アナザー・ワールド 〜オリジナルスキルで異世界とダンジョンを満喫します〜

Blackliszt

239 喪とメランコリー

 病院のベットに寝ていると、人間が如何に肉の塊に過ぎず、人間であるということを意識させられる。健康者でも観察者でもない境地、病人という患者のステータスが齎す冷淡な希望と暑い劣情。この病気で苦しんでいる人にはとても不謹慎な話だが、躁鬱病とかと診断された方がよっぽどマシだと考えたこともある。とにかく、己に向き合うために、この憤りと悲哀に病名をつけて欲しい。僕ならきっと、一時感情的になってもスグに失敗を客観的に割り切れる優秀な病人になれるだろう。
 
 あの頃の僕は、やはり病んでいた。自分を肯定できる場所が欲しくて、欲しくて堪らなくて、失礼な話、本末転倒な話、病気に救いを見出していた。

「社会性に劣り、分類をあくまでもツールとしてみれず、人間性という輝かしいトロフィーを追う愚か者の末路は、異世界にて勇者となり、無様にも世界を救えずに散る・・・か」
「リアム・・・」
「来たね」

 日はまだ地平線にキスしていなければ、見上げて矢で狙うには丁度いい角度で世界を照らしている。きっと矢はきれいなアーチを描き、緑の絨毯に突き刺さる。晴れた日の午後の草原にて、男と女が2人きり。ただし男は少年であり、女はまだ、少年の母親である。

「立ったままじゃなんだし、腰を下ろしてゆっくり話そうよ」
「いいわよ」

 アイナはリアムの隣まで歩くと、先に腰を下ろして自分のいい位置を決める。僕はそれに合わせて、ちょうど良い距離になるよう腰を下ろす。遠くには、白い山脈が見える。

「ランチボックスにつめたサンドイッチとティーがあれば、良いピクニックになりそうよね」
「そうだね。ちょっと肌寒くはあるけど」

 月はまだ2月であるから、暖房効かせた車に乗って、冬の観光名所を1つか2つ回るのがやっとのくらいの寒さである。こんな大自然に囲まれて現世の柵を忘れたいのであれば、もっと防寒具とか他に必要なものがある。お世辞にも、最高とは言い難い。

「リアム。私はここであれこれ色々と言葉に詰まったり、母親としてあなたの心を推し量って気遣ってあげるべきなんでしょうけど、どうにも今の私にはそれはできそうにない」
「当然だよ。こんなことになって・・・」
「待って。それも違うわ・・・とにかく最後まで聞いて頂戴。・・・いい? 私にはこういう時、母親としてどういう行動をとるべきかがわからないの。だけどそれはあなたが言ったように、当然なの。お腹を痛めて産んだ実の息子が実は違う世界で、違う家庭の記憶を持つ転生者でしたなんて前代未聞もいいところよ。・・・でも私があなたを励ませない一番の理由はそんなことじゃない。私がそうできない一番の理由は辛いから。感情的な説明になってしまって申し訳ないけど、やっぱり息子と会話を始めるだけでも気まずいなんて辛いわ」

 それは僕も辛いかも。だけど母親が子供の話になって感情的になるのはごく一般的なことだ。だから僕を素直に励ませない理由にコレは多分当てはまらない。当てはまったとしても、原因の1つ。ならアイナは一体何を恐れているんだ。僕が共感してしまった時点で、これじゃあ励ましてないようで励ましてるのと一緒である。

「・・・リアム。私今、妊娠してるの。あなたの弟か、妹を」
「えっ」

 一瞬、やはり励ましてるじゃないかなんて思ったけど、まさかの切り返しだ。ああ、そうか。なら安心だ。代えられないが代え難いに変わった。これは大きな違いだ。僕はこれで、心置きなく独りの怪物になって──。

「じゃあ僕はもう、お役御免だ。・・・よかっ」

 次の瞬間──、乾いた音が冷たく鋭く、枯れた冬の空気を震わせる。

「イタッ・・イ?」
「ぶっちゃった・・・ごめんなさいリアム。ごめんなさい!・・・私」
「いや、母さんの気が済むなら、いくらでもぶってくれて構わないよ。それに、そんなことで母親失格だなんて思わない。母さんは紛れもなく、最高の母さんだと思う」
「・・・それは、前のお母さんより?」
「・・・それは。比べるなんてことできないよ」

