アナザー・ワールド 〜オリジナルスキルで異世界とダンジョンを満喫します〜

Blackliszt

246 カノンコード

「花嫁が花婿と、そして勇敢に竜の試練に立ち向かった英雄たちの活躍により我らの元に帰ってきた──さあ!パレードを始めよう!」

 なんという順応力。悪には屈しない。これこそがロイヤルブランドの威厳か。

「この子がウィルとアイナの息子ね・・・かわいい、うーんけどもういかないと。ソフィア、後にまた内々の披露宴など大事な会があります。今のうちにしっかりとお休みなさい」
「はい、お母様」

 疲労が心地いい。神の所業スローライフと題して、睡眠という行為を生物に課したことだけは評価してもいいかな。睡魔に勝てずに微睡の更なる深みに沈む背徳感ときたら堪んないよね。もう多少の悪夢じゃ僕は動じないんだからさ、暗闇だって怖くない。

「この年で冒険者だって聞きましたけど、綺麗な肌・・・それにいい香り」

 ・・・くすぐったい。誰だよ、人生のアップデートによって復活した僕の餅のような頬を押したり撫でたりしてるヤツは。

「あ、目をお覚ましになられましたわウィリアム様!」

 レム? ノンレム? ノン-モチモチ?・・・そう考えると、大人になるのもちょっと考えものだな・・・はぁ。わかった、わかりました。起きます、起きますよ・・・?

「うわっ!」
「あら・・・消えた?」
「反射的に瞬間移動しちゃったか・・・恥ずかしかったのかな?」

 公爵城より上空1,200mにて。目の前に、あんなに近く女の人の顔が・・・思わず瞬間移動しちゃった・・・ここは城の上空か、数メートル移動したつもりがこれである。くしゃみして漏らしちゃう子供かよって、まあ体は子供なんだけど、おねしょするような齢でもないんだな。

「ん? ウィリアム様・・・?」

 そういえば、微睡の中で父さんの名前が呼ばれていたような。つまりあの場所に父さんもいた?なら、同じ感覚で跳び直せば戻れるはず──。

「だからウィリアム様はよしてくれって、な?」
「いいえウィリアム様は我が国の国民たちを魔の巣窟から救い出した英雄様なんですから、どうかよしなに取り計らわせて」
「この状況なに!? 父さん!」
「ください・・・あっ、戻ってらした」
「リアム、こちら第一王女のソフィア様だ。さっきの演劇中に暴走したエネルギーが魔力リンクを逆流して襲われたのでな、俺がお前の側にいたから護衛も兼ねて好都合だとご一緒に療養なされてたんだ。あっ。兼任だからって、やきもちは妬くなよ?」
「妬くなよ〜?・・・フフ、ごめんなさい。つい、フフ・・・そうだ! そういえばリアムさんは件の渦中、お城に巣食っていた悪を退治なされたのでしょ?その齢で流石ですね。それに比べて私は・・・やっぱりちょっと妬いちゃいそうです」
「えっ・・・あ、はいそうです。そうでしたっ!・・・そうでした?・・・ッ!父さん、今!」
「まだ大丈夫だ。俺たちの出番まであと1時間ある。だからそろそろ起こそうと思ってたところ、ソフィア様にお手伝いいただいたんだ」

 さっきの感覚が残っているうちに戻ってみれば、そこにいたのは父さんと、美しくも可愛らしいちょっとお茶目なソフィア様。・・・うん、まあよかったんだけどさ、良かったんだけどね?

