ドッペルゲンガー
ー2ー
「もうこんな時間か」
目が覚めてから数分、頭がはっきりとしてから手にしたスマートフォンで時間を確認する。表示されている時刻は昼の一時過ぎだった。
「すっかりダメ人間だな」
狂いきった自分の生活リズムを自嘲気味に呟いてから、ゆっくりと身体を起こす。
芝原 将暉(しばはら まさき)、二十歳。
浪人二年生、とは言っても真面目に浪人生をしていたのは一年目だけ。二回目の大学試験失敗の後からは、完全にニート状態になっていた。
「あー、どうしてこうなったかね」
いつの間にか起床の挨拶代わりのようにこぼすようになった口癖。緩慢な動作でベッドから足を下ろし、端に腰掛ける。
「腹へったな。なんかあったっけ」
ゴミや物が散乱する部屋を見回しながら、ぼさぼさの頭を手でクシャクシャと撫でる。
「なんもねーか」
台所へと向かうために立ち上がりながら、スマートフォンの画面を表示する。ロック画面に浮かんでいる時刻はもうすぐ一時半になろうかとしていた。
「あー……いっぱい掛かってきてるな。めんどくせ」
不在着信を知らせるアイコンをちらり一瞥し呟くと、ロックを解除してホーム画面に遷移させる。
不在通知の横に小さく書かれた数字は六を示していた。
「どうするかな……」
面倒くさいとは思いながらも端末を操作し、着信履歴の画面を出す。予想通りそこには、何件も立て続けに並んだ実家の電話番号があった。
「……また掛かってきた時でいいか」
一瞬躊躇った後、結局面倒くささが勝りかけ直さないことにして将暉は台所を漁り始める。
「なーんも無いな。そういや最後に買い物に行ったの、五日前だっけ……」
綺麗にすっからかんな冷蔵庫の中を眺めながら、まるで他人事みたいな口調で言う。冷蔵庫の前で突っ立ったまま、将暉の中で面倒くささと食欲の格闘が交わされる。
「……仕方ない、出掛けるか」
しばし悩んだ末に出た結論はそれだった。己を苛む空腹感には勝てそうに無い。
「金、いくら残ってたかな……」
外に出るための準備を整えながら、頭に浮かんだ不安感。
適当に髪をとかし、うがいだけしてから洗面所を出ると、六畳一間の部屋に掛かったジャケットの所へと向かう。
「まだ余裕はあるか」
ポケットから財布を取り出し中身を見れば、残金はまだそれなりにあった。
とは言え仕送りが入るまでは、まだ少し日にちが空いている。外食や出来合いの物を買うのは、出費としては大きい。
自炊ならば上手くやりくりすれば節約になる。台所、流しに目をやれば溢れそうに積まれた、汚れ物の山が見えた。
「……昼は外で食うか」
結局ここでは先を見越した堅実さより、今やらなければならない手間への面倒くささが勝った。
「さて、と」
部屋を出て歩きながら、どこへ行くのか思案する。
手軽に済ませる選択にしたが、今度は外で食べるのかそれとも買って帰って食べるのか、という問題が突き付けられる。
しばらく歩き住宅地を抜けて、大きな道路に面した通りに出た。この通り沿いにはコンビニ、ファーストフード、ファミレスと並んでいる。
ここから駅の方へと歩けばいつも利用するスーパーがあった。
「さすがに寒くなってきたな……」
十一月も半ば、外の空気や吹いてくる風はすっかり冬を感じさせる冷たさだ。
「もう一枚着てくればよかったか」
どちらへ向かうのか、左右を見回しながらぼやくも時すでに遅し。今からまた来た道を引き返し、部屋に戻り上着を取ってまた外に出るのは億劫である。
「こっちだ」
寒さもしのげて、食事も気楽に済ませられる。その思いから選び足を踏み出したのは、ファミレスのある方向だった。
しばらく歩き、目的の建物が目に入ってきたところで将暉は足を止める。
「……やっぱりコンビニにするか」
言って踵を返し、来た道を逆に歩き出した。
ファミレスの内外、視界に映った何人もの学生服姿がそちらへ行くことをやめさせた。
脳裏をよぎったあの頃の光景と重なって、そのまま進む事を将暉の心が拒絶したのだ。
引き返してすぐに少し前方の横道から、数人の学生姿が現れる。
「……ちっ」
反射的に舌打ちし、俯いてそのまま足を進めた。無意識に早歩きになりながら、楽しそうに話ながら歩く学生たちの横をすり抜ける。
(俺の邪魔をするなよ)
狭くはないがさほど広くも無い歩道を、不規則に並んで通行する事に対してか。
それとも今の自分の行き先を塞ぐ、学生と言う存在に対してのものか。
どちらに向けたかはわからない苛立ちが、将暉を暗く重い気分にさせる。
「は? ドッペルゲンガー?」
「そうそう、ドッペルゲンガー。見たらしいぜ、一昨日……」
すれ違い様に聴こえた学生たちの会話の中の、妙なフレーズが耳に残った。
(ドッペルゲンガー? あの、都市伝説の?)
