アナザー・ワールド 〜オリジナルスキルで異世界とダンジョンを満喫します〜

Blackliszt

236 光の筋 - 兆し -

「ちゃんと証明書(パスポート)は持ってるな?」
「大丈夫。ね、ベートン」

 兄の質問に大丈夫だと答えた主人の言葉に、エレメントハリネズミのベートンが肩まで伸びる髪の間から鼻を覗かせヒクヒクと動かし、針の色をチェルニーの髪色に同化させる。
 ここはユーロ東部、アウストラリアとの国境に建てられた出入国管理のための関所。

「ウプッ・・・名前と国を」
「・・・? ジョシュ・ヴィクトリア・カーター。国籍はトロイ」
「チェルニー・ヴィクトリア・カーター。国籍は兄と同じです」

 一般人用の窓口、リアムに転送してもらってこれまでの所要時間は30分程か、今のところ順調である。

「入国目的は?」
「俺たちは冒険者になるんだ」
「ほう、その齢で?」
「俺たちはトロイから2人でここまで旅をして来たんだ。自活するための力なら十分にある」
「・・・なるほど。そのモンスターは、使い魔か?」
「はい、そうです」

 検閲はそれほど厳しいものではない。ユーロへだって問題なく入国できたんだ。

「そうか、かなり珍しい種だな。テイマーとしての能力もあるか・・・」

 監査官がベートンを見た後にチラッとチェルニーの眼帯に目配せをする。いつものことながら、嫌なジェスチャーだ。加えてこのパスポートを使うと、尚更に。だが、これも生きていくため。

「それで、親御さんは?」
「それは・・・もう、いない」
「いない・・・いないね。なるほど」

 ここは正直に答える。というか、そうせざるを得ない。俺はともかく、チェルニーは純粋なんだ。要らない嘘までついて、穢したくない。

「悪いけど、君たちのような子供を、おいそれとはいどうぞ通ってくださいって見過ごすわけにはいかないんだ。北ではどうだったか知らないが、アウストラリアでは教育政策において最低でも初等部の修了が推奨されている、そんなお国柄だ。他国出身の君たちでも、保護法は例外なく適応される」
「・・・ッ!チェルニーッ!」
「うんッ!」

 ・・・嫌な予感はしていた。チェルニー! 今すぐにここから離れて戻るぞ!

「キャッ!」
「クソッ! 離せ、俺たちをどうする気だ!」
「安心なさい。何もとって食おうップってわけじゃない。この場合採られる選択肢は3つ。1つ目はトロイまで君たちの身元の詳細を問い合わせ、入国の許可不許可を考える。その間君たちを拘留することになるが、衣食住は最低限保証されている。2つ目はこのまま入国せずにそっちの国に滞在する、ユーロへの入国は認められているのだから、こちらに入国しない限りは保護の対象とはならない。ただしその場合、アウストラリアに入国するとこちらの軍部に警告が送られる呪いをかけさせてもらう。解呪は我々にしかできない秘匿魔法の類だ」

 だが、ジョシュとチェルニーは呆気なく彼らの周りを包囲した兵士達に取り押さえられる。何が選択肢だ! 俺たちが一番欲しい選択肢はその中にはない。

「そして3つ目は本国への送還。なお、ユーロに入国できている点から3つ目は君たちの自由意志に考慮して強制はしない。だが、結果的に残り2つのうちのどっちかを選んでもらうことになる。それまでは一旦観察・・・ダメだ。誰か説明変わってくれ。吐きそう」
「待ってくれ! この関所の向こうで知り合いが待ってるはずなんだ!」
「・・・? それは君たちの身元保証をする保護者か、あるいは保証人かな?」
「・・・まあそんなところだ」
「そうかい、それじゃあその人の名前は?」
「それは・・・ッ! 言えない」

 怪しまれているか勘づかれてる、然もなければもうバレてる。俺たちを待っている人物がいるっていうのがでっち上げか、もしくはその人物が俺たちの保証人になれない事を。リアムは悪人じゃないが、俺と同い年でチェルニーとも1つしか歳が変わらない。加えて恩人にそんな面倒を負わせるわけにはいかない。

「食い過ぎた・・・ウプッ」
「ここ何日か禄に食ってなかったからな・・・ウプッ」
「二人とも、食べ過ぎって言うより、飲み過ぎよ。リアムの無事がわかったからって職員さん達まで巻き込んであんなにがぶ飲みしちゃって」

 一方、リアムの無事が確認され、捜索に余裕ができて関所に滞在するウィリアム一行。アリアの称号を賭けた決闘から怒涛の展開が続き、昨晩は関所の職員達と随分お楽しみだったらしい。

「それにしても、いつ帰ってくるんだろうなアイツ」
「俺に似て、逞しいから何がなんでも約束を守るために帰ってくるさ・・・ティナちゃ〜ん、そんなに離れて歩かなくても・・・」
「・・・・・・」
「ティナちゃんは私たちよりも匂いに敏感なんだから」

 リアムの奴隷の立場でありながら、自分を家族のように扱ってくれて父同然のウィリアムだが、流石に酒臭すぎるとそっぽむかずにはいられない。ティナもそろそろ敏感なお年頃、何より彼女は犬耳種でニオイには特に敏感で・・・。

「離してくれ! 約束があるんだ! もし俺たちが入国できなかった事を知ったら・・・知らなかったら、余計な心配かけちまう!」
「なら名前を言いなさい。言えば、例えその人物が君たちの保証人に成り得なくても安否だけは責任を持って我々が伝える。さぁ」

 おや、なんだかユーロ側の入国管理窓口が騒がしい。不法入国未遂か・・・?