「さあこちらへ、リアムさん」
「あの、いったいこれはまたどういう」
「寝癖が・・・この髪型も非常に可愛らしいですけど、民衆の前で披露されるには些かカジュアルすぎるかもしれません。ですから私に御髪を整えさせていただけたらと」
「げへッ!?」

 驚きすぎて変な声出た。家族以外の女性に、それも一国の王女様に髪を整えてもらうとか、ファ!? だよね。

「いつもはしてもらうばかりですから、新鮮な気分です」
「ああ・・・なるほど」
「パレードも早めに私だけ切り上げさせていただきましたの。だから、私にできるのはこのくらいで・・・」
「いえ・・・その・・・はい、僕なんて疲れて寝ちゃって。それに比べてしっかりお仕事をこなされているソフィア様はとても素晴らしいと思い・・・ます」
「そうですか? ・・・それは、嬉しいお言葉ですわ」
「自分の体と相談して仕事に打ち込むか否かの判断を下すのは大事なことです。ましてや・・・その、王族の方なんですから・・・程々にご活躍なされればと・・・程々が・・・程々で・・・ふぅ」

 年頃の女性に髪に触れて整えてもらうなど、初めての体験である。おかげでリアクションは中学生男子並みである。・・・である。

『あー・・・幸せなんだか、明日死んじゃうのか。死ぬのはヤダな〜・・・でもたぶん、幸せなんだろうな』
『こういう時”甘えたこと言ってるんじゃねー” ってビシッと言わないのか?・・・たしか』
『”公人って何なん? 投票しようが別に命まで投げて託してるわけじゃないんだが?お前の代わりなんて延べあと1億2千万人いるんだ、国民の血税なんだと思ってんだよ。あーよかった、まだ選挙権なくて”・・・ 引用、15歳、病院のベットにて高校1年生がとある政治家の汚職ニュースを見てぼやく一幕より。・・・驚きました。最早発言が中年のジジイですね』
『やめてよそんな昔のこと引っ張り出すの。あの時は薬の服用直後でちょっと虫の居所が悪かったの。それにここは民主主義国家でもなければ王政主軸の君主国家なんだからさ。非国民は僕の方、長いものには巻かれろってね』

 この国にはたしかに法律があるが、決して王の権力に制限をかける立憲君主制のような明言はなく、憲法なるにしては曖昧で王政の国である。だってさ、そのバックには本当うんざりするくらい”王”とはっきり呼称される現象にして強大な力を持つ存在がいて、権力が唯一の武器のはずの王に全ての国民vs王族と多対1族の戦争をしても自衛できるほどの武力があるって感じでパワーバランスがおかしいんだから、王様に法で制約をかけようとしたってそもそもが無理な話である。ただし、貴族院を設置して平時の法律の改善、改革をさせているのが唯一の救いであるな。でも最終決定権はやっぱり国王にあるの・・・一方で民主主義と独裁も紙一重ってね、ときに当時最も民主的と言われた憲法を実践する国を合法的に僅か14年で崩壊させてしまい、たくさんの映画や小説、論文にも取り上げられるどこか懐かしき独裁政権に近い形態をとっているかもしれない。そう考えると、王政と言い張ってるだけ純白といえるのかな?・・・うーん、わからん。

『と言ってもファシズムに傾倒する国は魔族との暗黒期と聖戦を経験した今、ギリッギリ軍事国家のトロイが挙げられるくらいなわけで・・・違う世界の、違う国の、違う制度をとる体制批判をすること自体ナンセンスなことなのかな・・・』
『社会心理、行動学的にいえばいずれ王政を廃止するべく闘争が起こるんでしょうか?』
『さあ?魔法やらダンジョンやらあるから比較的民衆の生活や欲求は満たされてるし、どうだろう。雷帝っていう絶対的強権がある割に支配に対して不思議と生活に強制的な理不尽さを感じることもなければ、奴隷制もあるけど平和っていえば平和だし・・・国民の大多数が政治構造を理解できるだけの知恵をつけてきた時が勝負なんじゃないかな?革命によって血が流れるのか、流れないのかはその時次第』

 革命は訪れるべくして訪れる。でも・・・そうね、そう考えると僕だってね、自分の幸せを求めて、かつ、幸せであったっていいと思うんだよね。人類みな幸せ、叶うことならこれ以上幸せなことはないのだからさ。

