僕は彼女で、彼女は僕で。

水山 祐輔

僕は彼女で、彼女は僕で。

   高校に入って一年が経った。
   慌ただしく過ぎていく日々の中で僕、鶴崎 優希には生まれて初めての好きな人ができた。


   所謂、初恋というやつだと思う。


   相手の名前は潤崎 結月さん。しかし、同じ高校という訳ではない。おそらく同じ街には住んでるんだろうけど。
   会うのは決まって夕暮れの公園。初めて会った時は、彼女の方から話しかけてくれた。
   理由は至って単純。ただ単に髪の色が同じだったのだ。僕は生まれつき母親の影響で髪が黄色かった。彼女も僕と同じ。すらっと伸びた金色の髪が綺麗に輝いていたのを今でも覚えている。


   そうして話していくと僕らはとにかく気があった。好きな食べ物、嫌いな食べ物、趣味や特技まで完璧に同じだった。
   恥ずかしくて言葉にはできなかったけど、運命だと思った。
   そして何より、その優しい性格とまっすぐな目が好きだった。
   一緒に過ごした時間が僕の気持ちを固めてくれた。交わした会話が僕に『初めて』を与えてくれた。
   毎日のその時間だけが、僕の生き甲斐だった。


   今日も学校から帰り、荷物を投げ捨てるように家の中にいれ、いつもの公園へと向かった。
   できる限り早く来たつもりだったのに、そこにはもう彼女はいた。
   

「あ、今日も来てくれたんだ。うれしい…っ」


   そう言ってにっこり微笑んだ。艶やかな金髪が夕陽を浴びて、紅く染まっていた。


「こんにちは、結月さん」


「こんにちは、優希くん」


   こうして今日も、ふたりきりの時間が始まった。


   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


   気づけばすっかり日も暮れて、辺りを照らすのは月と冷たい色の蛍光灯のみとなってしまった。


「何だかすっかり暗くなっちゃいましたね」


「そうですね。そろそろ帰ろうか」


   今日一日あった事を一通り話した僕は立ち上がってゆっくりと出口の方へと向かっていく。
   結月さんは僕のその手を取った。
   僕はは驚いたように結月さんの方へと振り返った。


「今日はどうしても伝えたい…いいえ、伝えなきゃいけない事がひとつ、あるんだけど…」


「へ?」


   少し驚いたけど、僕が一度こくりと頷くと、結月さんはゆっくりと、後ろめたそうに語り始めた。


「どこから話せばいいか…よくわからないんだけど」


   結月さんの緊迫した様子に、思わず僕も息を呑む。
   その手は震えていた。その膝は笑っていた。その声は揺れていた。
   顔には大粒の汗玉が浮かび、目の奥には光るものが見えた。
   そうして必死に、彼女は言葉を絞り出した。


「私ね…私は実は、アナタなの!」


   何を言っているのか、分からなかった。
   そんな顔をしていると悲しそうに結月さんが続けた。


「私は普通の人間じゃないの。特定の父母から生まれたんじゃない。アナタの細胞をベースとして作られたクローン人間なの」


   あまりに急な話についていけないでいると、それを察してか、結月さんは肩を落とした。


「ごめんね…いきなりこんな事言われても気味悪いだけだよね…でも、これでいいの。こうしなきゃいけないの…」


「…なん、で?」


「だから、これでお別れ。今日までずっと楽しかった。アナタと話せて嬉しかった。アナタと会えてよかった。本当にありがとう。それから、さようなら」


   彼女はそのまま、僕に背を向けてゆっくりと歩みを進めていった。


「待ってよ…!」


   僕は無意識のうちにその手を掴んでいた。
   振り返った結月さんの目には大粒の涙が浮かんでいた。


   僕は彼女の言うことが本当なのかは分からなかった。
   僕はクローンを作る技術が存在しているのかも分からなかった。
   何も分からない暗闇の中で、僕が信じられたのは、彼女のその涙と自分の正直な気持ちだけだった。


「正直、驚いたよ。初めは何を言ってるか分からなかった」


   その言葉を聞く度に、その目からは涙が溢れそうになっていた。


「でも…君がそう言うなら、僕は信じるよ」


「へ…?」


   彼女のその感情が、一瞬止まった気がした。


「僕は…君の事が好きなんだ、そんな事が本当かはどうでもいいくらい」


   僕の告白は、彼女のに比べると在り来りで、驚きはないかもしれない。けれど、これが僕の伝えたい思いで、何一つ疑いようのない確かなモノだった。
   彼女の頬を熱い感情が伝う。


