英雄殺しの魔術騎士
第5話「アルカドラ魔術学院」
辺りは驚愕のあまり、沈黙していた。
それもそうだろう。なにせ一介の学院生徒と凛々しき帝国騎士が、恋人のように抱き合っているのだから。
だか当事者達はそんな雰囲気を気にすることなく、女生徒側は騎士の胸元が気持ち良さそうに顔を埋め、騎士側はそんな女生徒の頭を優しい顔で撫でていた。まるで二人の時間が一秒でも長く続くことを祈るように。
その時。
「あ、貴方達!?   いったい何をやってるの!?」
しばしの時間をおいて、事の異常さを察したセレナが、アランとユリアの元へと駆けてくる。羞恥心と怒りで顔を真っ赤にしたセレナは二人の間に割って入ると、強引に引き剥がした。
「何って、なぁ……?」
「うん、兄妹のスキンシップだけど?」
顔を真っ赤にして憤るセレナに対して、二人はとても落ち着いた表情でそう答えた。この子何言ってるんだろう?   みたいな感覚でだ。
「そんな馬鹿な!   この人の名前はアラン=フロラスト!   貴女はリカルド帝国騎士の娘なのだからセカンドネームが違うでしょ!」
そう、ユリアの本名は「ユリア=グローバルト」。あの生きる伝説とまで称えられる第一騎士団の団長、リカルド=グローバルトの息女である。
「あのね、セレナ。アルにぃはお父さんが戦場で見つけた戦災孤児だったの。それで引き取り手が見つからないから、私達グローバルト家が貰って、今は私のお兄ちゃん」
「……それってつまり、この人は法的上、グローバルト家の一員ってこと?」
「すまん、セレナ。俺が伝えるのを忘れてた」
「あ、いや、いいんだけど……」
それならば二人が抱き合っていても問題ないのだろう。……ないことを祈りたい。セレナはそう切実に願った。
途端に冷静さを取り戻したセレナは、こほん、と一つ咳払いをしてユリアの方を向く。
「それにしてもユリア、今日は来るのが早いわね。何かあったの?」
「ううん。お父さんが今日は朝早く学院に行けばアルにぃに会えるかも、って言ってたから、頑張って早起きしてみた」
「よしよし、良い子だぞユリア。その調子で毎日六時には起きようなー」
「……うん。頑張る」
アランはユリアの頭を優しく撫でると、ユリアは気持ちよさそうに頬を緩ませる。こんな楽しそうなユリアを、セレナは今まで一度も見たことがなかった。
……グローバルト家の養子、ねぇ。
ユリアとは初等部からの長い付き合いだが、そんな話は耳にした事がない。現在において、養子はそれほど珍しい話でも無くなってきているのだが、それでも知らなかったとなると隠蔽工作がされていた可能性がある。
でも何のために?   その問いに答えるには今はまだ情報が少な過ぎる。
そんな事を考えているセレナを傍らに、そうだ、とユリアが何かを思い出したようだ。
「ねぇ、アルにぃ」
「どうした、ユリア?」
昨日までのアラン=フロラストとは思えないほどの態度の変わりように、少し苛立ちを覚えながらもセレナは黙って会話を聞くことにした。
そしてユリアは、右手をそっとお腹の辺りに置いて、
「……できちゃったみたい」
『…………………………………………………………………………………………………………』
学院の校門前にいる生徒全員が沈黙した。あまりの報らせに喉元まで声が上がってこない。
そして講堂の頂点にある鐘が八時を告げると同時に。
『はぁあああああああッッッ!!??』
生徒一同、驚愕の声が辺りに響いた。
お腹に手を置いてそんな発言をすれば、導かれる答えは一つしか無い。
「あ、貴方って人は……っ!!」
今度こそ我慢の限界とでも言いたそうに、セレナは腰の剣帯から細身の剣を抜き放ち、空高く振り上げた。
「ま、待てセレナ!   ユリアは気分が高揚すると必要語句を切って話す癖があるんだ!   今回もそうだよな、ユリア?」
……頼むから変な事は言わないでくれよ……っ!