『人の不幸は蜜の味、誰かの不幸は誰かの幸せ。はい論破』
『メールへンッに浸りたいな! そのくらいの権利ならあるよね!』
『マスターのはメルヘンではなく下心です。下衆いですね』
『・・・もう、何も言うまい』
『言ってるじゃないか』
『口にはしてないだろ!』

 僕の心には不法侵入者がいるんだな。それも二人も。おい、ケラケラと僕を馬鹿にして笑ってるお二人さんよ、ええ加減にせえよ。・・・というかハイド、君もう完全復活したってことでいいのかな? ・・・違う? ただ眠くないだけだって、力の余韻を楽しんでるとかどうでもいいからさっさと寝ちゃえよ。ああはいはい、起こしたのはたしかにボクだけどさ! ちょい待ち・・・さすがに無理。・・・今度は同族の力をモロに浴びたから2、3ヶ月は起きてられるって、それ冗談だよね? 

『こんな生活が後2ヶ月も・・・』
『最長で3ヶ月だ。態と省くなよ』
『うるさい! 2ヶ月も3ヶ月も一緒だろってーの!』
「はいっ! 完成!」
「・・・え???」
「どうかなされました? ・・・お気に召しませんか?」

 ちょっと、いきなりすぎて理解が追いつかないので心の中でもう一度尋ねるとしよう・・・えっ、あんだって? 今なんておっしゃられました? 何か完成したとかどうとか。

『はい、お疲れ様でしたー』
『お疲れ。ふぅ、いい仕事をした』
「君らねー!」
「あっ、あの・・・気に入らない?」
「はっ・・・今のは違くって、これがボク・・・ってとても信じられないくらいの素晴らしい出来に感極まっちゃって・・・ハハッ」

 君らねー!って言ったんだけど、気に入らないって聞こえちゃったのなら本当すみません。違うんです、悪いのはこいつらで、ソフィア様はなんっっっにも悪くありません。・・・でもそっか、本当に終わっちゃったんだね。いやほんと、こう爽やかで強気な感じ?男前なのに非常に上品に仕上げていただいて、ありがとうございます。そして情緒不安定でごめんなさい。側から見ればいつものことながらただの変人だよね。父さんは事情を知ってるから堪えてるようだけど、それでもやっぱり肩が震えてるし心の中で大爆笑してるのはわかるよ。

「さあ、お集まりのみなさん。次のプログラムはパトリック様、並びにフラン様のご友人方による音楽の贈り物です」

 ──そして時は僅かに流れ、ソフィアに髪を整えてもらってから1時間後。

「ありがとうリアム。直前にこんなことお願いして」
「いいんです。僕も心配ですから。退場は僕と一緒に、その後はフヨウさんの側にいてあげてください」

 場所は変わって、玄関前に特設されたステージにて。

「・・・さて」

 ということで、ここからは先ほどと打って変わって緊張の時間である。 

「行こうか」

 他のみんなはもう先にステージに上がって準備している。

「・・・胃が」
「マスターってほんと」
「お茶目さん」
「・・・幻聴が」
「おい」
「私たちは幻じゃないんですが」

 みんなの楽器の調律も終わって、スタンバイできたところで僕は徐に右足から踏み出し、ステージに上がる。すると会場中から僕の登壇を迎える拍手が鳴り始める。いつになくド緊張してきた・・・いつもはどっちから踏み出すかなんて剣術じゃあるまいし稽古中以外気にもしないんだけどな。注意散漫なわけでもないはずなのに、今は躓いてコケないことばかりが気がかりだ。下半身が鈍感になっていて、耳から入ってくる音や鼻腔を通る空気の流れ、ニオイが鮮明で腰より上がやけに敏感である。自律神経の乱れが著しい。口の中の舌は奥から得も言われぬ痺れを感じ取り、瞬きをするたびに額やら前頭部が刺激される・・・鯔のつまり、これだけ取るにとらない日常の微感覚を意識的に処理してるってことは、注意散漫なわけだ。