「私は…人間じゃないのよ?」


「でも、生きてるじゃないか」


   君の呼吸が聞こえるから。


「全部全部、作り物なのよ!?」


「でも、感情があるじゃないか」


   君の涙が見えるから。


「何より…私はアナタの一部、アナタの細胞から作られたのよ!?」


「いいや」


   そこで初めて、僕は彼女の言葉を否定した。


「君は君だよ」


「…!!」


「誰のクローンとか、作り物だとか、そうじゃないよ。君は潤崎 結月さん。僕が大好きな一人の女の子なんだよ」


   僕の言葉に比例して、彼女の目からは大粒の涙がどんどん溢れていた。
   涙にぐしゃぐしゃにした顔を気にもかけずに、はち切れそうなその感情を僕にぶつけた。
   瞬間、僕と結月さんの唇が重なり、熱い熱をお互いに分け合う。彼女の唇は柔らかくて、暖かくて、そのまま溶けてしまいそうだった。


   月明かりの下で交わした初めてのキスは、温かい「生命いのち」を感じた。


   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


   それから数分後、二人とも落ち着いた感情を持ってして、夜中のベンチに腰掛けていた。


「ねぇ、優希くん」


「何?結月さん」


「明日、ヒマ?」


「ヒマ…かな」


   本当はヒマじゃない。何せ明日も平日だ。
   それでも、彼女が言うなら学校だろうが、家族旅行だろうが、全部蹴って予定を失くすと思う。それほどまでに愛していた。


「じゃあ、デート…しよっか?」


   照れくさそうに笑う彼女の言葉に迷うことなく頷いて、僕の初デートが決まった。
   集合場所なんて、お互いに聞かなくても分かっていた。




*************




「ごめんなさい、少し遅れました!」


   早く来ようとは思っていたのだが、なかなか寝つけずにむしろ遅れてしまった。
   それでも結月さんはにっこり笑って許してくれた。


「じゃあ行こ?」


「うん!」


   そこから、二人肩を並べて歩き始めた。


   デートと言っても、お金のない彼女とではせいぜい別の公園に行くくらいだった。
   とはいえ、街の中のちっぽけな児童公園とは違い、市立の公園には、色とりどりの花の咲く花壇があったり、家族でバーベキューをするような場所だったりがよく晴れた青空の下に広がっていた。
   平日の今日はそこまで人はいないが、土日はそれなりに人で賑わうものだ。
   そんな中を、僕たちはどこに向かうでもなくぶらぶらと歩いていた。絶え間ない会話を交わしながら。


「昨日の話なんだけどさ…」


「うん」


「ちゃんと聞いてくれて、理解しようとしてくれて、ありがとう」


「いや、そんな…」


「信じてもらえるとは思ってなかったし、それでもいいと思ってた」


「どういうこと?」


「ふふっ…内緒」


「…?」


   意味はわからなかったが、結月さんは何だか楽しそうだった。
   追求しても仕方なさそうなので、僕は話を変えた。


「昨日は結局詳しく聞けなかったけど、僕のクローンってどういう事なの?」


「…!」


   結月さんはその言葉に少し驚いたように肩を竦めた。


「別に話したくないならいいんだけど…」


「いや、いい。ちゃんと、話す」


   自らを納得させるように頷きながら、僕の言葉に答えた。


「元々ね、私は実験体だったの。とある施設の中で作られた内の一体」


   切なそうな表情は見紛うことなき人間のそれだった。そんな彼女が大好きなのだと、改めて思った。


「それにしても何で、僕なんだろう?」


「多分、理由なんてないんだと思うよ」


   その答えは意外なものだった。


「詳しい話は聞いたことないけど、たまたま、アナタのDNAが手に入ったから。その程度の事だと思う」


   その顔は落ち込んでいるのかと思ったら、晴れやかな表情をしていた。


「でもその『たまたま』が、今こうしてアナタと結んでくれている気がして、私は嬉しいの」


   まったく同じだ。


「これが『運命』だって…そう思えたから」


   同じことが当たり前なのか、それとも奇跡なのか。目の前の『僕』は紛れもなく僕が愛した一人の女の子なのだから。


   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「ふう…なんか初めて色んなところに行ったけどやっぱりここが落ち着くよね」


   いつもの公園に戻ってくる頃にはすっかり日も暮れていた。
   蛍光灯の下、ベンチに腰掛けていた僕は適度な疲労と充実感にぼんやりと空を眺めながら、そう呟いた。
   すると、隣の結月さんがぺたりと僕に身体を預けてきた。
   

