ある日、5億を渡された。

ザクロ・ラスト・オデン

四字熟語と決意2

────俺はそれから、しばらく考えていた。この二日間。激動の毎日を整理し、そしてまとめ、自分自身の考えを練り上げる。俺には何ができるだろう、この俺は、何をすべきなのだろう。
 車は進み、あの高層ビルへと着く。ドアノブは、昨日と同じように俺が明ける。唯一、昨日と違うモノ……それは、きっと俺自身だろう。今の俺には、この二日で知って学んだ、たくさんの「掟」がある。


……人は、人としての最低限の自由を保有する権利がある。


 間違いは必ず侵すもので、それを責めたりしてはいけない。


 自分のやったことに、責任の持てないやつは、自分のやったことを後悔する。


 人間は、人間としての当然の欲がないと生きていけない。


 人を見て、それなりに付き合って、それなりに離れなければ、人生は成立しない。


 人は人を傷つけ、傷つけながら生きていくのが、本来あるべき当たり前の生活である。


 人生に必ずある勝負やけじめからは逃げてはいけない。


 自分自身を、歪め、曲げ、蔑んではいけない。それは、一つの個性なのだから……


────記憶がなくったって、今まで生きてきた俺は、嘘じゃない────


「それがあれば大丈夫だ。きっと俺は、俺として生きていける」


 ドアを開け、進んだ先にいたのは、ソファーに座る、明。そしてその横に、後ろで手を組み、足を開いて堂々と立つ、望さん。場違いにあぐらをかき、カーペットに座る、優斗。
 こちらは、真っすぐに立つ、冬馬さん。そして、昨日とは違う俺。なかなかに濃いメンツが、ここにそろった。


「やっほー! どうやらその様子だと、ボイスメッセージ聞いてくれたみたいだね」
「……姉さんが昨日撮っていた、あの音声?」
「あー、俺と会った後にしゃちょーが撮ったんすね、あのメッセージ。どう転ぶか見えてるみたいで鳥肌もんっすわ」
「不敬な平民は黙っていろ!」


……なんか、俺がいなくても、やいのやいのと話が進んでるじゃありませんか。俺いる? 絶対に犬猿の仲になりそうだった、優斗と望さんは思った通り。そしてそれを見ながらクスクス笑う明。俺はただ、その状況に呆気に取られ、呆然としていた。
 でも、ついていかなきゃいけない。俺は茫然と見続けるわけにはいかない。俺は俺で、行動アクションを起こさなきゃいけないんだ。じゃないと、俺は一人になる。いいや、社会の中で、置きざりにされる。
────本当に残るべきは、個性を残す人間のみ。俺は俺としての生き方と、そして、人間としての当然の生き方を合わせて、生きていく個性がいるんだ────


「あ……あの、皆さん。俺、自分の進むべき道を決めました」


 話しづらい環境の中、俺は何とか声を絞った。皆、俺に注目し、黙る。俺、焦る。


「ほら……俺はその……」


 言葉が止まりそうになる。だが、これは、逃げてはいけない勝負の場所だ。俺が、今後の俺に誓うための場所だ。


「……俺は、二日前に、突然5億の入ったスマホを渡されました。俺は、これで楽な生活ができる。そう思いました。でも、現実は違った……俺はその大金を背負いきれず、結局うまく使えたりしない。思う通りにしようとしても、どこかで必ず迷ってしまう」


 二日前を思い出す。あのスマホを渡された、雷に打たれた衝撃が走るような、朝を。


「それは借りたものだから。それ以上に、俺にそのお金を使うほどの人間性がなかったから。だからこそ、俺は結局、少しの自由と余裕で、満足してしまう。すべて放棄することをせず、なおかつ、必要なものから目を逸らした」


……それは矛盾だ。でも、それは俺の未熟な人間性から生まれた、意識のズレだった。本当の人間は、きっと迷わない。行動に一貫性があるだろう。俺に人間にあるべきものはない。でもそれは────


「でもそれはきっと、ある意味、個性なんだと思う。俺が生きてきた世界での普通が、世界の普通じゃなかったとしても、俺は生きてこれた。俺は俺自身の個性を……自由を、心を、これ以上殺せない」


 それはある意味、働き続ける社会の歯車でしかないのかもしれない。社畜となり下がった、人としての当然を失った屍かもしれない。だけど、俺は俺の生き方を、否定しきることはできない。


「────だから、俺は、こうさせてください」


 息を吸い込み、目を開く。その目はきっと、マジですって目をしてただろう。


「俺は、5億を稼ぎます。これは前払い給料、ということにします……そう……俺は……」


 明の目が、俺と合う。明の口元が、微笑んだのと、俺の口角が上がったのは同時だった。


「俺は「5億の男」になる! 5億の価値ある、5億を稼ぐ、明の……社長の代行をする男になる!」


────そして訪れる静寂。誰もがきょとんとした顔で、俺を見る。堂々と言ったつもりが、だんだん恥ずかしくなってくる。あぁ、俺ってば、やっぱりこういうの苦手なのかな。
 すると、真っ先に明が爆笑し始めた。お腹を抱えて、心から楽しそうな笑顔で笑いながらゴロゴロ転げまわる。