 ぶたれちゃったよ。でも、悪くない。それに前世の母と現世の母さん、2人をどっちが本物かなんて比べることなど、できるはずもない。

「”Der Schatten des Objekts fiel so auf das Ich” 」(引用:Sigmund Freud『Trauer und Melancholie』)
「えっ?」
「僕は一度死んで、他の人が抱える量に比べてずっと少ないけど、それでも僕の中では十分に重くて、覆い隠すように守ってきた宝を失った。でもね、これはただの悲哀に過ぎない。僕は2つの世界の記憶を持ってる。そして2つの肉体の記憶を持ち、2人の母さんの愛を知っている。例え今、失ったとしても1度目がそうだったように僕はずっと覚えてる。だから、とても身勝手な話だけれど保証する。親の愛を知っている僕が、母さんの愛は本物だったって、証明する」
「だったって・・・、ふざけないでよ、リアム。私は今もあなたのことを、愛し続けていて・・・」
「・・・ごめん」
「お願い、謝らないで。私があなたに謝りに来たのに、深く傷つけてしまって、今更こんなこと言うのも虫がいい話だと思うけれど、どんな記憶があって、どんな使命を負おうと、あなたは私の息子なの、息子でなくちゃいけない。それが、神様が、世界が定義する絶対的な真実だから」

 対象(オブジェクト)の影が自我(エゴ)に落ちる。血の記憶こそが、親と子の関係の証明であるか否か。血の記憶こそが父と母と子という繋がりの絶対真理であるべきかどうか、答えは”No”だが、だからと言って立証のための裏付けに使えないわけじゃない。寧ろ、正当性は絆の次にあり、証拠としてだけなら絆より裏付けの強い唯一無二の事実である。その事実を、これから1つの愛を失おうとしている僕が告発する。だが──

「・・・神様か」

 渇愛が内臓を喰い潰す。血の一滴、細胞の1つも残さぬ様に貪る。

 ”ごめんなさい。息子のためなら、皮だろうが肉だろうが、臓器だろうが、骨だろうが血だろうがあげられる。命さえ捧げられる。けれど、待つしか方法がない。どうか、我が子に自由を与えられなかった私の罪を許して”

『・・・これは』

 自食いによって堆積区より掘り起こされた記憶の1つ。かつて同じ様に愛に喰い潰されたことは何度もある。・・・舐り転がす。これは一体いつの記憶か、どんな味がする?食感は?

「神は僕を見捨てた。代わりに母は悪魔に祈った。だけど、僕が芽生えた世界には神も悪魔もいなかった」

 父は丁度出張中だった。僕は同性愛者ではない。しかし、目の前に自我(エゴ)を投影しようとしている相手がアイナであるとするならば、同一化の参考対象として選ぶべきは、母であろう。
 無神論者が無秩序に陥る病的手前の瀬戸際、母にそんな懺悔をさせてしまったのはまだ僕が小学生の頃、巷では運動会なんかがある季節、ある日周りのみんなと同じように遊んだり、体を動かすことができなくて募った不満任せに放った何気ない一言。

 ”どうして僕をこんな体にしたの!”

