英雄殺しの魔術騎士
第3話「悪夢」
「はぁ、はぁ………はぁっ!」
肩を上下させて息を荒げるセレナを視界の傍らにに、アランは周囲に警戒を配る。
二人がいるのは商業区にいくつかある、休憩所という名の大きな噴水広場だ。周囲が低い建物とその高さを超える木々でほぼ全域が囲われているため、目視できる距離からしか使えない暗殺用の吹き矢を使うのは、正体を晒さなければいけないために使うのを躊躇うはずだ。
……それにしても、何でだ?
いや、その問いかけは愚問だなと、即座に首を振る。
現皇帝に恨みを持つ者など限られているではないか。そう、例えば「前皇帝の親族」とか。
ヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルムが皇帝の座に着くと同時に行った数多くの政策の一つに『帝都の成果なき貴族からの爵位剥奪』というものがある。
要するに「貴族なのに自堕落な生活をする貴族は必要ない」ということだ。これによって五十もいた貴族達は、新たに辺境伯であったジャニール家が加わって、帝国の政治機関である『六貴会』だけとなった。
残りの四十以上の貴族は爵位を奪われ、ただの帝国民に落ちぶれてしまったのだ。それを恨むのは理不尽としか言い様がないのだが、今はそんな事はどうでもいい。
「……どうする?   今日はもう帰るか?」
敵が近づいて来ないというだけで、殺気が消え失せたわけではない。今も人気の少ない狭い路地に入って来るのを伺っている。
単独ならばすぐに追いかけて引っ捕えるところだが、あいにく今はセレナの護衛を任されている。そう易々と離れるわけにはいかない。
「……やっぱり…………」
だがそのセレナは、アランの提案を耳に入れる事なく、自分の世界へと静かに入り込み、必死に何かを考えているようだった。
まるで気づいていたけど、知りたくはなかった何かを知ってしまったような顔で。
「あのー……セレナさん?」
「……なに?」
もう一度声をかけると、不機嫌そうな顔をしながらも今度はしっかりと返事をする。
何があるのか、あったのかは知らないし、知る気もない。だがこんな場所で、こんな状況で警戒心を欠くほどに考え込むのならば、場所を変えたほうが得策だろう。
「とりあえずいったん屋敷に帰るぞ。考え込むのはその後にしろ」
「でも商業団体に挨拶をーー」
「そんなものは明日にでも言い訳と一緒にすればいい。それよりまずはーー」
シャン、と鞘から剣を抜き放つ。素人にもはっきりと分かる業物の剣は、頂点に達した太陽からの陽光を浴びて、細身の剣身を鈍く輝かせている。唐突に剣を抜き放った帝国騎士に疑惑の視線を周囲の民達は向けるが、アランは気にせず警戒を外へと向けた。
……敵の数は四人。うち二人はセレナの行動の監視で、残りの二人のうち一人が吹き矢、もう一人が魔術ってところだろう。
慣れている。余りにも暗殺という行為に慣れた編隊だ。相当頭の切れる奴が指揮をしているのか、はたまたこれも作戦の内なのか。
ならば。こちらも本気でやるとしよう。
すぅと息を吸い、全身の器官へと淀みなく魔力を宿す。魔力による身体強化は『膂力強化』と『感覚強化』の二つあり、今回は感覚強化を優先する。
不必要な情報をすべて切り捨て、聴覚だけに意識を集中させる。敵の素性は知れないが、敵意がある事だけは確実だ。
ならば見つけるのはとても容易い。そんな確信が相まってか、ほんの数秒で敵の位置を補足した。
「さーて……敵の駒は四つに対してこっちは二つ。しかも主人を護りながら進まなきゃならないという、面倒くさい事極まりない状況……最短でリスクの低い安全な道筋は……」
静かに呟き、迷路のように入り組んだ道順を脳内に展開して何十通りもの可能性を生み出す。作っては消え、また作っては消えていく可能性の中で、最も安全といえる道筋は……三通りといったところだろうか。
そこからさらに聴覚に意識を傾けて、人気が多い道を選別する。遮蔽物が多ければ多いほど、人気が多いほど正体が判明する可能性を恐れて無茶な行動を抑えられるはずだ。
「……よし。後は……」
コートのポケットに手を突っ込み、中にある物を一つ摘むと、
