアはアランにこう言いたいのだろう。
「アルにぃの限界は、そこ?」と。
身勝手な妄想だとは知っている。ユリアがそんな鬼畜で嗜虐的な思考を持たないことは、一緒に暮らしていた十年の時の中で理解している。
だがそう思ってしまう。悔しい事に考えてしまう。本当に仕方のない兄だ。そしてそんな他愛のない言葉を聞いて、心を奮わせる自分が存在してしまう。
「だったら見せるしかないよなぁ……!」
ここから先はただの意地だ。勝率は皆無。あらゆる手を尽くしても、勝つ見込みは足元にある砂粒よりも小さい。
だがやる。やってやる。やらなければいけない。純粋な意地がアランの心を奮わせた。
「なんだか分かりませんが……行きますッ!」
ベルダーが地を駆ける。アランの間合いに入るまであとコンマ八秒。一秒にも満たない時間の中、アランは二つの選択をした。
一つは前進。あえて距離を取らず前へと進み出た。これによりベルダーの予測を裏切るかのようにアランとの間合いは瞬時に埋まる。
次にアランは剣を捨てた。
「な……ッ!?」
肉眼できる得物は一つ。それに集中しすぎたベルダーは無意識のうちに剣へと視線が寄っていた。それは時間にしてコンマ五秒にも満たないが、十分すぎる時間だ。
五年前を思い出すようにアランは静かに魔力を全身に宿す。しかし防御はしない。あえて四肢に集中して魔力を宿した。
そして。
「静ぃッ!」
かつてリカルドに学んだ武術の一つ、「柔拳」と呼ばれる掌底の一撃を、ベルダーの鳩尾に容赦なく叩きつけた。
「ごはぁ……っ!?」
突進の威力に合わせて全身を震わせる魔力のこもった一撃。それによってベルダーの視界は激しく揺らいだ。だがまだ、ベルダーは倒れない。その程度の一撃では膝を曲げるに至らない。
すぐさま体勢を立て直し、反撃にーー
「させねぇよ!」
隙間を縫うかのような絶妙なタイミングでアランは踵を蹴り、重心をずらした。未だ視界が安定しないベルダーは、そのまま尻餅をつく。
そしてアランは勢いよくバックステップで距離を取ると、手のひらへと魔力を集中させる。魔力の集まりが悪くなってきている。つまりこれはーー
……正直、賭けだな……っ!
無駄な思考を振り払い、手のひらをベルダーへと向けると、
「《雷の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討つ》ーー」
右手の手のひらに浮かんだ幾何学的な魔術方陣を、左手の手のひらと合わせて複製。さらに空間に同じ魔術方陣を八つ展開。それらにも同様に魔力を込める。とても緻密で繊細な作業だ。
だが落ち着いている。心は心底平静を保っていた。耳元からは奇妙な声は聞こえない。
……くらえ。
「ーー《悪人たるその数は百》ッ!」
ベルダーへ百の雷矢が襲いかかる。天へ向けて飛ぶ白雷の塊は、重力を感じたかのように放物線を描いて、ベルダーへと降りかかる。
「ぁああぁあッ!」
微睡む意識に鞭を打ち、ベルダーは勢いよく剣を振り下ろす。バシュン、という音とともに矢を防ぐも、その向こうにはまだ九十九本が待ち構えていた。
「く……っ!」
捌ききれない、そう瞬時に判断したベルダーは、迷うことなく回避を選択。ただひらすら逃げ走った。
【五属の矢】には追尾機能は存在しない。魔術方陣から射出される前に、術者が座標を固定し、望んだように軌道を描きながら飛来する。
ゆえにベルダーのほんの数瞬前までいた場所を雷矢が狙う。バチッと雷光を閃かせながら、ベルダーの通り道を示す雷矢の残骸。
アランの次の動きなど予測する暇もなく、必死に逃げ惑うベルダー。だがついに。
「はあぁッ!」
最後の一矢を叩き斬り、辺りには焼けた大地の臭いが漂う。
敵の一撃(と言うより百撃?)を防いだ事に満足感としてやった感を感じながら、ふと、ベルダーは異変に気付いた。
……彼は?