 小学生ながらにこんな体になったのは、母のせいじゃないっていう自覚はあった。もちろん父もである。けど、納得できなかったんだ。母だって僕がこんな体になることを望んでいたわけじゃなかっただろう。飛び出そうとした僕をなんとか留めた夜、ふとトイレに起きて廊下を歩いていると、寝室のドアが閉め忘れられており、その向こうから母の震えた声が聞こえてきた。父の書斎の本を独自に分類して、インテリアとしても余念がないほど見事に整理する几帳面な母が扉を閉め忘れていることに疑問を抱きながら、最初は”泥棒さん?”なんて可愛いく妄想したが、年相応の馬鹿な妄想に反してそんなことはスグに忘れ、暗がりに怯えながらこっそりと寝室へと近づいた。
 夜に外にあるは獣であり、家は獣を退ける紳士である。そっと寝室を覗いてみると、夜風によって命を得たミラーレースがまるでその向こうにいるはずの母を隠すように部屋の中に波の影を作っていた。しかし、月明かりが部屋にくっきりとした窓の格子の影を映し出し、ドビュッシー作曲『月の光』がピッタリな静寂のあの夜に、長時間風に浮いていられるはずもなかった。僕は急いで扉の隙間を狭めたが、どうやら化粧台に座る母に鏡でこちらを見られる心配はない。そして僕は、自己犠牲的で強迫的な愛が生み出すあの病的な懺悔の詩を聞いた。しばらく声を潜めて肩を震わせる母の背中を見ていると、再び静寂な夜に似つかわしくない先ほどより少し強めの風によって、やがて内開きのドアがバタンと音を立てて閉まる。そして僕は目的のトイレに行き何事もなかったかのように用を足すと自室に戻り、押し殺していた感情を欠壊させた。一人月明かりに照らされて化粧台に座りむせび泣いていた母を見て、僕は反省した。僕の行為は子供ながらに獣も紳士に同情するほど、最低だった。膝を曲げ、声が漏れないよう枕に顔を埋めて、母を傷つけたというどうしようもない怒りを枕を抱える腕に込めて、自らの怒りに肩を震わせて、小一時間ほど泣いた後に泣き疲れて・・・気づいたら朝になっていて、僕と母はまた変わらぬ日常に戻っていた。その日は漢字の勉強から始めて、一番目に教わった字が”皿”であった。漢字は1文字だけでも意味を持つ。音と訓である。朝食はサンドイッチだったし、皿=器、つまり器の尺度だなんて結びつけるにはあまりに強引すぎるから、前日の件とはこれっぽっち関連性のない字だが、今でもその日最初に教わった字が”皿”であることを明確に覚えている。

「後手にしか回れない悔しさ、無念さがあの涙に詰まっていた!・・・なのに、なのに僕はまた同じ間違いを犯したんだ!」

 怒りに任せて悪気なく発した言葉だった。刺した自覚もないほどに、だけど自分が刺したんだって、包丁、ナイフ、ペティナイフだろうが裁縫針だろうが、どんなに小さく細くとも心に深く刺さり、一生消えない傷を与えた。多分、あの時僕が使ったナイフはフリントナイフだろう。例え傷が癒えようとも、無自覚な報復行為によってそこに跡が残るほどの傷を与えた。癒すことができない傷を与え得るものは、言葉と死である。もしそれを忘れることができたとしたら、死を経て自我が葬り去られた時である。最小にして僕だけを殺すか、それ以上を殺すか。

「リアム・・・」
「ようやくここに来て、神様か。長かった・・・」

 毎日の献身と信仰が神の奇跡を享受する絶対条件であれば、僕の理論は間違っていることになるが、どうにもこの様子だとそうではないらしい。

「僕は被害者。しかし神がいないのなら、僕は被害者じゃなく被災者だ」
「あなた・・・最初から、神の存在を」
「当然だよ。だってさ、神がいないのならこのステータスや魔法、挙句にダンジョンの存在をどう定義すればいい? 明らかに自然じゃない。例えそれが神じゃないとしても、僕は神を気取った何者かに害された被害者だ。そして、転生者でもある」
「魔法やダンジョンがないって・・・そんな世界があるの?」
「僕にとっては、寧ろこの世界の方が異常なんだよ・・・」

 そうか、そういえば母さんは魔法がない世界を知らないのか。洞窟のイドラ、偏見によるレンズで世界を見る。自分自身、それをかけていることに気付くことすら難しい。よく”井の中の蛙大海を知らず”とも表現比較される問題だ。

「洞窟のイドラか」
「イドラって・・・」
「ああ、あくまでもこれは前世の哲学的な話の1つであって、神の方のイドラは関係ないよ・・・多分」

 そう。だからと言って、これは神とは関係ない。彼らはただのきっかけに過ぎない。僕がこれまで背けてきた問題だからこそ、今こうして苦しいんだろう・・・多分。・・・多分?あれ、おかしいな。・・・えっと、僕が心理学を学ぶことによって得た一番の宝は何だったか、自己を裁くために己を客観的に見るための方法とは、何であったか。

