ある日、5億を渡された。
闇落ちと影
……それは、数週間前のことだ。二人の青年は出会っていた。ずいぶんと、ギスギスした仲だったが。
「よぉ、出羽。おひさー」
出羽のバイク……店先でバイクの修理をしている出羽に、声をかけた青年がいた。見た目はチャラく、髪は明るめ、右耳にピアス。ダボッとした服装で、まさにだらしがない遊び人といった格好。対する出羽は、髪こそ明るいものの、汗水垂らし、顔に汚れがついてでも作業するその姿は、もはや職人になっていた。
「てめぇ、元木か。中学校の頃は忘れねぇぞ。お前に意識不明にさせられたことは、恨んでるぜ」
「あぁ、そこ覚えてたの? もっとさー、自分が重大な罪を犯したって覚えてないわけ?」
その質問に、出羽は正直に答えた。
「もちろん、覚えているとも。俺は、自分のした罪を自覚している」
「へぇ、それで本人に謝罪なしと……逃げてんの?」
「あっ……謝ろうとはしている。でも、今、矢崎がどこにいるかなんてわからないんだ」
威圧ある彼の瞳に、出羽は思わず怯える。だが、それでも出羽は立ち向かい続けた。目の前にある「異常なほどの脅威」に。
「今なら、矢崎の気持ちがわかる。俺だってビンボーになったし、不幸な目にも遭った。今でこそ、心の底から申し訳ないって思えるんだ。その気持ちに嘘はない!」
「へぇ……8年も経って、やっとか。やっとそこまでたどり着いたのかよ。遅ぇなぁ……」
「あぁ、遅いとも。謝っても、悔やんでも、終わらない!」
すると青年は、右手に人工の爪のようなものをつけ始めた。その動作の意味が分からず、出羽は困惑する。だが、すぐに意味が分かった。青年はその爪に触れないように、慎重に、しかし確実に指にはめ込んでいる。
「なぁ……知ってるか。3年間孤独を生きた男の気持ちを。3年間誰にも相手にされなかった男の気持ちを」
「……今ならわか……」
その声は、青年の怒鳴り声で遮られた。
「わかんねぇんだよ! てめぇは一生、あいつにはなれねぇんだ! そんなやつが、他人の気持ちを知ったかぶるんじゃねぇ!」
空気が張り詰める。その声は、空気を、音を、世界を遮断する。そして、思いすら遮断する。お前に未来はないと、人生さえ遮る。
「どれだけお前が懺悔しようと、どれだけお前があいつの気持ちがわかろうと、お前が奪った進の人生は帰って来ねぇんだよ!」
「だからその分まで謝ろうと……俺は、いじめてことを後悔してるんだ。ほかのみんなだってそうだ!」
「そうか? この前、他のやつにも会ったが、矢崎進なんて名前すら忘れてたが?」
この場において、出羽の言うことは、もはや何も通用しない。すべて、真実の前に無力だ。だって、目の前の青年の言うことはすべて本当のことなのだ。どれだけいじめられた人間の気持ちになっても、その人の肩代わりができるわけでもない。奪った人生が戻るわけでもない。
そして、傍観者はいじめたことすら忘れ生きていく。そうだ、だって傍観者にとっては、ただ見てただけなんだもの。いじめた気には、なっていないんだもの。忘れていて当然なんだ。
────それが真実。いじめた張本人が反省しても、周りの人すべてが反省しているとは限らない。その現実を、彼は伝えに来たのだ。
「それでも……謝らないより、謝ったほうがマシだ。俺の心も……」
「矢崎進も、とでもいうつもりか? あいつはもはや、中学校の同級生に合うことすら辛いというのにか?」
「それは……」
それすら、彼が言うなら真実なのだろう。中学校の頃から、元木優斗は真実しか言わなかった。核心を突き、現実を見ていた。見た目こそ悪かったものの、その心は、あの学校内で一番大人であったと言える。そう、出羽は思い返していた。中学校の頃の「拳一つで人を罪の中へ落とす」そんな彼を。
「出羽、てめぇはずいぶん丸くなったな」
「元木、お前は変わらないな」
「あぁ────俺はな」
その言葉を言い終わる前に、その手は出ていた。人工の爪は、鋭利なその先端で、出羽の左腕に傷をつける。まるで、動物に引っかかれたかのような、小さな傷。
「痛っ……!」
「さぁて、そこからどうなるかはお前次第。生きるか死ぬか、その間で苦しみな」
その表情は無だった。痛みに歪む、出羽の顔とは対照的に、その顔に色はなかった。声にすら、抑揚はない。そう、まるで仕事をやり切った、機械のようだった。
