英雄殺しの魔術騎士
第4話「モーニングショットと可愛い義妹」
五年前の革命の祝日から翌日の朝。帝都リーバス内にある商業区は、未だ大いに賑わっていた。喧騒が帝都の城壁部までに響き、活気喝采が更に人を引き寄せ続ける。
ーーそんな帝都とは打って変わって。
「すんげぇ頭痛ぇ……」
脳内へと直接響くような喧騒に、眉間にしわを寄せながらアランは屋敷の階段を下りる。
精神共有魔術を利用した連絡用の魔道具、通称「魔接機」の副作用によって、リカルドの泥酔感を共有してしまったアランは目覚めと共に頭痛にうなされていた。
階段を一段下りるたびに、頭を思い切り殴られたかのような痛みが走る。いつもなら気にもしないたったの十数段が地獄に感じた。
……と、とりあえず顔を洗おう……。
挫けそうになりながらも一階へと下りたアランは、微睡む意識に鞭を打ちながら洗面場へと足を向ける。
時刻は朝の六時を少し過ぎたくらいだろうか。そう考えると商業区の騒ぎは朝市だろう。やはり帝都は村とは違って朝から活気に満ち溢れている。
「まったく……これだから人の多い場所は嫌いなんだ……」
はぁ、と呆れることすら面倒くさいようなため息を漏らしながら、ほんの数歩先の洗面場に死んだ魚のような目をやる。
頭痛のせいで視覚以外の他の感覚神経は、ほとんどろくに働いていない。
ーーきっと、この事件はその所為だろう。
金メッキのドアノブを掴み、ドアを開けると……
「……?」
ドアの隙間からほんのりと湯気が這い出てくる。そうか、きっとこれはあれに違いない。
……ラッキースケベとか言うやつか。
ユーフォリアが言うには、ここには使用人が彼女を含めて四人いるという。顔も名前も知らないが、主人が女性なのだから使用人も女性に違いない。
アランだって一応は男なのだ。性に興味がないわけがない。むしろつい先日まで魅惑的な女性に会う機会すら滅多になかった生活をしていた所為か、性欲は無尽蔵にあるというべきだろう。
というわけで。
……さあ、ご開帳!
などと期待と想像に胸を膨らませ、今日一番の笑みを浮かべながらドアを開ける。そしてそこには、
「……む?   新入りですかな?」
還暦を迎えていそうな白髪の老人が、ムッキムキの肉体でポージングをしていた。しかも全裸で。
「……」
キィ……バタン。
「ああ、そうさ。分かっていたさ……」
そんな都合の良いものを神様が与えるわけがない。そしてなにより、このドアの向こうが女性だというならば、もう少し用心深いはずだ。
こうして後になってから、アランは論理的に解釈する。そして瞼の裏に映るのはーーあの爺さんのほどよく焼けた筋肉質な肢体。
所々に付いた戦いでの古傷は、彼の強さを証明するかのよう。戦いの神がいるとするならば、きっとそれは彼のような面影を持つに違いない。
「は、ははは……」
だが違う。アランが求めていたのは風呂上がりで肌が上気して色っぽい美少女が、顔を真っ赤にして慌てふためく画だ。これでは想像と全く相似していないではないか。
あまりのショックに、壁にもたれかかって俯いた。そして、
「あがぁあああああああッ!?」
腐ったものを見てしまったと、アランは目を押さえて絶叫を上げながら、廊下でのたうち回るのであった。
◆
「いや、失敬。貴方がリカルド帝国騎士殿の仰っていたアラン=フロラスト殿でありましたか」
はっはっは、とオールバックの白髪の老人は執事服を身に纏い、朝食を運びながら楽しそうに言った。
「私はヴィダン。ヴィダン=ゴドレットと申します。セレナお嬢様の執事統括を任させれている者です」
「なるほど。よろしく、ヴィダン」
朝から衝撃的な物を見てしまった所為か、おかげで頭痛は無くなった。そういうわけで今朝のあれは無かった事にしておこう。というかしておきたい。
今朝の朝食は皮をカリカリに焼いたグリルチキンにトマト、レタス、生ハムに粉チーズの振りかかったサラダ。彩り豊かな野菜のコンソメに昨朝と同じく焼きたてのパンといったものだった。