「対象を選択すると同時に、自我を投影すること。洞窟のイドラ・・・イドラ、イドラ、偏見、先入観、思い込み、条件反射・・・パブロフの犬」

 違うな。パブロフの犬はあくまでも条件反射に発想を得た偏見アプローチ法の1つとして考えるべきだ。だけど・・・僕は無意識下の行動を制御するに熱中する余り、本末転倒にも制御システムである自我を狂わせ余計なものまで破壊していないか? 条件反射は一連の現実と無意識の相互作用を指す。つまりベルが鳴ったなどの反射に至るまでの条件を満たすと唾が分泌。・・・今の僕は果たして条件に則り正常に唾を分泌することができているのであろうか。

「一種の偏見が条件を作り出す、ならその条件をもう一度洗い直さないと・・・えっと、僕は19歳で死に、今は9歳の子供である。故に現在肉体は9歳の子供であって、精神は・・・」

 28歳の大人の男。・・・あれ、おかしい。そもそも転生という不明なアルゴリズムにかけられたことで、自分の精神年齢をそっくりそのまま引き継げていなかったから苦しんでいたはずなのに、今の僕の精神年齢が単なる肉体年齢の合計に終わるにはあまりにも安直で不自然だ。肉体年齢と精神年齢はイコールじゃない、然もなければ精神年齢という概念そのものが不必要になる。

「フロイト、ユング、アドラー・・・アドラー。悩みは全て対人関係の悩みに裏づけされている・・・肉体に囚われるあまり前提が間違ってた?・・・それも超初歩的な部分で。これじゃあ合理的(ボク)じゃない。僕はリアムを殺したんじゃなくて、ナオトに区切りをつけたかっただけだ。そうだ・・・じゃないと、過去のリアムが固執したものに彼を殺した今なお固執するのはおかしい」
「リアム・・・あなた大丈夫?」
「大丈夫。もう少し待ってて母さん!ええーっと、つまり僕はリアムを殺したと思ってたけど実際には殺しきれてないし、そもそも傷一つついちゃいない。大きな使命に盲目して、今までズルズル引きずっていたナオトの未練が暴走した。その原因は僕がナオトの未練は悪であるという偏見を持っていたから、そうして押さえつけてたナオトの自尊心の爆発が起こった。・・・よって、暴走した過去の亡霊が今の僕が在るべき姿を隠し、だから見失っていたんだ・・・というより、より大人で強いナオトに逃げて回帰してしまったことで、リアムを対象とした同一化をしてしまっていた。今僕は、リアムであるからリアムを基準に対象を選ばなければならないはずなのにこれじゃ立場が逆転してるし、リアムのパーソナリティを減損させてしまっている。・・・これは境界性に関する問題だ。自分がメランコリーに陥ってることを認め、論理的かつ客観的に見て処理していたつもりが、その実は過去の自分を隔離仕切れず亡霊化した未練の侵入を許し、グチャグチャに混ぜ乱していた。僕が今存在している場所は紛れもなくリアムの人生であり、暴走により妄想性と失調型を併発したナオトでも、2人が混ざった存在でもない。2つの全く異なる環境によって区切られた、1人の人生なんだ」

 フロイトを愛すのであれば、フロイトが精神分析において失墜した理由まで全てを愛さねばならない。フロイトからユングへ、また、アドラー。そして僕のこれは、ナオトから始まった一人の人生の延長線上にあるリアムという時代。2人にして1人ではどうにも語弊が残るはずだ。経験が引き継がれようとも、2と1を安直に同一視するんじゃなくて、それぞれをちゃんと2=環境、1=人間に分類してから統合するべきだった。
 リアムの人生でナオトが障害となるのは間違ってるし、障害と区別すること自体間違ってる。経験はあくまでも経験であって、環境もまた右に同じである。リアムを演じるっていう考え方が、そもそも間違ってたんだ。リアムはただ、異世界というこの世界にて環境を変えたナオトであり、同時に過去のナオトは今のリアムが別の環境で生きた時の経験である。発達心理学的に言えば、ナオトはリアムのリビドーに近いものだ。だがいつの間にか善悪を持ち出し、区別し、どっちが正しいのかを定義しようとしていた。