そう祈りながらアランはユリアに助けを求めた。だがユリアはキョトンとした顔で、
「できちゃったのは、ホントだよ?」
『『『『『ブッ殺すッ!!!』』』』』
「なんか増えた!?」
どこから現れたのか、全身をボロボロの黒布で包んだ死神のような輩達が鈍器を片手に走って来る。
「愛しの愛しの義妹よ、あいつらは何!?」
「ん?   ともだち」
……ともだちかー、友達が多い事は兄として嬉しいけど、狂人が多いみたいでお兄ちゃんちょっと心配……って、
「そんなこと考えている暇無い!   ユリアよ『誰が』『どうした結果』できちゃったのか俺に教えてくれないかな、出来れば迅速に!!」
今度こそちゃんと答えてもらおう。狂人達はもうすぐそこまで来ている。チャンスは一度きり、失敗すれば鈍器による楽しい楽しい撲殺パーティーがアランを待っていた。
「まさかアルにぃ、フィンスの事、忘れちゃった?」
「フィンス?   ああ、俺が昔路地で拾った犬だろ?   あいつがどうしたんだ?」
「だから、フィンスの相手が見つかって、結婚したら赤ちゃんができたの」
ユリアのその言葉を聞いて、狂人達とセレナの動きが止まる。どうやら冷静さを取り戻したらしい。
「あ、ああ。なるほど……そういう事」
「うん。フィンス、嬉しそう」
そうにってまたしても微笑みを浮かべるユリア。セレナにはどう見ても「義兄のことが好きな義妹」にしか見えなかった。
「フィンスって雄……だったよな?   お相手は?」
「近所のパルセットさんのシリーナ。ほら、昔アルにぃが可愛いって言ってたあの子」
「なるほどねぇ……昔っからフィンス、あの犬にテンションアゲアゲだったからなぁ……なんとなーく分かる気がする」
そしてまたしても二人の世界を構築し始める。最も近くにいるセレナですら、これ以上踏み込むのを躊躇うほどだ。
周りの生徒も同じ感じで、片や帝国騎士の正装を纏う謎の人物。片や伝説のグローバルト家の息女。二人の関係を知らなければ、どこからどう見ても恋人にしか見えない画だ。近づくのにはかなりの勇気が必要だった。
だがそんな彼らを置いてきぼりに、アランとユリアは和気藹々と会話を続けていた。
「……あ、そういえばさっき、八時の鐘が鳴ってたっけ」
思い出したかのようにユリアはアランの元から離れ、三歩ほど歩いたところで振り返る。
「アルにぃ、明日も来る?」
「まぁ、多分な。そこの雇い主であるお嬢様が来ないで欲しい、って言ったら来ないかもしれん」
そう言ってアランはセレナを指す。「なんでここで私に振るのかな!?」みたいな顔でアランを睨むが、そこはかとなくスルーした。
するとユリアがセレナの手を握って、
「……お願い、セレナ。明日もアルにぃを連れて来て?」
か弱い小動物のような顔でそうセレナに頼んだ。
……は、反則よ……っ!
