光の幻想録

ホルス

#31 変獄異変 9.

 猛々しく吹き荒れ狂う霊界の生暖かい風。
 新たな生命の誕生を祝福でもしているかのように、その生暖かな風はその土地にのみ息吹き滞っていた。
 そんな中におぞましく佇む怪異の影、少女と老年の男の顔を取り付け細い体をゆらゆらと蠢かせ、未だ眠る女性を見つめている。
 その光景は痛ましく悲劇的で、そしてとても残酷で見るに堪えないという言葉が似つく。
 事情を知る者がそれを見、そして理解した瞬間にどのような心境になるのか。
 此度の異変のもたらす被害は幻想が創られた最初期から数えても上位に組み込むほどの異変であると、そして語り継がなければならない。
 幻想とは幻想であるからこそ幻想なのである、周知の事実と化せば幻想は幻想ではなくなる、それを三度にわたり復唱し心得よと。

「妖夢」

 ピタリとその声に合わせるように風が瞬時に停止する。
 だが桜の大樹は更に激しく花々を散らし周囲の地面をピンクの海へと彩らせる。

「妖忌」

 2つの名を得体の知れぬ化物の頭部へと告げ、いつの間にか幽霊の如く気力無く頭を伏しながら佇んでいた女性が大きく激昂する。

「私が責任を持って貴方たちを成仏させます、貴方たちはよくやってくれました。私の為にその様な体躯になろうとも忠義を貫くその心、私は貴女方に敬意を評し全力でぶつかります」

 木の破片が踏み込む衝撃で朽ちると同時に宙に浮く。
 眠りし女性その名を西行寺幽々子さいぎょうじゆゆこ、霊界を統べ絶対的な支配権を持つ者。

「スペル──‘桜符’」

 地につき更に大きく踏み込み体勢を整えると女性は懐から取り出した紙切れの様な物をその手に握り締めると1枚破り捨て詠唱を唱える。
 途端に現れるは盛大に吹き荒れる桜吹雪、視界がピンクに染まったその時、中から現れる色とりどりで鮮やかな弾幕群が化物目掛け放たれる。

「──桜吹雪」

 弾幕群は1寸の狂い無く眼前の化物へと向かい行くが、化物はそれを、気が付くと手にしていたあまりにも細い剣を巧みに使い分け迫り来る弾幕を1つ残さず両断し無力化した。
 女性はそれを驚くこともなく、ただ無の表情で見終えると続けて第2のカードを切り捨てる。

「スペル──‘華霊’ ゴーストバタフライ」

 手に持つ扇を1つ払うと、その風から産まれたのは淡い紫色をした蝶の群れ。
 それを何度か繰り返し女性を埋め尽くす程の数を産み出すと、大きく扇を振り払うと同時に一斉に化物へと蝶の群れは飛び立つ。
 弾幕群を全て切り伏せた技量を持つとはいえ、蝶程の大きさのものが弾幕群より多く飛来するとあれば切り伏せる事は物理的に不可能であり、化物の体へと張り付いた蝶は自我の赴くままその場で小爆発を引き起こした。
 その爆発の瞬間に生まれた隙は他の蝶を全て化物の体に張り付けるのにはあまりにも長かった、連鎖するかのように化物の体へと張り付いた蝶は爆発を繰り返し、その場には黒い煙が横薙ぎに流れ行く。

「スペル──‘死蝶’ 幽雅の死蝶」

 女性の攻撃は止まる事を知らない。
 3枚目のスペルを切り捨てた女性は爆発し死を遂げた蝶の群れを呼び起こし、再び化物の肢体へと張り付け楔のように拘束させ動きを封じ込める。
 激しく搾り取る様にして楔の蝶はその体を奇怪な音が鳴り響くまで捻り曲げ続け、遂には同調した化物の体をも捻り曲げ胴と下とで分け隔てる。

「ギ……ギギギ……!」

 女性が全力でその化物に対峙していたのには理由がある。
 1つは無性増殖を行えるという事、そして傷を負わせた敵を自身と同じ種へと細胞レベルで変化させるという特異な力を持っているという事を‘事前’に理解していたから。
 そしてもう1つ、その顔2つを付けた化物を一刻も早くこの世から消滅したかったから。