いただきます、というセレナの合図とともにアラン達は食事を始めた。
パンの上にグリルチキンとレタスを挟んで食べると、チキンの肉汁が溢れ出てパンに染み込み、それを青臭くないレタスが爽やかに調整しているようだった。
「……そういえば、今日は学院に行くんだろう?」
唐突に会話を始める。
「ええ。さすがに二日も学院を休むと勉学に支障をきたすから」
「そういうわけなのでアランさん。今日もよろしくお願いしますね?」
そう言ってユーフォリアはテーブルの端から鈍く光る何かをアランに見せつける。これはお願いではない命令だ、と言わんばかりに。
……ま、そういう事だと思ってたけどさ。
溢れそうになったため息をスープで押しもどす。
まあ何にせよユーフォリアの言う通り、付いて行く方がベストだと言えるだろう。
昨日の暗殺はかなり計画的に考えられたものだ。つまり相手にとってセレナの命は必ず奪わなければならない物という事になる。
リカルドがセレナの周囲に警戒網を張るといっても、人数的にそれほど多くない第一騎士団の主力を全員使うわけにもいかないし、ましてや騎士団の過半数は常に国境付近に滞在している。帝都に戻るには最低でも三日は必要だ。
その分アランは雇われているだけあって、常に近くにいられるし、なにより帝国騎士の正装を身に纏うだけで彼らに威圧を送ることが出来る。
だがそれには一つだけ突破条件があった。
「でも俺は学院にとって部外者だ。学院長に許可は取ってあるのか?」
そう、学院の警備はかなり堅固だ。もしかしたら本当に「蟻一匹入れない」とでも例えられそうなほどに。
だがアランの質問に対して、ヴィダンが愉快そうに笑って答えた。
「そこのところは抜かりありません。先日、私が学院長の元へと赴き、『セレナお嬢様の剣術指南役を護衛として同行させたい』とお伝えしておきましたゆえ」
「……ちょっと待て。今『先日』って言ったよな?   てことは俺がこの仕事を引き受けなかったから、どうするつもりだったんだ……?」
「……(ニコリ)」
……どうしよう。唐突にこの執事が怖くなってきた。というかクソ親父がやけに必死だった理由が、なんとなく分かってきた気がする。
「ご馳走様……」
するとセレナが徐に立ち上がった。
「お嬢様、まだ朝食が残っていますが……?」
そう、セレナの前の食卓にはグリルチキンもサラダも残っている。スープは手さえつけられていない。これは昨朝の朝食をペロリと食べたセレナとはどうも様子が違う。
「ごめん、リア。今日はなんだか食欲がないの」
「ですがしっかり食べないと、学業に専念できませんよ?」
ユーフォリアは母親のようにセレナの心配をする。だがセレナは俯いたまま、何も言わなかった。
……ま、無理もないか。
つい昨日まで普通に暮らしていた皇女様が初めて他者から殺されそうになったのだ。思い詰めるのも、ショックで食欲が無くなるのもよく分かる。
謂れ無い殺意を、皇帝本人ではなく自分に向けられた事への恐怖と苛立ちが相まって、彼女の脳内は何もかもがこんがらがって、グチャグチャになっている事だろう。
けど、決して同情はしない。理解をしてあげようとも思わない。
無闇に近づく事が、必ずしも彼女の心を癒し、救う事には繋がらない。
自分の全てを駆使して彼女を知り、真実を知ったところで、彼女の心を踏みにじる行為となんら変わりはない。
そんな冷めた目をしながら、アランは静かに自室へと戻ろうとするセレナの背中を見つめ続けた。
◆
アルカドラ魔術学院。
オルフェリア帝国にある唯一魔術という未知の知識を学べる、由緒正しき学院である。
学院は初等部から始まり中等部・高等部の三つに分かれ、総生徒数は三千にも至る。
校舎は百年以上も昔、当時の皇帝が建設中だった大聖堂を魔術文明発展のために、そのまま講堂へと改築し、今や皇帝城と共に帝都の象徴となっていた。
