アナザー・ワールド 〜オリジナルスキルで異世界とダンジョンを満喫します〜

Blackliszt

105 ピクシスの子守唄

「セット・・・完了」

 日が完全に落ち、夜を迎えた頃、僕たちは何とか訓練場に到着していた。僕はある魔道具を亜空間から取り出し、それをここ一帯に機能させる。

「それは何でつか?」

 すると、空き地の中心にでそれを起動させた僕に不思議そうに質問するティナ。言葉は相変わらずちょっと変だが、その声色は前より少しだけやわらかくなった気がする。

「これはほら、空間魔法を応用した外部からの侵入を防ぐもので・・・」

 ティナの質問に、僕は自慢げに答える。

「外からは中に何もいないように見える上に、もしこれを発動した時に中にいなかった者が侵入しようとするとルームの端から端に通り抜けるっていうすごい魔道具なんだ」

 この魔道具の名前はルーム。一見透き通った綺麗なガラスのコップであるのだが、その材質は魔石、いくつもの魔法陣が彫り込まれており、数少ない空間魔法を再現する貴重な魔道具だ。この魔道具の起源は彼ノ勇者が危険な遠征に出向くために作り出したものであり、これらはレプリカ、現在は遠征や攻略の難しい地帯に赴くパーティーの必須アイテムであり、玄人以上の冒険者達に愛用される逸品だ。
 使用方法は簡単でただ設置したい中心にそれを置き魔力を流すだけ。魔力の蓄積機能もついており、魔力が供給されると筒から天井に向け結界を発射、半径10mのドーム型のルームを形成する。消費魔力はだいたい1時間200ほど、僕からすれば1日使っても大した魔力ではないのだが、人種大人の平均魔力量は1000、通常はパーティーのみんなで人数分で割り、時間分の魔力を注ぐらしい。
 これはリゲスから教えてもらい、自分で購入した品だ。大銀貨にして5枚、前世換算で50万もする魔道具で、2年前に得たダンジョンポイントは約300万、他にも日本食の材料や刀などの購入も合わせ、既に半分ほど消費してしまった。しかしこれらは浪費とは違う。今回のように何かしら役に立つものばかり、いわゆる先行投資というやつだ。

「さぁて、焚き火の準備もできたし、晩御飯の支度だ」

 結界が張られ、一度外から問題ないか確認を済ませると、早速晩御飯の準備を始める。

「小麦粉に、野菜鶏肉バター牛乳・・・あとは調味料を取り出してッと」

 材料は亜空間の中、冷蔵保存が必要な牛乳、および凍らせていた野菜と鶏肉を自作の魔法箱から取り出し、解凍を始める。

「ウォッシュ・・・布を取り出して」

「おてすだいします」

「ありがとう」

 解凍は10分ほど、微熱の魔法陣の描かれたシートの上で行うため、時間はそんなにかからない。僕はその間に、皿、スプーン、そして調理器具をすすぎ、手伝いを買って出てくれたティナと一緒に水気を布でしっかり拭い取る。

「鍋に油を引いて一口大に切った鶏肉を野菜、塩胡椒と一緒に炒めて」

 そしていよいよ調理開始、と言っても、解凍した食材を塩胡椒で炒め──

「玉ねぎが透明になったら一度火から離して小麦粉を振るいよく混ぜまーす」

 小麦粉をそれらによくなじませる。先ほどから横で、食材を焦がしてしまいそうなくらい熱い視線を鍋の中に向けるティナ。今日は碌にランチも食べずにストレスのかかる環境で頑張っていたのだ。鶏肉の焼けるいい匂いは、さぞ彼女の食欲を刺激していることだろう。何時もはそんなに動かない尻尾が揺れているのがその証拠だ。

