ある日、5億を渡された。

ザクロ・ラスト・オデン

社長の座と本心

────その頃だ、青年はひどく頭を抱え、悩んでいた。どうして、こうもうまくいかない。こんなつもりはなかったのに、と。いつも明の座る、やわらかいソファー。その前で、まるで懺悔するように、青年は抱え込む。


「何が不満なんですかい、坊ちゃん」


 大柄な影の男は問う。青年はただ震えながら、その声には答えない。恐れているのだ。男を恐れているわけではない。だが、男のやったことは「引き金」であったと実感していた。


「────何ですかい、坊ちゃんのせいで、旦那がああなったって思ってるです? そんなわけないじゃないですか、旦那はすでに壊れていた。俺が引いたのは引き金、実際に殺したのは「弾丸」でしょ」
「……違う、こんなことを、僕は望んでいなかった! 彼がここまで変わることを……!」


 男は無情にも、平然と告げる。


「だって────坊ちゃんが言ったんじゃないですか、潰せって。あぁ、でも社長としての座は確立されちゃいましたね。そこを悔やんでるんですか。じゃあ今すぐにでも……」
「嫌だ! 違う、待て、違うんだ!」


 立ち上がって振り返り、必死に青年は、男に泣きつく。男はその心を知ってか知らずか、その青年を見ることはない。


「いい加減、素直になったらどうなんです。坊ちゃん、いったい何が欲しいんですかい」


……少し間が開く。静寂の中、青年は大きく息を吸い込んだ。


「決まってる、愛だ! 姉さんだけじゃない、俺は愛が欲しいんだ!」


 男と青年だけの部屋に、青年の振り絞った声が響いた。まだ青年は小さく震え、涙を流している。二人ともわかっていた。その愛が欲しかっただけで、矢崎進に嫉妬したことを。そして、そのために彼を陥れたと。
────それ以上に、初めて出会ったとき、素直な反応をしてくれた彼の反応が、青年は嬉しかったのだ。


「ひょっとしてですが、俺は弟さん以上の存在なのでは?」


 あの電話で話したことは、ほぼ真実だ。青年と姉の距離はずっとずっと遠い。それよりも、運命的な出会いをした二人のほうが、ずっとずっと近い。それを素直に告げた彼がいてくれて、どこか嬉しかった。事実を告げる人など、いなかったのだから。


「……わかっていた。あの日、彼は言った。彼の言ったことは正しいんだ。だからこそ、彼が……矢崎進が恐ろしくて……!」
「それ以上に、新鮮で面白かったんでしょ、坊ちゃん。それに気づいた人なんていないでしょうねぇ」


 ただでさえうまくいかない姉との仲を、引き裂きそうな矢崎進かれが怖かった。そして、どんどん成長していく彼が恐ろしかった。何者かわからない、しかし姉とどこかよく似た、その才能の塊が。
 その存在は、恐ろしく、だが嬉しく。異常の中で、新鮮で。いなくなればいいのに、失うのは怖かった。


────そんなこと、誰にもわかるわけない。だって、誰にもわからないように、隠し通してきたのだから────


 しかし、この男はわかっていた。どこまでもお見通しだった。どこからか見ていたその男は、青年の唯一無二の理解者だった。


「だって、本当に嫌いなら、旦那を認めることなんてしないですもんねぇ。いやぁ、坊ちゃんの感情はわかりにくいですなぁ。絡み合って複雑だ」
「……だから後悔している。もし僕が佐倉に命じたことが、今の彼を変えてしまった引き金とするならば、僕はなんてことをしてしまったんだ……!」


 失いたくなかった、純粋な彼を、歪めてしまった。それが直接、自分のせいでなかったとしても、自分にだって責任はある。そして、取り戻したいと強く願う。出会ったばかりの、どこか抜けた矢崎進かれを────


「別に、ただ一人の願いが、旦那を歪めたわけじゃないんでっせ。ただ、その一つ一つの願いが、あまりにも残酷で、強すぎたんですよ。社長から引きずり下ろしたい、過去に対抗する彼が見たい、彼を悪から守りたい────ね、どれも残酷でしょ? 狂ってるにもほどがあるさ」