そして学院の制服は帝国騎士の騎士服を見立てて藍色が基盤となっており、腰には帯剣が義務付けられている。そのおかげで帝国騎士の正装を身に付けるアランは極力目立たない。
……と、思ったんだけどなぁ。
「ほら、見て。あの人」
「わわわっ、本物の帝国騎士よ!   どこの騎士団所属なのかしら……」
「さすが帝国騎士。佇んでいるだけで凄まじい存在感だぜ……!」
「つーか魔力波動が半端ねぇ……っ」
「武勇伝とか聞かせてくれないかな……」
「あぁ、きっとすげぇ話が色々と聞けるに違い無いぜ……っ!」
「私の魔術、見てくれないかな……」
「キャー!   イケメンよ!   イケメン騎士様よ!」
「どうしましょう、思い切って話に行っちゃおうかな……っ」
「ズルいですわ!   それなら私が……っ」
「ダメよ!   あの方は私のような可憐な美少女が好みなはずですから!」
「「何を勝手にッ!!」」
前後左右、あらゆる方角からアランに向けて羨望の眼差しが向けられていた。それはもう、神仏でも眺めるかのような目で、恥ずかしくて一目散に逃げたくなる。
「帝国騎士って、そんなに珍しいもんでもないだろ……?」
「ところがそうでもないのよ」
アランの疑問に前を歩くセレナが答えた。
「大抵の帝国騎士はここから排出されるわ。けれども学院に思い入れのある卒業生はいない。それだけここの授業内容がハードだから、ここに来て思い返したくないのでしょう」
「そ、そんなもんなのか……」
「そんなものよ」
そうやって話を切ると、セレナは無言で足を速める。アランも歩幅を広げて彼女の後ろを静かについて行った。
……それにしても。
すれ違う生徒達はアランを見ると、うっとりとした顔つきになるが、それと同時にセレナを見て様々な感情を孕んだ視線を向けていた。特に多いのが……嘲りと嫉妬。
おそらくそれがあるから、セレナはアランの同行を拒んだのだろう。同じ学び舎に通う生徒達に向けられる視線というものは、いとも容易く心を病ませてしまう。
いかに彼女が現皇帝の娘で、舐めまわされるような視線を幾度と味わった事があるとはいえ、規模と種類がてんで違う。
真意を隠した視線と隠さない視線は、後者の方がより現実的に心を痛めつけるのだ。
「哀れだよなぁ……」
言いたい事があるならはっきり言えばいいのに、と最も単純明快なことを口ずさみながら、後頭部で腕を組みながらつまらなさそうに歩くアラン。
それはともかくして、今は今後の事を考えるべきだろう。
さすがに護衛とはいえ、講堂へと入るわけにはいかない。入ればアランへと生徒達の視線が向き、授業進行の妨げになるだろう。
ならば外で待機するしかない。あいにく学院内には食堂と小さなカフェテリアが隣接しており、身を(生徒達から)隠しながら休憩を取るには絶好の場所だ。
だが、不幸な事に手持ち資金はすでに底を尽きている。カフェテリアで紅茶の一杯すら飲めないのだ。
はぁ、とため息を漏らして空を見上げていると、
ーークイクイ。
「……ん?」
誰かにコートの後ろ袖を引っ張られる感覚を感じた。セレナは前にいるから、おそらくアランに興味を抱いた生徒の誰かが声をかけに来たのだろう。
……面倒いなぁ。
一人が来ると流れに乗って何十人も来るに違いない。
再び言うがアランは帝国騎士ではなく、ただの一般市民だ。「帝国騎士は云々」と質問が来たところで、曖昧な答えしか返せる自信がない。
無論、それだけでも彼らは喜ぶだろうが、多かれ少なかれ「本当にこいつは帝国騎士なのか?」という疑問を持つことだろう。
無駄な衝突は避けたい。そんなアランの気持ちとは裏腹に、背後に立つ生徒は後ろ袖を引く。
……ここは仕方がない。適当に話してすぐさま退散するとしよう。
そう意を決して後ろへと振り向くと、
「……おはよ。アルにぃ」
そこには天使がいた……じゃない!!
