ある日、5億を渡された。

ザクロ・ラスト・オデン

四字熟語と決意

────スマホの着信が小さな部屋に鳴り響く。俺はうっすらと目を開けた。見慣れない天井……そうか、俺はネットカフェにいるのか。……そして、冷静に思考を巡らせる。いかんいかん! こんなの近所迷惑だ。ネカフェってうるさい音立てたら気まずいじゃん! すぐさまスマホを取り、小声で電話に出る。


「は、はい、もしもし」
「突然の連絡、申し訳ございません。冬馬でございます」


 その冷静な声にびっくりすると同時に、冷や汗が噴き出す。あ……やばい……ようやく昨日に思考が追い付いた。冬馬さんは俺の家まで迎えに行ってくれたのか。だが、現に俺は家出である。これは申し訳ないことをしてしまった。


「ご……ごめんなさい、冬馬さん! 俺、家出しまして……」
「そうでしたか、では、どちらに」
「えっと……家からそう遠くないネットカフェで……」


────それから、約5分で冬馬さんが到着した。冬馬さんは「すぐに出発いたしますので、荷物をまとめてください」と言って、俺を車に乗せ、そして走り出す。唐突だが、料金は冬馬さんが払っていった。車に乗って落ち着く暇もなく、忘れたものがないか確かめる。
……とりあえず大丈夫なようだ。バタバタと出たから、何か忘れたら心配だった。
 今日の始まりは、昨日と違って、明も、望さんもいない。昨日の仕事帰りみたいな車内だ。なんだか、今回もわけがわからないまま車に乗っているんだが……大丈夫だろうか。


「顔色が優れませんね、進様」
「……俺なんて、様付けされるような人間じゃないですよ」


 あまりよくは眠れなかった。夢に真希が出てきたんだ。つい3日前まで俺を慕ってくれていた、俺にとっての平凡な生活が、まるで走馬灯のように脳内を駆け巡る。
……俺の人生は終わりだと告げるように、夢の中で闇に沈んでいた。誰かに足を引っ張られ続け、闇の奥深くまで引きずり込まれる。俺は抵抗なんてしなかった。
────俺はそれ相応の人間だと、闇の泥に浸かっていたのだ。


「俺は、最低の人間ですよ。俺は「俺を必要としてくれる人を捨てた」んですから」
「そうですか進様。しかし、それは当然のことでは?」
「……え?」
「明様より伝言を預かっております。今の進様に最適ですので、再生させていただきます」


 そういって冬馬さんは、車の音楽プレイヤーを再生させる。俺の暗い心と裏腹に、車内に明の明るい声が響き渡った。


「やっほー! 進くん、調子はどうかな? 人間観察、うまくいったんじゃないかな?」
「……な、なんでそれを」


 思わず再生される声に返事をしてしまう。電話で対話しているかのように、その声は俺の耳に、心に、染み渡ってきた。


「まぁ、結果は見えているよ────進くんは、真希ちゃんに絶望するはずだ」
「……どうして……どうして絶望するってわかっててこんな事させたんだ」


 まるで本当に目の前で答えるかのように、返事は間をおいて帰ってきた。


「理由は単純明快、進くんが純粋無垢なのさ!」
「え?」
「進くんは、お金を浴びるように使う人を観てこう思ったはずだ「普通の人は、これが満足なのか」と」
「あぁ、そうだけども……」
「……そう、進くんは「本来あるべき普通を知らない」だからこそ、違和感を感じるんだ。これが純粋無垢だと思う理由だよ」


 でもね、と言って、明はさらに付け足した。俺はごくりと唾をのみ、前のめりになりながらその話を聞く。


「君は世界を知らな過ぎた。貧困が世界を狭めたんだ。知らないことは罪にもなる、知りすぎることには罰がある」
「そう……なのか?」
「だが、知らないことを言い訳に、逃げていたってどうしよもない。故に君は、世界を観なければならないのだー!」


 えっへん、と言って、理論を締めくくる。俺はただただ、呆気に取られるだけだった。気づく、俺は今まで、立ち向かっているようで、目を逸らし、逃げていたんだと。
 知ることを恐れ、知ってしまえば絶望し、目を逸らし、そして逃げる。今の俺だ、変えなきゃいけない、俺の問題だ。


「俺は……やっぱりダメだよな。気持ちに任せて、真希を見捨てた。付き合いきれないって、看きれないって……」
「しかし進くん、ここでワンステップ先のことを教えておくよ!」


 やっぱりさっきのところで、一区切りだったんだ。話が切り替わっている。明の声は、意気揚々としていて、なんだか楽しそうだ。


「世界を観て、人を看て、それを知る。しかしそのあと、余分なものや、自分にとっては受け入れがたいものが出てくるはずだ。例えば、お金があるやつを連れまわして、財布のように扱う、悪い友達とかね」


 悪い奴……として一瞬、優斗がよぎるが、あいつはむしろ俺がおごってもらっていたので、違う。


「そういう時は、取捨選択、いらないものは切り捨てるのさ! 例えば会社でも、コストパフォーマンスを上げるためには、使えない人材よりは使える人材が欲しい。面接のときに、落ちるやつと受かるやつがいるでしょ? そういうことだよ、進くん。答えは見いだせたかな?」
「じゃ、じゃあ、明。俺が真希を見捨てたのは、間違いじゃないのか? 俺はあのまま看るべきじゃなかったのか?」
「さーて、今頃、この伝言を聞いている進くんは、僕に質問しているはずさ。僕はその場にはいないからね、答えられないよ。だから、当たり障りないことを言っておこう」


 その言葉は、すっと俺の中に入ってきた。


「見捨てると、切り捨てるは、似てるようで別物さ。どこで線引きをするかは、君が決めればいいんだよ!」


 そして、心の中に入り込み、乾いた心を潤していく。まるで、俺が昨日したことは、間違いじゃないよと言ってくれるような、正当な理論だった。
 俺は、あのままでは最悪な未来をたどるところだった。それを回避したいがために、必死に練り上げた考えは「お金を渡して、自分のことは自分でやれ」と突き放すことだった。
 そして、録音した音声の再生は終わり、冬馬さんがようやく口を開いた。


「人は人を必要とします。しかし、万人を受け入れられる人間は存在しません。だからこそ人間は、自分の損になるかならないかを「選び」ます。明様も進様も「捨てた」という表現を使いましたが、結局は、自己判断、選択です」


 そして少し間を置くと、バックミラー越しに、少しだけ微笑みながら、冬馬さんは言う。


「進様のやったことは、人間として当然のことであり、間違いではありません。自分を責めないでください」


────一日かかったが、俺はなんだか救われた気がした。人間として当然で、間違ったことではなかったのだと。俺には自分を正当化する論理武装が足りなかったんだ。
 自分のしたことで、自分が傷ついてはいけない。俺は俺のやったことに責任をもって、そして決意して進むべきなんだ。


「ありがとうございます。冬馬さん、明も」
「……私には結構ですので、明様に出会われましたら、お礼を述べられては」
「はい、そうします」


 俺がそういった後の冬馬さんは、どこか悲しげだった。だが、それでも、最後に一瞬だけ、笑みを浮かべたのだった。



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