「このニオイ・・・ッ」
「ティナちゃん?ほら〜、子供にまで見限られちゃって」
「ああ! 俺たちそんなに臭ってる?」
「私はともかく、お前は臭い」

 突如、自分たちから離れて行ってしまうティナを見て、ショックを受けるウィル。

「ねぇウィル、カミラ」
「ああ、わかってる」
「・・・吐くなよ」

 だが、よくよく見れば彼女の向かった先には、関所の職員達と何やら悶着している少年と少女の姿がある。・・・まさか友達か、顔見知りか。

「クンクン」
「・・・!? 誰だ? なんだお前?」
「あなたは誰・・・?あれ、このニオイ・・・」
「君は、ウィル殿とアイナ殿の・・・確かティナちゃん」

 突然に兵士の間を抜けチェルニーやジョシュのニオイを嗅ぎ始めた女の子。私たちは兵士さんに囲まれているから下手に身動きできない。見れば女の子の耳は犬種の獣耳、尻尾はフサフサしていて・・・あっ、肩に乗ってたベートンと鼻の先がコツンとぶつかった。だけどベートンは嫌がらず逆に少女のニオイを嗅ぎ返す。鼻は敏感でいつもは触られるのを嫌がるのに。

「リアムの・・・ニオイ」
「ッ! リアッ・・・いけねッ!」

 次の瞬間、ここから先は正に疾風怒濤。

「ウィル殿!? ・・・全然見えなかった」

 ティナがリアムのニオイが彼らからすると溢し、不意の反応だったか少年が慌てて口を塞いだ時には、もうウィルは兵士たちの間に割って入り少年の背後に回ってアザができない程度に強く肩を掴んでいた。

「おい少年、君に聞きたいことがある」

 肩越しに投げかけられる詰問。僅かに肩の肉が軋む。

「おっさん誰だ?」
「いいから答えろ! お前はリアムのことを知ってるのか! いつどこであいつに会った!」
「酒臭ッ!?」

 たった2文節の1文。だが息子と同じ齢くらいの少年が発するその1文ですらもどかしく我慢できないほどに今のウィルは焦り、同時に興奮していた。

「おいウィル、折角無理やり押し込んだ朝食全部口から出しちまいそうな勢いだぞ。相手はそれこそリアムと同い年くらいの子供だ。いくらなんでも手加減ってヤツを・・・」

 自分にも同じ年頃の娘がいる。だからいくら我が子のためと言えど、今の行き過ぎたウィルの行動をカミラが咎め宥め。

「カミラ、お前は黙ってろ」
「おい、なんで私がお前に命令されなきゃいけないんだ」
「ちょっと二人とも! またなんでそうなっちゃうの!」

 つい我を忘れて・・・と、いつもならここらでヘラヘラと笑って戯けるウィルが、今回は全く引こうとしない。パーティを解散して、大人になってこの二人の小競り合いも減ったように思っていたが、最近はまた、ちょくちょくぶつかっている。

「・・・今のうちに、行くぞチェルニー」
「・・・うん」

 すると、カミラと更にアイナの介入によって肩を掴むウィルの手が緩んだ隙に、入国で足止めを食らってたジョシュとチェルニーは今の内だとそそくさと、入国ゲートの方へと・・・。

「お前っ!」
「待って」

 だが、その二人の前に立ちはだかる壁が一つ。

「待って。あなた達から、リアムのニオイ」
「お前、さっきからそればっかり・・・まさか本当にアイツの知り合いか・・・?」

 それは、さっきまで自分たちを囲んでいた理不尽に高い壁でも、連なっているわけでもなく、不法入国を試みる小さな侵入者たちの身長と同じ高さの壁だった。しかしふさふさとした耳に尻尾、彼女はジョシュとチェルニーが知るリアムとは明らかに違う異種族である。

「おい名も知らぬ異国の少年。話の途中で逃げ出そうとするとはいい度胸だな・・・この馬鹿じゃないが、ちょっとカチンときたぞ。目上へのマナーってもんがなってないなぁ?」
「しまッ!」
「カミラ、ちょっと!」
「・・・俺、あんな表情してたのか?」
「お兄ちゃん、こわい・・・ッ」
「なんて悪人面だ!今にもヒッヒッヒ、とか言い出しそうだ!」
「ヒッヒッヒ! お前達を蝋人形に・・・って何言わすんだお前らァ!」
「やっぱ鬼ババアだッ!」
「私は鬼ババアでも山姥でもない!」

 他人の振り見て我が振り直せ。鬼の形相で少年を同じ目線まで少年の襟首をつまみ上げるカミラを見て冷静になったウィル。果たして、彼らは無事この難所を乗り越える事ができるのか。