「ユリアぁ!?   おまっ、どうしてここに……っ!!」
驚愕のあまり大声で叫ぶ。
銀糸のような美しい髪に滾る血のような双眸。身長はセレナよりも五センチほど低めで、その姿はまるで精巧に作られた人形のよう。藍色のスカートと黒のソックスの間にある艶かしい白い太腿は魅惑的で、思わず情欲を唆られる。
「どうして、って……私、ここの生徒だよ?」
眠たげに目を細めながら、ユリアは答える。
「アルにぃこそ、どうしてこんなとこにいるの?」
「いや、まあ、色々とあってだな……」
「……?」
何を言っているのか分からない風にユリアは首をかしげる。その仕草がいちいち可愛い。
「まあ、いいや……とりあえず、久しぶりだね……アルにぃ」
そう言ってユリアはアランの腕の中へと入る。抱きしめて欲しいのだと本能的に理解できた。
「あ、ああ……ただいま、ユリア」
学院のど真ん中で、恋愛小説のワンシーンを繰り広げる二人。そういったものに耐性がないのか、多くの生徒が顔を真っ赤にしている。
だが残念な事に、ユリアは恋人ではない。
親愛なる義妹だ。
ーーそんな帝都とは打って変わって。
「すんげぇ頭痛ぇ……」
脳内へと直接響くような喧騒に、眉間にしわを寄せながらアランは屋敷の階段を下りる。
精神共有魔術を利用した連絡用の魔道具、通称「魔接機」の副作用によって、リカルドの泥酔感を共有してしまったアランは目覚めと共に頭痛にうなされていた。
階段を一段下りるたびに、頭を思い切り殴られたかのような痛みが走る。いつもなら気にもしないたったの十数段が地獄に感じた。
……と、とりあえず顔を洗おう……。
挫けそうになりながらも一階へと下りたアランは、微睡む意識に鞭を打ちながら洗面場へと足を向ける。
時刻は朝の六時を少し過ぎたくらいだろうか。そう考えると商業区の騒ぎは朝市だろう。やはり帝都は村とは違って朝から活気に満ち溢れている。
「まったく……これだから人の多い場所は嫌いなんだ……」
はぁ、と呆れることすら面倒くさいようなため息を漏らしながら、ほんの数歩先の洗面場に死んだ魚のような目をやる。
頭痛のせいで視覚以外の他の感覚神経は、ほとんどろくに働いていない。
ーーきっと、この事件はその所為だろう。
金メッキのドアノブを掴み、ドアを開けると……
「……?」
ドアの隙間からほんのりと湯気が這い出てくる。そうか、きっとこれはあれに違いない。
……ラッキースケベとか言うやつか。
ユーフォリアが言うには、ここには使用人が彼女を含めて四人いるという。顔も名前も知らないが、主人が女性なのだから使用人も女性に違いない。
アランだって一応は男なのだ。性に興味がないわけがない。むしろつい先日まで魅惑的な女性に会う機会すら滅多になかった生活をしていた所為か、性欲は無尽蔵にあるというべきだろう。
というわけで。
……さあ、ご開帳!
などと期待と想像に胸を膨らませ、今日一番の笑みを浮かべながらドアを開ける。そしてそこには、
「……む?   新入りですかな?」
還暦を迎えていそうな白髪の老人が、ムッキムキの肉体でポージングをしていた。しかも全裸で。
「……」
キィ……バタン。
「ああ、そうさ。分かっていたさ……」
そんな都合の良いものを神様が与えるわけがない。そしてなにより、このドアの向こうが女性だというならば、もう少し用心深いはずだ。
こうして後になってから、アランは論理的に解釈する。そして瞼の裏に映るのはーーあの爺さんのほどよく焼けた筋肉質な肢体。
所々に付いた戦いでの古傷は、彼の強さを証明するかのよう。戦いの神がいるとするならば、きっとそれは彼のような面影を持つに違いない。
「は、ははは……」
だが違う。アランが求めていたのは風呂上がりで肌が上気して色っぽい美少女が、顔を真っ赤にして慌てふためく画だ。これでは想像と全く相似していないではないか。
あまりのショックに、壁にもたれかかって俯いた。そして、
「あがぁあああああああッ!?」
腐ったものを見てしまったと、アランは目を押さえて絶叫を上げながら、廊下でのたうち回るのであった。
◆
「いや、失敬。貴方がリカルド帝国騎士殿の仰っていたアラン=フロラスト殿でありましたか」
はっはっは、とオールバックの白髪の老人は執事服を身に纏い、朝食を運びながら楽しそうに言った。
「私はヴィダン。ヴィダン=ゴドレットと申します。セレナお嬢様の執事統括を任させれている者です」
「なるほど。よろしく、ヴィダン」