その愛くるしい、高等部に入学したとはいえまだまだ未熟な童顔は、男女を問わず首を縦に振らざるを得ないほどの魔力を秘めていた。
そして、それはセレナにも。
「……わ、分かったわよ!   明日も明後日も、これから毎日連れて来るからユリアもちゃんと遅刻せずにしっかりくるのよ?」
「ん……分かった」
こくりと頷くと、セレナはユリアの腕を引いて講堂の中へと消えて行く。気づけば周りの生徒の姿もなく、中庭にはアランだけがぽつんと立っていた。
……さて、と。
結局のところ学院内にある食堂にもカフェテリアにも、行ったところで紅茶一杯すら飲む資金がないわけで。
「どっかで暇でも潰しますかー」
あいにく学院の敷地はうんざりするほど広い。散歩をするには絶好のスポットだ。
よし、と決断すると、アランは何も考えずに歩き出した。
◆
学院の授業は大まかに二つに分かれる。
一つは十二時の鐘が鳴るまでの座学。魔術基礎理論学や、魔術式演算数気学などの魔術に関する知識を学ぶもの。
そしてもう一つが午後からの実践学。これは実際に魔術を使ってみたり、剣を握って実際に手合わせをしてみたりする学習方法で、第三学年にもなると実際に帝国騎士達とも手合わせをするのだという。
理由は年々質の落ちている傾向にある帝国騎士を、これ以上質を落とさないために教育の一環に、憧れの存在である帝国騎士と手合わせする事で自分達の意識向上と、また若輩者には負けられないという事を目的に、帝国騎士達の弛んだ意識に鞭を打つためである。
そんな行為が功を成したのか、ここ最近の帝国騎士達は数年前と比べると格段に成長している事が分かっていた。
以上のことから帝国騎士と手合わせをする事は、理由はどうあれ「効果あり」と判定されたのであった。
……というわけで、私ことアラン=フロラストは、何故か講師相手に闘う事になりました。
「それにしても、拒否権なんてものは俺には無いのですかねぇ……」
生徒達がお昼を楽しんでいる中、時間になったら指定の場所に来いと言われていたので向かっていたアランは、百以上の生徒達に囲まれてお昼は抜き。
それに加えて、怒りに満ち溢れたセレナがアランを連行。罰として午後の授業の剣術訓練で、模範として目の前で準備運動をしている講師ーーベルダーと手合わせをする事となった。
そこまでの経緯にアランの判断は一切なく、ユリアの「アルにぃの闘ってるとこ、見たい」という鶴の一声もあって、今は渋々決断しているが、本来なら全力で逃げたい気分なアラン。
「それにしても、貴方のような若い方が、セレナさんの剣術指南を任されているとは……いやはや羨ましい限りです」
念入りに柔軟運動を繰り返すベルダーは、ははは、と軽快に笑いながらアランへと話しかける。
「それは俺も同じだ。アンタみたいな若い奴が、こんな所で剣術の講師をしてるとは思わなかった」
大抵こんな場所で働くのは、歳をとった帝国騎士が役職から降りるために就くものなのだが、これほど若い人物が生徒達に剣術を教えているとなると、今期の生徒には希望が見えそうだ。
「ははは、私はこの通り剣術バカでしてね。一時は帝国騎士になれたものの、周りとの差に少し嫌気が差したのでこのような職に就く事としました。代わりと言ってはなんですが、私の育てた生徒達が帝国騎士になって立派に活躍する事を期待して、この通り剣について教えているのです」
確かに。ベルダーの肉体は筋肉質で、いかにも騎士のような体躯をしている。体の筋を伸ばすたびに浮かび上がる筋繊維が、彼の肉体的な強さを訴えていた。
「それは立派な考えだな。アンタみたいな奴が教師だと、あいつらも救われるだろうよ」
そう言って、アランは視線で二人を見守る生徒達を見た。
アラン達がいるのは敷地内にある幾つかの中の一つ、小さな訓練場だ。場内は一階と二階に分かれており、一階は主に訓練広場で、二階は観戦席が主となっていて、生徒達はその二階にいる。
二人の模範戦について花を咲かせる者や、静かに二人のやり取りを見守る者、早く始まらないかと退屈そうに欠伸をする者と様々だが、彼らの胸中にある疑問はたった一つ。
帝国騎士の実力とはいかほどか、だ。
帝国騎士にも実力に強弱はある。新入りの帝国騎士は大抵が弱者で、歳をとるにつれて強者となるのが法則なのだが、最近はそういう常識も崩れてきている。
名の知れないアラン=フロラストという帝国騎士が、教師相手にどれだけの実力を見せるのか、生徒一同が気になっていた。
「そうであれば、私としても嬉しいです」
ニコッと笑うと、彼は地面に置いてあった鞘に収まった剣を引き抜き、腰を低くかがめて構えた。切っ先はすでに落としてあるので、切られる心配はない。
「あと二十秒ほどで一時を知らせる鐘が鳴ります。それを合図としましょう」
「オーケー。その方が対等ってもんだからな」
アランも不敵な笑みを浮かべると、腰に提げた腕の長さほどありそうな剣を中段に構える。基本的なスタイルだ。
互いに二十メートルほど距離を取り、全身の魔力を滞りなく回す。
「魔術は【五属の矢】だけにしましょう。一応これは剣の勝負ですしね」
「……それもそっか」
そう、これは剣術訓練。決して実戦ではなく、あくまでアラン達は剣術を駆使してどのような闘い方をするのかが目的である。
……ちっ、ここぞって言うタイミングで極大魔術ぶっ放して即終了、って考えだったのに……っ!