「さあ、教えてもらおうか。お前達が知るリアムのことを」
「・・・待て、そもそも本当に、あんたらの言うリアムが俺たちのなのかを知りたい。それに、あんたらが敵じゃない証拠はどこにもない」
「その齢で、随分と慎重だな。益々、怪しい」
「手探りなのはお互い様のはずだ。じゃなきゃ態々俺たちを人目のある場所から移してこうして取り囲んでない」

 場所は変わって窓口の裏側、不法入国者を始め何らかの問題をかかえる関所利用者の応対のために使われる聴取室である。少年の名前はジョシュ、少女の名はチェルニー。これは彼らが持っていた証明書で知り得た名前であり、心はまだ完全に閉ざされている。現にジョシュは友達だと、彼らにとってその情報の重要性をあえて引き上げ、異常なまでの警戒を見せている。この慎重さと駆け引き、誰かに似ている。友人の気遣いまでできているところ、所詮単なる仲間思いのいいガキか、仲間意識の強い悪ガキかだ。

「私はアイナ。そしてこっちは夫のウィル」
「おう」
「それにこっちが友達のカミラ」
「親友だ」
「で、この可愛い女の子がティナ。私たちの大事な娘・・・惚れちゃダメよ?」
「ン・・・」
「・・・で、それがどうしたってんだ? 今更丁寧に自己紹介したからって、俺たちのあんた達に対する不信感とこびりついたネガティブな先入観が取れるとでも?」

 ジョシュは改めてあちら側の自己紹介をしたアイナの気遣いに対しあえて食ってかかる。娘を交えた茶目っ気あるアットホームな雰囲気などお構いなしだ。だが、この中で一番話がわかりそうなのが彼女である。つまり、他の大人二人が直情型なのに対し、アイナは怒りを宥めてチームを癒す対話型。ただしこのタイプは感情の代わりに張り詰めた糸が一旦切れると確認が難しく、直情型より手がつけられなくなりやすい。この対面時、直情型が暴力に走りやすい一方で、彼女に一旦火をつけて仕舞えばジョシュとチェルニーがアウストラリアに入国できる可能性が限りなく低くなりそうだ。そう考えられる理由として、彼女らはここの職員と親しげであったから、相応の権力者か、あるいはその手の人物と繋がりがあると予想できる。
 これは賭けだ。彼女を怒らせて裏から手を回されブラックリストに載せられるとアウト、だが対話型なら、相手の懐の深さを推し量るのに的確である。情報戦において、一つでも多く情報を握ったものが勝つ。敵も己の情報も。敵の秩序保持限界(デットライン)を知ることは、その中でも重要なファクターである。全ての1を神の制裁が与えられる最後(ゼロ)の時まで柔軟に疑い続けろ、だがその分、強い絆を結んだ縁者には徹底的に尽くし尽くされろ、溝はそれ以上に強い愛で埋めればいい。俺はあの人にそう教えられた。 

「そんな女々しいこと考えてないわ。私は女だけど、ここの誰よりも度胸があるつもり。事、現在私たちが置かれている状況においては誰よりも」
「どうだか」
「たしかに、さっきはいきなり胸ぐら掴むような真似をした私たちが悪かったわ。それじゃああなたたちが私たちに悪い印象を持って当然よ」

 共感、どうやらアイナの懐は相当に深そうだ。・・・これが、親って・・・いや、今俺は一体何を考えた。

「でもね、私は今宣言した通り、息子、娘たちを守るためなら鬼にだってなるわ。いかなる脅威からも・・・これは脅しよ。今まさに、私の、私たちの息子が、家族が行方不明なんですから、最終的な手段を選ぶつもりは毛頭ない」
「行方不明?」
「・・・そう、行方不明。息子のリアムが消息を絶ったのは4日前。そして今わかってることは忽然と姿を消したリアムはこの国境の向こう側にいるであろうこと、それだけ。お願い。あなた達はどうも悪い子達には見えない。だから、あなた達の知っているリアムのことを私に教えて頂戴。リアムは元気なの? どこでどうあなた達と知り合ったの? 知り合ったのは国境(ここ)からすぐ近く? 容姿なんかの特徴は? ・・・あの子がひどい目にあってないのなら、なんでもいい。教えて」
「グッ・・・」

 アイナが良心に訴えてきた瞬間、頭の中で色々なことを考えながらそれを正面から見ていたジョシュはしかめっ面する。それはずるい。子を思う母の訴えなど例えそれが嘘であっても、良心に響くことは請け合いなのに、同情を誘いながらしっかり親の強さを見せつけるなんて。俺は疑いを心情にしてるからと、愛を全く知らないサディストじゃない。例えそれが、禍愛でも。

「お願い、教えて」

 ジョシュにとって子を思う親という存在はかなり複雑なようであった。もう一押し、アイナはジョシュの幼さに全てを掛けて押しにかかる。まだ、強がり拒絶しようとも、彼らは本能的に十分に親の愛を受けたい側のはずだから。

「か、家族か・・・その証拠は?」
「家族に証拠も何もあるか」
「ウィル!」
「ストップ!会話の順番から言って次は俺たちの番だ・・・だが、だろうな。おばさんは俺たちを無駄に刺激しないようそのおっさんの言ったことを咎めたが、言っていることは俺たちにも分からなくない。だからこそ、わかるよな? 俺たちには黙秘権がある。これは軍事裁判でもなければ、魔女狩りウィッチハントでもない。俺たちがそんな大罪の象徴に見えるか? 見えないだろ」 