「うっ……」

 女性は事前に重々に理解していた筈である。
 この2つの顔を付けた化物は既に別の生物であり他の生物に害成す悪性たる存在であると、そして仮に仕留め損なってその2つの顔が苦しむ姿を私が見た時、恐らく一瞬動きが完全に止まるであろうという事さえも。
 悲劇的にも女性が目にしたその光景は2つの顔がまるで生きているかの様に生前の声をあげながらその場で絶叫し、化物の上半身で暴れ回っていたという地獄のものだった。
 その2つの顔は女性の親族にも近しい存在とも言えるような仲柄だったのだ、それが悲鳴を叫びのたうち回り、それを自身が行ったのだと自覚するまでに──

「ギギギ!!!!!」

 女性の胸を鋭利に尖った細き腕と、もう一方の細い腕に装着された細身の剣が突き刺さる。
 女性の口から鮮やかな血が流れ零れ、膝を地に着けた瞬間に化物の顔2つは開眼し再び生前の声あげその女性を激しく嘲笑った。
 女性はその時になってようやく踏ん切りが付いたのだろう。
 突き刺さる細い腕を火事場の馬鹿力という類で体内から抜き切ると同時に片方の腕でカードの束を口元へ寄せ口でカードを切り捨てる。

「スペル── ‘桜華’ 」

 そう吹き荒れる桜吹雪が乗る暖かな風の流れに乗せてスペルの詠唱を自然に唱え、その詠唱が完了するまでの残り数唱の時にそれは不可解な事柄としてその場に発現した。
 化物の突き刺さった細い腕に抉られた部分が黒く蠢いたかと思うと、それらは細い管のようにビュッと体外へと射出され滞空を開始したのだ。
 絶望的な痛みに詠唱が完全に止まるが、女性は再度カードを切り捨て数多を滅殺するスペルの詠唱を開始する。

「ツ……ぶれろ……!!!」

 女性はその声を聞いた時、激しく動揺した。
 身内の声であれば理解し絶望もしよう、涙も流して声をあげよう。
 だがしかし、その声の本来の主は女性自身のものだった。
 しかも聞こえたのは吹き出た管のように細い滞空する黒い物体、そしてソレはこちらに向かってきたかと思うと視界は急激に黒く染まり始めた。
 それは細い管が眼球を貫通し失明を齎した結果に他ならない、耐え難い痛みであろう、想像すら出来ない痛みなのだろう。
 だが女性は臆することも怯むことも、ましてや痛みに顔を歪めることもなく、ただ平然とスペルの詠唱を一唱ずつ唱えていく。

「──どうか健やかに眠りに就くことを」

 次第に現れるスペルカードの効力、化物と女性の周囲を吹き荒れる桜華が優しく包み込むと、天に昇るかのような大きな桜の縦柱を作り上げ、それはそれは年月を感じる巨木がその場に突如として現れたのだ。

 ──不思議なことだ。
 無人の館に咲き誇る墨染の桜、巨木からなる美しく儚きソレは館の広大な庭の中央に不自然な形で聳え立ち、その近くにも似たような巨木の桜華があったという。
 使たちは、その異変のさ中にのみ桜華から聞こえた謎の声の正体を知るもの、知らぬものと分けられ完全なる実態を知るものは天の主人のみだった。

 ──優雅であって幽雅であった。
 女性の名は幽々子、死してなお幻想という場にしがみつき己が従者兼庭師と共に桜の大樹の最期を見届ける為に現世に縛りついていた。
 そして異変のさなか、皮肉にも幽々子自身は化物へと成り果てた庭師に責任を感じていたのだ、私が席を外していたが故に起きた不祥事なのだと理解していた。
 だからこそ幽々子は亡き命が再度尽きようとも全力でソレにぶつかり、そして圧倒した。
 勝負は一瞬、だがそこには化物の恐ろしい思考能力と力、生前の記憶が存在し幽々子を圧倒するには十分なものだった。
 そして最期の力全てを注ぎ込んで作られしスペルカードを彼女は解き放ってしまった。
 名は無い、効果も一切不明。
 だがソレの効果かスペルカードを唱えた直後に詳細不明の磁気嵐のようなものが発生し私の視界を完全に妨害したのだ。
 天界よりそれを見る為には更なる力が必要なようだし、彼女たちの言い合いもそろそろ終わりを迎える頃合だ。
 幽々子自身がどうなろうと私には構わないことだが、死のうが幻想という環境は死を拒絶し生き長らえる奇跡の元に成り立つ異形の地、東風谷早苗の力がその根底にあるからこそ成り立つまさに奇跡を具現化した場所だ。