禁止された事を引きずっても仕方がない。即座に次のプランを考える。
試合開始の鐘が鳴るまで五、四、三、二、一……
ーーゴーン。ゴーン。ゴーン。
「せあぁあッ!」
鐘が鳴ると同時にベルダーは地を蹴り駆け出した。魔力で強化された身体能力により、二十メートルという距離を二秒ほどで走りきったベルダーは、ここぞというタイミングで剣を一閃。
空気ごと切り裂いた分厚い一撃を、アランはバックステップによって回避する。
……さて、早速行きますか。
アランは手のひらを上に向け、そこに魔力を通すと、
「《雷の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討ちたまえ》ッ!」
第一神聖言語による魔術詠唱によって、手のひらの魔力が事象改変の媒体となり、幾何学的な魔術方陣が青白く輝きつつも姿を現す。
そしてその魔術方陣から雷の矢がベルダーに向かって飛来した。
ズガァン!   という爆音を立て命中した雷の矢は、辺りに余波を与えて砂煙を巻き上げる。
……さて、効果はいかほどか……って。
「……うっそーん。効果、全く無しかよ」
煙の向こうに立つベルダーは、剣を腹を盾にして矢を受け止めていた。その剣には微弱だが魔力が宿っており、雷の効果は薄そうだ。
「いえいえ、全く効かなかったというわけでも無いですよ?   この通り、少し押されましたし」
「少しってほんの五センチくらいじゃん!?   俺、そこそこ魔力込めて撃ったんだけどなぁ……」
雷の矢ーー基礎魔術【五属の矢】は平均的に見ても、成人男性の拳一発くらいの威力はある。アランはその数倍の威力を放ったのだが、ベルダーはそれを難なく受け止めた。
……間違いなく騎士だよなこいつ……っ!
刹那ベルダーがアランの間合いに踏み込む。そこそこ肉厚な剣がアランの脇腹を狙うが、それを跳躍で回避。それと同時に今度は通常レベルの雷の矢を二回連続で撃つ。
「はっ!」
それを容易く剣で叩き斬ると、ベルダーはニッと笑う。
「なんとも嫌なタイミングで攻撃してきますね。ほんの少しでも集中力を切らせば負けてしまいそうです」
「なら、そうしてくれるとありがたいんだけど……なっ!」
ダンッと地を蹴ると、今度はアランから攻める。剣に魔力を通してベルダーの懐に潜り込もうと試みる。
どうやらベルダーは接近戦を主体とする戦術を好むようだ。おそらくそれを実現するために「魔術は【五属の矢】だけ」というルールを作ったのだろう。
……ほんっと、見た目とは裏腹に性格はかなりずる賢いなぁ。
だがそんなことを考えてもルールはルール。規則というものは好まないアランだが、自分も納得してしまったものを今更変えるとなると、なんだか負けた気がして仕方がない。
「ーーッ!」
全身に力を込めて、ベルダーを掬い上げるようにして剣を一閃。それを剣の腹で防いでベルダーは、勢いに身を任せてアランと距離をとる。
……剣の腕もなかなかに!
