英雄殺しの魔術騎士
第2話「謎の敵」
今朝の一件からしばらくして。
「……というわけで、この方がアラン=フロラスト帝国騎士様です、お嬢様」
「分かってるわよ……」
むすぅと、どうにも不満そうな顔をアランに向けながら、少女ーーセレナは朝食を食べる。
今朝に焼きたての芳ばしい香りのするパンに数々の香辛料を効かせて作られたオニオンスープ、生ハム入りサラダに甘めのスクランブルエッグと一般市民には夢のような朝食に、思わずアランは言葉を失う。
「アランさんもご一緒にいかがでしょう?」
「あ、いや。俺はもう食べてきたから大丈夫」
食べたと言っても、馬車に揺られながら食べた革靴のように硬いパンだけだが、そんな事を言えるはずもなく、アランは涼しい顔付きで紅茶を飲む。
「……そういえば今日は休日じゃないよな?   学院は行かないのか?」
ふと思った事を尋ねてみた。あらかじめリカルドから渡されていた情報では学院に入学しているというが、詳細には書かれておらず、アランもそこまで詳しくは知り得ていない。
「『行かない』ではなくて、『行けない』んです」
「?」
いったい何を言っているんだ、みたいな顔をアランがしていると、
「あら、アランさん知らないんですか?   今日は五年前の革命終結の日ですよ?」
ユーフォリアにそう言われて、ようやく思い出す。
五年前、帝国の政治機関である『六貴会』の一角を担っていた現皇帝オーディオルム家は、臣民の総意を代表して前皇帝に反逆したという。
無論、一貴族と皇帝では戦力に差があり過ぎるが、他の『六貴会』や皇帝執権に不満を抱いていた騎士や魔術師、魔術騎士達もオーディオルム家の参加に加わり、戦火は次第に肥大していった。
そして争いはおよそ三ヶ月に続き、約二万人という犠牲のもとで革命は成功。新たにオーディオルム家が皇位を得て、その第一歩として隣国との和平を結び、革命以前とは比較にならないほど平和で農民ですら安定した生活を送れるようになった。
「あー……そういや、そんな事あったなぁ……」
だが帝都にほとんど足を踏み入れなかったアランは、皇帝が変わったとか革命があったとかその程度の知識しか無い。率直に言って、興味が無いからだ。
ゆえに今日がその革命終結の日だという事は初耳だった。
「……もしかして知らなかったんですか?」
不機嫌そうにセレナが尋ねてくる。
「あぁ。あまり帝都には近寄ってなかったからな」
無論、一般市民としてだが。
「ということは……第一騎士団の戦線部隊って事ですか?   そうには見えませんが……」
現帝国では騎士団を三つの団に分けている。
そのうちの一つが『第一騎士団』。魔術騎士達を主力に置いた、武力による帝国の補佐を任された騎士団である。
そして第一騎士団はリカルドが団長を務めている。アランはリカルドの依頼を受けて屋敷にやって来たのだから、アランも第一騎士団の可能性が高い。
そして第一騎士団で帝都にほとんど足を踏み入れないとなると、帝都の外を転々とする部隊、つまりは戦場を憩いの場とする戦闘のエキスパート、戦線部隊だとセレナは推測したのだろう。
一般市民だが。
「まぁ、そんなとこ」
だが素直に「いいえ違います」などと言えるわけも無く、アランはセレナの目を見ずに適当にはぐらかす。
「……で、その革命終結の日に学院に『行けない』って言うのは?」
「皇帝陛下に代わって、お嬢様が商業区に足を運ぶ事になっているのですよ」
「ここに来る時、商業区の方が賑やかだったでしょう?   いま商業区では、この日を祝してお祭り騒ぎをしているの。二年前までは父が様子を見に行っていたのだけど、今年も外交関連で行けなくなったらしいから……」
「代わりにお前が、とねぇ……」
最後の一言をそのままアランが口ずさみ、面倒くさそうに頬杖をつく。
確かにこういう行事に足を運ぶ事で臣民に親近感を与えながらも、城下町の治安や経済的な事柄を自分の目で確認出来る。
皇帝が行けないと言うのだから、そういう事は率先してするべきなのだろう。
だが、
「なんでお前なの?   別に第一皇子とか第二皇子とか、アイツらが行けば済む話だろ?」
第一皇子も第二皇子も既に二十代後半。現在何をしているのかは知らないが、皇帝の代行というのならば、むしろ彼らがする方が妥当というものではないのだろうか?