「・・・」

 みんなの顔が見えて、見られてる。ニーチェ曰く、深淵を覗く時また深淵も・・・あー余計なこと考えるなぁ。きっと下半身が鈍く重いと感じるのは、全身が敏感になってるが故に、体にかかる重力負荷をいつも以上に感じてるからだ。そしてこれをストレスだと思うな。これは緊張であって、ストレスじゃない。緊張であって、ストレスじゃない。・・・緊張もまた、時として僕らに成長を促す大切なファクターだ。だから大丈夫、この緊張を乗り越えた先に、きっと──。

『・・・あれ』

 きっと──。

『終わったの・・・?』

 最初の音が産声を上げた瞬間、僕の脳内風景は一気に塗り替えられた。ガラリとではなく、あくまで風が吹き抜けるように、心地よく麦を揺らす畑の中を通る1本の街道を行く荷車、青い空に薄く伸びる雲、街を囲む壁の関所の門は上がっており、更に少し遠くには民を見守るようそびえる立派な城が見て取れる。それを僕は畑の更に外側から、全てを眺められる丘の上から見ているのだ。このイメージには覚えがある。壁外をぐるっと取り囲むように耕された麦畑はダンジョンと並ぶ、もう1つのノーフォークの風物詩。畑の中を吹き抜ける風は正面側から僕の思うがままのタイミングで心地よく前髪を揺らす。それは、楽しむなんて余裕もあったのかどうか怪しいほどにあっという間の3分間だった。季節は違えども、初めて街の外へとでたあの日、昼は緑に揺れ、夕方には黄昏に化粧され風になびく幻想的な麦を想像した。

「・・・終わっ」

 なんらあの時の理想と変わらぬ風景は、光と風の共演に終止符が打たれたその時こそ再び記憶となって埋もれるはずだった。なのに僕の妄想の中で麦は未だに揺れている。風はもう吹いていないのに、僕の望んだ喜びとして頭の中から焼き付いて離れない。

「足が動いてくれない」

 ・・・が、喜びはそう長くは続かない。新しい風が吹き荒れる。種類が変わった・・・嵐、雷? さっき登壇した時に拍手が鳴っていたのに、今、鳴り止まず、鼓膜をけたゝましく叩くこの衝撃はなんだ。・・・ものすごく、楽しかった。集中しすぎて時間を忘れた。本や映画に夢中になって忘れるのとはまた一味違った感覚である。一瞬で、演奏者たちみんなと目があった気がした。すると自然と腕が、手が上がって・・・現実と理想の重なりを追求し、この化学反応によって心の底から湧き上がってくる熱を目の前で演奏するみんなに、背後の観客みんなに、そしてパトリックとフランに伝えるのに必死になっていると、いつの間にか・・・終わってた。

『動け・・・』

 大勢と共有する音楽とはこんなにも素晴らしいものだったのか、はたまた章節、小節、1音と音を追っていくごとに味わえる。なんと恐ろしいことか、指揮棒を振るごとに趣向を凝らし、この時間を最高のものに仕上げたいという2つの情熱と満足の交わりが歪となり、現実と僕の時の刻みに誤差を生んでしまった。

『フルート、クラリネット、オーボエなどの管楽器の緩やかで優しいハーモニーから始まり、リズムをとる弦楽器の弾ける音、中盤に徐々に華やかさを付け足し演出してくれるトランペットや・・・』
『マスター』
『終わったぞ』
「・・・ああ」

 E=mc^2って知ってるかな。今ね、数式ではとても表せない緻密な何かが絶対にあったんだよ。pはこの際観測し難いのであまり重要じゃない。かと言って僕は指揮台の上で立ち位置はほとんど微動だにしてなかったわけなのにこんなに、疲れてるっていうか、やり切ったって。だが、いつまでも呑気に突っ立ってるわけにもいかない。まだ僕たちには次がある。