「セレナ。五つ数えたらもう一度魔力強化で走るぞ。目をつぶって準備しておけ」
「え、なんでーー」
セレナの疑問にアランは答えない。
五、四、三と止まる気配なくカウントダウンを進めるアランを見て、おとなしく目をつぶり、再び全身に魔力を宿した。
「二……」
一、と同時にアランは右手に持った物を下に落とし、刹那。
陽光にも劣らない盛大な光が、辺りを埋め尽くした。
広場にいた人達が混乱に陥る中、
「今だ、走るぞ!」
敵の意識が薄れるとともに、アランはセレナの手を掴んで元いた道へと走った。無闇に別ルートから屋敷を目指すより、直接見た事のある道で逃げた方が地の利を活かせるとアランは考えたのだ。
「貴方、いまのは……」
「ああ、特別製のやつだよ!」
アランの持っていた物、それは精神干渉系の魔術刻印が施された石型の魔道具だ。表面が一定以上の衝撃を受けると同時に発動する仕組みで、一度術にかかってしまうと、どれほど凄腕の魔術師でも十秒の時間を要する。
そして十秒もあれば二人が人混みの中へと姿を眩ませるには十分過ぎる時間だった。
状況の読み込めていない都民達の間をうねるようにして通り過ぎ、
……三、二、一。
「……止まれ。このまま人混みに紛れながら屋敷に帰るぞ」
十秒が過ぎると同時に、二人は全身強化を解除。極力魔力を抑えて一般市民のふりをする事にした。
……よし、上手くいった。
敵は見事に術中に嵌ってくれていた。先ほどまでいた噴水広場には東西南北に続く四つの大通りと、十以上の小道が存在する。敵は四人しかいないのだから手分けをして探すのは余りにも非効率だ。かといって魔力で探そうにも一般市民並みの魔力に揃えてしまえば、そんな人物は帝都内には千も二千もいるのだから、酷く繊細な調査が必要となり、かえって正体を明るみに晒す必要がある。
要するに、向こうに打つ手はない。このまま去るのが最善策と考えるはずだ。
そして案の定、敵の気配は薄れていく。このまま帝都内に隠れるのか、はたまた城壁を抜けて外に拠点があるのか。
そんな事を考えながら、アランはセレナの腕を引きながら屋敷へと帰るのだった。
◆
「……と、そんな事があったんだが」
『はー、へー、そうかー』
「……返事が軽くないか?」
『だって、そんな事でお前が殺られる訳ないし、嬢ちゃんもしっかり守ったんだろ?   だったら、それだけの話じゃねぇか』
「まあ、それはそうなんだが……」
使用人すら寝静まった夜。アランは月光だけを頼りに机の上に置かれた十センチ四方の紙に向かって話しかけていた。
これは最近帝都の魔術研究部が開発に勤しんでいる「精神共有魔術を利用した通話用の魔道具」通称『魔接機』というものらしい。紙に幾何学的な魔術方陣を描き、その下に八桁の数字を書く事で、同じ番号の相手と魔術方陣を通じて精神干渉を発生させて会話ができるのだという。
最初のうちはおそるおそるだったが、今では気分を害する事なく使えている。
「俺が言いたいのはさ。どうしてセレナが狙われてんのか、って事だよ。前皇帝が討たれてからそういう事は今まで一度も無かった、って使用人から聞いた。……どうして今日に限ってなんだ……?」
『……』
「……おい、クソ親父?」
『……あ、悪い悪い。ちょっと用事があってな』
「そういえばさっきからふわふわした感覚が入り混じってんだが、それに関連してんのか?」
精神共有魔術は自分の思考や感覚をそのまま相手に与えてしまう。訓練次第で知られたくない情報に壁は作れるが、どうやらこの感覚は何かが違う。
『いや、俺いま同期の騎士達と飲んでるから』
「…………はぁ!?」
余りのカミングアウトにアランは夜中にも関わらず大声をあげた。
精神共有魔術は思考とともに感覚も共有する事ができることから、十年以上も昔には奇術として見られていたが、近年の発展によって感覚共有はある程度制限する事を可能にした。
だがそれでも感じるふわふわした感覚は、つまるところかなり酒を飲んでいるという訳で。
「(お前それ使用上の規則に『飲酒状態での使用は硬く禁ずる』って書いてあっただろうが!)」
『はっはっは!   いいじゃねぇか、ちょっとくらい』
囁くような声でリカルドを叱責するが、リカルドは聞く耳を持たない。