────それから数週間、なぜだかわからないが、出羽は寝込み続けた。仕事すらままならない時だってあった。家からなかなか出られない中、進はすぐ近くの影山モータースに足を運び続けていたのだ。謝れそうで謝れない。そんなに近くに、二人はいたのに。
青年は、そんな数週間前のことを思い出していた。日が沈み、真っ暗になった路地で、自販機だけが光っている。出羽が救急車で運ばれたことを知っている。進が同級生たちが多く亡くなったことに、ショックを受けていることを知っている。あの時、あの男の言ったとおりだったと、思い返す。
「まぁ、この流れからしたら、旦那の心は折れないなぁ……だがまぁ、そこはお前だ。期待しておくよ」
「……なんだと、クソジジイ」
「────お前の正義は、旦那の心を砕くさ」
自分自身は、何のためにここまで生きてきたのだろう。ずっと隠し続けて、このまま偽って生きていけるんだろうか。いいや、いつかきっと、自分も本当のことを彼に言わなくてはいけないのだ。わかっている。わかっているが……
「いいや、俺は変わらねぇ。俺は決めた、どんなことが待っていようと、俺は俺を貫き通す。それで嫌われたとしてもな」
思い出す、中学校入学前に、父親から言われたことを。いいや、あんなの父親って呼ぶべきか、そこは置いておこう。
「────優斗、矢崎進という少年を監視しろ。お前の最初の仕事だ。わかっているな、こちら側の脅威と感じたら、その手で────」
────両手を力なく見つめる。こんな汚れた手で、もう何をしろっていうんだ。
……その頃、俺は明とともに、ソファーに座っていた。ソファーは包み込むようにやわらかく、心さえ優しく包んでくれるようだった。その優しさに、今はずっと浸かっていたい。そう思うほど、心は荒れていた。
「あぁ……母さんの看病……行かないと」
「今日はいいよ。ゆっくりすればいい。冬馬が別の使用人を使わせてくれたから、安心していいよ」
とりあえず、一つだけ安心だ。だが、まだ安心できないことだらけだ。出羽の命は大丈夫なのか、そしてもっとそれより心配なのは────俺がみんなを不幸にしているんじゃないか。
「なぁ……もし俺が、人を不幸にしているんだったら、どうしたらいい」
「簡単だ、そのまま生きればいいんだよ。誰かを不幸にしない人間なんていないよ」
「でも……俺の場合は……」
ひどすぎる。俺は父さんの命を奪っただけじゃなく、真希の足を奪った、母さんの心を壊した。それだけでも、充分罪深いのに、自分に関係した人間が、次々と不幸になっていると聞いたら、心が穏やかでいれるはずがない。
「俺は、奪ってるんじゃないのか。多くの人の……人生を……」
すると、明は甘えるように俺に寄り掛かってきた。そして、俺の右腕をそっと撫でる。
「いいかい、進くん。人の人生は簡単に奪えるものじゃないんだ。進くんが奪える人間じゃないことは知っているよ」
「……じゃあ、奪う人間もいるってことか」
「そうだね、でもそんなのはごく少数。でもそういう人たちの余波を、進くんは人生上受けやすいんだろうね」
そこまで言うと、明は右腕にぎゅっと抱き着く。冷たい体温だったが、俺の体には温かく染み渡ってきた。大事なのは体温じゃない、その心の温かさだ。
「大丈夫だよ、進くんは。僕がついているからね」
あぁ、きっと大丈夫。明がいるなら俺は……間違ったことなんてしない。明がずっとそばにいてくれたらいいのに。俺をずっと肯定して、俺のダメなところは否定してくれればいい。俺の人生にはずっとなかった、明るい道しるべだ。それを頼りに、俺は歩きたい。
────こういうのを、不幸体質なんていうのかもしれないけど、だとすれば、明だけは失いたくない。自分の命を投げうってでも、俺は明のために、尽くしていきたいんだ。
「────明様、進様! 大変です!」
扉を開け、大慌てで入ってきたのは冬馬さんだ。その顔からも、ひどく焦っていることがわかる……まさか、と、俺は最悪の事態を予測してしまった。そうはならないことを、刹那に願った。
────だが、現実はそれより残酷だった。耳が聞き取ることのできたのは、ただ一つ……出羽が自殺したことだけだった。