アランとしてはそこら辺が気に食わない。
「ジェスターお兄様はフィニア帝国に大使として在住しているし、カルロスお兄様は今朝魔術文献調査に行くという事で帝都を出て行ったわ」
「『だから私が』ってか?   はぁ、真面目だねぇ……」
はっ、と嘲笑う様に笑みを浮かべ、アランは腕を組んで椅子の背もたれに体を預ける。
その態度が気に食わないらしく、セレナは苛立ちを隠せない様だ。
「それに行ってお前の利点は何がある?   臣民と親交を深められる、か?   まぁ、そうだろうなぁ……。だがそれだけだ。それに第二皇子の『魔術文献調査に行った』って理由こそアホらしい。今日はめでたい日なんだろう?   それなのに自分の目的のために帝都を離れるとか、皇帝の息子として普通にありえないだろ?   ……どうせ『高貴な僕がどうして愚民の住む所に行かなきゃならないんだ?』的な事言って、逃げたに違いない」
「……貴方、それは本気で言ってる?   私の目の前で家族を愚弄して、しかもそれが皇族だという事を理解しているのかしら?」
セレナの苛立ちは収まるどころか、むしろ増していく。
だがアランは冷めた目をしたまま、嘲笑うかのような顔でセレナを見つめる。憤りに視野が狭まっているセレナとは対照的に、アランはとても落ち着いていた。
それが、その腹立たしい顔がいっそうセレナを刺激する。
「お前だって思っているんじゃないのか?   皇族の私がどうして、ってさ」
「思っているわけないでしょう!!」
握った拳をテーブルに叩きつけながら、強く否定した。セレナも多くの帝国騎士に出会ってきたが、こんな人物には初めて出会った。
……根の底から腐ってるわ……っ!
「へいへい。まぁ、そういう事にしといてやるよ。俺は三階で二度寝でもしているから、頑張ってきな」
そう言って、腰を上げると、
「あら、アランさんもご一緒に行きますよ?」
アランの行く手を阻む様にして、スッとユーフォリアが前に立つ。あまりに素早い動きで、思わずアランも内心で驚いた。
それにしても、自分の主人が愚弄されたというのに、とても落ち着いた笑みを浮かべ……いや、とても「殺意に満ちた」笑みを浮かべている。
なるほど。この人はこういう性格なのか。
アランは呆れ笑いを浮かべながら、何事もなかったかのように、再び椅子に腰を下ろす。
「……それで、なんで俺も?」
「帝都内がいかに安全だと言っても、何が起こるかは分からないですし、何が起きた後では遅いでしょう?   だからその為の護衛として、ね?」
ふふふ、と爽やかな笑みを浮かべているが、その胸中は察する事ができる。
……断ったら、分かっていますね?
どうしてだろう。後ろで組まれた両手からは、目に見えないはずなのに包丁やナイフの様な刃物の気配がビンビンに伝わってくる。
「なるほどね……」
この人は冷静沈着に憤る人なのだと、後になって理解するアラン。そういう人ほど手に負えない事は、二十年も生きていたら理解できる。
「だが断る俺はーー」
ビュン!
台詞は最後まで言い切れず、何かがアランの右頬を掠めながら通り過ぎる。同時に掠めた箇所から何やら生温かいものが頬をつたう。
……最近の帝国ではナイフ投げでも流行っているのだろうか?
「あのー……リアさん?」
「申し訳ありません。少し手が滑りました」
そう言って謝罪をするユーフォリア。だが未だに両手は後ろで組まれている。というか、謝罪の際に腰を曲げた時、後ろでギラリと陽光に輝く何かを見てしまった気がする。
「止めておきなさい、リア。私も別に護衛なんて必要ないから、付いて来ていただかなくて結構よ」
アランに向かってざまあみろとでも言いたそうな顔半分、私事に付いて来られるのが単に面倒くさいとでも言いたそうな顔半分のセレナが、食後のお茶を求めながらそう言った。
「ほら、セレナもそう言っているし別に良いんじゃーー」
ビュビュン!!
今度は二本連続と来た。器用にも投げられた刃物はセレナに向かう事はなく、テーブルの下へと消えていく。
「一緒に行って頂きます」
「それじゃあ代わりにリアさんが」
「私は食器の片付けや庭の掃除がありますので。他の使用人に頼んでも無駄ですよ。彼女達も各々仕事がありますから」
どうやら、選択肢は二つ。
従うか、死か。
「リアさん、嘘ですよね?」
「いえいえ。別に私は強制などしていませんよ?   ただそうしてくれたらありがたいな、というだけです」
「だったらーー」
ビュビュビュン!!!