「素晴らしい演奏でした。この後に・・・緊張してきました」
「・・・褒めてつかわす」
「どうも」
「お褒めに預かり光栄にございます。それじゃリアム」
「はい、また後でアオイさん」

 僕と、それからもう一人・・・がステージから引っ込むと、バトンタッチして今度はブラームスとマリアがステージに上がっていく。

「・・・」

 ボーッと熱っぽい。すれ違った2人の背中を思わず無意識に追う。するとステージ上では、指揮台を撤去し重くて大きなグランドピアノが運び込まれ、まだ舞台に残っている奏者たちの中からミリアが合流する。

「・・・」

 ぜんぜん、興奮が治らない。1曲目のこの興奮を果たして次のカノンへと繋げてしまっていいのか・・・一か八かの賭けになるが、そうするべきなんだと、僕の中で理性が自制を融解するという不思議な現象が起こる。

「公爵様ですね・・・」
「母上にミリアまで・・・」

 1曲の演奏が終わり、リアムがひっこんでカーテンコールに出てくることもなければ、奏者たちが捌ける様子もなく終了のアナウンスが流れないことを観客が不思議に思っていると、舞台にブラームスとマリアが上がってきたではないか。プログラムには1曲しか記されていなかったが?

「パトリック様」
「フラン・・・これは僕も知らない。いったい何を・・・」

 突然ステージに現れた父と母にいったい何をするつもりなのかと呟いたパトリックであったが、ステージ上、ブラームスにはチェロが手渡され、ミリアが運び込まれたピアノの席に腰をかけたのだからもう頭では何となく理解していた・・・しかし、溢さずにはいられなかった。

「〜♪」

 ──そして、始まった。最初は左手でD、レの音でミリアのピアノから、直ぐに右手が合流してしなやかに左から右へ、右から左手へと音が移ろいでいく。・・・レの音か。2オクターブも違うしちょっとこじ付けがましいけど、それでも感慨深いな。あの頃の君と比べたら雲泥の差、ペダルにばかり頼らず指の音の繋がりも大事に、完璧で素晴らしい伴奏である。緊張などお構いなしか、のびのびと、早速体の中心の線が楽しそうに左右に揺れている。なにより愛に満ち溢れ、親子の上下関係など気にも留めず堂々と胸を張って信頼をアピールしているのが君らしい。 

「〜♪」

 次に、ブラームスのチェロがカノンを紡ぎ始める。領民をまとめる大貴族でありながら、大黒柱でもあるブラームスの演奏は実に気品があり頼もしい。弓を横に引くたびに紡がれる音は、曲に安定を、心に安寧を齎す。

「追いかけっこ」

 また、メインとなるメロディが始まるのはここからだ。ブラームスから始まった主旋律はその時その時で変わる。2人で担うカノンでは交代ずつで奏でられていく。やがて──。 

「Uh〜Uh〜Uh〜Uh〜♪」

 鼻から漏れるように、既に完成していると言っても過言ではない音の狭間に糸を通すように始まったマリアの歌唱。

『うつくしい』

 まさに至福の光景である。この圧巻の雰囲気に呑まれ誰一人として雑音を口から発せなければ、咳払いもくしゃみもしない。自分の呼吸音すらも邪魔で息をしてしまうのも忘れてしまうくらいの静音──完璧なる、音による支配(ハイジャック)。

『父上、母上、ミリア・・・』

 前からも後ろからも、みんなに見守られながらの声出しでも全く擦りやブレがない。声帯の緊張具合によっては息継ぎの難しいこの旋律で今のところ失敗という失敗が見受けられなんだ・・・さすがだ、マリアはステージに上がる前僕に緊張すると言っていたが、いざ入ると雰囲気が一瞬にしてガラリと変わった。こういう正念場にはもう馴れっこということなのか。