すでに飲酒を許されている年齢のアランだが、どうにも酒類は好まないのだ。ジョッキのほんの上澄みを飲んだだけでも体温が一気に上がり、泥酔感を与える。
まあつまり、酒に弱いのだ。
……酒飲んでるとか考えたら、途端に……っ。
『ん?   もしかして気分酔いでもしてんのか?   相変わらず酒に弱いなぁ……で、何だっけか……そうそう、嬢ちゃんが何で狙われているのか、っていう話だっけか』
「あ、ああ……もうそろそろ限界だから手短に頼む」
鈍る思考に鞭を打ち、必死に酒酔いに抗うアラン。体温が上がってきたせいか、額には汗まで浮かんでいた。
『どうせお前の事だから確証してんだろう?   そう、前皇帝支持派の元貴族による暗殺の可能性が最も濃い。その証拠に第二皇子が外出中に襲撃を受けたそうだ』
「まじか……」
第二皇子といえば今日は魔術文献調査で帝都の外にいると、セレナが言っていた。確かに狙うには格好の機会と言えるだろうが……
「情報が、露見、してるのか……?」
今度は睡魔がやってきた。鈍った脳が「いい加減休め」と命令しているかのようだ。
『いや、話を聞いた感じだと偶然出くわした、って感じだな。計画的な襲撃じゃねぇ、と第二皇子の護衛騎士団が断言してる』
「……て事は、セレナを狙った輩は、城壁を抜けて、そいつらと合流した、と考えた方が、いいな……」
瞼が重くて目を見開くのが辛い。詠唱をするかのようにゆっくりと話すアランの声を聞いてか、リカルドは言う。
『最後に言うが、お前の雇用目的はあくまで嬢ちゃんの剣術指南だ。お前達に被害が及ばないように、俺も仲間も努力はする……だがもし、それでも敵が嬢ちゃんの元に辿り着くような事があれば……すまん、その時は頼んだ』
リカルドにしては酷く消極的な言い様だった。いつもならば「大船に乗ったつもりでいやがれ!」くらいの事は言うのに。
……ま、これはこれで面白いから良いか。
「ああ。まか、され、た……」
それだけ返事をすると、リカルドとの接続を切り、睡魔に負けたアランは机に突っ伏して静かに寝息を立て始める。
こうしてアランは初日を終えるのであった。
◆
夢を見た。
…………地獄を見た。
そこは敗者と勝者だけが佇む、死者と生者だけが存在する残酷な世界。鼻の奥がツンとするほどの血の臭いが漂う、鮮血と悪臭の世界だった。
少年はボロボロの剣を持っていた。ボロボロの盾を持っていた。傷だらけの身体で立っていた。
何千という屍を一望できる屍の山から、少年は地上を見下ろしていた。
そこには名と存在と誇りを無くした何万もの肉塊が、無残に転がっている。
地平線の先まで死、死、死、死、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死ーーーーーーー
まるで世界のあらゆる生物が絶滅したかのような荒野に、少年だけが立っていた。
少年には善と悪の違いが分からなかった。ただ言われるがままに倒して、切って、潰して、殺した。「目の前の敵を悉く殺せ」と言われた通りに殺した。
情けなんて必要ない。慈悲なんて与えなくても良い。敵対する相手を、剣を向けたその人物を絶命の声を荒げる暇すら与えずに殺し続けた。
それが正しいのか間違いなのかなんて関係ない。
ただそうすれば良いのだから。
『ギャー!   ギャー!』
死と血の臭いが充満する静かな世界に飢えた野鳥達が現れる。熟れた死肉を啄ばみに来たのだろう。
そして少年はそこから去る。
行くあてなどない。無益な殺人に心が病んだわけでもなければ、妬み恨みで誰かに追われているわけでもない。
ただ何となく。それはまるで「人間」ではない、他の何かの生き物のように。
少年は気分の赴くままに踵を返して歩き始めた。太陽の沈む、あの丘を目指してーー
肩を上下させて息を荒げるセレナを視界の傍らにに、アランは周囲に警戒を配る。
二人がいるのは商業区にいくつかある、休憩所という名の大きな噴水広場だ。周囲が低い建物とその高さを超える木々でほぼ全域が囲われているため、目視できる距離からしか使えない暗殺用の吹き矢を使うのは、正体を晒さなければいけないために使うのを躊躇うはずだ。
……それにしても、何でだ?