 かつて、真理の探究のために非道徳的な因習に囚われたウィッチ一族。大家族で一つの集落を形成していた彼女らの子供はほとんどが女系であり、平民にも関わらず貴族にも匹敵する魔力をその肉体に備えることに成功していた。だが、女系故に次の世代に子を残すためには男を拐わねばならず、夜な夜な集落の近くを通った男の旅人や村の男を拐う事件が頻発、また拘束し続け不能になった男は始末され、その残忍な因習を糾弾される。やがて、貴族によって危険因子排除の令が出され、彼女らは文字通り魔女狩りに会い、一族の半数以上は殺され、残り逃げ延びた者たちは東の運河を渡り大密林へと姿を隠した。現在は逃げ延びた一族の末裔とも和解し、かといって彼女らは国には戻らずひっそりと密林のどこかで生活しているらしい。その場所は末裔と不特定の権力者しか知らない。
 以上、ただし魔女狩りについては一部ネガティブに捉えられがちだが、魔女の呼び名も強い女性の象徴の一つとなっている。彼女らは相変わらず女系ではあるらしいから、時々運河近くの町ではヒョロヒョロに精魂尽き果てつつも幸せなそう顔で気絶している男が見つかる。よって魔性の女として魔女の言霊は昔と変わらず強く魅力的な女性の意として使われ、同じ密林とさらに東の砂漠にかけ国を構えるガルムの呼び名を引用して末裔らはアマゾネスとも呼ばれる。かくいうアイナも、《炎獄の魔女》の異名を取る女性の一人である。

「それとも、アウストラリアって国は無実の子供にまで罪をきせて拷問するほど残虐的なのか?」
「拷問なんてしやしない。今だってただ、質問してるだけだ。これ以上のことはしないさ」
「・・・なら、あんたらが俺に質問すればいい。あいつについてなんでも質問しろ。そうすれば、俺たちが知ってるリアムと、あんたらが探してるリアムが同一人物かのすり合わせができる。それも一方的にだ、どうだ破格の条件だろ?」

 藁にもすがる思いで提案する。昨晩はついつい飲み過ぎてしまったが、その心の半分は安堵、そしてもう半分は不安である。無事の報せとともにプツンと俺らは目的を見失った。自分たちの力で向かわずにあっちが帰ってくるのを待っているだけとは異常にもどかしい。

「いいだろう。さあ、なんでも質問してくれ」

 しかしこの質問、何にでも答える自信はある。この世界でリアムが最も深いところに仕舞っている本へのアクセス情報(タグ)を知るのはウィルだけのはずだから。それ以下の棚の低い位置にある情報なんて、それこそ今まで一番リアムを近くで見てきたウィルとアイナにとって、答えることなど朝飯前だろう。
 それに、今最も重要なことは、彼らを自分らと対等に見ること。彼らは歳の割に信念をしっかりと持ち目的に基づいて行動しているようである。マセているという言い方もできなくはないが、裏に別の影がチラチラと見え隠れしているのも妙だ。どうにもジョシュという活発そうな少年の人物像と慎重すぎる交渉術のギャップが目立つ。そういう意味では、やはりマセている。

「イデアとハイド」
「イデア? イデアちゃんはわかるが、ハイドは・・・何だ?」
「おい、さっきまでの自信はどうした」
「いや、ちょっと待て・・・ハイド、ハイド、ハイド・・・ハイドロ?」
「ウィル、それは水魔法のスペルによく付けられる接頭辞の一つよ」

 ハイドロとはこれいかに。しかし仕方あるまい。リアムの中に存在するもう一つの格であるハイドは、リアムがノーフォークで消息を絶った後に見知らぬ異国の地で芽生えたからだ。それも牢屋の中で初対面ときたもんだから、派手にネタバラシしたイデアと違い現実に認知度はかなり低い。

「ごめんなさいジョシュ。イデアちゃんのことならわかるけど、そのハイドというのはちょっと・・・もしかしてウィルが勘違いした通り、あなたたちの前でリアムは水系の魔法でも使ったのかしら?」

 息子のことでこんなこと言うのも憚られるが・・・山が外れた。ここに来て昔の悪癖が出たか、学生時代、地頭は悪くないが授業はサボりがちだったから、試験は基礎だけを押さえ応用は山はってかかる人間だった。だがこれは・・・山が、外れた。

「・・・そうか」

 しかし意外にも、ジョシュの反応は穏やかであった。完璧な回答はできていない。どうして。 

「出身は?」
「リアムの出身はノーフォークよ」
「そうか。・・・やっぱり、あいつの話と辻褄が合うな」

 最初の印象は最悪だったが、信じていいだろう。ここまでの話、牢の中できいたリアムの話と整合性はある。本人にも分からぬうちになんて、てっきり他者、あるいは身近な誰かの仕業かもなんて勘繰ってしまったが、こうして探索に来ていたところ、アイナたちにとってもそれは不測の事態だったのであろう。でなければ、それこそ行動分析的に疑問が残る。追放したのに後を追うなんてとんだ喜劇だ。

「日は4日前、突如本人も分からぬうちに異国の地に飛んでいた。場所は原点から約3,000km離れたブルネッロの街」
「3,000!?そんな・・・ それじゃあどうやってあなたたちはここに・・・」