さすが帝国騎士というべきだろう。アランの一手ずつがいかにも「戦場を経験した」ような動きを感じさせ、小癪でなおかつ油断ならない。
修羅場の数。それが彼と自分の決定的な差だと理解させられるようだった。
……だからこそ、面白い。
自分の考えた戦術が通じるか分からない。もしかしたらいつの間にか相手の術中に嵌っていて、気がつけば負けていた、という事もあるかもしれない。
だがそれでいい。その方がスッキリする。駄目だったものは駄目だと思い知らされる方が、心に靄のようなものが残らなくてせいせいする。
「だぁあッ!」
こうしてベルダーは地を駆ける。未知なる相手に向かって、ただひたすらに。
それもそうだろう。なにせ一介の学院生徒と凛々しき帝国騎士が、恋人のように抱き合っているのだから。
だか当事者達はそんな雰囲気を気にすることなく、女生徒側は騎士の胸元が気持ち良さそうに顔を埋め、騎士側はそんな女生徒の頭を優しい顔で撫でていた。まるで二人の時間が一秒でも長く続くことを祈るように。
その時。
「あ、貴方達!?   いったい何をやってるの!?」
しばしの時間をおいて、事の異常さを察したセレナが、アランとユリアの元へと駆けてくる。羞恥心と怒りで顔を真っ赤にしたセレナは二人の間に割って入ると、強引に引き剥がした。
「何って、なぁ……?」
「うん、兄妹のスキンシップだけど?」
顔を真っ赤にして憤るセレナに対して、二人はとても落ち着いた表情でそう答えた。この子何言ってるんだろう?   みたいな感覚でだ。
「そんな馬鹿な!   この人の名前はアラン=フロラスト!   貴女はリカルド帝国騎士の娘なのだからセカンドネームが違うでしょ!」
そう、ユリアの本名は「ユリア=グローバルト」。あの生きる伝説とまで称えられる第一騎士団の団長、リカルド=グローバルトの息女である。
「あのね、セレナ。アルにぃはお父さんが戦場で見つけた戦災孤児だったの。それで引き取り手が見つからないから、私達グローバルト家が貰って、今は私のお兄ちゃん」
「……それってつまり、この人は法的上、グローバルト家の一員ってこと?」
「すまん、セレナ。俺が伝えるのを忘れてた」
「あ、いや、いいんだけど……」
それならば二人が抱き合っていても問題ないのだろう。……ないことを祈りたい。セレナはそう切実に願った。
途端に冷静さを取り戻したセレナは、こほん、と一つ咳払いをしてユリアの方を向く。
「それにしてもユリア、今日は来るのが早いわね。何かあったの?」
「ううん。お父さんが今日は朝早く学院に行けばアルにぃに会えるかも、って言ってたから、頑張って早起きしてみた」
「よしよし、良い子だぞユリア。その調子で毎日六時には起きようなー」
「……うん。頑張る」
アランはユリアの頭を優しく撫でると、ユリアは気持ちよさそうに頬を緩ませる。こんな楽しそうなユリアを、セレナは今まで一度も見たことがなかった。
……グローバルト家の養子、ねぇ。
ユリアとは初等部からの長い付き合いだが、そんな話は耳にした事がない。現在において、養子はそれほど珍しい話でも無くなってきているのだが、それでも知らなかったとなると隠蔽工作がされていた可能性がある。
でも何のために?   その問いに答えるには今はまだ情報が少な過ぎる。
そんな事を考えているセレナを傍らに、そうだ、とユリアが何かを思い出したようだ。
「ねぇ、アルにぃ」
「どうした、ユリア?」
昨日までのアラン=フロラストとは思えないほどの態度の変わりように、少し苛立ちを覚えながらもセレナは黙って会話を聞くことにした。
そしてユリアは、右手をそっとお腹の辺りに置いて、
「……できちゃったみたい」
『…………………………………………………………………………………………………………』
学院の校門前にいる生徒全員が沈黙した。あまりの報らせに喉元まで声が上がってこない。
そして講堂の頂点にある鐘が八時を告げると同時に。
『はぁあああああああッッッ!!??』
生徒一同、驚愕の声が辺りに響いた。
お腹に手を置いてそんな発言をすれば、導かれる答えは一つしか無い。
「あ、貴方って人は……っ!!」
今度こそ我慢の限界とでも言いたそうに、セレナは腰の剣帯から細身の剣を抜き放ち、空高く振り上げた。
「ま、待てセレナ!   ユリアは気分が高揚すると必要語句を切って話す癖があるんだ!   今回もそうだよな、ユリア?」
……頼むから変な事は言わないでくれよ……っ!