さっきまでの魔力を感じない。気配も微塵に感じない。今なら二階席にいる生徒達の方が強い存在感を示している。そしてなにより「自分の立ち位置」に疑問を抱いた。
そこは最初の一矢を叩き斬った場所から半円を描いた場所。もう少し詳しく言うなら、
「彼が剣を捨てた場所…………しまっーー」
「遅いッ!」
ベルダーが振り向きざまに剣を薙ぐ。だがそれは、安定のしていない重心のままに振るった一撃ゆえにとても粗雑で、容易に弾けた。
ガキィン!   と鋼同士が叩き合う音と共に、ベルダーの手のひらから大剣が離れた。それは空中で何度か回転して、少し離れた地面に砂煙と盛大な音を立てて転がる。
体勢の崩れたベルダーはそのままの勢いで、地面に尻餅をつく。そして諦めたかのように言った。
「……ここまで、ですか」
大剣は手元になく、魔術詠唱をする暇はない。なおかつ相手は剣を持ち、次の瞬間にベルダーを倒すことなど容易だ。
「それにしても、さすがと言うべきでしょうか……剣術で闘うと言っているのに剣を捨てるなど、常識外の行動ですよ?」
「常識外れな事でもしないと勝てなかったからな。ちょっと、無茶してみました☆」
「……その歳で、そんな顔をするのは、少しどうかと……」
「そんな嫌そうな顔ではっきり言われるとは思ってなかったよ……」
さて、とアランは言う。
「俺の戦略、見抜けた?」
「……ええ。恐らくは」
アランの戦略。それはごく単純ながら、この場において誰もが想像をしなかった物。
「『剣を捨てる』ことによって、貴方は私と『剣で勝負をする』ことを放棄したかのように見せる。そして視界を覆い尽くすほどの威力のある魔術で、更にその思考を染み込ませながらも、貴方は剣を拾い、その瞬間を狙った……罠を仕掛けた者が罠に嵌っていたとは……素晴らしい知略としか例えようがありません」
ふふふ、とベルダーは笑いつつもアランの瞳から目を逸らさない。もはや敗北は認めている。かつては帝国騎士を目指した者として、アランに敬意を示しているのだ。
そんなベルダーに対してアランは、疲労困憊な顔をしている。
……や、やべぇ……魔力が。
体の奥底から何かが抜け出るような感覚。全身の熱を奪いながらも、体はどんどん眠気を帯びていく。
「仕方ありません。ここは素直に負けを認めるしかーー」
「あ、あのさー、ベルダーさん?」
「はい、なんでしょうか?」
「この模倣戦なんだけど……すまん、勝者がなに偉そうにって言うかもしれんが、アンタの勝ちだわ。俺はもうーー」
最後まで言うことなく、アランは倒れた。そんなアランを支えるベルダーは、ようやく事を理解した。
「……なるほど、魔力限界ですか」
魔力限界、つまりは魔力が底を尽きた事を指す。
魔力は無限には存在しない。体内には「魔力量」というものがあり、そしてその中に魔力が存在する。魔力は精神的な疲弊とともに徐々に消費され、睡眠などで魔力を回復するのだ。
あいにくアランは昨夜、かなり遅くの時間まで起きていた所為か、魔力が容量の三分の一以下しかなかった。それに加えて朝の頭痛による精神的ストレスで消費も激しく、昼までには十分の一ほどしか残っていない。
よってこの模倣戦で魔力を全て消費したアランは、強制機能停止ーーつまり強制的に睡眠状態に移行したというわけだ。
「すぅ……」
穏やかな寝息を立て眠るアラン。その顔は齢二十とは思えないほどのあどけなさを有していた。まあ、ベルダーにそっちのけが無いのでそれはどういう意味も抱かなかったが。
……魔力限界になるまで闘いましたか。
「仕方がありませんね……皆さん、今から私は彼を医務室に連れて行きます。その間は各自いつも通りに訓練をしていて下さい!」
それだけ言い残し、ベルダーはアランを背負って訓練場を後にする。これがアランを有名にたらしめる、その瞬間であった。
◆
「ーーん……ここ、は……?」
目を見開くと、そこは見知らぬ天井だった。
……消毒液の臭い。なるほど、医務室か。
そう考えてみると、どうにも体が重く、そこでようやく自分の状態に気が付いた。
「魔力限界か……なっさけねぇ……」
強制的に睡眠状態に入る魔力限界は、戦場において最も危険なものだとリカルドに口酸っぱく言われていた。だがすっかり忘れていた。所詮リカルドの言うことだ。忘れていてもおかしくないだろう。
「それにしたもつっかれたぁー!」
ベッドの中で全身の筋肉を伸ばすように大きく伸びをすると、
ーーむにゅん。
「……え、なにこの『何だ、この柔らかいクッション』的な展開の前振りは……?」
膝に触れたそれは、柔らかくて程よい弾性があり、なおかつ触っていてなぜか気持ちいいこれは……
……ユリアか?
昔はアランのベットに入り込み、一緒に寝ていたこともよくあった。それを懐かしんで入ってきたのかもしれない。
「まったく……可愛いヤツだなぁ……」
やれやれ、と呆れるというより愛しんでいるかのような顔をしながら、そっと掛け布を捲ると、
「おや、起きられましたかな?」
そこにはセレナの執事長、ヴィダン=ゴドレットがアランに添い寝していた。しかも全裸。
「…………………………………………」
落ち着こう、とりあえず落ち着こうか、俺。
今にも爆発しそうな何かを抑えながら、アランはベットから腰をあげる。
そして。
「ぎゃぁああああああああああああッ!?」
怒りと悲しみと、あと複雑な妹への想いが相混ざった感情を、とりあえず医務室の床に向けて叩きつけた。
……なんでここにヴィダンがいるの!?   ていうか俺の触った「あれ」って、まさかアレか!?   うっわ、手が、手が汚れるぅううううう!?