今度は三本。
「最後まで言ってないんですけどぉ!?」
「いえいえ。ただ少し羽虫が飛んでいるように見えましたので」
だからナイフを投げたというのか。
「せ、セレナさん……?」
ユーフォリアに立ち向かうのは不可能と知ったアランは、今度は主人であるセレナへと助け舟を求める。
……諦めなさい。彼女はそういう人だから。
どうやらこの屋敷内の力関係は、一般の貴族とはどうも違うようだ。
「ではアランさん。外出の支度をお願いしますね?」
「いや、でも……」
「お、ね、が、い、し、ま、す、ね?」
「……はい」
拒否権ははなから無かった様で、怒気と殺気のこもった視線を向けられたアランは渋々言う事を従うことにした。
……リアって、クソ親父より怖い……。
仕事が始まった初日から、アランは恐るべき現実を突きつけられた。
◆
帝都リーバスの東側には大きな商店街がある。そこを中心とした区域が別称「商業区」である。
「人混みに酔いそう……」
人の多さゆえ真っ直ぐ歩く事さえ困難で、ドッと疲れたアランは露店の横に置かれた木箱に腰を下ろして呆然と空を見上げながら、そう呟いた。
騎士服を着た若い青年が商業区で老人のごとく空を虚ろに見上げている、というシチュエーションに臣民は興味深しげな視線を送るが、アランはどこ吹く風で視線を意にも介さない。羞恥心など五年も昔に朽ち果てていた。
『そうですか。今年も鍛冶屋は大盛況ですか。最近は武器ではなく、調理器具も増えましたからね。……え、一つ貰っても良いのですか?   ではお言葉に甘えて。どれにしようかしら……』
道を挟んだ向こう側ではセレナが露店の店主と和気藹々と話している。
……思ったよりも、仲良いんだよなぁ……。
前皇帝一族はまるで自分達が神か神の代理であるかの様な振る舞いをして、臣民らの苦しみや幸せなど一切考えもせず、ただ自分達の至福や悦楽を求めて生きていた。
そんな皇帝だけを知っている所為か、アランはセレナに対して思った以上の偏見をしていたらしい。
「セレナ=フローラ・オーディオルムか……」
「私がどうかした?」
空を見上げて呟いていると、いつの間にかセレナはアランの元へと戻って来ていた様だ。その両腕にはセレナの胴体がすっぽり入ってしまいそうなほど大きな鍋が抱えられている。
「いーや、何も。……その鍋、持って帰るのか?」
「ええ。リアもそろそろ新しい鍋が欲しいって言っていたから、ちょうど良いかなって」
サイズ的にはちょうど良くないと思うが。もちろん、そんな事は口に出して言わない。
「……で、挨拶は全部済んだのか?」
「まだよ。後はこの道の先にある商業団体に挨拶をして終わり」
セレナは指でその道を示した。そこは帝都の周辺を囲う城壁まで続く、見ているだけで項垂れそうな道だった。
さっそく向かうセレナの後ろを二メートルほど空けてアランも歩き始める。鍋はとりあえず、預かってもらうことにした。
「それにしても随分と街に溶け込んでいる風に見えるんだが、よくここに来るのか?」
「ええ。生まれた時からずっとね」
「……ふーん」
その言葉を可笑しいと思わなかった訳ではなかった。ただ、セレナがその事に関してあまり辛そうな顔を見せていないことから、特に気にしていない事を察し取れた。
それにどうやら帝都の民はセレナの事をとても良く可愛がっているようだ。その証拠として彼女が歩くたびに、声をかける民は後を絶えない。
老若男女問わず、セレナは他愛もない話も真意に耳を傾けてくれる。これほど優しい皇族など世界広しといえど片手の指ほどしかいまい。
だがそのセレナの優しさ故に、少々問題が起きている。
それは現皇帝の娘が一人の魔術騎士を護衛としてそばに置いているという事を衆目に知らしめているという事実だ。その証拠にこんな会話が耳に入る。
『おい、セレナ嬢ちゃんの側にいるあの男、見てみろよ』
『ああ、そこそこのイケメンじゃねぇか。……目が死んでいるが』
『おまけにあの髪の色を見てみろよ。嬢ちゃんの金髪に対して黒髪だぜ?   目立っちまってしょうがねぇ……死んだ魚みたいな目をしてるがな』
……悪かったな。半日間も荒道を馬車に揺られて移動していた所為で寝不足なんだよ!   おまけに今朝の一件で無駄に精神をすり減らしたからな……っ!