そう祈りながらアランはユリアに助けを求めた。だがユリアはキョトンとした顔で、
「できちゃったのは、ホントだよ?」
『『『『『ブッ殺すッ!!!』』』』』
「なんか増えた!?」
どこから現れたのか、全身をボロボロの黒布で包んだ死神のような輩達が鈍器を片手に走って来る。
「愛しの愛しの義妹よ、あいつらは何!?」
「ん?   ともだち」
……ともだちかー、友達が多い事は兄として嬉しいけど、狂人が多いみたいでお兄ちゃんちょっと心配……って、
「そんなこと考えている暇無い!   ユリアよ『誰が』『どうした結果』できちゃったのか俺に教えてくれないかな、出来れば迅速に!!」
今度こそちゃんと答えてもらおう。狂人達はもうすぐそこまで来ている。チャンスは一度きり、失敗すれば鈍器による楽しい楽しい撲殺パーティーがアランを待っていた。
「まさかアルにぃ、フィンスの事、忘れちゃった?」
「フィンス?   ああ、俺が昔路地で拾った犬だろ?   あいつがどうしたんだ?」
「だから、フィンスの相手が見つかって、結婚したら赤ちゃんができたの」
ユリアのその言葉を聞いて、狂人達とセレナの動きが止まる。どうやら冷静さを取り戻したらしい。
「あ、ああ。なるほど……そういう事」
「うん。フィンス、嬉しそう」
そうにってまたしても微笑みを浮かべるユリア。セレナにはどう見ても「義兄のことが好きな義妹」にしか見えなかった。
「フィンスって雄……だったよな?   お相手は?」
「近所のパルセットさんのシリーナ。ほら、昔アルにぃが可愛いって言ってたあの子」
「なるほどねぇ……昔っからフィンス、あの犬にテンションアゲアゲだったからなぁ……なんとなーく分かる気がする」
そしてまたしても二人の世界を構築し始める。最も近くにいるセレナですら、これ以上踏み込むのを躊躇うほどだ。
周りの生徒も同じ感じで、片や帝国騎士の正装を纏う謎の人物。片や伝説のグローバルト家の息女。二人の関係を知らなければ、どこからどう見ても恋人にしか見えない画だ。近づくのにはかなりの勇気が必要だった。
だがそんな彼らを置いてきぼりに、アランとユリアは和気藹々と会話を続けていた。
「……あ、そういえばさっき、八時の鐘が鳴ってたっけ」
思い出したかのようにユリアはアランの元から離れ、三歩ほど歩いたところで振り返る。
「アルにぃ、明日も来る?」
「まぁ、多分な。そこの雇い主であるお嬢様が来ないで欲しい、って言ったら来ないかもしれん」
そう言ってアランはセレナを指す。「なんでここで私に振るのかな!?」みたいな顔でアランを睨むが、そこはかとなくスルーした。
するとユリアがセレナの手を握って、
「……お願い、セレナ。明日もアルにぃを連れて来て?」
か弱い小動物のような顔でそうセレナに頼んだ。
……は、反則よ……っ!