『十分に完成されている。だけど、あともう一押し。そんな単純には終わらせない』
『はい、それでは光学を解除します』

 だがただ美しいと、そんな単純には終わらせない。

「さあみなさん、祈りますよ」
「ルキウス!?」

 雑音。突然この完璧な音が支配する空間に割り込んできた声は、ノーフォークスクール学長のルキウス・エンゲルスの声・・・彼にこの提案を持ちかけた僕がいうのもなんだが、よく割り込めたな・・・でもね──。

「・・・?」

 思わぬ雑音にカノンの世界から引き戻されたミリアが全身から湧き出る集中を持て余すと、どこに隠れていたのか、そこにはスクールのマントで正装したたくさんの子供たちが立っていた。もちろんその中には、ウォルターをはじめリアムを除くアリアのメンバーたち、ウィルやアイナや元アリアのメンバーたち、ヴィンセントやピッグ、ギルド長ダリウスや副ギルド長ハニーに他にも、とにかく、1番目のバッハに参加した皆の姿もある。一体彼らは、この健やかなる祝演の最中に何をしようというのか。

「うそ・・・」

 わからない。ミリアは彼らがこれから一体何をする気なのかわからず混乱する。だが、父のブラームスも、母のマリアも、突然ステージの上に現れたみんなに気づいていない。いや、こんなに素敵な時間を邪魔したんだから、気づいてはいるはずだ。それなのに気にもとめないということは、まさか2人はこれから何が起こるのかを知ってるというのか・・・すると──。

「La〜La〜La〜La〜」

 またもやミリアになんの説明も、家族の時間を邪魔した言いわけもなく突然に始まったのはなんと合唱である。ただしカノンの秩序を荒らすものではなく、寧ろ1つの法則性を持っている。その法則とはマリアの声、つまりマリアの歌唱に合唱が合流していく。魔法で音の大小を調整されたマリアの声を主軸に、一方、彼らの音はただ特設し見えないバリア兼天井の反響だけに任せたものであるから当然負けることもなければ勝つこともないコーラス。

「我らは家族である。さあ、諸君も一緒に歌おうではないか」

 チェロの弓をひく腕を休めずに、ブラームスの声が会場中へと木霊する。美は見る者の目に宿ると言うが、この美はきっと誰の目にも美しく映っていることだろう。つまり、目の前で起こる奇跡の奏演に参加を許された今、彼らがこの魅力的な誘いを断る理由はない。

「これは」

 ・・・が、ミリアの指がついに止まる。現在一丸となってコードを作り上げるみんなを率いているのは、ブラームスとマリアのデュエットである。しかしこれは想定内で最初からわかっていたこと。

「ミリア、ほら手が止まってるよ。演奏を続けて」

 そして、これも・・・ね。

「リアム、えっ?・・・えっ?」
「ほら、奏でよう」
「本当に・・・これって」
「現実だよ。さあ、一緒に」

 僕が左手、君が右手。連弾というにはあまりにもお粗末。一人でこなしていた役割をただ分割しただけ。

『初めて合わせたのに、全然ずれない。それどころかのびのびと弾ける!やっぱりリアムはすごい!』

 だが、分割しただけだからとミリアは全くお粗末には思わない。リアムの左手に合わせてすんなりとまた再合流できたし、それからは私がリードしてるはずなのに、どうして、なぜこんなにも助けられてるって感じるのか。

「リアム・・・もう大丈夫。私、左も行けるわ」
「そっ。それじゃあここからが、本番だ」

 しかしそれだけで終わらなかった。なんとリアムは私の両手の演奏にさらに参加し始めたのである。時たま私の腕の間を縫って、とても近くて・・・あっ、もう少しで触れそうだったのに・・・ときどき遠くに行ったりしてちょっと寂しい時もあるけど、やっぱり彼はまた戻ってきて私の側で、私の隣で、私たちを支えてくれて誰にも勝たず、負けない旋律を作り出していく。