 やはり、3000kmという数値と単位に対する驚きに純粋さが感じられる。唐突で非現実に近づけば近い情報ほどギャップによって相手の内心を探る手段になり得る。同時に、動揺も。もう一押し、今ならいける。

「なあ、おじさん。何とかして俺たちそっちに入国できないかな? 証明書はちゃんとあるのに子供だからって入れてくれなくてさ、宿とる金だってちゃんとあるんだ」
「・・・悪いが、俺にそんな権限はない」

 なるほど、ジョシュはよく人と状況を観察している。囲まれ圧迫されながらも、さっき兵士たちがウィルに一瞬畏ったのをちゃんと見ていたか。金があるといいつつ現生見せないのも、綺麗事だけでは済まない世の中の汚さに配慮した正しい対応である。

「だけど、権限のある人物に面識がある。違うか?」
「さあ、どうだろうな」
「ここで出し渋らないほうがいい。家族ならわかるだろ? ここからでもかなり距離のあるブルネッロの街から誰が俺たちをここまで転送したのか、また、何故今当の本人が一緒にいないのか。答えは簡単さ。入国者は入国許可証の携帯義務が生じるが、あいつはそもそも出国手続きを取っていないから、こちら側から入国すれば矛盾が生じる。つまり、再度玄関を通さずに帰国する」

 なるべく自分なりに裏付けをとってからこっちの秘密をほじくるのも流石だ。アイナがさっき3000という数字に驚きながらも、ジョシュたちの移動法について疑問ではなく詰まりつつ当たりをつけた事に漏らさず意味づけした。それに度胸もある。緊張時の対応といい、大人達に囲まれながらも対等に舌戦を繰り広げ挙句にため息をつけるほどの悠々とした胆力、リアムとはまた違った意味で大人びている。
 また、ここまで一切口を開いていないチェルニーも相当我慢強い。僅かに読み取れる喜怒哀楽の仕草と相槌から話の内容を理解できていることは勿論のこと、思ったことをそのまま口走らない。邪魔をしてはいけないという恐怖による支配の気配は今のところない、任せていれば大丈夫、怯えもこれっぽっち見て取れないから、それほど兄を信頼しているということだろう。ジョシュはチェルニーの守護者であり、同時に代弁者だ。故に俺と俺たち、その使い分けも絶妙である。これは会話の隅々までちゃんと見渡し掬えている証拠だ。

「そして何を隠そう、俺たちには合流する約束があるんだ、そっち側で。俺たちがあいつに合流した後、ちゃんとおじさん達のこと伝えるからさ」
「そりゃあダメだ。交渉になってない。それに今の情報を喋ったのも失敗だ。なら、お前達をこのまま勾留して、俺たちは関所周辺でリアムを探すか故郷からの連絡を待てばいい。リアムが帰ったって連絡をな」
「おいおい、俺はあえてリスクをとってあんたらを信頼して話したってのにそんな対応かよ。それ、リアムが知ったらどう思うだろうな。あいつは意外と心配性なところがある。友人の性に付け込むのは甚だ遺憾だが、これも全てはリアムとの約束と、あいつが家族と少しでも早く再会できるように忖度した俺たちなりの気遣いだ、それなのに」

 まったく、なんて減らず口か。この情報を出したってことはジョシュの中で俺たちがリアムの家族だってほぼ確信させられたという証で、収穫はあるにはあったが、故にリアムへの情を利用され撤退のタイミングを図るための主導権を奪われた。あーあー大人顔負けのこの態度。将来は大物貴族か商売人か。いや、商売人はダメだな。才能(センス)を見染められてトップの後釜にでも収まらない限り、この大胆さはほとんどマイナスに働く。業突く張りばかりで汚い金も多い世界でそもそもそんな評価を下せる奴が果たして何人いるか、加えて上下横の広がりやつながりを考えると、貴族社会という必ず上が存在する世の中、やはり不向きか。しかし兎にも角にも、友人を自己利益のため売らず戦った姿勢は評価するに十分値する。こいつはまだ、その合流場所を口にしていない。
 
「わかった、わかったから、もうやめろ! もうこれ以上お前と揉めたくない!」

 ここに来て、ウィルの根負け。リアムをちょこっと利用したことは腹立たしいが、それでもここまで引きずった話術はジョシュの実力。俺はどれだけ血生臭い戦いを演じても、実力同士の勝負の後には相手に敬意を払う男さ。敬意を払われなければ、あしからずだが、ジョシュはちゃんと俺の大事なものに敬意を払った。

「ウィル・・・」
「ちょっと通信室行ってジジイと話してくる。それまでここで待っててくれ・・・多少の不自由は許せよ」
「冒険ができれば、それでいい」

 冒険ができれば、それでいいか。ははっ、それじゃあほとんど自由じゃなきゃできないってもんだ。相談、返事になってない。だがやっぱりいい根性してる。

「ということなんだ。どうにも国が発行した証明書も本物だし、ユーロ入国の前歴もある」
「トロイか・・・少々きな臭さが残るが、致し方あるまい。保護観察扱いでなら、入国させていいだろう。3ヶ月に一回役所での滞在許可更新を課す。ただし事情は二の次とし、問題を少しでも起こせば孤児院なり即、相応の施設行きにする。その後、彼らに非がなければ釈放を認める」
「決まりだ。じゃあ早速通達してくる」
「ああ、書類は任せ・・・」