「──埒があきません。────様、貴方の意見をお伺いしたいと存じます、幻想を盗み抜く目、そして闇の対応、貴方様程の賢者にこのような事を問い掛けるのは無粋であると承知しております、ですが幻想郷きっての危機であると自負しております故何卒御助言を頂きたく──」

 藍ちゃんそいつに話投げても無駄でしょう……。
 そいつは私もいつから居るのか、いつ賢者になったのか、本来の名前すら不明の謎の賢者。
 真相は私ですら知らず、八雲紫のみが知り得るという。
 そして唯一の男性賢者であると、それ以外の特徴は誰も素顔を見た事がなく、また出歩く時は深く顔が隠れる程のフード付きの外の世界で言う制服を身に付けているというくらいね。

「……」

 まあ答えは案の定沈黙で返される訳だけど、というかその1つの議題すらマトモに受け答え出来る賢者が居ないなんて幻想は終わりを迎えるんじゃないかしら……。
 ここは威厳を改めて知らしめる為にも私がビシッと……。

「目はともかく、小鳥遊楽は確実に始末しろ。奴の体内に巣食う闇は幻想郷を破壊するには十分な力を持っている。そもそも外の世界の産物など侵入させた時点で破壊する以外になんの意味がある、議題に挙げる事自体が我ら賢者の侮辱になっていると知れ」

 ────────。
 私は唖然とした。
 その男性賢者が初めて喋ったことに対して驚いたのでは無い。
 その男性賢者の声を初めて聞き、そして俯いていた顔が喋る時に若干上がったことによって微かに見えたその顔に……。
 その動揺を悟られたのか男性賢者は瞬間で私との間合いを詰め喉元に闇色の剣を突き立てていた。
 円卓の卓上に乗り上げ片足で私を押さえ付け直上になる様に私の喉にまた深く刺さりこみそうな、そして見上げるフードの中の顔は何故か今度はよく見えず、うっすらと紫色の2つの視線だけが私に対して明確な殺意を持っていた。
 彼は言葉を今後2度と発さないだろう、そして今私を殺そうとしないのもそういう理由なんだと分かってしまった。

 ────本当に酷い因果だ。

 運命とは残酷で数多の世界の糸がどう絡み合えばこうなるのか、そう考えるだけで途方も無いときを過ごせそうだ。
 彼はしばらくその緊迫した状態を続けると剣を消失させ元いた席へと着席した、彼がそうであると分かった以上は下界の楽、そして闇色海色にこの事を伝えるのは宜しくない。

「今起こったことについての問いは一切赦さん、彼の提案に乗っ取り小鳥遊楽の抹殺を行う方針で今後の作業を進行していく形を取ろうかと思う。闇が暴走してから手を打っては遅いからな、異論はあるか」

 この問い掛けに反応するものは藍を含め誰も居なかった。
 腐っても彼女らの目的は幻想の存続と幻想の繁栄、そして幻想としての秘匿。
 首を傾げる事ばかり引き起こしてはいるが重要な時には頼りになる奴らなのだ。
 この議題が成立した後、幾つかの議題が各自より問い投げられた。
 どれも語るに及ばないもの故一蹴にし、会議が終わりを迎える頃には男性賢者、私の2人のみがその場に残っていた。

「……貴方は、その……いつの──」

 ストンという音と共に彼の姿は私の視界から逃れていた、そして音の正体を知るべく円卓の卓上に視線をズラすと小型のナイフが突き立てられていた。
 これ以上詮索するなって意味合いなんでしょうね。
 彼らしいし私には手を出せないところも、それもまた彼らしい。

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