「よぉ、出羽。おひさー」
出羽のバイク……店先でバイクの修理をしている出羽に、声をかけた青年がいた。見た目はチャラく、髪は明るめ、右耳にピアス。ダボッとした服装で、まさにだらしがない遊び人といった格好。対する出羽は、髪こそ明るいものの、汗水垂らし、顔に汚れがついてでも作業するその姿は、もはや職人になっていた。
「てめぇ、元木か。中学校の頃は忘れねぇぞ。お前に意識不明にさせられたことは、恨んでるぜ」
「あぁ、そこ覚えてたの? もっとさー、自分が重大な罪を犯したって覚えてないわけ?」
その質問に、出羽は正直に答えた。
「もちろん、覚えているとも。俺は、自分のした罪を自覚している」
「へぇ、それで本人に謝罪なしと……逃げてんの?」
「あっ……謝ろうとはしている。でも、今、矢崎がどこにいるかなんてわからないんだ」
威圧ある彼の瞳に、出羽は思わず怯える。だが、それでも出羽は立ち向かい続けた。目の前にある「異常なほどの脅威」に。
「今なら、矢崎の気持ちがわかる。俺だってビンボーになったし、不幸な目にも遭った。今でこそ、心の底から申し訳ないって思えるんだ。その気持ちに嘘はない!」
「へぇ……8年も経って、やっとか。やっとそこまでたどり着いたのかよ。遅ぇなぁ……」
「あぁ、遅いとも。謝っても、悔やんでも、終わらない!」
すると青年は、右手に人工の爪のようなものをつけ始めた。その動作の意味が分からず、出羽は困惑する。だが、すぐに意味が分かった。青年はその爪に触れないように、慎重に、しかし確実に指にはめ込んでいる。
「なぁ……知ってるか。3年間孤独を生きた男の気持ちを。3年間誰にも相手にされなかった男の気持ちを」
「……今ならわか……」
その声は、青年の怒鳴り声で遮られた。
「わかんねぇんだよ! てめぇは一生、あいつにはなれねぇんだ! そんなやつが、他人の気持ちを知ったかぶるんじゃねぇ!」
空気が張り詰める。その声は、空気を、音を、世界を遮断する。そして、思いすら遮断する。お前に未来はないと、人生さえ遮る。
「どれだけお前が懺悔しようと、どれだけお前があいつの気持ちがわかろうと、お前が奪った進の人生は帰って来ねぇんだよ!」
「だからその分まで謝ろうと……俺は、いじめてことを後悔してるんだ。ほかのみんなだってそうだ!」
「そうか? この前、他のやつにも会ったが、矢崎進なんて名前すら忘れてたが?」
この場において、出羽の言うことは、もはや何も通用しない。すべて、真実の前に無力だ。だって、目の前の青年の言うことはすべて本当のことなのだ。どれだけいじめられた人間の気持ちになっても、その人の肩代わりができるわけでもない。奪った人生が戻るわけでもない。
そして、傍観者はいじめたことすら忘れ生きていく。そうだ、だって傍観者にとっては、ただ見てただけなんだもの。いじめた気には、なっていないんだもの。忘れていて当然なんだ。
────それが真実。いじめた張本人が反省しても、周りの人すべてが反省しているとは限らない。その現実を、彼は伝えに来たのだ。
「それでも……謝らないより、謝ったほうがマシだ。俺の心も……」
「矢崎進も、とでもいうつもりか? あいつはもはや、中学校の同級生に合うことすら辛いというのにか?」
「それは……」
それすら、彼が言うなら真実なのだろう。中学校の頃から、元木優斗は真実しか言わなかった。核心を突き、現実を見ていた。見た目こそ悪かったものの、その心は、あの学校内で一番大人であったと言える。そう、出羽は思い返していた。中学校の頃の「拳一つで人を罪の中へ落とす」そんな彼を。
「出羽、てめぇはずいぶん丸くなったな」
「元木、お前は変わらないな」
「あぁ────俺はな」
その言葉を言い終わる前に、その手は出ていた。人工の爪は、鋭利なその先端で、出羽の左腕に傷をつける。まるで、動物に引っかかれたかのような、小さな傷。
「痛っ……!」
「さぁて、そこからどうなるかはお前次第。生きるか死ぬか、その間で苦しみな」
その表情は無だった。痛みに歪む、出羽の顔とは対照的に、その顔に色はなかった。声にすら、抑揚はない。そう、まるで仕事をやり切った、機械のようだった。