さらに彼らの話し合いは続く。
『あの男は護衛だよな、ただの護衛だよな!?』
『アイツが嬢ちゃんのアレだって言うなら、皇帝陛下の代理として俺が処刑してやろう……!』
『けど、どうする?   あの服を見る限りアイツは帝国騎士だ。剣術も魔術もできる上、俺達より遥かに強い。生半可な事じゃあ擦り傷すら負わせられねぇ……』
『くそっ、俺達はただ指を咥えて見てる事しか出来ねぇのか……っ!』
『ふっふっふ……。甘いな、お前達。もっとスムーズで楽な手段があるじゃないか』
『『?』』
『魔術騎士になくて俺達にはある、数少ない利点。それを用いて帝国の法に触れること無く、暗黙の領域で確実に殺す手段が一つある。それは……』
『『(ゴクリ)それは……?』』
『暗殺だ』
『『それだっ!!』』
……それだ、じゃねぇ!   お前らの選択肢には「尋ねる」っていう物が無いのか!?
「あら、どうしたの?   もしかして体調でも悪くなったのかしら?」
青ざめたアランを見て、とてもご機嫌そうにセレナが顔を近づけてくる。美少女が自分を気にかけてくれているというのに、アランはいたって普通な対応を取る。
「い、いや。別に大したことじゃ無いから気にすんな」
「そ。もし気分が優れないようなら、気にせず帰ってもらっても大丈夫よ」
「そっか。それならーー」
踵を返そうとした所で、ふと出かける直前の事を思い出す。
行ってらっしゃいませ、という恒例の言葉を投げかけたユーフォリアが、ぐわしとアランの肩を掴んで言った。
「もし、アランさんがお一人で帰ってきたらーー」
「か、帰ってきたら……?」
「お二人で“人は骨を何本折られれば痛みの余りに悶え死ぬのか”を考えてみましょうか?」
そして肩から手を離して、涼しい笑みを浮かべた。そう、冷徹な笑みを浮かべていた。
間違いない。その実験に用いられる実験体は自分だと、生存本能が激しく訴えていた。マジであのメイドさん怖過ぎるんですけど。
というわけで。
「やっぱ帰らん」
ユーフォリアにゆっくりと嬲られる様にして殺されるより、暗殺を目論まれ、妬むような視線を向けられる方が幾億もマシだ。
そう判断したアランは引き続きセレナの後ろをーー
……殺気!?
活気で賑わう商店街で、その気配は余りにも不自然だった。肩と腹の内側がピリピリとする感覚、鑢で精神を削られる様な感覚は何年経とうとも忘れない。
だがこの殺気はアランに向けられた物ではない。これはーー
ーーキン。
意識とは裏腹に、体が無意識に動く。剣を鞘から勢いよく抜き放つと、目の前にいるセレナと左側にある建物との間に据え置く。
すると驚いた事に剣身に細い棒の様な物が当たった。これは、
「……吹き矢?」
長さ十センチほどの細い針が、カランという金属音を立てて地面に落ちる。そして刹那に気づく。
ーー先端に付いた、毒々しい液体を。
「……っ、セレナ!」
「えっ!?」
唐突にアランに手を掴まれたセレナは驚愕を示すが、そんな事に気をかまけている暇はない。アランの唐突な行動に驚愕する周囲の臣民達にも気を配る余裕はない。
「魔力強化だ!   全力で走れ!」
「えっ、何がーー」
「急げ!   死ぬぞ!」
「……っ」
死ぬ、という言葉を聞いた瞬間、セレナの全身に魔力が宿る気配を感じた。ニッと不敵に笑うとアランも魔力を宿す。
刹那、地面が割れてしまうのではというほどの膂力とともに二人は駆け出した。臣民達が驚愕のあまり騒ぎ立て始めるが、気にしている余裕が今のアランには無かった。
……ちっ、追っかけてきやがる!