いや、その問いかけは愚問だなと、即座に首を振る。
現皇帝に恨みを持つ者など限られているではないか。そう、例えば「前皇帝の親族」とか。
ヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルムが皇帝の座に着くと同時に行った数多くの政策の一つに『帝都の成果なき貴族からの爵位剥奪』というものがある。
要するに「貴族なのに自堕落な生活をする貴族は必要ない」ということだ。これによって五十もいた貴族達は、新たに辺境伯であったジャニール家が加わって、帝国の政治機関である『六貴会』だけとなった。
残りの四十以上の貴族は爵位を奪われ、ただの帝国民に落ちぶれてしまったのだ。それを恨むのは理不尽としか言い様がないのだが、今はそんな事はどうでもいい。
「……どうする?   今日はもう帰るか?」
敵が近づいて来ないというだけで、殺気が消え失せたわけではない。今も人気の少ない狭い路地に入って来るのを伺っている。
単独ならばすぐに追いかけて引っ捕えるところだが、あいにく今はセレナの護衛を任されている。そう易々と離れるわけにはいかない。
「……やっぱり…………」
だがそのセレナは、アランの提案を耳に入れる事なく、自分の世界へと静かに入り込み、必死に何かを考えているようだった。
まるで気づいていたけど、知りたくはなかった何かを知ってしまったような顔で。
「あのー……セレナさん?」
「……なに?」
もう一度声をかけると、不機嫌そうな顔をしながらも今度はしっかりと返事をする。
何があるのか、あったのかは知らないし、知る気もない。だがこんな場所で、こんな状況で警戒心を欠くほどに考え込むのならば、場所を変えたほうが得策だろう。
「とりあえずいったん屋敷に帰るぞ。考え込むのはその後にしろ」
「でも商業団体に挨拶をーー」
「そんなものは明日にでも言い訳と一緒にすればいい。それよりまずはーー」
シャン、と鞘から剣を抜き放つ。素人にもはっきりと分かる業物の剣は、頂点に達した太陽からの陽光を浴びて、細身の剣身を鈍く輝かせている。唐突に剣を抜き放った帝国騎士に疑惑の視線を周囲の民達は向けるが、アランは気にせず警戒を外へと向けた。
……敵の数は四人。うち二人はセレナの行動の監視で、残りの二人のうち一人が吹き矢、もう一人が魔術ってところだろう。
慣れている。余りにも暗殺という行為に慣れた編隊だ。相当頭の切れる奴が指揮をしているのか、はたまたこれも作戦の内なのか。
ならば。こちらも本気でやるとしよう。
すぅと息を吸い、全身の器官へと淀みなく魔力を宿す。魔力による身体強化は『膂力強化』と『感覚強化』の二つあり、今回は感覚強化を優先する。
不必要な情報をすべて切り捨て、聴覚だけに意識を集中させる。敵の素性は知れないが、敵意がある事だけは確実だ。
ならば見つけるのはとても容易い。そんな確信が相まってか、ほんの数秒で敵の位置を補足した。
「さーて……敵の駒は四つに対してこっちは二つ。しかも主人を護りながら進まなきゃならないという、面倒くさい事極まりない状況……最短でリスクの低い安全な道筋は……」
静かに呟き、迷路のように入り組んだ道順を脳内に展開して何十通りもの可能性を生み出す。作っては消え、また作っては消えていく可能性の中で、最も安全といえる道筋は……三通りといったところだろうか。
そこからさらに聴覚に意識を傾けて、人気が多い道を選別する。遮蔽物が多ければ多いほど、人気が多いほど正体が判明する可能性を恐れて無茶な行動を抑えられるはずだ。
「……よし。後は……」
コートのポケットに手を突っ込み、中にある物を一つ摘むと、
「セレナ。五つ数えたらもう一度魔力強化で走るぞ。目をつぶって準備しておけ」
「え、なんでーー」
セレナの疑問にアランは答えない。