聞き取れなくなる間際の一言、『見たらしいぜ』に違和感を覚える。
(ドッペルゲンガーを見た、だって……?)
昔からそこかしこで見聞きしてきた、馴染みのある都市伝説の一つ。それを見た、というのが将暉は妙に気になった。
「……まぁ、中二病ってやつだろ、どうせ」
歩きながらしばらく考えて、そして出てきた結論はそれだった。
思春期にはありがちな自分へ抱く特別な存在感、他人とは違うことを誇示したくなる衝動、そういった類いの妄言である、と。
「さて、適当に買って帰るか……」
前方に見えてきたコンビニ、やるべき事があるのだからと現実に帰ってくる。
そんな思いをどこかに浮かべながら、将暉はそこへ向かって歩いていった。
さきほどの嫌な気分から目を逸らし、振り払うように。
目が覚めてから数分、頭がはっきりとしてから手にしたスマートフォンで時間を確認する。表示されている時刻は昼の一時過ぎだった。
「すっかりダメ人間だな」
狂いきった自分の生活リズムを自嘲気味に呟いてから、ゆっくりと身体を起こす。
芝原 将暉(しばはら まさき)、二十歳。
浪人二年生、とは言っても真面目に浪人生をしていたのは一年目だけ。二回目の大学試験失敗の後からは、完全にニート状態になっていた。
「あー、どうしてこうなったかね」
いつの間にか起床の挨拶代わりのようにこぼすようになった口癖。緩慢な動作でベッドから足を下ろし、端に腰掛ける。
「腹へったな。なんかあったっけ」
ゴミや物が散乱する部屋を見回しながら、ぼさぼさの頭を手でクシャクシャと撫でる。
「なんもねーか」
台所へと向かうために立ち上がりながら、スマートフォンの画面を表示する。ロック画面に浮かんでいる時刻はもうすぐ一時半になろうかとしていた。
「あー……いっぱい掛かってきてるな。めんどくせ」
不在着信を知らせるアイコンをちらり一瞥し呟くと、ロックを解除してホーム画面に遷移させる。
不在通知の横に小さく書かれた数字は六を示していた。
「どうするかな……」
面倒くさいとは思いながらも端末を操作し、着信履歴の画面を出す。予想通りそこには、何件も立て続けに並んだ実家の電話番号があった。
「……また掛かってきた時でいいか」
一瞬躊躇った後、結局面倒くささが勝りかけ直さないことにして将暉は台所を漁り始める。
「なーんも無いな。そういや最後に買い物に行ったの、五日前だっけ……」
綺麗にすっからかんな冷蔵庫の中を眺めながら、まるで他人事みたいな口調で言う。冷蔵庫の前で突っ立ったまま、将暉の中で面倒くささと食欲の格闘が交わされる。
「……仕方ない、出掛けるか」
しばし悩んだ末に出た結論はそれだった。己を苛む空腹感には勝てそうに無い。
「金、いくら残ってたかな……」
外に出るための準備を整えながら、頭に浮かんだ不安感。
適当に髪をとかし、うがいだけしてから洗面所を出ると、六畳一間の部屋に掛かったジャケットの所へと向かう。
「まだ余裕はあるか」
ポケットから財布を取り出し中身を見れば、残金はまだそれなりにあった。
とは言え仕送りが入るまでは、まだ少し日にちが空いている。外食や出来合いの物を買うのは、出費としては大きい。