「なぁーははっ! すごいよ進くん、この二日でとっても面白く仕上がったね! まさか、周りの人間が、ここまで……ここまで進くんを進めるとはぁ……!」


 と言って、また笑うのである。小さい声で「5億の男って何よー」と言いながら。キャッチコピー大事だと思ったけど、センスなかったか。
 すると、こらえていたのか、優斗が「ブフーッ!」と噴き出し、げらげらと笑い始めた。


「しゃちょーの言う通りだわ! 途中までは、あ、こいつ成長してんなって思ったのによぉ……最後で持ってかれたぜぇ……ぐっ、ハハハハァッ!」
「いや、明も優斗も笑いすぎだろうよ! 俺、ちょっとは考えたんだぜ!?」


 後ろからも、笑いをこらえる冬馬さんの声が聞こえる。ぐぐっ、と言いながらこらえてる。もういいですよ冬馬さん、笑ってください、ここは馬鹿にするところです。
 だが……そうはいっても、一人だけ笑わない人間がいた。それは、想像していた通りの、望さんである。険しい顔をしながら、圧のある目で、俺を見つめる。睨むように見えるが、それはどこか落ち着いていた。


「最初は、どこの馬の骨かと思ったが……どうやらそうでもないらしい」
「でっしょー! 望もわかってくれた?」
「少しは、な。姉さんが目をつけるのもわからなくはない。ここにきて「独自の個性」を輝かせている」


 だが……と言って、望さんは続ける。


「しかし、お前に背負えるのか? 人の上に立ったこともない人間が、人の上に立つ者の代わりをする。なおかつ5億という名のプレッシャーを背負ってだ。覚悟はあるのか、戻るなら、今のうちだぞ」
「お気遣い感謝します。ですが、もともと明に頼まれていた仕事です。今の雇用主は、明です。俺はただ、その覚悟を決めただけです」


 すると、望さんは俺を見て、ニヤリと笑う。それは、暗黒の笑みだった。


「ならば、俺は社長の座を狙う副社長として、お前を社長とみなし、徹底的に叩き潰す! 覚悟していろ、俺は姉さんほど甘くはない!」


 の……望さんは社長の座を虎視眈々と狙い続ける、明のライバルポジションだったのか────!?


「まぁ、頑張れやすすむん! 俺はいつだって、お前の味方になってやるYO!」


 そういいながら、その笑顔は絶対「うわー、こいつ早速逆境でやんのー」っていう蔑みの顔だ、そうに違いない!


「いいじゃない、祝おう。新しい進くんの人生を」


 明は俺に歩み寄り、手をそっと差し伸べる。握手だ、これはいわゆる、契約のようなものだ。きっと繋げば、もう三日前には戻れない。セーブポイントだ、これから先の人生の。


「これからも、俺に普通を教えてくれ、明」
「もちろんだよ。僕は君で、君は僕さ、進くん」


 固く繋いだ手は、人生の誓いだ。俺が汗ばんでいるのに対し、明の手は冷たかった。しかし、それすら溶け合うように、次第に明の手も温かく、そして俺の汗は引いていくのだった────




────宴の影、その影は忍び寄る。その影の気配を感じ取った望は、その場を離れた。なんて言ったって、今は進の新たな道を祝うパーティ中。明は出前を頼んで、ピザと、ケーキと、お酒を机に並べ、庶民のようなホームパーティをしていた。
 明はすべて、進のために。進ももちろん拒んでおらず、むしろその祝福を受け入れていた。宴は盛り上がり、優斗が歌いだす始末。酒に酔いつぶれて、昔のバイトの不満を漏らす進。それを顔を赤くしながら聞く明。その宴の輪に、まったく入れない望。
……だから、その楽しい宴から、楽しくない人間が離れることなど容易だった。楽しめない、どこか祝福できない、素直になれない、歪な感情。


「やぁ、坊ちゃん。あんな楽しそうな宴から離れるなんて。いいんですかい?」
「……僕は最初から仲間外れだ。僕の居場所はあそこにはない」
「えぇ、それは困りますな。あかりじょうのそばにもいれず、すすむ旦那だんなばかり注目される。進の旦那は坊ちゃんに怯え、ゴミくず坊主は坊ちゃんに噛みつく……こんな、負け犬まっしぐらでいいんですかい?」


 良い訳がない。それは、その目の前に立つ大柄な男に、言わずとも伝わることだった。玄関の暗闇の中、その男は白い歯を見せて問いかける。


「坊ちゃん、進の旦那が「嫌いで気に食わない」それとも「好きになって友達になりたい」んです?」
「……どこまでも考えるな、お前は」
「えぇ、俺は坊ちゃんの執事ですので。坊ちゃんのお嬢への愛、それから起こる旦那への嫉妬、よくわかりますとも。ただ、監視していて思ったのですよ。結局、どっちつかずじゃありませんか」


 監視までされていたか。全く、こいつのスパイのような行動には、身震いする。いざこれが、他人となれば、まさにそれは犯罪だ。


「現在60万で、旦那の監視をしておりますが、継続でよろしいです?」
「……あぁ、頼んだぞ」
「はーい、では延長10万いただきますねー」


 そういって、男は音もたてずに去っていく。部屋の隅へ消えていき、きっと排気口の裏でも通って、外へ出るんだろう。


「僕はいったい……何をしているんだ」


 孤独なその問いかけに反応する人は、誰もいない────



コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品