瓶に入った消毒液を底の深い鉄鍋にありったけぶち込んで、そこに手を突っ込む。これで一応は衛生を保てるだろう。
「てか、なんでここにヴィダンがいるんだよ!」
「実はお嬢様から連絡が来まして、『アランが倒れたから起きるまで見守っていてほしい』との事でして」
「なんでそれで俺と添い寝する結論に至ったんだよ!?」
「いや、その……寝顔が余りにも愛しかったものでつい……」
「変態!?   寝顔が可愛かったからベッドインしちゃいましたー、とか犯罪沙汰だろうがそれ!」
「昔はセレナお嬢様の寝室にもつい……」
「こいつは執事の前に、クソ親父と同類のただの変態だったのか……っ!」
どうやらあの屋敷には、おかしな使用人しかいない気がしてきた。
「……さて、他愛のない話は置いておくとして」
「……俺としては置いておきたくないけど、俺の寛大さゆえに話を進めることを許そうじゃないか」
では、とヴィダンは一つ咳払いをして、妙に引き締まった顔をした。
……どうやら、冗談ごとみたいじゃなさそうだな……。
「実はーー」
◆
その日の放課後。陽はまだ高く、時刻も四時を少し過ぎたくらいだろう。
「アルにぃ、体は大丈夫?」
「大丈夫なわけがない……成人になって初めて一緒にベッドインした相手が、還暦迎えたあんなジジイとか……ユリア、俺はもう婿には行けない……っ」
「大丈夫。もしそうなったら私がアルにぃと結婚する」
グッと親指を立てながら目を輝かせるユリア。だがそんなユリアを見て、呆れたようにセレナがため息を漏らした。
「結婚って……貴方達、家族なんでしょう?   だったら出来るわけがないじゃない」
「だとさー。残念だったな、ユリア」
「大丈夫。方法は一つある」
「方法?   なんだそれ?」
「『魔剣祭』で優勝する」
ユリアのその発言に、セレナがビクッと身を震わせた。
「あー……そういや来月にはそんな時期か。まぁ、ユリアなら確実に優勝候補筆頭だろうけど……」
魔剣祭。剣舞祭が「騎士の闘い」と定義するならば、魔剣祭は「魔術騎士の闘い」と定義できるだろう。会場全体で繰り広げられる極大魔術同士の衝突は観衆を熱狂させ、神話の域に至る闘いは、他を圧倒する。
かつて英雄となった数多くの人物が魔剣祭に出場し、他を追随させない圧倒的な力を示した。そこまでして彼らが求める理由はたった一つ。
あらゆる願いを一つだけ叶えられる、この神の如き権限を授与出来るからだ。
無限の富、大陸中に轟く名声、不老不死の肉体、森羅万象の知識など、その限りは存在せず、かつて行われた二十六回すべての願いが叶えられている。
無論、そんな夢のような物に手を伸ばす魔術騎士も後を絶たない。そこで現皇帝であるヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルムは「出場者年齢を二十歳までとする」という制限を設けた。一時は反響もあったそうだが、騎士団の団長達、つまりリカルド達の声によってだんだんと承諾する帝国騎士も増えてきているようだ。
ユリアは現在十五歳、見た目はまだまだ可愛い少女だが、リカルドの血を引くだけあって、その実力は中堅の魔術騎士達と少しも変わらない。
「ま、可愛い義妹に闘いなんて野蛮なことはして欲しくは無いんだが、頑張れとだけ言っておこう」
「ん、頑張る。それでアルにぃと結婚する」
……あ、それはマジなのね。
ははは、と苦く笑いながらも、アランは優しくユリアの頭を撫でた。
「……さてと。それじゃあそろそろ帰りますか、セレナ?」
「え、ええ。そうね……早いうちに帰って、お風呂にでも入りたい気分かしら」
そう言って足早に屋敷へと向かうセレナ。その後ろ姿はどこか落ち着きがない。
だがアランには隠せない。
「声質」から感じる死への恐怖と「魔力の揺らぎ」から感じる決断への迷いを。
いま目の前で繰り広げられている剣と魔術の模倣戦は、三年生同士が行うそれと同等、いやそれ以上の気迫を感じた。
「《火の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討ちたまえ》ッ!」
限られた魔術の中、最善手と思われるタイミングで詠唱を唱え、死角と思われる箇所を重点的に狙う。アランの手のひらに浮かぶ幾何学的な魔術方陣から、火の矢がベルダーへ向かって飛来した。
「はぁあッ!」
それを豪快にぶった斬ると、ベルダーは腰を屈めて前に駆け出す。狙いはアランの足。強撃の度にバックステップで回避されていては、攻撃も当たらないことを考えての攻撃だろう。
しかしそれを見越して上に飛んで躱すアラン。だがベルダーの攻撃も、まだ終わってはいない。
「《雷の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討つ、悪人たるその数はーー十》ッ!」
「ッ!?」
刹那、ベルダーの幾何学的な魔術方陣から十本の矢が同時に放たれる。それらは独特の弧を描き、それぞれが意思を持つようにタイミングをずらして、アランへと襲いかかった。
……これはやばいな……っ!
