君の瞳の中で~We still live~

ザクロ・ラスト・オデン

「なんでここに来たんだか……ってか、どうして来れるわけ?」


  空は濃紺、月は無く、星が輝き、水面に映る。幻想的で、非現実的な、唯一沈まない屋上で、その二人は相対する。


「ここにいたら、嫌でもわかるんじゃなかったかしら? 何よ、来たら悪かったわけ?」
「いや、別に、一人が多いんで、暇だし、いいんだけどさ。えぇっと、そういうあんたの名前って?」
「あら、全部理解できるわけじゃないのね。年齢的にも、君恵きみえでいいわ」


  そう言って、君恵は少しだけ口角を上げた。彼も少しだけ笑う。


「まぁ、理解はできるんだがよ。お前がいたら、全部万事解決じゃねぇの? 人が死ぬこともない、誰も苦しまない、それだって可能だろ? 第一、12年前の記録を見れば、お前の死は、世津さんがラプラスの瞳を手に入れなくたって変えられたはずだぜ?」


  すると君恵は、呆れたようにため息をついた。


「全く、なんにもわかってないのね。もはや世界の一部であるあなたなら、少しは理解できると思ったけど、無理ね」
「こっちがため息つきたいよ。お前が心象世界に入り込めるのが謎だし、世界そのものを正さないのも謎だし、そもそも、生きていることも謎だ。どれだけ記録を漁っても、お前のことはさっぱりだよ」


  君恵は「そうだったかしら?」と口を尖らせる。まるで、疑問なんてものは存在しないでしょう、と言いたげな顔だ。


「じゃあ、教えてあげるわ。私は「世界」私は「万物の始祖」すべての「創造者」にして、また「観測者」故に私は「抑止力」ではなく「案内人」そう「世界」があらかじめ予定した「世界」に向かわせるだけの「案内人」なの。今はね」
「ああああっ! もう! わけわからん! 俺がそんな難しいもん理解できるわけねぇだろ!」
「あーあ、呆れたけど、仕方ないのよね。でも、あなたは十分あなただし、いいんじゃないかしら」
「自己完結すんじゃねぇ! バカヤロー! 少しは俺に理解させろ!」


  すると、君恵は顔をぐっと近づけた。まるで、そのままキスをしてしまうかのような距離に。


「あっ……お前……」
「あなた、嘘が下手ね。嫌いじゃないわ、そういうの」


  そのまま、右目にそっとキスをする。そして、左目をゆっくりなでた。


「2年もいるんだ。理解するよ、それくらいはな。ただ、確認が欲しかったんだよ。俺の見るものはあくまで「記録」だ。それは「記憶」ではないし、実は、世界の欠片なんか使ったりしたら、違う内容になることもある。だから、本人から「確信の持てる事実」が欲しかったんだ」
「まぁ「不変」だものね。私の事実はどうなっても変わらないわ。そう、ならいいわ」


  君恵はすっと離れ、屋上から町を見る。そして、手を下へと伸ばし、水に手を触れた。


「和仁くんの世界は、とっても穏やかなのね。この水だって、生暖かいもの」
「そうだな「俺だって」最初はびっくりしたよ。次に目が覚めたらここなんだもの」
「でも、とっても悲しい世界なのね。だって、この水は、後悔の水だもの。まるで涙みたいにね」


  そっと、手についた水を舐める。塩辛かった。海のような、また涙のような、どこか切なく、悲しい味。


「確か「あいつ」が言ってたけど、何度か想像してたんだとよ。もし自分の姉が、屋上から落ちる際、水があったなら、無残な死体になることはなかっただろうってさ」
「水なら、引き上げれば生きているかもしれないものね。でも、溺死もひどいものよ。体がぐしゃぐしゃになって死ぬよりかは、いいかもしれないけどね」


  君恵は座り込み、空を見上げる。どれだけ時が流れようとも、この世界に朝は来ない。永遠に光はささない。彼の絶望の色こそ、空なのだから。その中に、星がきらめくのなら。それは守りたいもの、それは希望。
  悲しくも穏やかで、絶望と希望の、心の中。それが、覚元和仁の思い浮かべる心象世界。彼自身の世界。


「そういえば、彼はどこにいるの? ここにいるなら、必ずいると思ったんだけど。私は「覚元和仁が歩む未来」はわからないから、どうすべきか、相談でもしようと思ったのだけど」
「あぁ、あいつ? あいつならたぶん、世津さんによって閉じ込められた、和仁を眺めてるぜ。なんで助けねぇのって言ったら「まだ時じゃない」って言うんだぜ?」


  君恵はそれだけ聞くと、屋上から飛び降りた。先には水が待っていて、バシャンと音を立てて、体は水へ落ちていく。
  ただ、引力に従うのみ。暗い水底に自然とその足はたどり着く。
  光さえない水の中、赤と青に光る目が、確かにこちらを見つめている。