 聴取室を後にし、昨日ブラームスと話た通信室へとやってきたウィル。協議の結果、準危険人物に近い扱いとなってしまったが、これもジョシュ達の健全な成長を守るためだ。3ヶ月も間があればダンジョンでの冒険も十分にできるし、彼らもきっとわかってくれるさ。

「なんだあれは・・・」
「・・・どうした? なんか騒がしいな」

 しかし、ジョシュとチェルニーの処遇が決まり、ブラームスに関係書類の催促をした時のこと。

「ウィル、窓の外、空を見上げてみろ・・・何か見えるか?・・・南西から南東へ、そっちだと南か真上か北か・・・」
「何? 窓の外の・・・空・・・なんだあれ。あれは・・・ほうき星か?」

 ブラームスに促された通り、それは少し真上に近い北の空にあった。西から東にかけて真っ直ぐに走る一本の光の筋。そして、ウィルがそれを視認した途端──

「中央軍部から緊急通信。西側ユーロ国境警備へ、西からの異常な魔力を感知、また、未確認魔力の魔力解析がうまくできない。至急、視認、または数値等計測魔道具類ででた詳細を報告せよ」

 それは、ほうき星。・・・にしては尾が広がっていない。だが、あの圧力。身震いするほどの緊張に血熱を体の底から吹き出させたり抑えたり、自律神経の動きを乱高下させる圧力を放つ純粋で禍々しい矛盾した魔力。何よりも恐ろしいのが、未知ではなく、それほど不安定な魅力をあの細い一筋から感じ取ったということ。つまり、未知。不吉である。

「繰り返す。中央軍部から緊急通信。西側ユーロ国境警備へ・・・おい、誰かいないのか! 応答しろ!」
「・・・・・・」

 ウィルが通信室の窓から見上げる空。光の筋は実に1分もの間ずっと流れていた。昼間に確かにあると分からせるほどの光量は実に眩しく、太陽を肉眼で直視したいと思ってしまうような怪しさがそれにはあった。実際には輪郭がくっきりと分かるほどに照らしているわけではない、だが見てはいけないものを見てしまった。危うさと脆さ、この時ウィルは冷静にそれを観察しながら人一倍敏感に、現実という焦燥感に駆られていた。

「・・・流星。しかし果たしてあれは、落ちたのか」

 それから30分がたった頃、未だに空には謎の流星の爪痕が残っていた。雲は入り乱れ、両側から獣が空を引っ掻いたようにクロスしている。

「あ、飴ちゃんだぞ〜。甘いぞ〜」
「も、もらっていいの?」
「もちろん、詫びも兼ねて。さっきは私も大人気なかった。すまん」
「う、うんうん。ありがと、と、仲直り」
「ああ、仲直りだ」
「おいしい〜ッ」
「だろ?それもリアムが作ったんだぞ? そして私は怖くない。で、ウィルは臭い」
「ヤメろ! お前だって・・・そういえば、臭くはないな。むしろ、花の香りが」
「ったりまえだ。身嗜みに常に気を使うのが女の嗜みってやつだ・・・」
「・・・そんなに臭うか?」
「酒がな。実はリアムがウチに居候してた時にボディーソープとやらを分けてもらったからさ、私は朝シャワー借りて使ったんだ。こいつがまた、薔薇の香りでいいニオイなんだよ」
「へぇー。ウチのはね、オレンジの香りなのよ?春には桜、夏はひまわり、秋にはライム、ベリー、リンゴ、季節によって旬なものでたくさん」
「なんだそれ、あいつ・・・心配かけてごめんなさい献上品リストに新しく追加だ。季節ごとに絶対納品させる」

 アイナとカミラは軽く笑って女子トークしているが、その実リアムが素材の一つである苛性カリ、もしくは苛性ソーダの調達に一苦労していることを知らない。イデアのサポートと魔法があると言っても、これらは劇薬であるから、電解時並びに使用時に扱いに注意しないと。シャンプー類ならグゴみたいな天然素材も植物だからテールの交換所で手に入りはするのだが、まだこれは試作中で、いずれはこれで商売できればと構想中である。商品名はサポニンでいいかな。

「ねぇジョシュ。私たちも仲直りしましょ」
「そりゃあ、こうして自由に行動できるよう取り付けてくれたわけだから、しないこともないが、だけどその前に一つだけ。あんた俺に嘘ついたろ」
「嘘?」
「あいつは・・・というかイデアが、あんた達にリアムがある贈り物をしたっていってた。つまり、だ」

 ジョシュはアイナがついた嘘のことを言及する。そう、リアムは事前に故郷へと手紙を送ったと言っていた。そして、ウィルやアイナたちがいた場所はその故郷ではなかったものの、どうしてかリアムと故郷を結ぶ曲線上にいながらも急いでユーロへと入国しようとしているわけではなさそうだった。ウィルから酒の匂いがプンプンだったのが、いい例だ。