すぐさま防御へと切り替えるアランは、体の自由が利かない空中で身を捻りながら、矢の中心を狙って剣を振り続ける。
一本目、二本目、三本目、と立て続けに剣で斬られて消えてゆく矢を見ながら、セレナははぁ、と感心のあまりため息を漏らした。
『これが騎士の戦い……』
『粗雑に見えながらも計算されたあの動き、流石だな……』
『いまベルダー先生は《十》と仰いましたよね?   矢にこんな使い方があるなんて考えませんでしたわ……』
『あの空中での動き、どうやったら出来るんだ……?』
『なんなら今度、試してみようぜ!』
『いや、無理だろ……』
生徒達もそれぞれが思ったことを呟きながら観戦を続ける。ある者はただ関心をし、またある者は自分の動きと照らし合わせる。そうして自分達の思考と技巧の幅を広げていく。
そうしてさまざまな思考が飛び交うその中で、ただユリアだけが静かにアランを見守っていた。
「ユリア、どうしたの?」
「……このままだと、アルにぃ、負ける」
「えっ?」
唐突な発言に、セレナは驚愕を隠せなかった。義理とはいえ兄であるアランの敗北を決断するのは余りにも速すぎるのではないか、とセレナは思う。だがユリアが曖昧なことでそんな事を言うとはとても思えない。
「アランは、そんなに弱いの?」
「ううん、強いよ。アルにぃはとっても強い……けどこれは無理。アルにぃ、戦い辛いと思う」
「……それって使える魔術が限定されているから?」
「うん」
自分の推察を兼ねてユリアに尋ねると、ユリアは首肯した。
そう言われてみれば、確かにこの闘いはベルダーに分がありすぎる。なにせ彼は剣術に特化した腕前を持ち、代償として魔術に関してはほぼ三流だという。
そんな彼が魔術で帝国騎士たるアランと勝負すれば、十秒足らずで勝敗がつくだろう。
だがそれは封じられてしまった。基礎中の基礎に指定されている魔術だけでは、アランは決定的な一撃が与えられない。それに加えてベルダーが常に至近距離に身を寄せてくる。これでは迂闊に魔術詠唱ができない。
ギャギャキャ!   と互いの剣身が擦れ合う音を響かせながら二人は激しく闘い続けている。
……速過ぎる!
あんな肉厚な剣を易々と振り回すベルダーもそうだが、それを何気なしに躱し、防ぎ、隙あらば攻めるアランの動きも凄まじい。帝国騎士の戦闘専門の者は大抵が帝都外におり、真剣勝負はセレナも見るのはこれが初めてだ。
「これが騎士の闘い……」
「……アルにぃ、頑張って……」
ぽつりとユリアが呟いた。そして気のせいだろうか、アランがこちらに気づいたような気がした。
一時の鐘が鳴ってから時刻は五分が経過。両者ともに決定的な攻撃は、未だ与えられてはいなかった。
◆
……また、この感覚だ。
アランには昔から可笑しな体質があった。剣を持つと全身を冷気が襲い、それと同時に血が激しく滾るこの奇妙な感覚が、体の奥底から溢れてくる。
鼻腔が痛むくらいの血を、断末魔の轟く戦いをと、心の奥底で誰かが叫んでいる気がする。その声は蛇のように全身を這い回り、支配しようと試みているようだ。
……あぁ、気持ち悪りぃ。
全身が底なし沼にでも嵌ったかのような感覚に苛まれながらも、アランはベルダーの剣撃に呼吸を合わせる。
ーー殺せ、殺せ。無残に殺してしまえ。
「うるっせぇッ!」
囁きかけるように聞こえた魔の声から意識を振り払うように、アランは豪快に剣を薙ぐ。剣圧によって砂煙が巻き上がった。
……いい加減、黙ってろ!
グッと右足に力と魔力を込め、砂煙に向かって駆け出した。あいにく魔力によって互いの気配は感知している。
だがそれは平面的なものであり、立体的に感知できるほど熟達した魔力の使い手など片手の指ほどしかいない。
その数の少なさからアランは賭けに出た。ベルダーにはアランが目の前にいる、というだけの情報しかないはず。そう信じて迷わず前へと足を動かした。
だが。
ーーブォン!