自炊ならば上手くやりくりすれば節約になる。台所、流しに目をやれば溢れそうに積まれた、汚れ物の山が見えた。
「……昼は外で食うか」
結局ここでは先を見越した堅実さより、今やらなければならない手間への面倒くささが勝った。
「さて、と」
部屋を出て歩きながら、どこへ行くのか思案する。
手軽に済ませる選択にしたが、今度は外で食べるのかそれとも買って帰って食べるのか、という問題が突き付けられる。
しばらく歩き住宅地を抜けて、大きな道路に面した通りに出た。この通り沿いにはコンビニ、ファーストフード、ファミレスと並んでいる。
ここから駅の方へと歩けばいつも利用するスーパーがあった。
「さすがに寒くなってきたな……」
十一月も半ば、外の空気や吹いてくる風はすっかり冬を感じさせる冷たさだ。
「もう一枚着てくればよかったか」
どちらへ向かうのか、左右を見回しながらぼやくも時すでに遅し。今からまた来た道を引き返し、部屋に戻り上着を取ってまた外に出るのは億劫である。
「こっちだ」
寒さもしのげて、食事も気楽に済ませられる。その思いから選び足を踏み出したのは、ファミレスのある方向だった。
しばらく歩き、目的の建物が目に入ってきたところで将暉は足を止める。
「……やっぱりコンビニにするか」
言って踵を返し、来た道を逆に歩き出した。
ファミレスの内外、視界に映った何人もの学生服姿がそちらへ行くことをやめさせた。
脳裏をよぎったあの頃の光景と重なって、そのまま進む事を将暉の心が拒絶したのだ。
引き返してすぐに少し前方の横道から、数人の学生姿が現れる。
「……ちっ」
反射的に舌打ちし、俯いてそのまま足を進めた。無意識に早歩きになりながら、楽しそうに話ながら歩く学生たちの横をすり抜ける。
(俺の邪魔をするなよ)
狭くはないがさほど広くも無い歩道を、不規則に並んで通行する事に対してか。
それとも今の自分の行き先を塞ぐ、学生と言う存在に対してのものか。
どちらに向けたかはわからない苛立ちが、将暉を暗く重い気分にさせる。
「は? ドッペルゲンガー?」
「そうそう、ドッペルゲンガー。見たらしいぜ、一昨日……」
すれ違い様に聴こえた学生たちの会話の中の、妙なフレーズが耳に残った。
(ドッペルゲンガー? あの、都市伝説の?)
聞き取れなくなる間際の一言、『見たらしいぜ』に違和感を覚える。
(ドッペルゲンガーを見た、だって……?)
昔からそこかしこで見聞きしてきた、馴染みのある都市伝説の一つ。それを見た、というのが将暉は妙に気になった。
「……まぁ、中二病ってやつだろ、どうせ」
歩きながらしばらく考えて、そして出てきた結論はそれだった。
思春期にはありがちな自分へ抱く特別な存在感、他人とは違うことを誇示したくなる衝動、そういった類いの妄言である、と。
「さて、適当に買って帰るか……」
前方に見えてきたコンビニ、やるべき事があるのだからと現実に帰ってくる。
そんな思いをどこかに浮かべながら、将暉はそこへ向かって歩いていった。
さきほどの嫌な気分から目を逸らし、振り払うように。
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