五、四、三と止まる気配なくカウントダウンを進めるアランを見て、おとなしく目をつぶり、再び全身に魔力を宿した。
「二……」
一、と同時にアランは右手に持った物を下に落とし、刹那。
陽光にも劣らない盛大な光が、辺りを埋め尽くした。
広場にいた人達が混乱に陥る中、
「今だ、走るぞ!」
敵の意識が薄れるとともに、アランはセレナの手を掴んで元いた道へと走った。無闇に別ルートから屋敷を目指すより、直接見た事のある道で逃げた方が地の利を活かせるとアランは考えたのだ。
「貴方、いまのは……」
「ああ、特別製のやつだよ!」
アランの持っていた物、それは精神干渉系の魔術刻印が施された石型の魔道具だ。表面が一定以上の衝撃を受けると同時に発動する仕組みで、一度術にかかってしまうと、どれほど凄腕の魔術師でも十秒の時間を要する。
そして十秒もあれば二人が人混みの中へと姿を眩ませるには十分過ぎる時間だった。
状況の読み込めていない都民達の間をうねるようにして通り過ぎ、
……三、二、一。
「……止まれ。このまま人混みに紛れながら屋敷に帰るぞ」
十秒が過ぎると同時に、二人は全身強化を解除。極力魔力を抑えて一般市民のふりをする事にした。
……よし、上手くいった。
敵は見事に術中に嵌ってくれていた。先ほどまでいた噴水広場には東西南北に続く四つの大通りと、十以上の小道が存在する。敵は四人しかいないのだから手分けをして探すのは余りにも非効率だ。かといって魔力で探そうにも一般市民並みの魔力に揃えてしまえば、そんな人物は帝都内には千も二千もいるのだから、酷く繊細な調査が必要となり、かえって正体を明るみに晒す必要がある。
要するに、向こうに打つ手はない。このまま去るのが最善策と考えるはずだ。
そして案の定、敵の気配は薄れていく。このまま帝都内に隠れるのか、はたまた城壁を抜けて外に拠点があるのか。
そんな事を考えながら、アランはセレナの腕を引きながら屋敷へと帰るのだった。
◆
「……と、そんな事があったんだが」
『はー、へー、そうかー』
「……返事が軽くないか?」
『だって、そんな事でお前が殺られる訳ないし、嬢ちゃんもしっかり守ったんだろ?   だったら、それだけの話じゃねぇか』
「まあ、それはそうなんだが……」
使用人すら寝静まった夜。アランは月光だけを頼りに机の上に置かれた十センチ四方の紙に向かって話しかけていた。
これは最近帝都の魔術研究部が開発に勤しんでいる「精神共有魔術を利用した通話用の魔道具」通称『魔接機』というものらしい。紙に幾何学的な魔術方陣を描き、その下に八桁の数字を書く事で、同じ番号の相手と魔術方陣を通じて精神干渉を発生させて会話ができるのだという。
最初のうちはおそるおそるだったが、今では気分を害する事なく使えている。
「俺が言いたいのはさ。どうしてセレナが狙われてんのか、って事だよ。前皇帝が討たれてからそういう事は今まで一度も無かった、って使用人から聞いた。……どうして今日に限ってなんだ……?」
『……』
「……おい、クソ親父?」
『……あ、悪い悪い。ちょっと用事があってな』
「そういえばさっきからふわふわした感覚が入り混じってんだが、それに関連してんのか?」
精神共有魔術は自分の思考や感覚をそのまま相手に与えてしまう。訓練次第で知られたくない情報に壁は作れるが、どうやらこの感覚は何かが違う。
『いや、俺いま同期の騎士達と飲んでるから』
「…………はぁ!?」
余りのカミングアウトにアランは夜中にも関わらず大声をあげた。
精神共有魔術は思考とともに感覚も共有する事ができることから、十年以上も昔には奇術として見られていたが、近年の発展によって感覚共有はある程度制限する事を可能にした。
だがそれでも感じるふわふわした感覚は、つまるところかなり酒を飲んでいるという訳で。