「それはなんれすか?」

「これはコンソメって言って肉や野菜からとった出汁だよ。これだけでも美味しいから、少しどうぞ」

「あ、ありがとうございます・・・お、美味しいです!」

「よかった」

 続いて鍋に投入したのは水と牛乳、コンソメにバター。これらを入れた鍋を再び火にかけ、じっくり煮込んでいく。

「はい完成。それじゃあ晩御飯にしよっか」

「はい!」

 そして完成したのはシチュー。コンソメを使いポトフ風に仕上げてもよかったのだが、ここはより腹持ちの良いシチューを選択した。
 亜空間から取り出した簡易机に鍋を置き、同様に用意したベンチに座って食事を始める。

「パンの余りがあるからこれをつけて食べても美味しいよ」

「は、はい・・・モグモグ」

 それからのティナは終始、何かを口に含んでいた。余程お腹が空いていたのだろう。僕はどんどん空になる彼女のお皿にシチューを継ぎ足していった。

「お腹いっぱいになったかな?」

「はッ、はい!」

 鍋もお皿も空になり、満足そうにほっこり落ち着いていたティナに感想を求める。しかし──

「グゥー・・・」

 少し足りなかったか、恥ずかしそうに赤面し、お腹を抑えるティナ。

「僕の分も食べる? 好みでオリーブオイル入れちゃってるけど・・・」

「い・・いいえ! ダイジョブえす!」

 苦笑い気味におかわりを譲ろうとするが、それを全力で拒むティナ。

「そう・・・あっ! そうだ!」

 だがここで、僕はあることを思い出し──

「はいこれ・・・もったいなくてしまってたんだけど、ティナの分だから」

 亜空間に手を突っ込み、一つのランチボックスを取り出して彼女に手渡す。

「・・・これは」

 だけどそれを見たティナは、一気に申し訳なさそうな顔になり、受け取るのを躊躇った。そこで ──

「今更だよ。既に晩御飯だっていっぱい食べたじゃない」

「だけど・・・」

「別に責めてるわけじゃないんだ。元々ティナに食べて欲しくて持ってきたものだし、もしティナが食べてくれないなら、捨てることになっちゃう。それはもったいないだろ?」

「・・・はい」

 ちょっとキツイが、その心配が後の祭りであることを指摘し、渋々ではあるがそれを彼女に受け取らせる。

「美味しいです・・・」

「でしょ」

 それを受け取ったティナは箱を開け、中に入っていたサンドイッチを一口、口に含む。そして──

「お、美味しい・・・です」

 ゆっくりと、一口一口大事そうに口に含んでは味を噛みしめる。嗚咽しながら美味しいと呟く彼女を見て、ようやく一歩、僕はティナに近づけた気がした。

 ・
 ・
 ・

「一人で間抜けにも技を声に出して戦っていたマスターは面白かったです」

「いいだろ! わざわざそんなこと言わなくて!」

「フフッ」

 食事も終わり、大きな布を引いてゴロンと横になる。そして距離の近いたティナを味方に、イデアのマスターいじりが絶好調だ。

「あぁーッもう!・・・」

 そして遂に、不貞腐れてしまった僕は狸寝入りを決め込む。

「おっと、やり過ぎてしまいました」

 空間に響きわたるイデアの反省の声。

「リアム様。少しよごしいですか?」

「うん? いいよ」

 すると、背中を向けて寝ていた僕にティナが話しかける。

「リアム様は、私の国の言葉使えるです?」

「えっ?」

 だが、その内容はとても唐突で奇妙なものだった。

「時々私言葉が出なくて母国語使っちゃいます。だけどリアム様は分かってるみたいだし、時々母国語使ってりから」

 訂正。全然奇妙でもなんでもなかった。

『・・・自動翻訳の弊害、いや、この場合は結果オーライか』

 僕はティナの指摘を受け、苦悩する。なぜならこれまでティナとの会話の中で・・・まあ多少おかしな部分はあったがそれはティナがまだこの国の言語に慣れていないのが原因、それ以外では全く理解のできない言葉などなかったためである。ただ気づいていなかっただけ、それだけにこの能力の弊害をウンと感じた。