どうやら相手も魔術の嗜みがあるようで、殺気が遠ざかる気配はない。常に一定の間隔を保ちながらアラン達が動きを止めるのを伺っているようだ。
だがこれではっきりした。
つい先日まで一般市民だったアランに暗殺を企て嗾ける者などそうそういるはずもなく、ましてや魔術騎士を殺したところで後には何百人といる。殺す意味がないのだ。
だとすると、解はたった一つ。
「どうなってんだよ……っ!?」
セレナ=フローラ・オーディオルムの暗殺だ。
「……というわけで、この方がアラン=フロラスト帝国騎士様です、お嬢様」
「分かってるわよ……」
むすぅと、どうにも不満そうな顔をアランに向けながら、少女ーーセレナは朝食を食べる。
今朝に焼きたての芳ばしい香りのするパンに数々の香辛料を効かせて作られたオニオンスープ、生ハム入りサラダに甘めのスクランブルエッグと一般市民には夢のような朝食に、思わずアランは言葉を失う。
「アランさんもご一緒にいかがでしょう?」
「あ、いや。俺はもう食べてきたから大丈夫」
食べたと言っても、馬車に揺られながら食べた革靴のように硬いパンだけだが、そんな事を言えるはずもなく、アランは涼しい顔付きで紅茶を飲む。
「……そういえば今日は休日じゃないよな?   学院は行かないのか?」
ふと思った事を尋ねてみた。あらかじめリカルドから渡されていた情報では学院に入学しているというが、詳細には書かれておらず、アランもそこまで詳しくは知り得ていない。
「『行かない』ではなくて、『行けない』んです」
「?」
いったい何を言っているんだ、みたいな顔をアランがしていると、
「あら、アランさん知らないんですか?   今日は五年前の革命終結の日ですよ?」
ユーフォリアにそう言われて、ようやく思い出す。
五年前、帝国の政治機関である『六貴会』の一角を担っていた現皇帝オーディオルム家は、臣民の総意を代表して前皇帝に反逆したという。
無論、一貴族と皇帝では戦力に差があり過ぎるが、他の『六貴会』や皇帝執権に不満を抱いていた騎士や魔術師、魔術騎士達もオーディオルム家の参加に加わり、戦火は次第に肥大していった。
そして争いはおよそ三ヶ月に続き、約二万人という犠牲のもとで革命は成功。新たにオーディオルム家が皇位を得て、その第一歩として隣国との和平を結び、革命以前とは比較にならないほど平和で農民ですら安定した生活を送れるようになった。
「あー……そういや、そんな事あったなぁ……」
だが帝都にほとんど足を踏み入れなかったアランは、皇帝が変わったとか革命があったとかその程度の知識しか無い。率直に言って、興味が無いからだ。
ゆえに今日がその革命終結の日だという事は初耳だった。
「……もしかして知らなかったんですか?」
不機嫌そうにセレナが尋ねてくる。
「あぁ。あまり帝都には近寄ってなかったからな」
無論、一般市民としてだが。
「ということは……第一騎士団の戦線部隊って事ですか?   そうには見えませんが……」
現帝国では騎士団を三つの団に分けている。
そのうちの一つが『第一騎士団』。魔術騎士達を主力に置いた、武力による帝国の補佐を任された騎士団である。
そして第一騎士団はリカルドが団長を務めている。アランはリカルドの依頼を受けて屋敷にやって来たのだから、アランも第一騎士団の可能性が高い。
そして第一騎士団で帝都にほとんど足を踏み入れないとなると、帝都の外を転々とする部隊、つまりは戦場を憩いの場とする戦闘のエキスパート、戦線部隊だとセレナは推測したのだろう。
一般市民だが。
「まぁ、そんなとこ」
だが素直に「いいえ違います」などと言えるわけも無く、アランはセレナの目を見ずに適当にはぐらかす。
「……で、その革命終結の日に学院に『行けない』って言うのは?」
「皇帝陛下に代わって、お嬢様が商業区に足を運ぶ事になっているのですよ」
「ここに来る時、商業区の方が賑やかだったでしょう?   いま商業区では、この日を祝してお祭り騒ぎをしているの。二年前までは父が様子を見に行っていたのだけど、今年も外交関連で行けなくなったらしいから……」
「代わりにお前が、とねぇ……」
最後の一言をそのままアランが口ずさみ、面倒くさそうに頬杖をつく。
確かにこういう行事に足を運ぶ事で臣民に親近感を与えながらも、城下町の治安や経済的な事柄を自分の目で確認出来る。
皇帝が行けないと言うのだから、そういう事は率先してするべきなのだろう。
だが、
「なんでお前なの?   別に第一皇子とか第二皇子とか、アイツらが行けば済む話だろ?」
第一皇子も第二皇子も既に二十代後半。現在何をしているのかは知らないが、皇帝の代行というのならば、むしろ彼らがする方が妥当というものではないのだろうか?