「ぐッ!?」
唐突に視界へと現れた大剣に驚きながらも、アランはとっさに防御へと身を動かした。数十キロはありそうな剣の重さが剣を通じて全身に影響を与える。
そう、甘く見ていた。確かに「魔力」では平面的にしか察知できない。だが体から溢れ出る「敵意」が、自分の居場所を知らせてしまっていた。
「はぁあッ!」
未だ収まらない砂煙の中、ベルダーは躊躇う気配なく剣を前へと押しやった。体の位置が悪いアランは踏ん張る事が出来ずに、少しずつ後ろに押されていく。
「すんげぇ思い切り……もしかして、実は凄腕の剣士だったりしちゃう?」
踏ん張りながらアランはそう尋ねてみた。
「えぇ、実は私、学生時代は『剣舞祭』で準優勝しましてね……っ!」
「やっぱりな!」
刹那アランは剣を斜めに傾け、ベルダーの大剣の軌道をずらした。ドン、という音とともにアランは後退で距離を取る。
……どうする、アラン(おれ)?   あの『剣舞祭』の準優勝者とか、普通に剣で勝負しても勝てねぇぞ……!
剣舞祭。それは高等部の生徒と新米帝国騎士達による剣術のみの決闘大会。毎年千を超える参加者が集まり、三日間にかけて大会は盛大に催させる。大抵は上位の全てが帝国騎士で埋まるが、そうでない年もちらほらとあった。
そして、そういう人物達が卒業前に帝国騎士としてオファーをされたりするのだが、それは置き。
いまベルダーは「学生時代で準優勝」と言った。つまりそれは帝国騎士という肩書きに物怖じせず、学生ながら剣術だけでねじ伏せたというわけだ。
ベルダーの剣の腕前は一流に勝るとも劣らず。アランではどうしようとも勝てない。このままではいづれ敗北が決定する。
……というか、なんで俺はこんなに必死になってんだろうかねぇ?
全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴をあげ、末端から血の気が引いていく。これほどに無茶をしてまで闘う理由が、意義が見当たらない。
べつにこれは模倣戦であって、どっちが負けても良いではないか。自分が勝ったところで、奴が勝ったところで生徒達には「凄かった」の一言で済まされるだろう。
ユリアも別にアランの闘っている姿を見たかっただけで、勝って欲しいとは言っていない。
……負けても良いよなぁ、ユリア。
ちらりと横目でユリアを見た。やはりユリアは一時も見逃さない為に、じっとこちらを見守っている。横にいるセレナと会話をしている時も、一瞬だって視線を逸らさない。
「気をそらしてはいけませんよ!」
刹那、ベルダーが距離を詰めて激しい剣撃を繰り出した。少し驚いたものの落ち着いて剣を構え、接触と同時に軌道をずらしていなす。
ギャギャキャ!   と種類の異なる鋼同士が擦れ合い、辺りに火花が舞う。ベルダーの顔は微笑んでいる。まだ余裕があるという事だろうか。
「あぁ、面倒くせぇ……っ!」
毒づきながらもひたすら防ぐ。全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴をあげる。やはり五年以上も何もしていないと、体が鈍って仕方がない。
「《風の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討つ、悪人たるその数は十》ッ!」
一撃を弾き返すと同時に瞬時に詠唱。
……至近距離からの十本の【五属の矢】だ!   超人的な反射でもない限り防げるはずがねぇ……っ!