「いいよ。多分全部わかるから」

 とりあえず、僕は彼女に母国語を使うことを許可する。すると──

「ありがとうございますリアム様。では今日だけ、母国語を使わせていただきます」

 びっくりするほど、綺麗な文体で会話するティナ。先ほどまでの片言に近い言葉が嘘のようだ。

「今日だけと言わずに、僕と二人っきりの時は母国語で話していいよ。これは制限しないでおくね」

「ありがとうございます」

 そして、これからも二人きりの時は母国語を使っていいと言う僕に礼を述べるティナ。しかし──

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 それから暫く、場は沈黙に包まれる。

「・・・星が綺麗だ」

 時間にして1分経っただろうか。その雰囲気に耐えられなくなった僕はふと体を仰向けに、輝く星々に目を向ける。

「ダンジョンにも、星があるんですね」

「見たことなかったの? ここに住んでるのに」

「はい。私はまだここに来て一月ほど、夜には奴隷用の部屋に入っていましたし、そこから星は見えませんでした」

 嬉しいような切ないような、そんな感情を突き起こすような声色だった。

「私の家は、獣国ガルドの中でも有数の名家でした」

 すると突然、自身の身の上を語り始めたティナ。僕は思わず彼女の方に目を移してしまうが、その時彼女はただ真っ直ぐに、空の星々を見据え動かなかった。

「ガルドでは色んな種族の獣人達が暮らしていて、その国は王を初めとする、種族を代表する家々によって統治される国です」

「それは貴族制のような?」

「いいえ。種族の代表は、より人望厚い人がみんなから選ばれて、よく変わるところもあれば、私の家みたいにずっと変わらないところもあります」

「へぇー・・・ん?」

 他国の政治形態を学べるのは貴族科か高等部に進んだ後のことだ。こうして新しい情報を仕入れることができるのはありがたいことなのだが──

「今、私の家のようにって言った?」

 それとは別に、気にしなければならないことが僕にはあった。もしかしたら、自動翻訳の翻訳ミスかなと・・・。

「はい。私の家は代々、犬耳族の代表を担ってきた歴史ある家でした」

 しかしスキルのミスではなかったようだ。どうやら、ティナは本格的に出自を語ってくれるらしい。ある程度鑑定から得た情報で覚悟はしていたが、それらは全て想像に過ぎない。こうして心を開いてくれた彼女の話は、誠心誠意聞かなければならないだろう。

「私の家の名はピクシス、昔お母様が話してくれたその名の由来は ”英雄を導く標べ” 、どんな闇に飲まれようと、音を奪われようと、決して目的を見失わない強い力を持つもの・・・らしいです」

 それは凄い。素直に僕はそう思った。ティナの先祖は何かしら伝承に残るような英雄を導いた一族だったりするのだろうか。

「現にピクシス家の当主は代々、特別なユニークスキルを持っていました」

「ユニークスキル?」

 僕はここで、態とティナに聞き返す。本当はスキルや名前については鑑定で全て知っているのだが、折角の機会だ、それで話の腰を折ってしまうのはよろしくない。

「はい。それは羅針盤というスキルで、このスキルは・・・」

 しかし突然、話の途中で黙り込んでしまうティナ。

「無理しなくていいよ。ゆっくり考えて、話せるところだけ話してくれれば」

 僕も、そんな彼女を気遣い無理はするなと言ってみせるが ──

「いえ、大丈夫です。・・・話します」

 ティナの決心は固く、話を続けるようだ。

「そのスキルの名前は《羅針盤》。大量の魔力と引き換えに、頭の中に目的の場所や物がある場所を指すっていう特殊なスキルです」

 やはり。僕はティナにスキルの内容を聞いた瞬間、そう思った。このスキルの詳細は知らなかったが、ユニークスキルであることを考えれば、普通のコンパスではない。特別なものだと推測していた。しかし──