朝から衝撃的な物を見てしまった所為か、おかげで頭痛は無くなった。そういうわけで今朝のあれは無かった事にしておこう。というかしておきたい。
今朝の朝食は皮をカリカリに焼いたグリルチキンにトマト、レタス、生ハムに粉チーズの振りかかったサラダ。彩り豊かな野菜のコンソメに昨朝と同じく焼きたてのパンといったものだった。
いただきます、というセレナの合図とともにアラン達は食事を始めた。
パンの上にグリルチキンとレタスを挟んで食べると、チキンの肉汁が溢れ出てパンに染み込み、それを青臭くないレタスが爽やかに調整しているようだった。
「……そういえば、今日は学院に行くんだろう?」
唐突に会話を始める。
「ええ。さすがに二日も学院を休むと勉学に支障をきたすから」
「そういうわけなのでアランさん。今日もよろしくお願いしますね?」
そう言ってユーフォリアはテーブルの端から鈍く光る何かをアランに見せつける。これはお願いではない命令だ、と言わんばかりに。
……ま、そういう事だと思ってたけどさ。
溢れそうになったため息をスープで押しもどす。
まあ何にせよユーフォリアの言う通り、付いて行く方がベストだと言えるだろう。
昨日の暗殺はかなり計画的に考えられたものだ。つまり相手にとってセレナの命は必ず奪わなければならない物という事になる。
リカルドがセレナの周囲に警戒網を張るといっても、人数的にそれほど多くない第一騎士団の主力を全員使うわけにもいかないし、ましてや騎士団の過半数は常に国境付近に滞在している。帝都に戻るには最低でも三日は必要だ。
その分アランは雇われているだけあって、常に近くにいられるし、なにより帝国騎士の正装を身に纏うだけで彼らに威圧を送ることが出来る。
だがそれには一つだけ突破条件があった。
「でも俺は学院にとって部外者だ。学院長に許可は取ってあるのか?」
そう、学院の警備はかなり堅固だ。もしかしたら本当に「蟻一匹入れない」とでも例えられそうなほどに。
だがアランの質問に対して、ヴィダンが愉快そうに笑って答えた。
「そこのところは抜かりありません。先日、私が学院長の元へと赴き、『セレナお嬢様の剣術指南役を護衛として同行させたい』とお伝えしておきましたゆえ」
「……ちょっと待て。今『先日』って言ったよな?   てことは俺がこの仕事を引き受けなかったから、どうするつもりだったんだ……?」
「……(ニコリ)」
……どうしよう。唐突にこの執事が怖くなってきた。というかクソ親父がやけに必死だった理由が、なんとなく分かってきた気がする。
「ご馳走様……」
するとセレナが徐に立ち上がった。
「お嬢様、まだ朝食が残っていますが……?」
そう、セレナの前の食卓にはグリルチキンもサラダも残っている。スープは手さえつけられていない。これは昨朝の朝食をペロリと食べたセレナとはどうも様子が違う。
「ごめん、リア。今日はなんだか食欲がないの」
「ですがしっかり食べないと、学業に専念できませんよ?」
ユーフォリアは母親のようにセレナの心配をする。だがセレナは俯いたまま、何も言わなかった。
……ま、無理もないか。
つい昨日まで普通に暮らしていた皇女様が初めて他者から殺されそうになったのだ。思い詰めるのも、ショックで食欲が無くなるのもよく分かる。
謂れ無い殺意を、皇帝本人ではなく自分に向けられた事への恐怖と苛立ちが相まって、彼女の脳内は何もかもがこんがらがって、グチャグチャになっている事だろう。
けど、決して同情はしない。理解をしてあげようとも思わない。
無闇に近づく事が、必ずしも彼女の心を癒し、救う事には繋がらない。
自分の全てを駆使して彼女を知り、真実を知ったところで、彼女の心を踏みにじる行為となんら変わりはない。
そんな冷めた目をしながら、アランは静かに自室へと戻ろうとするセレナの背中を見つめ続けた。
◆
アルカドラ魔術学院。
オルフェリア帝国にある唯一魔術という未知の知識を学べる、由緒正しき学院である。
学院は初等部から始まり中等部・高等部の三つに分かれ、総生徒数は三千にも至る。
校舎は百年以上も昔、当時の皇帝が建設中だった大聖堂を魔術文明発展のために、そのまま講堂へと改築し、今や皇帝城と共に帝都の象徴となっていた。
そして学院の制服は帝国騎士の騎士服を見立てて藍色が基盤となっており、腰には帯剣が義務付けられている。そのおかげで帝国騎士の正装を身に付けるアランは極力目立たない。
……と、思ったんだけどなぁ。
「ほら、見て。あの人」
「わわわっ、本物の帝国騎士よ!   どこの騎士団所属なのかしら……」
