光の幻想録

ホルス

#3 変質の夢

 鋼鉄の寝床、それは左右の腕と足を固定する金具が施され、あの人は何一つ身動きの取れない状況下にあった。それがこの世界に迷い込んでから出会った『初めての人間』によって仕組まれた罠だった事が災いし、あの人はこの世界を酷く憎み恨み、そして拒絶するだろう。
 私はあの人の叫び声をただ目を背けて聞き続けていた。あいつによって……あの人のDNAを採取するだけだと聞いていたのに、あいつはよりにもよって!あの人から大事な物すら奪ってしまった……!!

 ──施術が終わり消灯される鋼鉄の寝床。
 この人は体の中身を弄られ完全な瀕死の状態だった。腸は引き裂かれ血は過度に流出して、もはや肌は青白く……呼吸は殆どしていない。
 『あと数分もすればこの人の命は間違いなく潰える……』そう考えた瞬間には私は行動していた。

「借りだとは思わないでよね……貴方から作られる──は、この街に大きな進歩を促してくれる。素材提供料とでも思えば良いわ」






 目を覆う様に彼女の手がゆっくりと視界を覆い安心する様に眠りに就こうとした瞬間に、両の腕に大きな痛みを感じ飛び上がった。

「ッッ……!!?」

 夥しいほど冷や汗をかいていた。
 酷い夢を見た……あの夢の痛みが我が事のように感じ、今もその痛みが蓄積されているかの様に体に恐ろしい負担が掛かっている。
 余りにも耐え難い痛みが全身隈無く絶え間なく巡り続ける。息を荒らげ悶絶しながら……しかし声は殺し耐え抜く。
 それは時間にして1分にも満たない僅かな時間であっただろう、しかし彼にとっては人生において最も長く苦しい1分であったことに障りはない。
 落ち着いた所で体を確認するが至る所から僅かな出血痕が有り、まるで刃物で切り裂かれたかの様な切り傷が至る場所に存在した。
 まるで夢に出ていた施術を受けた人の様に、惨たらしい役目を請け負ったかのように。

「お前の仕業か八雲の使い……」

 蚊の鳴くような小さい問い掛けに応えるは、空間を捻じ曲げ亜空間を我がものとする八雲の使い。

「私な訳が無いでしょうに。そもそも私が質問したいくらいよ、致死量の出血を経て何故まだ意識があるのか」

 気が付いた瞬間寒気がした。 そうだ……この部屋は博麗から借りた寝室に相当する部屋で、元の壁の色装飾はこんなにも赤くはなかった。つまりこれは──。

「俺……にも分からない事……すまねぇがもう休ませてくれ……」

 虚ろな眼、そして佇まう『彼とは違う』何者かの気配。この男は間違いなく我らが幻想に亀裂を入れ込み崩壊を招く異端の者。
 到底そんな時間を与える暇もなく調査を行いたい所ではある。
 しかし私の心に何かが引っかかって、最後の1歩を踏み込む事が出来ない。 それは自分でも分からない、自身の事なのに分からない。凡そ数千年生きてきた私が抱いた初めての感情だった。
 ──後にそれは『恐怖』と呼ばれる人間が抱く感情の一種である事が判明した。

「──今宵は夜も老けている、その醜い体をしかと休めると良い。だがお前は常に我が管轄下の中ある。不穏な動きを少しでもすれば即刻そのそっ首を跳ね飛ばす。夢々それを忘れない事だ」

 彼は安堵の表情で自身が寝ていた寝床へとそのまま背から倒れ込む。あれはもはや気絶と言うものだろう。有り得ぬ程のダメージをその体が受け、血を飛散させこの部屋一面を全て赤く染め上げるだと……?そんな状態に至るまでの傷を負う人間が何故生きている。五体満足と呼べぬ状況であろうと生きている事自体がこいつは異端なのか……?
 我らが幻想の結界に亀裂を刺し込む程の何かが必ずこの男にはある。それを突き止めるまで警戒を怠ってはならん。

「──良いな」

「承知致しております」

 女の声が2つ。それは聞こえたかと思うとその後の声は途絶え真夜中の暗闇に消え行く。
 ──静まる幻想。辺りには何も見えず、ただひたすら闇が蔓延しそれは漆黒に覆い隠す。
 ──今宵の月は『紅』の新月であった。

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