────それから数週間、なぜだかわからないが、出羽は寝込み続けた。仕事すらままならない時だってあった。家からなかなか出られない中、進はすぐ近くの影山モータースに足を運び続けていたのだ。謝れそうで謝れない。そんなに近くに、二人はいたのに。
青年は、そんな数週間前のことを思い出していた。日が沈み、真っ暗になった路地で、自販機だけが光っている。出羽が救急車で運ばれたことを知っている。進が同級生たちが多く亡くなったことに、ショックを受けていることを知っている。あの時、あの男の言ったとおりだったと、思い返す。
「まぁ、この流れからしたら、旦那の心は折れないなぁ……だがまぁ、そこはお前だ。期待しておくよ」
「……なんだと、クソジジイ」
「────お前の正義は、旦那の心を砕くさ」
自分自身は、何のためにここまで生きてきたのだろう。ずっと隠し続けて、このまま偽って生きていけるんだろうか。いいや、いつかきっと、自分も本当のことを彼に言わなくてはいけないのだ。わかっている。わかっているが……
「いいや、俺は変わらねぇ。俺は決めた、どんなことが待っていようと、俺は俺を貫き通す。それで嫌われたとしてもな」
思い出す、中学校入学前に、父親から言われたことを。いいや、あんなの父親って呼ぶべきか、そこは置いておこう。
「────優斗、矢崎進という少年を監視しろ。お前の最初の仕事だ。わかっているな、こちら側の脅威と感じたら、その手で────」
────両手を力なく見つめる。こんな汚れた手で、もう何をしろっていうんだ。
……その頃、俺は明とともに、ソファーに座っていた。ソファーは包み込むようにやわらかく、心さえ優しく包んでくれるようだった。その優しさに、今はずっと浸かっていたい。そう思うほど、心は荒れていた。
「あぁ……母さんの看病……行かないと」
「今日はいいよ。ゆっくりすればいい。冬馬が別の使用人を使わせてくれたから、安心していいよ」
とりあえず、一つだけ安心だ。だが、まだ安心できないことだらけだ。出羽の命は大丈夫なのか、そしてもっとそれより心配なのは────俺がみんなを不幸にしているんじゃないか。
「なぁ……もし俺が、人を不幸にしているんだったら、どうしたらいい」
「簡単だ、そのまま生きればいいんだよ。誰かを不幸にしない人間なんていないよ」
「でも……俺の場合は……」
ひどすぎる。俺は父さんの命を奪っただけじゃなく、真希の足を奪った、母さんの心を壊した。それだけでも、充分罪深いのに、自分に関係した人間が、次々と不幸になっていると聞いたら、心が穏やかでいれるはずがない。
「俺は、奪ってるんじゃないのか。多くの人の……人生を……」
すると、明は甘えるように俺に寄り掛かってきた。そして、俺の右腕をそっと撫でる。
「いいかい、進くん。人の人生は簡単に奪えるものじゃないんだ。進くんが奪える人間じゃないことは知っているよ」
「……じゃあ、奪う人間もいるってことか」
「そうだね、でもそんなのはごく少数。でもそういう人たちの余波を、進くんは人生上受けやすいんだろうね」
そこまで言うと、明は右腕にぎゅっと抱き着く。冷たい体温だったが、俺の体には温かく染み渡ってきた。大事なのは体温じゃない、その心の温かさだ。
「大丈夫だよ、進くんは。僕がついているからね」
あぁ、きっと大丈夫。明がいるなら俺は……間違ったことなんてしない。明がずっとそばにいてくれたらいいのに。俺をずっと肯定して、俺のダメなところは否定してくれればいい。俺の人生にはずっとなかった、明るい道しるべだ。それを頼りに、俺は歩きたい。
────こういうのを、不幸体質なんていうのかもしれないけど、だとすれば、明だけは失いたくない。自分の命を投げうってでも、俺は明のために、尽くしていきたいんだ。
「────明様、進様! 大変です!」
扉を開け、大慌てで入ってきたのは冬馬さんだ。その顔からも、ひどく焦っていることがわかる……まさか、と、俺は最悪の事態を予測してしまった。そうはならないことを、刹那に願った。
────だが、現実はそれより残酷だった。耳が聞き取ることのできたのは、ただ一つ……出羽が自殺したことだけだった。
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