「自分を細分化し過ぎた・・・善悪の篩に掛ければ一粒残らず落ちるはずだ」

 過去を亡霊とすることこそが正しいと勝手に決めつけていた。そして・・・愛に暴走する子を包む母の包容力を、見誤っていた。

「ごめんなさい。母さん、僕は・・・僕はリアムの人生から逃げたかったんだ。前世の家族や環境を捨てるのが怖くて、母さんたちから逃げたかった」
「・・・いいのよリアム。私たちのために前世での家族を捨てる必要なんてない。私はそれも含めたリアムの全てを愛してるわ」

 まだ僕には愛する人がいるじゃないか・・・そう、ここにも確かに温もりがある。僕の悩みはもっとシンプルで、ウィルとアイナとこれからどう付き合っていけばいいのかという不安である。勇者がどうとかどうでもいい。ナオトはもう死んだ、死んだんだ。だがバトンは引き継いだ。そして自分の亡霊に振り回されるのは、もう沢山だ。

「私こそ、ごめんなさい。あなたの優しさに気付いてあげられなくて、苦しんでることに気付いてあげられなくて」
「いいや、僕自身自分が自分の嘘で苦しんでることに気付いたのはごく最近なんだ。母さんが肯定してくれたから、僕は僕を肯定する全てを誇りに思い、また、自信を取り戻せた。ありがとう」

 連続する、論理とは迷宮の究極版であるか。終結なく、結局一周してしまった。対極を経験せずにはいられない天邪鬼め。野次馬根性もその辺にしておけよな。僕ももう、人間性の探究を理由にサディスティックに過去を虐めるのはヤメるから。

 一度覚悟した決意より外れた道を作ったこんな僕を臆病者と呼ぶ者は、きっと失敗を恐れない本物の勇者なんだろうけど、ゴメンね、僕が臆病者であることなんて1+1の算数を習う前から知ってるし、悪いけど、僕は神の自作自演によって生贄として祀り上げられた偽装された勇者なんだ。だけど黙って生贄になる気なんてないよ。なんとしてでも脱出してみせる。僕は怪物の皮をかぶせられたが、その実中身は一人の人間だから。もう勇者の称号は関係ない。神の我が儘を怒りの理由にしようとも、僕の罪の理由にはしない。

「僕は前世で、ここを患ったんだ」
「それは・・・心臓(ハート)?」
「まあそんなところ。でも、これからは違う」

 さて、内因性に苦しんだ本問題における最終選択である。僕をこれまでアイナが際限なく愛していてくれていたことは十分に身に染みた。だからと言って、答えが全て道徳と思考に基づいて粛々と導き出されるかと言えば、我々は人間であるからそう単純にはいかないのが常であり、本能と呼ばれる無意識化での欲求とエゴのバランスはしばしば、答えはどちらかの台頭によって簡単に変動する。この無意識論を元に今回の問題を分析して展開すれば、一番の問題は”純潔”か”不潔”である。人間は耐えがたい不潔に直面した時に、どうしても拒絶反応を起こしてしまうもので、これはエスの快感原則が適応されるから、例えその偏見を自覚しようと、この選別意識は無意識レベルにまで染み付いていて、それが一度発動すれば一気にエゴは欲求によって調律され、1つの勢力となったコレは超自我と衝突し現実に僅かな綻びをもたらす。

「僕はカリナ姉さんほど、純粋じゃない」
「そんなことないわ」
「僕はティナほどの悲劇を経験していない」
「そんなこと・・・」
「僕はこれから生まれてくる弟か妹ほど、潔白じゃない」
「そんなわけない」
「僕は前世では19歳まで生きた。僕の生きた国では20歳になって成人するけれど、高々1年の差。挙句にこっちの成人年齢は15歳。なら僕はもう既に大人の自覚を獲得するには十分に生きたと言える・・・そうなると、とてもではないけど、母さんたちが僕が息子だって許容することは難しく思えるんだ、それに」