「結月…さん?」


   最初はただ甘えてるんだと思った。思い続けていたかもしれない、その身体が異常な熱を発していなかったなら。


「ごめん…ね。私、もうひとつ…アナタに隠してることがあったの」


「そんな事よりすごい熱!早く病院に…!」


   慌てて立ち上がろうとする僕の裾を結月さんが掴んだ。その手はひどく重くて、僕はそれに抗うことができなかった。


「聞いて…お願い。最後だから」


「最後ってそんな…」


「いいえ、これが最後。本当に最後なの」


   まるで逃げるように、その弱々しい声は僕の耳を抜けていく。
   さっきまで元気だった少女は、さっきまで笑っていた少女は、さっきまで普通に生きていた少女は、今はもう立ち上がる事さえない。
   彼女の言葉が現実味を帯びてきた現状が僕にはどうしても受け入れられなかった。


「私ね…今日死ぬの」


「嘘だ…」


「本当…だよ。私は完全な人間じゃない。育つのも早ければ、死んでいくのも早い。歪な形の、歪な存在」


「嘘だ…嘘だよ」


「嘘だよって…冗談だよって言えたらどんなによかったか。こんな風に思う日がくるなんて思ってもみなかった」


   我慢できなくなって、彼女の身体を抱きしめる。さっきまで燃え盛る炎の如く熱かったその身体はすでに冷え始めていた。


「はは、アナタを悲しませるくらいなら生まれなきゃよかったかな…」


「そんな事ない!そんな事ないよ…」


   その熱が逃げていくような感覚が怖くて、何とか逃がさないように、強く、深く抱きしめるが、皮肉にもその熱は僕の静止をスルスルと抜けていった。


「私はアナタが憎いよ」


   涙が止まらないでいる僕の耳元で、結月さんはぼそぼそと言葉をつむぎ続けた。


「アナタさえ、私の前に現れなかったら、こんなに胸は痛まなかったのに。
アナタさえ、私に優しくしてくれなかったら、こんなに生きたいと思わなかったのに。
アナタさえ、昨日のあの時に変なヤツだって…バカ言うなって突き放してくれたら、簡単に諦められたのに」


   次第に強くなっていくその言葉は僕の心をぼろぼろと崩していく。
   指先も、足先も、もう感覚はない。あるのは、彼女に触れている部分だけ。どんどん冷えていくその温度だけが、僕を支配していた。


「私はもうこれ以上生きられないの!ここで終わりなの!!アナタと話すのも、アナタと触れ合うのも、アナタとここで会うのも!もう私には出来ないの!!」


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」


   お互い、子供みたいに駄々をこねながら大声に大声を被せる。


「それでも、さ…」


   それでも彼女は最後の力を振り絞って、僕と顔を突き合わせて目を閉じた。
   それはまるで今の自分を鏡で見ているようだった。


「アナタがいなかったら私の人生は、このほんの少しの人生キャンパスは真っ白のままだった」


   すぐそこに彼女の吐息が聞こえる。僕の嗚咽が聞こえる。鬱陶しいほど熱い涙が頬を伝っている。


「ありがとう…優希くん。私の人生に色をくれて」


   もはやその声には力はなかった。掠れて消えてしまいそうな声を逃さないように必死に耳を澄ます。


「ねぇ、最後に…」


   そう言って、倒れ込むように彼女は僕の唇を奪った。冷たいその唇はまだ意志を持って動いていた。


「さよう…な……」


「結月さん?」


   それっきり、彼女は動かなくなってしまった。


「結月さん!結月さん!!返事してよ!目を覚ましてよ!いなくなっちゃ嫌だ!死んじゃ嫌だ!!」


   何と声をかけても、彼女の瞳が再び開くことはなかったし、彼女の口が再び言葉を紡ぐこともなかった。


   その瞬間、僕は彼女を失った。


   声にならない悲鳴が全身を蝕み、内部から破裂しそうな程に膨れ上がった。抜け道のない悲しみが僕を呑み込み、目の前を真っ黒に染めた。


   僕の手の中で冷たくなっていた彼女はどこか満足そうな表情をしていた。そんな事、目の前を塞がれた僕には知る由もなく。


   こうして、僕の最初で最後の恋は幕を閉じた。
   僕が惚れたもう一人の『僕』は最後まで僕を愛してくれていた。こんな境遇でなければ、普通に出会って、普通に恋をして、また普通にデートして。
   運命も、過去も、偶然も、世界のルールも、全部を無視して、また君に会えるように。
   そんな願いを込めて、僕は光へと飛び込むのだった。

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