アランとしてはそこら辺が気に食わない。
「ジェスターお兄様はフィニア帝国に大使として在住しているし、カルロスお兄様は今朝魔術文献調査に行くという事で帝都を出て行ったわ」
「『だから私が』ってか?   はぁ、真面目だねぇ……」
はっ、と嘲笑う様に笑みを浮かべ、アランは腕を組んで椅子の背もたれに体を預ける。
その態度が気に食わないらしく、セレナは苛立ちを隠せない様だ。
「それに行ってお前の利点は何がある?   臣民と親交を深められる、か?   まぁ、そうだろうなぁ……。だがそれだけだ。それに第二皇子の『魔術文献調査に行った』って理由こそアホらしい。今日はめでたい日なんだろう?   それなのに自分の目的のために帝都を離れるとか、皇帝の息子として普通にありえないだろ?   ……どうせ『高貴な僕がどうして愚民の住む所に行かなきゃならないんだ?』的な事言って、逃げたに違いない」
「……貴方、それは本気で言ってる?   私の目の前で家族を愚弄して、しかもそれが皇族だという事を理解しているのかしら?」
セレナの苛立ちは収まるどころか、むしろ増していく。
だがアランは冷めた目をしたまま、嘲笑うかのような顔でセレナを見つめる。憤りに視野が狭まっているセレナとは対照的に、アランはとても落ち着いていた。
それが、その腹立たしい顔がいっそうセレナを刺激する。
「お前だって思っているんじゃないのか?   皇族の私がどうして、ってさ」
「思っているわけないでしょう!!」
握った拳をテーブルに叩きつけながら、強く否定した。セレナも多くの帝国騎士に出会ってきたが、こんな人物には初めて出会った。
……根の底から腐ってるわ……っ!
「へいへい。まぁ、そういう事にしといてやるよ。俺は三階で二度寝でもしているから、頑張ってきな」
そう言って、腰を上げると、
「あら、アランさんもご一緒に行きますよ?」
アランの行く手を阻む様にして、スッとユーフォリアが前に立つ。あまりに素早い動きで、思わずアランも内心で驚いた。
それにしても、自分の主人が愚弄されたというのに、とても落ち着いた笑みを浮かべ……いや、とても「殺意に満ちた」笑みを浮かべている。
なるほど。この人はこういう性格なのか。
アランは呆れ笑いを浮かべながら、何事もなかったかのように、再び椅子に腰を下ろす。
「……それで、なんで俺も?」
「帝都内がいかに安全だと言っても、何が起こるかは分からないですし、何が起きた後では遅いでしょう?   だからその為の護衛として、ね?」
ふふふ、と爽やかな笑みを浮かべているが、その胸中は察する事ができる。
……断ったら、分かっていますね?
どうしてだろう。後ろで組まれた両手からは、目に見えないはずなのに包丁やナイフの様な刃物の気配がビンビンに伝わってくる。
「なるほどね……」
この人は冷静沈着に憤る人なのだと、後になって理解するアラン。そういう人ほど手に負えない事は、二十年も生きていたら理解できる。
「だが断る俺はーー」
ビュン!
台詞は最後まで言い切れず、何かがアランの右頬を掠めながら通り過ぎる。同時に掠めた箇所から何やら生温かいものが頬をつたう。
……最近の帝国ではナイフ投げでも流行っているのだろうか?
「あのー……リアさん?」
「申し訳ありません。少し手が滑りました」
そう言って謝罪をするユーフォリア。だが未だに両手は後ろで組まれている。というか、謝罪の際に腰を曲げた時、後ろでギラリと陽光に輝く何かを見てしまった気がする。
「止めておきなさい、リア。私も別に護衛なんて必要ないから、付いて来ていただかなくて結構よ」
アランに向かってざまあみろとでも言いたそうな顔半分、私事に付いて来られるのが単に面倒くさいとでも言いたそうな顔半分のセレナが、食後のお茶を求めながらそう言った。
「ほら、セレナもそう言っているし別に良いんじゃーー」
ビュビュン!!
今度は二本連続と来た。器用にも投げられた刃物はセレナに向かう事はなく、テーブルの下へと消えていく。
「一緒に行って頂きます」
「それじゃあ代わりにリアさんが」
「私は食器の片付けや庭の掃除がありますので。他の使用人に頼んでも無駄ですよ。彼女達も各々仕事がありますから」
どうやら、選択肢は二つ。
従うか、死か。
「リアさん、嘘ですよね?」
「いえいえ。別に私は強制などしていませんよ?   ただそうしてくれたらありがたいな、というだけです」
「だったらーー」
ビュビュビュン!!!