 そして男は続ける。青年は涙を流し続けた。


「その先に、出羽って青年の自殺があったとしても、それぞれの旦那に対する、願い、欲望は強すぎた。それは、色がついた布に、墨汁をかけるレベルで強い。結果、誰の物にもならず、彼は別の何かに染まってしまった。ただそんだけの話ですよ、坊ちゃん」
「……佐倉、お前は結局何をしたんだ。彼の変貌のどこまで、肩入れしたんだ」
「坊ちゃんは心配せずとも。俺はただ、周辺に住んでいる同級生に、影山モータースに行ってみればー、くらいの軽いことしかしてないですよ」


 男は平然と言うが、青年には驚きでしかなかった。


「たった、それだけが……引き金?」
「えぇ、それ以外はいろんなものが衝突して爆発しただけですよ」
「……ならば……やはり、僕のやったことは重大だ。たったそれだけが引き金と言うならば、僕には彼を取り戻さなければいけない理由がある。姉さんが気に入った彼を、僕が嫌いになれなかった彼を、あの頃の彼を、取り戻さなければ……」


 そうですかい、そういって男は、青年の頭に手を置いた。


「不敬だぞ……佐倉」
「だから何です? 俺に、次は何をしろって?」


 すると、青年はしっかりと自分の足で立ち上がった。涙は拭いて、前を向く。


「矢崎進の過去を調べられるか、佐倉」
「えぇ、少々時間が掛かりますが、どうして?」
「決まっている。同級生が引き金ならば、矢崎進の過去に何かあったとしか思えない。同級生は矢崎進をいじめたんだろう」


 いじめたとするならば……それは過去に彼に何かあったからこそ。そしてそれを知っていて、周囲にまき散らした人間がいるはず。


「いじめられた原因、彼の出生から徹底的に調べろ。お代はもちろん用意する。どれだけ時間が掛かってでも、彼という人物が知りたい」
「で……その間、坊ちゃんは?」
「素直に行動するとも。僕はもう、隠れている場合じゃない。前に立って、堂々とするべきなんだ」


 すると、男は理由を知っていてニヤリと笑う。


「前に立つねぇ……できるんですかい? ただでさえ「義理」なのに」


 そして、男はさらに続けるのだ。


「それに、矢崎進の過去は、はっきり言って「闇」でっせ。知ったものは、そう簡単に生きていられない……矢崎進かれに生半可な気持ちで触れてはいけませんよ、坊ちゃん」


 だが、青年の顔に迷いはなかった。圧のある目で、真っすぐに男を見つめる。


「義理だからこそ知らなきゃいけないことがある。どうして僕がこの影山家に存在できているか、その秘密を握るのは、矢崎進なんだろう」
「ほぉ、勘が鋭いですな、坊ちゃん。わかりました、ならばどこまでもお供しましょう。坊ちゃんの命は俺が守りますとも」


 それは、きっと悪魔との契約。それでもかまわない。青年にはどうしても知りたい、自らの存在理由があった。それに矢崎進が係わることは、どこか気づいていたのだ。
────そうでなければ、そもそも矢崎進がこの場に溶け込めるはずがない。それはきっと彼の出生に理由があるからだ。矢崎……その名は確か聞いたことがある。それを思い出すまでは、止まることはできない。


「あぁ、そういやぁ、俺が知っているヒントを一つだけ。矢崎誠一郎やざきせいいちろう……この名前を知ってますかい?」


 男の軽いつぶやきに、青年は目を丸くする。


「知っているとも。かつて影山グループと提携を結ぼうとしていた、家電メーカー、ヤザキ電気の社長……! まさか!」
「そうですよ、坊ちゃん。そこだけわかっただけでも、思うでしょう。矢崎進は……」


 次の言葉を、青年────影山望は聞き逃さなかった。


「────矢崎進は、社長になるべくして生まれた男だったと」

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