「リアムの居場所が分かっていた。贈り物から居場所を割り出したわけでもないだろう。どうやったかは知らないが、まああいつの親らしいし? そこは深く考えないとして、じゃあ何故国境関所で足踏みしていたのかを考えると、贈り物のことを追跡中に聞いたからだ。で、こっちの方法は想像に難くない。国防に重要な拠点である関所には通信機があるはずだから、概ね俺たちに入国の許しをくれたバックの人間か、この推測に当てはまる行動を取れる人物から連絡が来たって所じゃないのか?」
「・・・さっきはあなたたちとリアムの繋がりがまだはっきりしてなかったから・・・ あなたの言う贈り物は、おそらく手紙のことでしょ? ごめんなさい、でも、生の情報に勝るものはなしよ。あなた達から見てリアムが元気そうだったかどうかを知りたかった」
「だろうな。はぁ、俺もまだまだだね」

 ジョシュは自分はまだまだだとため息を一つ吐く。だが、とんでもない。アイナはこのとき眉や唇、目線。感情を表へと出すすべての仕草動作を制御し、申し訳なさそうに笑顔を作ることに徹していたが、内心、末恐ろしいと思っていた。こんなことを感じ取ったのはいつ以来だろうか。彼女のスグ側にはいつもリアムがいたが、リアムは末恐ろしいを通り越した人をたくさん傷つける力を持っている。だが、息子はあまり自分の感情を口で語ったりしなければ、純真というか、まだ、この純真さこそがリアムの感情であって、そこに裏表があるとは思っていなかった。しかし、これまでの息子の人生、やってきたことを振り返ってみよう。普通の子供どころか大人でも顔負けするような常人離れした交渉、発明、知識の保有量、吸収力、魔法、果たして息子がまだ、一端の思春期の子供のように、自我獲得の第2ステージに足を踏み入れていないと言えるだろうか。このとき彼女はジョシュの芯の強さを見て、まだ自分の息子が子供であるということを強く実感し、同時にこれからの再会に先して胸騒ぎを覚える。

「大丈夫よね・・・そう、これからよ。これからが、親として、私があの子に今まで以上に愛を注いであげる時」

 大丈夫。不安になって導きを間違えてはいけない。カリナは私の大切な娘だけれど、どうしても拭うことができない血の繋がりを理由に、愛に深く独立した子だ。きっとあの子は姉さんみたいに慈しみ深く、みんなに頼られるような優しい子に育つ。立派に成長しているし、これからも。だけど、リアムは私がお腹をいためて産んだ切っても切れない血の繋がりを持つ子供で、夫の大きな才能以上の能力を継いでいて、精霊と契約はできなかったけれどイデアちゃんにお友達もいる。それに、ティナちゃんも。
 カリナが困ったときに駆けつけ迎えてあげるのはもちろん、これから先、さらに私は二人の子供を送り出さなければならない。それが1年先か、4年先でも、私はずっと子供たちのことを思い続ける。・・・と、強い信念が私にはあるわけだが、どうにもあと一つ、自信が持てない。絶妙なバランスでこれ以上ないってくらい崖の淵近くに立っているはずなのに、あと一歩踏み出せていないと自分自身を脅迫してしまいそうになる。だけどその原因はきっとあれだ。そうだ、ティナちゃんを迎える前、リアムを産む前、カリナを引き取る前、ウィルと結ばれる前・・・ウィルと出会う前、毎日のように兄弟たちと勇者やお姫様が王子様に助けられて幸せに結ばれる絵本を取り合ったり、神様のことが書かれた物語を読んで、毎日詩を朗読していたあの昔(ころ)から、分かっていたことだ。きっと私の子育ては他の家庭以上に慎重に、注意深く子供と接し愛さなければならない。何故なら私は、みんなが知ってる親の愛を知らないのだから・・・。

「おばさん?」
「ああ、ごめんなさい。それで、仲直りはしてくれるのかしら」
「まあいいよ。俺も勉強になったし」
「そう、それじゃあ、仲直り」
「・・・ちょっと照れくさいな、へへッ」

 アイナとジョシュは仲直りをして、そのまま手を繋いだままリアムとの合流場所であるという郊外の草原へと歩く。 こうして手を握るととても素直な子。うちの子たちには負けるけど、あなたもすごいわねジョシュ。こんな小さなときに親を亡くして施設にも入らず、絶望せず・・・、強く逞しく生きてるんですもの。ねえジョシュ、きっとあなたは素晴らしい愛を、ご両親からもらったのね。それをずっと大切にしてあげてね。親は誰でも子供に自分の愛を知っていてほしいと、切実に願うものだから。ハッピーエンドこそが望ましいのだと、これだけは、正しい願望だと私にでもわかるのよ。

「多分、ここら辺だ」
「ここら辺?」
「だってリアムはこの辺来たことないんだろ?」
「ああ、なるほどな。納得だ」

 合流場所を指定したのは計画的にアウストラリアへの入国を目指し、トロイ、ユーロ、そしてアウストラリアまでの地図を頭に叩き込んでいたジョシュであった。彼の頭の中の地図には、何故かはわからないが、人目に外れ、尚且つ安全に夜が過ごせるような場所を中心に点が付けられていた。ここは見晴らしはいいし、街道から外れつつも街からそう遠くない。

「さて、集合は2時間後だから、もうそろそろくるはずなんだが」
「・・・・・・」

 ウィルはもう一度、静かに空を見上げる。嫌な予感がする。さっきの流れ星は終末、西から東へと流れていった。西はティナのスキル、そしてジョシュの話を信じれば今まさにリアムがいるはずの方向である。