だが、アランの期待を裏切るように。
「だぁああああッ!」
言葉通りの力任せにベルダーは大剣を振る。旋風を起こし、残像のできるような速さで矢を、その次の矢をと容赦なく叩き斬った。
「うっそぉ……」
そんなベルダーの馬鹿力に呆れながらアランは後退して距離を取る。やはりこのまま剣で闘えば、九分九厘敗北が決定するだろう。
かといえ魔術で勝負するにも【五属の矢】では火力が足りないし、なにより魔力は消耗品。限界が存在する。
……よく考えれば、もう詰んでるし……。
もう身体的にも精神的にも限界だった。せいぜちこのまま闘い続けても、数分間辛い思いが長引くだけだろう。
ちらりとユリアを見た。
ーーアルにぃ、頑張って。
そう聞こえたわけではない。唇の動きから想像して、たぶんそう言ったんだろう、と思っただけだ。
「『頑張って』ねぇ……」
正直な話、ここから巻き返して勝利を勝ち取るには余りにも遅すぎた。剣を握る筋力が衰えていた。魔力の扱いを若干忘れていた。なにより「殺し合いの世界」という地獄から身を離していた。今のアランにベルダーを倒せるような要素は何一つなかった。
それでもユリアはアランに頑張れと言う。とても客観的な発言で、こちらの現状など知りもしないような発言だ。
「ほんっと、妹っていうものは怖いねぇ……」
義兄に期待している。それは正直に嬉しい。
義兄を信頼している。それも嬉しい。
そして多分、それら色々が合わさって、ユリアはアランにこう言いたいのだろう。
「アルにぃの限界は、そこ?」と。
身勝手な妄想だとは知っている。ユリアがそんな鬼畜で嗜虐的な思考を持たないことは、一緒に暮らしていた十年の時の中で理解している。
だがそう思ってしまう。悔しい事に考えてしまう。本当に仕方のない兄だ。そしてそんな他愛のない言葉を聞いて、心を奮わせる自分が存在してしまう。
「だったら見せるしかないよなぁ……!」
ここから先はただの意地だ。勝率は皆無。あらゆる手を尽くしても、勝つ見込みは足元にある砂粒よりも小さい。
だがやる。やってやる。やらなければいけない。純粋な意地がアランの心を奮わせた。
「なんだか分かりませんが……行きますッ!」
ベルダーが地を駆ける。アランの間合いに入るまであとコンマ八秒。一秒にも満たない時間の中、アランは二つの選択をした。
一つは前進。あえて距離を取らず前へと進み出た。これによりベルダーの予測を裏切るかのようにアランとの間合いは瞬時に埋まる。
次にアランは剣を捨てた。
「な……ッ!?」
肉眼できる得物は一つ。それに集中しすぎたベルダーは無意識のうちに剣へと視線が寄っていた。それは時間にしてコンマ五秒にも満たないが、十分すぎる時間だ。
五年前を思い出すようにアランは静かに魔力を全身に宿す。しかし防御はしない。あえて四肢に集中して魔力を宿した。
そして。
「静ぃッ!」
かつてリカルドに学んだ武術の一つ、「柔拳」と呼ばれる掌底の一撃を、ベルダーの鳩尾に容赦なく叩きつけた。
「ごはぁ……っ!?」
突進の威力に合わせて全身を震わせる魔力のこもった一撃。それによってベルダーの視界は激しく揺らいだ。だがまだ、ベルダーは倒れない。その程度の一撃では膝を曲げるに至らない。
すぐさま体勢を立て直し、反撃にーー
「させねぇよ!」
隙間を縫うかのような絶妙なタイミングでアランは踵を蹴り、重心をずらした。未だ視界が安定しないベルダーは、そのまま尻餅をつく。
そしてアランは勢いよくバックステップで距離を取ると、手のひらへと魔力を集中させる。魔力の集まりが悪くなってきている。つまりこれはーー
……正直、賭けだな……っ!
無駄な思考を振り払い、手のひらをベルダーへと向けると、
「《雷の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討つ》ーー」
右手の手のひらに浮かんだ幾何学的な魔術方陣を、左手の手のひらと合わせて複製。さらに空間に同じ魔術方陣を八つ展開。それらにも同様に魔力を込める。とても緻密で繊細な作業だ。
だが落ち着いている。心は心底平静を保っていた。耳元からは奇妙な声は聞こえない。
……くらえ。
「ーー《悪人たるその数は百》ッ!」
ベルダーへ百の雷矢が襲いかかる。天へ向けて飛ぶ白雷の塊は、重力を感じたかのように放物線を描いて、ベルダーへと降りかかる。
「ぁああぁあッ!」
微睡む意識に鞭を打ち、ベルダーは勢いよく剣を振り下ろす。バシュン、という音とともに矢を防ぐも、その向こうにはまだ九十九本が待ち構えていた。
「く……っ!」
捌ききれない、そう瞬時に判断したベルダーは、迷うことなく回避を選択。ただひらすら逃げ走った。
【五属の矢】には追尾機能は存在しない。魔術方陣から射出される前に、術者が座標を固定し、望んだように軌道を描きながら飛来する。
ゆえにベルダーのほんの数瞬前までいた場所を雷矢が狙う。バチッと雷光を閃かせながら、ベルダーの通り道を示す雷矢の残骸。
アランの次の動きなど予測する暇もなく、必死に逃げ惑うベルダー。だがついに。
「はあぁッ!」
最後の一矢を叩き斬り、辺りには焼けた大地の臭いが漂う。
敵の一撃(と言うより百撃?)を防いだ事に満足感としてやった感を感じながら、ふと、ベルダーは異変に気付いた。
……彼は?
