君の瞳の中で~We still live~

ザクロ・ラスト・オデン

 目が、覚めた。わけもわからない涙が流れ、夢の中身も、今までの記憶も、何も思い出せない。
……ここは、どこだ……?


「目が覚めたか、和仁。今日は朝食をいっしょに食べよう」


 白衣を羽織った男性が、笑顔で俺を見つめる。確か、この人は……
 そうか、俺は家族がいなくて、この人に引き取ってもらったんだ。この人の名前は、大参孝人。なんでこんな当たり前のことを忘れていたんだろう。


「さて、今日は食パンを焼いて、スクランブルエッグを作ってみたんだ。口に合うといいんだけど」


 机につき、出された、温かい朝食。なんだか、俺はしばらく、これを摂っていないような感覚を感じた。
 ゆっくりと、口に運び、噛み締める。どこか、違和感がある。それでも、その確かな身近の幸せに、涙をこぼさずにはいられなかった。


「えっ! 和仁、泣くような何かがあったかな? 酸っぱかった!?」
「いいえ、美味しいです。なんだか、今まで食べてなかったような気がして」
「あぁ、そういえばそうだなぁ。俺も最近、仕事が忙しくて、朝食作ってやれなかったもんな」


 そう……だったのだろうか。どこか納得し、朝食を食べ終える。温かく、心のこもった朝食を、本当に久しぶりに食べた気がした。


「さて、夏休みもそろそろ終わりだな。今日は21日! 先生として忠告しておくが、受験生なんだからな、宿題はしっかり、答えを見ずに、だ!」


 そんなに時間が経っていたのだろうか。そもそも、昨日が思い出せない。昨日俺は、何をしていたのだろう。その疑問を聞くまでもなく、孝人さんは仕事に出かけていった。夏休みでも、高校の先生には仕事があるらしく、3年生の理科の補修担当のため、行かなければならないそうだ。
 俺は、補修を受けるまでもないらしく、成績がいいと、孝人さんは太鼓判を押す。だからずっと家で勉強していたらいいと、孝人さんはいうのだ。


……そうだ、それが、昨日までずっと続いてきた日々。だんだんと思い出してきた。記憶を無くしたのではない、最初から記憶に残ることがなかったのだ。
 今日も俺は、冷房の効いた最適な空間で、勉強をする。窓なんてなくても、テレビなんてなくても、外の世界なんて何一つ知らなくてもいい。俺はこの空間で勉強をし続けるだけでいい。勉強以外、する必要もない。
そう……だよな……?




 目が、覚めた。わけもわからない涙が流れ、夢の中身も、今までの記憶も、何も思い出せない。
……ここは、どこだ……?


「目が覚めたか、和仁。今日は朝食をいっしょに食べよう」


 白衣を羽織った男性が、笑顔で俺を見つめる。確か、この人は……
 そうか、俺は家族がいなくて、この人に引き取ってもらったんだ。この人の名前は、大参孝人。なんでこんな当たり前のことを忘れていたんだろう。


「さて、今日は食パンを焼いて、スクランブルエッグを作ってみたんだ。口に合うといいんだけど」


 机につき、出された、温かい朝食。なんだか、俺はしばらく、これを摂っていないような感覚を感じた。


「夏休みもそろそろ終わりだな。今日は22日! 先生として忠告しておくが、受験生なんだからな、宿題はしっかり、答えを見ずに、だ!」


 孝人さんのほうを見ると、さっきまであったはずの朝食はなかった。俺はまだ食べているというのに、こんな早さで食べられるものなのだろうか。
 そして、孝人さんは家を出ていく。それに俺は、疑問を覚えない。だが、どこか違和感を感じる。昨日と違う何かはあるのか?
 蝉の声は聞こえない。日は常に登っている。その日が沈むことはない。




 目が、覚めた。わけもわからない涙が流れ、夢の中身も、今までの記憶も、何も思い出せない。
……ここは、どこだ……?


「目が覚めたか、和仁。今日は俺は仕事だから、朝食は置いていくぞ。今日は23日、学校が始まる日は近いから、ちゃんと勉強しておくんだぞ」


 何を理解する間もなく、その男性は出ていった。起き上がり、しばらくして、やっと状況を理解する。 あの人は、俺を育ててくれている、大参孝人さんだ。俺は、勉強をすればいいんだ。だから家から出る必要はない。蝉の声は聞こえない、日は高く、沈むことはない。冷房の機械的な音だけが、部屋の中に響く。
……快適、そのものだよな?




 目が、覚めた。わけもわからない涙が流れ、夢の中身も、今までの記憶も、何も思い出せない。
……ここは、どこだ……?
 窓もないのに、部屋は明るい。日が高く登っていることが分かる。家の中に人はいない、最初から誰もいなかっただろうか。蝉の声も聞こえない、季節は今、いつだろうか。
 どうして、何も覚えていないというのに、蝉と、太陽が思い浮かぶ。どうして、窓もテレビもないというのに、そこだけはわかる。
 この家に一緒に住んでいたはずの人が思い出せない。色のない日々の繰り返しで、いつが昨日で、いつが明日かわからない。俺は閉じ込められている。家じゃない、この世界そのものに。
 どうしたら、こんな密室が作り出せる。部屋も、心も、記憶も、全て鍵をかけられるような密室が。




 目が、覚めた。わけもわからない涙が流れ、夢の中身も、今までの記憶も、何も思い出せない。
……ここは、どこだ……?
 考えるな、最悪の世界を考えるな。眠れ、眠るんだ、眠れば幸福な日々が待っている。夢の中にいよう。ずっとずっと、この日々を続けよう。そうだ、これが俺の理想郷だ。戦わない、苦しみもなく生きれる世界は、ここしかないのだ。