「(お前それ使用上の規則に『飲酒状態での使用は硬く禁ずる』って書いてあっただろうが!)」
『はっはっは!   いいじゃねぇか、ちょっとくらい』
囁くような声でリカルドを叱責するが、リカルドは聞く耳を持たない。
すでに飲酒を許されている年齢のアランだが、どうにも酒類は好まないのだ。ジョッキのほんの上澄みを飲んだだけでも体温が一気に上がり、泥酔感を与える。
まあつまり、酒に弱いのだ。
……酒飲んでるとか考えたら、途端に……っ。
『ん?   もしかして気分酔いでもしてんのか?   相変わらず酒に弱いなぁ……で、何だっけか……そうそう、嬢ちゃんが何で狙われているのか、っていう話だっけか』
「あ、ああ……もうそろそろ限界だから手短に頼む」
鈍る思考に鞭を打ち、必死に酒酔いに抗うアラン。体温が上がってきたせいか、額には汗まで浮かんでいた。
『どうせお前の事だから確証してんだろう?   そう、前皇帝支持派の元貴族による暗殺の可能性が最も濃い。その証拠に第二皇子が外出中に襲撃を受けたそうだ』
「まじか……」
第二皇子といえば今日は魔術文献調査で帝都の外にいると、セレナが言っていた。確かに狙うには格好の機会と言えるだろうが……
「情報が、露見、してるのか……?」
今度は睡魔がやってきた。鈍った脳が「いい加減休め」と命令しているかのようだ。
『いや、話を聞いた感じだと偶然出くわした、って感じだな。計画的な襲撃じゃねぇ、と第二皇子の護衛騎士団が断言してる』
「……て事は、セレナを狙った輩は、城壁を抜けて、そいつらと合流した、と考えた方が、いいな……」
瞼が重くて目を見開くのが辛い。詠唱をするかのようにゆっくりと話すアランの声を聞いてか、リカルドは言う。
『最後に言うが、お前の雇用目的はあくまで嬢ちゃんの剣術指南だ。お前達に被害が及ばないように、俺も仲間も努力はする……だがもし、それでも敵が嬢ちゃんの元に辿り着くような事があれば……すまん、その時は頼んだ』
リカルドにしては酷く消極的な言い様だった。いつもならば「大船に乗ったつもりでいやがれ!」くらいの事は言うのに。
……ま、これはこれで面白いから良いか。
「ああ。まか、され、た……」
それだけ返事をすると、リカルドとの接続を切り、睡魔に負けたアランは机に突っ伏して静かに寝息を立て始める。
こうしてアランは初日を終えるのであった。
◆
夢を見た。
…………地獄を見た。
そこは敗者と勝者だけが佇む、死者と生者だけが存在する残酷な世界。鼻の奥がツンとするほどの血の臭いが漂う、鮮血と悪臭の世界だった。
少年はボロボロの剣を持っていた。ボロボロの盾を持っていた。傷だらけの身体で立っていた。
何千という屍を一望できる屍の山から、少年は地上を見下ろしていた。
そこには名と存在と誇りを無くした何万もの肉塊が、無残に転がっている。
地平線の先まで死、死、死、死、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死ーーーーーーー
まるで世界のあらゆる生物が絶滅したかのような荒野に、少年だけが立っていた。
少年には善と悪の違いが分からなかった。ただ言われるがままに倒して、切って、潰して、殺した。「目の前の敵を悉く殺せ」と言われた通りに殺した。
情けなんて必要ない。慈悲なんて与えなくても良い。敵対する相手を、剣を向けたその人物を絶命の声を荒げる暇すら与えずに殺し続けた。
それが正しいのか間違いなのかなんて関係ない。
ただそうすれば良いのだから。
『ギャー!   ギャー!』
死と血の臭いが充満する静かな世界に飢えた野鳥達が現れる。熟れた死肉を啄ばみに来たのだろう。
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