「リアム!」

 だが──

「イテッ・・・ってあれ、ティナ?」
「ンーンーンーーッ!」

 アイナが名前を読んだと同時に、彼女がその姿を視界に捉える前に動き始めていたティナがリアムに飛びついた。ウィルが空を見上げた、一瞬の出来事である。

「リアムッ!」
「母さんまで!? どうしてここにいるの!」
「杞憂だったか・・・」

 ティナがリアムに抱きつくと、続け様にアイナも両腕を前後に振ってリアムの元へと駆け寄る。しかしアイナは数歩手前で減速し丁度良い位置で立ち止まると、これまた両腕でティナごとリアムと一緒に優しく抱きかかえる。

「よっ。無事入国できたぜ。お前の家族の助けもあって」
「さっきぶり、リアムさん」
「ジョシュ、チェルニー。二人がなんで母さんやティナと一緒にいるのさ」

 また、何故かアイナやティナと一緒にいるジョシュとチェルニーには首を傾げる。この合流場所へ来るはずだったのは彼らのみのはず。なのに、もう少し視野を広げてみれば──

「一緒にいるのはアイナとティナだけじゃないぞ。ほらリアム、早速だが無事帰郷した祝いだ」
「何これ・・・ゲッ」
「これは今回のお前の探索ミッションに対する私への報酬リストだ。ミッション達成後の帰り分はサービスして3日分。一括じゃなくていいから、仕入れたら真っ先に納品しろよ」

 次に視界に入ったカミラから手渡されたのはまさに報酬リストもとい請求書。あの、いまいち話についていけてないんですけど。

「仕入れといっても、ほとんど亜空間に在庫があるものばかりだから、今スグにでも手渡せるけど・・・シャンプーとボディーソープの香りが指定されてる。桜の在庫がない。桜はこれからがシーズンだけど、香りを抽出するにも今、上手く魔法が使えなくて・・・」
「魔法が使えない?」
「いや、全く使えないわけじゃなくて、まあそこはおいおい説明するんで、とりあえずじゃあ、お宅の設備を貸してくださいな」
「ああ、別に構わないが・・・なんかお前、雰囲気変わったか?」

 リアムは戸惑いつつも、みんながここにいる理由等を無闇矢鱈に予測することをやめて、目の前の取引を優先して処理する。カミラはそんな切り替えをしたリアムに雰囲気が変わったと指摘したが、そう思うのも無理はない。今のリアムはどちらかと言えば、道徳心に突き動かされて気遣い応対するナオトに近い存在だから。正直に面倒くさいと言いたいが、今は素直なリアムを演じなければ。
 世間一般にはこういう思考を妥協的ともいうが、あくまでもこれは秘密に裏付けされた気遣いであると、そう解釈してほしい。

「ほらほらアイナ、ティナ、あんまりいきなりだったから3人とも緑色のメッシュがついてるぞ?」
「あら、ホント。お揃いね」
「ほら」
「ありがとう、ウィル」
「ティナちゃんも」
「ありがとうございます」
「そして、リアムだ」
「ありがとう父さん」
「どういたしまして」

 こういうときに紳士な行動を取れるのがウィルのいいところ。レディーファースト、最初は妻のアイナに手を差し伸べ立たせサッと身嗜みを整えてあげて、次にティナ、そして最後にリアムに手を差し伸ばして一連の作業を手伝う。だが、リアムに最後に手を差し伸べたのは、何もレディーファーストだけが理由じゃない。
 
「リアム、イデアちゃん、おかえり」
「ただいま、父さん」
「ただいまです、ウィル」

 視覚として捉えられないが、行方不明になって帰ってきた者はもう一人いる。そんなイデアにまでちゃんと気配りできるいい男ウィリアム。家族を守る大黒柱の守護者。そんな守護者を当然の如く無力さに打ちのめしたであろう4日、しかし得るものがあり、短くとも非常に濃い4日間だった。

「ところで、噂のハイド・・・さんは?」
「ハイド・・・ああ、ジョシュたちから聞いたんだね」

 本当に、帰ってきたんだと実感させられていた最中、ふとウィルからもう一つ尋ねられる。もうなぜ自分の家族達とジョシュたちが一緒にいるのか大体の察しはついた。ならば、ハイドのことを知らないウィル達がハイドのことを知るジョシュとチェルニーといて、果たしてどうやって彼女のことを知ったかなど明白である。 

「ハイドは・・・また眠ったよ。僕に注文と、忠告を残して」

 草原に立って始めてリアムが空を見上げる。その爪痕は対面するウィル側から見える位置にあったため、背中を見せて。
 ふと振り向き様に見せられた背中と草原、この組み合わせは見覚えがある。懐かしいな。忘れられない光景だ。あの時見た背中は映像の中の背中だった。そして今まさに、目の前で同じ光景を見ている。だが、更新するには惜しいのに、どうやっても2つの背中が重なってしまう。成長の記録。何がなんでも両方とも本物として記憶に残してやる。まだまだこれから、ただ我が息子ながら、俺だけが知っているその小さな背中にのし掛かった重荷を想像すると、・・・同情する。

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