 目が、覚めた。わけもわからない涙が流れ、夢の中身も、今までの記憶も、何も思い出せない。
……ここは、どこだ……?
「もうやめよう」
 ゆっくりと起き上がり、手を顔に押さえつけ、泣きじゃくる。自分を偽り続けて、ここまで来た。でも、もうやめないか。
 ここはただ、理想を描いた夢の中だということ。しかしその理想は、とても閉塞的だった。だって、どうあがいても、俺には生きる希望がない。外に出ないこと、孝人さんとの日々、それだけでいいんだ。そうすれば、俺が苦しまずに生きられる世界が作られる。
 なのに、この世界に孝人さんがいない。それは、もうわかってる。こんな幸せな夢は、いつまでも続かない。




 目が、覚めた。涙が流れる。理由なんてわかっている。生きるのが辛い、そして、一番大切な何かを忘れてしまっている、それが涙となって溢れ出る。その忘れた何かに謝るように。
 起き上がって気づく。部屋の奥に、あるはずもない、テレビがある。とても最新式とは言えない、15年以上前の、四角いアナログテレビ。
 リモコンは、自然と、手の届くところにあった。久しぶりに家で見るテレビに、指を震わせながらも、リモコンのボタンを押した。
 映し出されたのは、砂嵐だった。なんだか、期待はずれといったところだ。その砂嵐は見慣れている。常に頭の中に流れる砂嵐と、何ら変わり無い。
 チャンネルが間違っているのかと、様々なボタンを押して、テレビ本体も触ってみたが、砂嵐のままだ。
 やめよう、なにか情報を求めることが間違っている。そのテレビが、何を映し出すのか、わからないとしても。




 また、目が覚めた。もう、この日々を何度繰り返したかわからない。夏が終わったのかも、まだ夏なのかも、そもそも夏でないのかも、わからない。
 相変わらず、起き上がった目線の先に、アナログテレビがある。そして、手に届く場所に、リモコンがある。それをただ、つけるだけ。それが俺に加わった、新しい日課。
 ただ、テレビをつけた。たったそれだけ。だが、それはどこか期待していた映像を、流しだしていた。失った、閉じた記憶が、それを求めていたんだ。


「今日は8月28日です。志田高校で起こった痛ましい事故から、14年。そして、あの事件から2年。なぜ、あの事故、事件は防げなかったのか、その真相に迫ります」


 突然、そして、示し合わせたかのように始まった、謎のドキュメンタリー。しかし俺はそれを、食い入るように見つめていた。


「記憶に新しい二年前、志田高校屋上にて、殺人事件が起こりました。二年前、町を騒がせていた殺人鬼による殺人事件。それが、生徒が安心して学ぶはずの高校で起こってしまったのです」


 そして、そのナレーターは続ける。屋上の鍵さえ閉めていれば、このようなことにならなかったはずだと。


「そして、14年前、当時16歳の覚元日和さんが、屋上から転落しました。痛ましい事件や事故は、繰り返されているのです。そう、これもまた屋上なのです」


 覚元……日和?


「日和さんは、屋上の柵さえあれば、亡くなることはなかったのです」


 耳鳴りがひどく、頭が掻き回される。忘れてはいけない、本当の目的を、次第に思い出していく。
 その時、テレビの画面は真っ赤に染まり、機械的な音声が繰り返される。


「8月28……の犠牲者は……くん……さん……繰り返し……月……日、志田高校の……は……似非怜治くん……覚元日和さんの2人」


 その時、記憶が逆流するような感覚。そして、何億年という旅から一瞬で帰ってきたかのような、途方も無い時間が経ったかのような感覚。もう、何も歪まない。記憶は、完全に取り戻したのだ。それをずっと避けてきていながら、ずっと待ち望んでいた。あなたを忘れることなど、絶対にあってはいけない。


 14年前の8月28日、俺の最愛の姉、覚元日和は、屋上から転落死した。2年前、似非怜治とともに追いかけていたのは、死の真相だった。そして彼の死の際に書き残した手紙によって、真相を知った。その現場には、似非悠治、彼の従兄弟がいたことを。そして、二神様から教えてもらった。似非悠治には、死の左腕があることを。そして、従兄弟のために、似非怜治が戦ったことを。
 だから、2年前の8月28日、まるで示し合わせたかのように、似非怜治が殺された。昔をすべて知っていた、死神の手によって。
 そうだ、このドキュメンタリーが言うように、もし、屋上に柵があったなら、もし、屋上の鍵が閉まっていたなら、こんなことにはならなかった。その責任は、正直、俺が背負うものじゃない。
 それでも、姉の死は、もし俺がその時、もっと歳をとっていたなら、その場に居合わせることができたなら、防げたかもしれないと。また、似非の死に関しては、俺がもっと似非のことをわかってやれたなら、防げたかもしれない、そう思ってしまうのだ。
 もし、どこかの精神科の先生ならこう言うだろう「責任を感じすぎだ」と。それでも、その人に俺の心はわからない。どれほど、その悔しさに心を焼かれたのか、知るはずもないだろうから。


 涙は出なかった、ようやく思い出せた。その事実に、安堵していたのだ。
 生きることに苦しみしかない、わかっている。俺には、家族もいなければ、親友もいない。そして俺は、戦い続けなければならない。俺はそのために生きなくてはいけない。
 自分のために生きる意味なんてない。それでも構わない。


「誰かが、俺を必要としてくれている。俺に未来を託してくれている。それを思い出せたんだ」


 だから、もう自殺なんてする必要もない。さぁ、適温のこの環境から抜け出そう。この檻から抜けて「世界」を見るんだ。かつて俺が、掴んだその世界を。

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