さっきまでの魔力を感じない。気配も微塵に感じない。今なら二階席にいる生徒達の方が強い存在感を示している。そしてなにより「自分の立ち位置」に疑問を抱いた。
そこは最初の一矢を叩き斬った場所から半円を描いた場所。もう少し詳しく言うなら、
「彼が剣を捨てた場所…………しまっーー」
「遅いッ!」
ベルダーが振り向きざまに剣を薙ぐ。だがそれは、安定のしていない重心のままに振るった一撃ゆえにとても粗雑で、容易に弾けた。
ガキィン!   と鋼同士が叩き合う音と共に、ベルダーの手のひらから大剣が離れた。それは空中で何度か回転して、少し離れた地面に砂煙と盛大な音を立てて転がる。
体勢の崩れたベルダーはそのままの勢いで、地面に尻餅をつく。そして諦めたかのように言った。
「……ここまで、ですか」
大剣は手元になく、魔術詠唱をする暇はない。なおかつ相手は剣を持ち、次の瞬間にベルダーを倒すことなど容易だ。
「それにしても、さすがと言うべきでしょうか……剣術で闘うと言っているのに剣を捨てるなど、常識外の行動ですよ?」
「常識外れな事でもしないと勝てなかったからな。ちょっと、無茶してみました☆」
「……その歳で、そんな顔をするのは、少しどうかと……」
「そんな嫌そうな顔ではっきり言われるとは思ってなかったよ……」
さて、とアランは言う。
「俺の戦略、見抜けた?」
「……ええ。恐らくは」
アランの戦略。それはごく単純ながら、この場において誰もが想像をしなかった物。
「『剣を捨てる』ことによって、貴方は私と『剣で勝負をする』ことを放棄したかのように見せる。そして視界を覆い尽くすほどの威力のある魔術で、更にその思考を染み込ませながらも、貴方は剣を拾い、その瞬間を狙った……罠を仕掛けた者が罠に嵌っていたとは……素晴らしい知略としか例えようがありません」
ふふふ、とベルダーは笑いつつもアランの瞳から目を逸らさない。もはや敗北は認めている。かつては帝国騎士を目指した者として、アランに敬意を示しているのだ。
そんなベルダーに対してアランは、疲労困憊な顔をしている。
……や、やべぇ……魔力が。
体の奥底から何かが抜け出るような感覚。全身の熱を奪いながらも、体はどんどん眠気を帯びていく。
「仕方ありません。ここは素直に負けを認めるしかーー」
「あ、あのさー、ベルダーさん?」
「はい、なんでしょうか?」
「この模倣戦なんだけど……すまん、勝者がなに偉そうにって言うかもしれんが、アンタの勝ちだわ。俺はもうーー」
最後まで言うことなく、アランは倒れた。そんなアランを支えるベルダーは、ようやく事を理解した。
「……なるほど、魔力限界ですか」
魔力限界、つまりは魔力が底を尽きた事を指す。
魔力は無限には存在しない。体内には「魔力量」というものがあり、そしてその中に魔力が存在する。魔力は精神的な疲弊とともに徐々に消費され、睡眠などで魔力を回復するのだ。
あいにくアランは昨夜、かなり遅くの時間まで起きていた所為か、魔力が容量の三分の一以下しかなかった。それに加えて朝の頭痛による精神的ストレスで消費も激しく、昼までには十分の一ほどしか残っていない。
よってこの模倣戦で魔力を全て消費したアランは、強制機能停止ーーつまり強制的に睡眠状態に移行したというわけだ。
「すぅ……」
穏やかな寝息を立て眠るアラン。その顔は齢二十とは思えないほどのあどけなさを有していた。まあ、ベルダーにそっちのけが無いのでそれはどういう意味も抱かなかったが。
……魔力限界になるまで闘いましたか。
「仕方がありませんね……皆さん、今から私は彼を医務室に連れて行きます。その間は各自いつも通りに訓練をしていて下さい!」
それだけ言い残し、ベルダーはアランを背負って訓練場を後にする。これがアランを有名にたらしめる、その瞬間であった。
◆
「ーーん……ここ、は……?」
目を見開くと、そこは見知らぬ天井だった。
……消毒液の臭い。なるほど、医務室か。
そう考えてみると、どうにも体が重く、そこでようやく自分の状態に気が付いた。
「魔力限界か……なっさけねぇ……」
強制的に睡眠状態に入る魔力限界は、戦場において最も危険なものだとリカルドに口酸っぱく言われていた。だがすっかり忘れていた。所詮リカルドの言うことだ。忘れていてもおかしくないだろう。
「それにしたもつっかれたぁー!」
ベッドの中で全身の筋肉を伸ばすように大きく伸びをすると、
ーーむにゅん。
「……え、なにこの『何だ、この柔らかいクッション』的な展開の前振りは……?」
膝に触れたそれは、柔らかくて程よい弾性があり、なおかつ触っていてなぜか気持ちいいこれは……
……ユリアか?