その愛くるしい、高等部に入学したとはいえまだまだ未熟な童顔は、男女を問わず首を縦に振らざるを得ないほどの魔力を秘めていた。
そして、それはセレナにも。
「……わ、分かったわよ!   明日も明後日も、これから毎日連れて来るからユリアもちゃんと遅刻せずにしっかりくるのよ?」
「ん……分かった」
こくりと頷くと、セレナはユリアの腕を引いて講堂の中へと消えて行く。気づけば周りの生徒の姿もなく、中庭にはアランだけがぽつんと立っていた。
……さて、と。
結局のところ学院内にある食堂にもカフェテリアにも、行ったところで紅茶一杯すら飲む資金がないわけで。
「どっかで暇でも潰しますかー」
あいにく学院の敷地はうんざりするほど広い。散歩をするには絶好のスポットだ。
よし、と決断すると、アランは何も考えずに歩き出した。
◆
学院の授業は大まかに二つに分かれる。
一つは十二時の鐘が鳴るまでの座学。魔術基礎理論学や、魔術式演算数気学などの魔術に関する知識を学ぶもの。
そしてもう一つが午後からの実践学。これは実際に魔術を使ってみたり、剣を握って実際に手合わせをしてみたりする学習方法で、第三学年にもなると実際に帝国騎士達とも手合わせをするのだという。
理由は年々質の落ちている傾向にある帝国騎士を、これ以上質を落とさないために教育の一環に、憧れの存在である帝国騎士と手合わせする事で自分達の意識向上と、また若輩者には負けられないという事を目的に、帝国騎士達の弛んだ意識に鞭を打つためである。
そんな行為が功を成したのか、ここ最近の帝国騎士達は数年前と比べると格段に成長している事が分かっていた。
以上のことから帝国騎士と手合わせをする事は、理由はどうあれ「効果あり」と判定されたのであった。
……というわけで、私ことアラン=フロラストは、何故か講師相手に闘う事になりました。
「それにしても、拒否権なんてものは俺には無いのですかねぇ……」
生徒達がお昼を楽しんでいる中、時間になったら指定の場所に来いと言われていたので向かっていたアランは、百以上の生徒達に囲まれてお昼は抜き。
それに加えて、怒りに満ち溢れたセレナがアランを連行。罰として午後の授業の剣術訓練で、模範として目の前で準備運動をしている講師ーーベルダーと手合わせをする事となった。
そこまでの経緯にアランの判断は一切なく、ユリアの「アルにぃの闘ってるとこ、見たい」という鶴の一声もあって、今は渋々決断しているが、本来なら全力で逃げたい気分なアラン。
「それにしても、貴方のような若い方が、セレナさんの剣術指南を任されているとは……いやはや羨ましい限りです」
念入りに柔軟運動を繰り返すベルダーは、ははは、と軽快に笑いながらアランへと話しかける。
「それは俺も同じだ。アンタみたいな若い奴が、こんな所で剣術の講師をしてるとは思わなかった」
大抵こんな場所で働くのは、歳をとった帝国騎士が役職から降りるために就くものなのだが、これほど若い人物が生徒達に剣術を教えているとなると、今期の生徒には希望が見えそうだ。
「ははは、私はこの通り剣術バカでしてね。一時は帝国騎士になれたものの、周りとの差に少し嫌気が差したのでこのような職に就く事としました。代わりと言ってはなんですが、私の育てた生徒達が帝国騎士になって立派に活躍する事を期待して、この通り剣について教えているのです」
確かに。ベルダーの肉体は筋肉質で、いかにも騎士のような体躯をしている。体の筋を伸ばすたびに浮かび上がる筋繊維が、彼の肉体的な強さを訴えていた。
「それは立派な考えだな。アンタみたいな奴が教師だと、あいつらも救われるだろうよ」
そう言って、アランは視線で二人を見守る生徒達を見た。
アラン達がいるのは敷地内にある幾つかの中の一つ、小さな訓練場だ。場内は一階と二階に分かれており、一階は主に訓練広場で、二階は観戦席が主となっていて、生徒達はその二階にいる。
二人の模範戦について花を咲かせる者や、静かに二人のやり取りを見守る者、早く始まらないかと退屈そうに欠伸をする者と様々だが、彼らの胸中にある疑問はたった一つ。
帝国騎士の実力とはいかほどか、だ。
帝国騎士にも実力に強弱はある。新入りの帝国騎士は大抵が弱者で、歳をとるにつれて強者となるのが法則なのだが、最近はそういう常識も崩れてきている。
名の知れないアラン=フロラストという帝国騎士が、教師相手にどれだけの実力を見せるのか、生徒一同が気になっていた。
「そうであれば、私としても嬉しいです」
ニコッと笑うと、彼は地面に置いてあった鞘に収まった剣を引き抜き、腰を低くかがめて構えた。切っ先はすでに落としてあるので、切られる心配はない。
「あと二十秒ほどで一時を知らせる鐘が鳴ります。それを合図としましょう」
「オーケー。その方が対等ってもんだからな」
アランも不敵な笑みを浮かべると、腰に提げた腕の長さほどありそうな剣を中段に構える。基本的なスタイルだ。
互いに二十メートルほど距離を取り、全身の魔力を滞りなく回す。
「魔術は【五属の矢】だけにしましょう。一応これは剣の勝負ですしね」
「……それもそっか」
そう、これは剣術訓練。決して実戦ではなく、あくまでアラン達は剣術を駆使してどのような闘い方をするのかが目的である。
……ちっ、ここぞって言うタイミングで極大魔術ぶっ放して即終了、って考えだったのに……っ!