「さあ、皆さんもご一緒に!」

 ナノカの最後の一押し。これも予定通りである。僕1人がブラームス、マリア、ミリアの間に入るのは場違い感というか、どんなに素晴らしい構成の音楽を紡ぎ出そうと拭いきれない違和感があった。だがそれが立場の問題だというのなら、発想を転換するまで。パトリックの家族でありながら、領主の家系でもある彼らに値する存在とは誰か。その答えは”民衆”。ならばみんなで一緒に祝ってしまえば、ごく自然な美しい旋律を奏でられる。

『すごいわ。でも、私が気圧されるわけにはいかない。この曲を知らない人たちでも一緒に歌えるように、ガイドボーカルの役目を果たしてるのだから』
『マリアには民衆が、ミリアにはリアムが・・・圧倒される!しかしならば、ノーフォーク領領主、並びにアウストラリア国公爵として私が! このブラームス・テラ・ノーフォークが皆をまとめて支え切って見せる!』

 中腹、丘の頂上まで後もう少し、心地の良い疲れを癒す旋律の前にまだ見えぬ素晴らしい景色への期待を奮い立たせる予言の歌。

「これが、君と僕のメヌエットになるのかな」

 お手をどうぞと、僕は手を差し伸べてあげるだけでいい。僕は徹底的に君とこのステージを引き立たせる光栄な役を務めさせてもらおう。

「えっ? なにか言ったリアム?」
「ううん、それよりよそ見してると・・・ほら」
「あ、ありがと・・・」

 なんで・・・なんで初合わせでこんな連弾ができるのか。・・・ああ、リアムだからか。彼の才能はズバ抜けてる。魔法だけじゃない。私は音楽という分野においても、一生敵わないかもしれない。

「子供たち。さあいきますよ!」

 パトリック、これが僕の、僕たちができる最高の君への贈り物だ。

「違う違う、そこはね・・・」
「なるほど・・・」
「そうそう・・・」

 偏屈で理屈屋の僕にまさかダリウスと君みたいに素晴らしい友ができるとは──。

「ルキウス・・・どうだった?」
「決まったよ。君の卒業と同時に、僕もノーフォークに行くことになった」
「そうか・・・なら、これからもよろしく頼む」
「まかせてよ」

 あの日、覚悟が決まらないからとフランを頼まれたときのこと、ちょっと驚いたが、君は自分の正義を貫くためならどんな努力も惜しまない頑固なやつだ。

「こいつはダリウス。僕の学院時代の同期で・・・」
「ウッス、俺はダリウスだ。よろしくッ」
「筋肉馬鹿だ。ただの筋肉じゃなくて、馬鹿な筋肉」
「よろしく、ダリウス・筋肉・馬鹿さん」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「お前ルキウスの分身か何かか?」
「ハハハッ! そりゃあいい!」
「おかしいと思ってたんだ。君にはこうするのが礼儀だと、然もなくば筋肉の名の下に・・・言い訳はよそう。訂正し失言を謝罪するので、こんなタチの悪いのと一緒にしないでくれ」

 君は僕が唆そうといつ何時も自分であり続ける。間違っても正しい未来へと修正する。だから、僕は君の一挙一動を信頼できる。実は今、僕はリアムくんから精神分析なる彼の無意識を意識化する手伝いをしてるんだけど、心の底を暴けば僕の方がよっぽど病んでるかもしれない。だから・・・口にはしないけど、僕は君の家族を大切にする正義感とその頑固さに心の底から感謝してる。
 そして──。

『イデア』
『はい・・・』
『・・・もう、僕の訊きたいことはわかってるよね。今回は、前にみたいに逃げられないよ』
『・・・どうぞ、お訊きください』
『じゃあ訊くよ・・・イデア。君、精霊でしょ』
『・・・はい』
『そっか・・・やっぱり』

 祝福の歌の最中、誰かを問い詰めるなど似つかわしくないか、だが、今以外にふさわしいタイミングがあるとは考えられなかった・・・みんなに支えられてる今だからこそ、訊けたんだ。ようやく長年の謎が1つ解けた。やっぱり君が、僕のもう一人の生涯のパートナーだったんだね。ここまで長引かせるなんて、なんて・・・ッ、なんてサディスティックでツンデレさんなんだ。