 そうして超自我もが取り込まれてしまった暁には、現実の秩序は崩壊する。平常時、快感を優先する一部の特例を除くほとんどの人間はこの秩序の崩壊を嫌う。だから大人である彼らがこの大崩壊を起こさないために今まで蓄積し強化してきたエゴの定式を変形させることは難しい。死によって完成する完璧なエゴは20歳までに、もうその6、7割は完成させているのではないだろうか。それが一度ティーンエイジャーギリギリまで生きた僕の持論。環境の変化を考慮して、これでも控えめに言ったつもりなんだけどね。

「ちょっと待ってリアム!」
「いや、待てないよ、でね」
「いいえ待ちなさい」

 強すぎる制止。一瞬、図々しくも自分勝手に話を進めた自分のデリカシーのなさを恥じるが、それでも僕はこれまで一緒に過ごしてきたアイナのことを信じている。でも、彼女がどんな選択をしようと失望はしない。これは全て、僕の身勝手さが引き起こした悲劇なのである。アイナがどんな選択をしようと彼女は悪者にはならない。だがこの後に及んで、僕はそのことをあえて言いはしない。僕は罪を認める加害者である。だから黙々と質問にだけ答えて、被害者への懺悔の意味でも、采配に僅かでも介入するべきじゃない。

「いい、リアム? 私はあなたの前世の世界を知らないけれど、この星には数えられないくらいたくさんの生命があって、生きてるの」
「・・・僕の世界にも、たくさんの生命があったよ。人間の人口は実に76億人ほど、196の国があって、多様性の面では確認されているだけでも約175万種、確認されていない種も含めれば大体500〜3,000万種って言う説が有力で・・・」
「・・・そう。あなたの前の世界はこの世界より随分と発展していたみたいね」

 急速に縮んだ自信の隙間を、何かで穴埋めしないと気が済まない・・・まだこの後に及んで、先走って余計な口を叩いてしまうことをどうか許してほしい。僕は今、緊張している。覚悟はしていても、願望はあって、それが叶わなかったとしたら、当然ショックはショックなのだ。

「エルフの寿命は1000年とも、それ以上とも言われてる」
「・・・うん」
「魔族もまた、同じく長命であり、ドラゴンや精霊たちは更に長い悠久の時を生きてる」
「・・・・・・うん」
「そして彼らは自分たちの寿命に合わせて、責任の獲得や大人の基準を設け、私たちとは違う文化を築いている」
「・・・・・・・・・うん」

 僕のまぶたから熱い何かが流れ落ちる。この熱さは感動に似ているけど、ちょっと違うかもしれない。欲求じゃ定義できない僕の全てが、この熱さに魅せられる。かなりチンプンカンプンな表現だが、具体的に言うと卵子に群がる精子みたいな・・・とにかく神秘的なんだ、生命の神秘に愚かにも浸り、原点に帰り、僕が今この時を生きられていることの幸福を何度も反復して感じるほどに。ハハッ、なんだろう・・・ただただ、嬉しい。

「あなたは2度目の人生を得た特別な人間。なら寿命だって普通の人間の寿命に19年多く加わっただけで、増えたその分子供でいる時期を傘増ししちゃってもいいと思わない?この世界に生きる誰かみたいに、もっと柔軟に物事を考えてみてもいいんじゃないかしら」

 殻が壊れて、罪が融解している。そしてお互いの心に半分ずつの傷痕を残す。何故、アイナはこんなにも懐が深いのであろう。この問いに、母親だからと一括りに答えるにはあまりにも深すぎる、尊さを僕の人生に教えてくれる母は、あまりにも、あまりにも・・・。

「・・・ありがとう。かあさん」
「おいで、リアム」

 感謝しかない。理性を捨てて、膝を抱えて泣きじゃくるリアムを優しくアイナが抱き寄せる。人々が畏怖し、祈り崇めた光の流星が空を割ったこの日、僕はようやく潔白を胸を張って誇ることのできる絆を結び、このアナザーワールドにて、素晴らしき新しい家族を得たのである。

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