昔はアランのベットに入り込み、一緒に寝ていたこともよくあった。それを懐かしんで入ってきたのかもしれない。
「まったく……可愛いヤツだなぁ……」
やれやれ、と呆れるというより愛しんでいるかのような顔をしながら、そっと掛け布を捲ると、
「おや、起きられましたかな?」
そこにはセレナの執事長、ヴィダン=ゴドレットがアランに添い寝していた。しかも全裸。
「…………………………………………」
落ち着こう、とりあえず落ち着こうか、俺。
今にも爆発しそうな何かを抑えながら、アランはベットから腰をあげる。
そして。
「ぎゃぁああああああああああああッ!?」
怒りと悲しみと、あと複雑な妹への想いが相混ざった感情を、とりあえず医務室の床に向けて叩きつけた。
……なんでここにヴィダンがいるの!?   ていうか俺の触った「あれ」って、まさかアレか!?   うっわ、手が、手が汚れるぅううううう!?
瓶に入った消毒液を底の深い鉄鍋にありったけぶち込んで、そこに手を突っ込む。これで一応は衛生を保てるだろう。
「てか、なんでここにヴィダンがいるんだよ!」
「実はお嬢様から連絡が来まして、『アランが倒れたから起きるまで見守っていてほしい』との事でして」
「なんでそれで俺と添い寝する結論に至ったんだよ!?」
「いや、その……寝顔が余りにも愛しかったものでつい……」
「変態!?   寝顔が可愛かったからベッドインしちゃいましたー、とか犯罪沙汰だろうがそれ!」
「昔はセレナお嬢様の寝室にもつい……」
「こいつは執事の前に、クソ親父と同類のただの変態だったのか……っ!」
どうやらあの屋敷には、おかしな使用人しかいない気がしてきた。
「……さて、他愛のない話は置いておくとして」
「……俺としては置いておきたくないけど、俺の寛大さゆえに話を進めることを許そうじゃないか」
では、とヴィダンは一つ咳払いをして、妙に引き締まった顔をした。
……どうやら、冗談ごとみたいじゃなさそうだな……。
「実はーー」
◆
その日の放課後。陽はまだ高く、時刻も四時を少し過ぎたくらいだろう。
「アルにぃ、体は大丈夫?」
「大丈夫なわけがない……成人になって初めて一緒にベッドインした相手が、還暦迎えたあんなジジイとか……ユリア、俺はもう婿には行けない……っ」
「大丈夫。もしそうなったら私がアルにぃと結婚する」
グッと親指を立てながら目を輝かせるユリア。だがそんなユリアを見て、呆れたようにセレナがため息を漏らした。
「結婚って……貴方達、家族なんでしょう?   だったら出来るわけがないじゃない」
「だとさー。残念だったな、ユリア」
「大丈夫。方法は一つある」
「方法?   なんだそれ?」
「『魔剣祭』で優勝する」
ユリアのその発言に、セレナがビクッと身を震わせた。
「あー……そういや来月にはそんな時期か。まぁ、ユリアなら確実に優勝候補筆頭だろうけど……」
魔剣祭。剣舞祭が「騎士の闘い」と定義するならば、魔剣祭は「魔術騎士の闘い」と定義できるだろう。会場全体で繰り広げられる極大魔術同士の衝突は観衆を熱狂させ、神話の域に至る闘いは、他を圧倒する。
かつて英雄となった数多くの人物が魔剣祭に出場し、他を追随させない圧倒的な力を示した。そこまでして彼らが求める理由はたった一つ。
あらゆる願いを一つだけ叶えられる、この神の如き権限を授与出来るからだ。
無限の富、大陸中に轟く名声、不老不死の肉体、森羅万象の知識など、その限りは存在せず、かつて行われた二十六回すべての願いが叶えられている。
無論、そんな夢のような物に手を伸ばす魔術騎士も後を絶たない。そこで現皇帝であるヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルムは「出場者年齢を二十歳までとする」という制限を設けた。一時は反響もあったそうだが、騎士団の団長達、つまりリカルド達の声によってだんだんと承諾する帝国騎士も増えてきているようだ。
ユリアは現在十五歳、見た目はまだまだ可愛い少女だが、リカルドの血を引くだけあって、その実力は中堅の魔術騎士達と少しも変わらない。
「ま、可愛い義妹に闘いなんて野蛮なことはして欲しくは無いんだが、頑張れとだけ言っておこう」
「ん、頑張る。それでアルにぃと結婚する」
……あ、それはマジなのね。
ははは、と苦く笑いながらも、アランは優しくユリアの頭を撫でた。
「……さてと。それじゃあそろそろ帰りますか、セレナ?」
「え、ええ。そうね……早いうちに帰って、お風呂にでも入りたい気分かしら」
そう言って足早に屋敷へと向かうセレナ。その後ろ姿はどこか落ち着きがない。
だがアランには隠せない。
「声質」から感じる死への恐怖と「魔力の揺らぎ」から感じる決断への迷いを。
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