『やめやめ。今はこのコードを楽しまなきゃ損だ!』
『・・・』
『手を抜けば一瞬にして、繋がりは崩壊する、まあ手を抜く気なんてさらさらないけどね。さあ、どうせだから君たちも歌いなよ』
『・・・ならば、絶世のベーシストと謳われし我が歌唱をご披露いたしましょう』
『俺の歌声はまるで火山の噴火の如く、烈火に包まれるような熱いビートを刻んで』 
『・・・僕も感動に震えたいから、声量はほどほどにね』

 容赦なし。たとえ世が滅びようとベースに専念するオンチVS高音爆音のビートだって?・・・まぁ真面目に歌うつもりなら絶対楽しいし僕は何も言わないが、僕のこの心の振動を相殺しないようほどほどに。

「恥ずかしながら、私はあなたを・・・お慕い申しておりました」

 ・・・一方、表情は崩さない。みんなの・・・領民の、民衆の前であるから。しかしこの感動の嵐の中、私の視線に気付いた彼はいつもみたいに少し困ったように頬を人差し指で3回掻くと、しっかり一度まぶたを閉じてたしかにこっちを見てニコリと微笑む。

「しかしそれももう、叶わぬ定めであると悟りまして・・・パトリック様、フラン様、おめでとうございます。・・・例え人智を超えた厄災があなた方を襲おうとも、身命を賭して私があなた方の大切なものを守る盾となりましょう。ですからこれからもどうかお側に・・・精一杯お供させていただきます」

 パトリックに向けられた微笑みにニコリと笑って返す。私はパトリック様とそのお嫁さんとなった友達(フラン)様の幸せを心のそこから願い、そのためならなんだってできるんだ・・・だから止まって・・・止まってよ。お願いだから、止まって・・・この歌が終わるまでに。もう少しだけ、この歌が続きますように・・・おめでとうございますって心の底から言いたいから。

「フヨウちゃん・・・」
「・・・アオイちゃん。来てくれたんだね・・・私、私ね。今とっても、幸せなの」
「そ・・・なら一緒に歌お?」
「・・・うん」

 この歌声が、私の大切な人たちに、そしてこの空一杯に広がって一人でも多くの人たちへと届き、元気を、愛を、幸せを届けられたら嬉しいな。

「なんと美しく、尊く、愛しい光景であろうか。我々は今、確かに世界からの祝福を受けている。理性だけでは明らかにできないものがあるが、それは決して運命なんて野蛮なものじゃない」
「パトリック様・・・」
「ここにあるのは、人が紡ぎ出す物語の交錯であり、幸せであり、温かさであり。この音楽の時間、みんなの物語の中にぼくたちはいる。・・・ぼくたちはなんて、幸せなんだろう」
「一人一人の物語に音楽の時間ですか・・・そうですね。私たちは本当に幸せな1ページをみなさんから作っていただいている・・・なら、私たちも」
「幸せをみんなに」
「みんなに」

 ピアノとチェロの協奏曲とも、クワイヤによる祝福の歌とも言える。カノンだからこそ実現できた、みんなが今日を祝う主役。

『さあ、音楽の時間だ』

 ゆるやかな坂を登った先に見えるのは想像を絶する美しい景色などではなく、今、隣にいる誰かの顔。みんなが登れる坂を、みんなで登ったのだからそれはもう素晴らしい一体感で、達成感で、幸せが溢れてきて、となりにいる誰かのあたたかさと自分のあたたかさが交わり、さらにあなたの向こうにいる誰かのあたたかさと繋がっていく。この繋がりを実現する絆の力はコード、今しか鳴らせないみんなの、誰かのカノンであり、そして僕と私の物語に書き込まれる1ページにも、全身で感じる音楽と幸せの時間が感動を通じて描き刻まれる。

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