禁止された事を引きずっても仕方がない。即座に次のプランを考える。
試合開始の鐘が鳴るまで五、四、三、二、一……
ーーゴーン。ゴーン。ゴーン。
「せあぁあッ!」
鐘が鳴ると同時にベルダーは地を蹴り駆け出した。魔力で強化された身体能力により、二十メートルという距離を二秒ほどで走りきったベルダーは、ここぞというタイミングで剣を一閃。
空気ごと切り裂いた分厚い一撃を、アランはバックステップによって回避する。
……さて、早速行きますか。
アランは手のひらを上に向け、そこに魔力を通すと、
「《雷の精よ、汝の力を以て、邪なる敵を討ちたまえ》ッ!」
第一神聖言語による魔術詠唱によって、手のひらの魔力が事象改変の媒体となり、幾何学的な魔術方陣が青白く輝きつつも姿を現す。
そしてその魔術方陣から雷の矢がベルダーに向かって飛来した。
ズガァン!   という爆音を立て命中した雷の矢は、辺りに余波を与えて砂煙を巻き上げる。
……さて、効果はいかほどか……って。
「……うっそーん。効果、全く無しかよ」
煙の向こうに立つベルダーは、剣を腹を盾にして矢を受け止めていた。その剣には微弱だが魔力が宿っており、雷の効果は薄そうだ。
「いえいえ、全く効かなかったというわけでも無いですよ?   この通り、少し押されましたし」
「少しってほんの五センチくらいじゃん!?   俺、そこそこ魔力込めて撃ったんだけどなぁ……」
雷の矢ーー基礎魔術【五属の矢】は平均的に見ても、成人男性の拳一発くらいの威力はある。アランはその数倍の威力を放ったのだが、ベルダーはそれを難なく受け止めた。
……間違いなく騎士だよなこいつ……っ!
刹那ベルダーがアランの間合いに踏み込む。そこそこ肉厚な剣がアランの脇腹を狙うが、それを跳躍で回避。それと同時に今度は通常レベルの雷の矢を二回連続で撃つ。
「はっ!」
それを容易く剣で叩き斬ると、ベルダーはニッと笑う。
「なんとも嫌なタイミングで攻撃してきますね。ほんの少しでも集中力を切らせば負けてしまいそうです」
「なら、そうしてくれるとありがたいんだけど……なっ!」
ダンッと地を蹴ると、今度はアランから攻める。剣に魔力を通してベルダーの懐に潜り込もうと試みる。
どうやらベルダーは接近戦を主体とする戦術を好むようだ。おそらくそれを実現するために「魔術は【五属の矢】だけ」というルールを作ったのだろう。
……ほんっと、見た目とは裏腹に性格はかなりずる賢いなぁ。
だがそんなことを考えてもルールはルール。規則というものは好まないアランだが、自分も納得してしまったものを今更変えるとなると、なんだか負けた気がして仕方がない。
「ーーッ!」
全身に力を込めて、ベルダーを掬い上げるようにして剣を一閃。それを剣の腹で防いでベルダーは、勢いに身を任せてアランと距離をとる。
……剣の腕もなかなかに!
さすが帝国騎士というべきだろう。アランの一手ずつがいかにも「戦場を経験した」ような動きを感じさせ、小癪でなおかつ油断ならない。
修羅場の数。それが彼と自分の決定的な差だと理解させられるようだった。
……だからこそ、面白い。
自分の考えた戦術が通じるか分からない。もしかしたらいつの間にか相手の術中に嵌っていて、気がつけば負けていた、という事もあるかもしれない。
だがそれでいい。その方がスッキリする。駄目だったものは駄目だと思い知らされる方が、心に靄のようなものが残らなくてせいせいする。
「だぁあッ!」
こうしてベルダーは地を駆ける。未知なる相手に向かって、ただひたすらに。
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