「未来の和仁くん、こんにちは。まだ時じゃないっていうけど、その時は来たかしら?」


  息をすることは普通にできる。喋ることだってできる。水の中であって、水の中でない。ここは、心の底なのだ。


「……来たね。閉じられた箱は、確かにここにある。だが、開けてしまえば、誰かの災厄が溢れ出す、パンドラの箱のようなものだよ、これは」


 黄金の透明な箱に入ったまま、ふわふわと浮かぶように眠る「現在の覚元和仁」それを見て、彼はどこか笑っているようだった。


「それもそうよね。だって、彼が目覚めれば「鳩にとっては絶望」だし「町の人にとってみれば希望」だもの。でも同時に、彼は「不幸な存在」であり「奇跡の存在」つまり、誰かの災厄っていうのには、和仁くんも入るんでしょう?」
「どこから遡れば最初なのかわからないが、最初の俺が言い出したんだよ。誰かの災厄が溢れ出すってね。そうなんだよな「世界の欠片」を手にしているのならば、矛盾だって起こるさ。ラプラスも、こいつもそう。「世界」を手にした代償に「矛盾」を抱えなくてはならない」
「そう……じゃあ、あなたは救われないのね」


  その言葉は、二人だけが理解すればいいと思った。そうだ、どうあがいても、救われない。麻生川君恵あそがわきみえが救われても、世津達見が救われても、覚元和仁だけは救われない。


「だから、救うしかないんだよ。俺という存在は」


  黄金の箱から、彼はそっと手を離した。


「開けるならお好きにどうぞ「世界」であるあなたがご自由に。コスモさん」
「あら、そう言われたら。開けたくなくなるじゃない。彼にとっての幸せは生きることじゃないんだもの。眠っていて欲しいもの」


  そう言いながらも、君恵の顔は笑っていた。そこに、確かな確信と、覚悟があった。


「だが、それは……」
「私という存在はさまざまな時空を観測しているから知っているわ。いつも決まって、最後はそう言うじゃない」


  そう言って、君恵は箱に手をかけた。


「覚元和仁に平行世界は存在しない。だから、私に選択肢もないんでしょ?本当、何万回も思うけど、特異点って不気味ね」


  まばゆい光が海底を照らし、その光は、全ての存在をぼやかし、かき消す勢いで広がっていった。もちろん、君恵も例外ではない。


  目を開けた時には、和仁の枕元に戻ってきていた。まだ、和仁は眠ったままだ。


「本当に目を覚ますのは、もうちょっとあとでね」


  静かに両手で、和仁の両目を塞ぐ。呪文のように、言葉を唱えた。


「その目に映る世界が、あなたの最善でありますように」


  ふわり、と風が吹き抜ける。部屋には、眠り続ける和仁以外、誰もいない。彼はまだ静かに、まだ何も知らないように、眠り続けていた。


 ガチャリ、と音を立て、扉が開く。怜花は不思議な顔をした。


「声が聞こえた気がするんだけど、気のせいかしら?」
「和仁くんが目を覚ましたのかい?」


  亮治が聞くと、怜花は首を横に振る。


「あれ以来、アサシンは家に帰ってこないから、戦う手段なんてないのに……」


  和仁が眠らされたあの日、口論してから、アサシンが帰ってくることはなかった。ちょっとばかり、調べ物と言ったきりだ。


「ちょっと、言いすぎちゃったかなって、思ってるんだ……だって、アサシンが理由もなく、名前を隠すはずがないし、理由もなく、何年も姿を消していたわけじゃない。理由もなく助けられなかったわけじゃない。理由はある、わかる、わかってるけど……」
「でも、悔しいんだよな、怜花は。彼の立場に怜花がいたならば、怜花だったら、間違いなく動いてた。そうだろ?」


  怜花は涙を流し、首を縦に振る。だが、亮治は首を横に振った。


「だが、間違いだ、怜花。彼は、死神と呼ばれた。でも、とても人間らしかったんだ。馬鹿みたいだと思うほどに、人間らしい人間だった。脆く、弱く、繊細な、人間だったんだよ」
「……人間?」
「僕は人間じゃない。だからこそ思う。苦悩し、絶望し、それが故に壊れやすい。だがその中に確かに希望を見出す。それが人間だと。怜花だったら、存在するだけで周りの人が死んでしまうって考えたら、普通は、怖くて、死にたくなって、仕方がないと思うんだ。自分ならこう出来ていたはずだ、と、言えるのは、人間が外から見ているだけで、中身を知らないでものを言う愚者だからだ」


  そこまで言って、少し言いすぎた、と、亮治は顔に焦りの色を浮かべた。


「えぇっと、でも、そこもまた、人間らしい。怜花は、人間じゃない僕の子供にしたら、出来すぎているくらい人間だ」


  微笑みながら、怜花に寄り添い、頭を撫でる。とても愛おしいように、優しく。


「怜花は人間なんだ。だから、戦うことは考えなくていい。生きて、他人の気持ちに寄り添うことだけを考えなさい」
「ありがとう、お父さん……でもね、先輩だけに、背負わせるべきじゃないと思うの。戦える人は、戦うべきだと思うの。誰に譲るわけでもなく、どこに逃げるわけでもなく、みんなで、協力して」


  亮治は微笑みながら「そうだね」と呟く。その目は、どこか遠くを見つめていた。


「愛が裏返らなければ、こんなことにはならないのにね」



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