「さすが帝国騎士。佇んでいるだけで凄まじい存在感だぜ……!」
「つーか魔力波動が半端ねぇ……っ」
「武勇伝とか聞かせてくれないかな……」
「あぁ、きっとすげぇ話が色々と聞けるに違い無いぜ……っ!」
「私の魔術、見てくれないかな……」
「キャー!   イケメンよ!   イケメン騎士様よ!」
「どうしましょう、思い切って話に行っちゃおうかな……っ」
「ズルいですわ!   それなら私が……っ」
「ダメよ!   あの方は私のような可憐な美少女が好みなはずですから!」
「「何を勝手にッ!!」」
前後左右、あらゆる方角からアランに向けて羨望の眼差しが向けられていた。それはもう、神仏でも眺めるかのような目で、恥ずかしくて一目散に逃げたくなる。
「帝国騎士って、そんなに珍しいもんでもないだろ……?」
「ところがそうでもないのよ」
アランの疑問に前を歩くセレナが答えた。
「大抵の帝国騎士はここから排出されるわ。けれども学院に思い入れのある卒業生はいない。それだけここの授業内容がハードだから、ここに来て思い返したくないのでしょう」
「そ、そんなもんなのか……」
「そんなものよ」
そうやって話を切ると、セレナは無言で足を速める。アランも歩幅を広げて彼女の後ろを静かについて行った。
……それにしても。
すれ違う生徒達はアランを見ると、うっとりとした顔つきになるが、それと同時にセレナを見て様々な感情を孕んだ視線を向けていた。特に多いのが……嘲りと嫉妬。
おそらくそれがあるから、セレナはアランの同行を拒んだのだろう。同じ学び舎に通う生徒達に向けられる視線というものは、いとも容易く心を病ませてしまう。
いかに彼女が現皇帝の娘で、舐めまわされるような視線を幾度と味わった事があるとはいえ、規模と種類がてんで違う。
真意を隠した視線と隠さない視線は、後者の方がより現実的に心を痛めつけるのだ。
「哀れだよなぁ……」
言いたい事があるならはっきり言えばいいのに、と最も単純明快なことを口ずさみながら、後頭部で腕を組みながらつまらなさそうに歩くアラン。
それはともかくして、今は今後の事を考えるべきだろう。
さすがに護衛とはいえ、講堂へと入るわけにはいかない。入ればアランへと生徒達の視線が向き、授業進行の妨げになるだろう。
ならば外で待機するしかない。あいにく学院内には食堂と小さなカフェテリアが隣接しており、身を(生徒達から)隠しながら休憩を取るには絶好の場所だ。
だが、不幸な事に手持ち資金はすでに底を尽きている。カフェテリアで紅茶の一杯すら飲めないのだ。
はぁ、とため息を漏らして空を見上げていると、
ーークイクイ。
「……ん?」
誰かにコートの後ろ袖を引っ張られる感覚を感じた。セレナは前にいるから、おそらくアランに興味を抱いた生徒の誰かが声をかけに来たのだろう。
……面倒いなぁ。
一人が来ると流れに乗って何十人も来るに違いない。
再び言うがアランは帝国騎士ではなく、ただの一般市民だ。「帝国騎士は云々」と質問が来たところで、曖昧な答えしか返せる自信がない。
無論、それだけでも彼らは喜ぶだろうが、多かれ少なかれ「本当にこいつは帝国騎士なのか?」という疑問を持つことだろう。
無駄な衝突は避けたい。そんなアランの気持ちとは裏腹に、背後に立つ生徒は後ろ袖を引く。
……ここは仕方がない。適当に話してすぐさま退散するとしよう。
そう意を決して後ろへと振り向くと、
「……おはよ。アルにぃ」
そこには天使がいた……じゃない!!
「ユリアぁ!?   おまっ、どうしてここに……っ!!」
驚愕のあまり大声で叫ぶ。
銀糸のような美しい髪に滾る血のような双眸。身長はセレナよりも五センチほど低めで、その姿はまるで精巧に作られた人形のよう。藍色のスカートと黒のソックスの間にある艶かしい白い太腿は魅惑的で、思わず情欲を唆られる。
「どうして、って……私、ここの生徒だよ?」
眠たげに目を細めながら、ユリアは答える。
「アルにぃこそ、どうしてこんなとこにいるの?」
「いや、まあ、色々とあってだな……」
「……?」
何を言っているのか分からない風にユリアは首をかしげる。その仕草がいちいち可愛い。
「まあ、いいや……とりあえず、久しぶりだね……アルにぃ」
そう言ってユリアはアランの腕の中へと入る。抱きしめて欲しいのだと本能的に理解できた。
「あ、ああ……ただいま、ユリア」
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