今度は三本。
「最後まで言ってないんですけどぉ!?」
「いえいえ。ただ少し羽虫が飛んでいるように見えましたので」
だからナイフを投げたというのか。
「せ、セレナさん……?」
ユーフォリアに立ち向かうのは不可能と知ったアランは、今度は主人であるセレナへと助け舟を求める。
……諦めなさい。彼女はそういう人だから。
どうやらこの屋敷内の力関係は、一般の貴族とはどうも違うようだ。
「ではアランさん。外出の支度をお願いしますね?」
「いや、でも……」
「お、ね、が、い、し、ま、す、ね?」
「……はい」
拒否権ははなから無かった様で、怒気と殺気のこもった視線を向けられたアランは渋々言う事を従うことにした。
……リアって、クソ親父より怖い……。
仕事が始まった初日から、アランは恐るべき現実を突きつけられた。
◆
帝都リーバスの東側には大きな商店街がある。そこを中心とした区域が別称「商業区」である。
「人混みに酔いそう……」
人の多さゆえ真っ直ぐ歩く事さえ困難で、ドッと疲れたアランは露店の横に置かれた木箱に腰を下ろして呆然と空を見上げながら、そう呟いた。
騎士服を着た若い青年が商業区で老人のごとく空を虚ろに見上げている、というシチュエーションに臣民は興味深しげな視線を送るが、アランはどこ吹く風で視線を意にも介さない。羞恥心など五年も昔に朽ち果てていた。
『そうですか。今年も鍛冶屋は大盛況ですか。最近は武器ではなく、調理器具も増えましたからね。……え、一つ貰っても良いのですか?   ではお言葉に甘えて。どれにしようかしら……』
道を挟んだ向こう側ではセレナが露店の店主と和気藹々と話している。
……思ったよりも、仲良いんだよなぁ……。
前皇帝一族はまるで自分達が神か神の代理であるかの様な振る舞いをして、臣民らの苦しみや幸せなど一切考えもせず、ただ自分達の至福や悦楽を求めて生きていた。
そんな皇帝だけを知っている所為か、アランはセレナに対して思った以上の偏見をしていたらしい。
「セレナ=フローラ・オーディオルムか……」
「私がどうかした?」
空を見上げて呟いていると、いつの間にかセレナはアランの元へと戻って来ていた様だ。その両腕にはセレナの胴体がすっぽり入ってしまいそうなほど大きな鍋が抱えられている。
「いーや、何も。……その鍋、持って帰るのか?」
「ええ。リアもそろそろ新しい鍋が欲しいって言っていたから、ちょうど良いかなって」
サイズ的にはちょうど良くないと思うが。もちろん、そんな事は口に出して言わない。
「……で、挨拶は全部済んだのか?」
「まだよ。後はこの道の先にある商業団体に挨拶をして終わり」
セレナは指でその道を示した。そこは帝都の周辺を囲う城壁まで続く、見ているだけで項垂れそうな道だった。
さっそく向かうセレナの後ろを二メートルほど空けてアランも歩き始める。鍋はとりあえず、預かってもらうことにした。
「それにしても随分と街に溶け込んでいる風に見えるんだが、よくここに来るのか?」
「ええ。生まれた時からずっとね」
「……ふーん」
その言葉を可笑しいと思わなかった訳ではなかった。ただ、セレナがその事に関してあまり辛そうな顔を見せていないことから、特に気にしていない事を察し取れた。
それにどうやら帝都の民はセレナの事をとても良く可愛がっているようだ。その証拠として彼女が歩くたびに、声をかける民は後を絶えない。
老若男女問わず、セレナは他愛もない話も真意に耳を傾けてくれる。これほど優しい皇族など世界広しといえど片手の指ほどしかいまい。
だがそのセレナの優しさ故に、少々問題が起きている。
それは現皇帝の娘が一人の魔術騎士を護衛としてそばに置いているという事を衆目に知らしめているという事実だ。その証拠にこんな会話が耳に入る。
『おい、セレナ嬢ちゃんの側にいるあの男、見てみろよ』
『ああ、そこそこのイケメンじゃねぇか。……目が死んでいるが』
『おまけにあの髪の色を見てみろよ。嬢ちゃんの金髪に対して黒髪だぜ?   目立っちまってしょうがねぇ……死んだ魚みたいな目をしてるがな』
……悪かったな。半日間も荒道を馬車に揺られて移動していた所為で寝不足なんだよ!   おまけに今朝の一件で無駄に精神をすり減らしたからな……っ!
さらに彼らの話し合いは続く。
『あの男は護衛だよな、ただの護衛だよな!?』
『アイツが嬢ちゃんのアレだって言うなら、皇帝陛下の代理として俺が処刑してやろう……!』
『けど、どうする?   あの服を見る限りアイツは帝国騎士だ。剣術も魔術もできる上、俺達より遥かに強い。生半可な事じゃあ擦り傷すら負わせられねぇ……』
『くそっ、俺達はただ指を咥えて見てる事しか出来ねぇのか……っ!』
『ふっふっふ……。甘いな、お前達。もっとスムーズで楽な手段があるじゃないか』
『『?』』
『魔術騎士になくて俺達にはある、数少ない利点。それを用いて帝国の法に触れること無く、暗黙の領域で確実に殺す手段が一つある。それは……』
『『(ゴクリ)それは……?』』
『暗殺だ』
『『それだっ!!』』
……それだ、じゃねぇ!   お前らの選択肢には「尋ねる」っていう物が無いのか!?
「あら、どうしたの?   もしかして体調でも悪くなったのかしら?」
青ざめたアランを見て、とてもご機嫌そうにセレナが顔を近づけてくる。美少女が自分を気にかけてくれているというのに、アランはいたって普通な対応を取る。
「い、いや。別に大したことじゃ無いから気にすんな」
「そ。もし気分が優れないようなら、気にせず帰ってもらっても大丈夫よ」
「そっか。それならーー」
踵を返そうとした所で、ふと出かける直前の事を思い出す。
行ってらっしゃいませ、という恒例の言葉を投げかけたユーフォリアが、ぐわしとアランの肩を掴んで言った。
「もし、アランさんがお一人で帰ってきたらーー」
「か、帰ってきたら……?」
「お二人で“人は骨を何本折られれば痛みの余りに悶え死ぬのか”を考えてみましょうか?」
そして肩から手を離して、涼しい笑みを浮かべた。そう、冷徹な笑みを浮かべていた。
間違いない。その実験に用いられる実験体は自分だと、生存本能が激しく訴えていた。マジであのメイドさん怖過ぎるんですけど。
というわけで。
「やっぱ帰らん」
ユーフォリアにゆっくりと嬲られる様にして殺されるより、暗殺を目論まれ、妬むような視線を向けられる方が幾億もマシだ。
そう判断したアランは引き続きセレナの後ろをーー
……殺気!?
活気で賑わう商店街で、その気配は余りにも不自然だった。肩と腹の内側がピリピリとする感覚、鑢で精神を削られる様な感覚は何年経とうとも忘れない。
だがこの殺気はアランに向けられた物ではない。これはーー
ーーキン。
意識とは裏腹に、体が無意識に動く。剣を鞘から勢いよく抜き放つと、目の前にいるセレナと左側にある建物との間に据え置く。
すると驚いた事に剣身に細い棒の様な物が当たった。これは、
「……吹き矢?」
長さ十センチほどの細い針が、カランという金属音を立てて地面に落ちる。そして刹那に気づく。
ーー先端に付いた、毒々しい液体を。
「……っ、セレナ!」
「えっ!?」
唐突にアランに手を掴まれたセレナは驚愕を示すが、そんな事に気をかまけている暇はない。アランの唐突な行動に驚愕する周囲の臣民達にも気を配る余裕はない。
「魔力強化だ!   全力で走れ!」
「えっ、何がーー」
「急げ!   死ぬぞ!」
「……っ」
死ぬ、という言葉を聞いた瞬間、セレナの全身に魔力が宿る気配を感じた。ニッと不敵に笑うとアランも魔力を宿す。
刹那、地面が割れてしまうのではというほどの膂力とともに二人は駆け出した。臣民達が驚愕のあまり騒ぎ立て始めるが、気にしている余裕が今のアランには無かった。
……ちっ、追っかけてきやがる!
どうやら相手も魔術の嗜みがあるようで、殺気が遠ざかる気配はない。常に一定の間隔を保ちながらアラン達が動きを止めるのを伺っているようだ。
だがこれではっきりした。
つい先日まで一般市民だったアランに暗殺を企て嗾ける者などそうそういるはずもなく、ましてや魔術騎士を殺したところで後には何百人といる。殺す意味がないのだ。
だとすると、解はたった一つ。
「どうなってんだよ……っ!?」
セレナ=フローラ・オーディオルムの暗殺だ。
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