「それともう一つ、《獣化》という獣人特有のユニークスキルです・・・」

 羅針盤以上に、声を震わせてもう一つのユニークスキルについて話すティナ。僕にとってそれは意外だった。なぜなら、獣人のユニークスキル《獣化》は有名で、スキルを勉強する上でよく例題に出てくるからだ。

「それって確か身体強化の凄いやつだよね」

 といっても、初等部で学べるものには限度があり──

「・・・私たちは進化と呼んでいます。獣化を使えば、身体の機能がものすごく強化されますが、その本当の力は、あるレベルに到達した時、獣化していない元の体に変化を起こすからです」

 思いっきり情報不足だった。これはちょっと恥ずかしい。

「たぶん私が進化すると、尻尾が二つになります。・・・私の母は、既に7回進化していて八つの尻尾を持っていましたから」

 が、これはどこかで聞いた話だった。そのうち九つに別れて妖怪になったりして。

「進化するとどうなるの?」

「私たちの一族は特殊なんですが、普通は体が大きくなったり筋肉が発達したりして闘気をより多く捻出できるようになります。獣化した状態だと1度の進化で前の倍以上の力を手にすることができるそうです」

『なるほど。多分獣化の強化は相乗効果かな? 地力が上がった分倍以上の力を出せるということは足し算じゃ計算しにくいし・・・』

 考察。ティナの話から獣化の特性について頭の中でまとめてみる。因みに闘気については授業で習ったことがある。これは魔力に関する授業で、言うなればより純度の高い魔力、自然界には存在せず獣人の体内でのみ存在が確認されているもの。1の闘気を受け止めるのに、10の魔力が必要と言われ、1:1で相殺できる魔力とは雲泥の力を持っているらしいが ──

「それじゃあティナの一族だと?」

 それが一般的な進化の恩恵だとすると、特殊なティナたちの一族の場合どうなるのか。

「私の一族の場合は、精気が増します」

「精気?」

 すると、またもや聞きなれない単語が話に出る。

「精気は闘気と対をなすもの。体を強化する闘気に対し、精気は獣人の種族に見合った魔法のような力を授けてくれます・・・」

 疑問系で返してしまったのだが、その詳細をしっかりと教えてくれるティナ。今夜は新情報がいっぱいで、ちょっと頭が追いつかなくなってきた。

「私には、双子の弟がいました」

 するとどうしたことだろうか、再び自身の身の上話に戻るティナ。

「100年前、勇者様の訪れによって和らぎましたが、獣国には今でも弱肉強食の概念が強く残っています」

「それは勇者ベル?」

「はい。ベル様は獣国の内戦を治めた英雄です。その圧倒的な力で当時の6の大種族長をねじ伏せ、今の獣国の基盤を作った方です」

 かつて国境を超え、あらゆる偉業を成し遂げた勇者。その武勇伝は獣国にまであったようだ。

「話を戻します。私には双子の弟がいたのですが、《獣化》そして《羅針盤》という二つのユニークスキルを持っていた私に対し、弟は《羅針盤》のスキルは持っていたものの、獣人誰しもが持っている《獣化》のスキルを持っていませんでした」

 それはまたしても驚きだ。

「両親は突然変異だと言っていました。普通、犬耳の狐族である私たちの髪や尻尾、耳の色はキツネ色のはずです。しかし私と弟の毛色はご覧の通り、紺色でしたから」

 自然における変異は進化において重要なファクターだが、話の内容はあまりにも急、種族全員が持っているものが欠落していたとなれば、まさに突然変異であろう。

「母は言いました。『このままでは弟は弱肉強食の世界で生きていけなくなる。だからこそ平和が訪れたおかげで認められた、知恵を絞って皆を導ける職になんとかつかせたい』と」

 ティナの母親の気持ちはわからなくはない。社会におけるマイノリティとは、いつの時代も知恵を絞り続けるものだ。

「そして正に、それを実現する方法はただ一つ、弟が家名を継ぎ、種族の代表として犬耳族を統治することでした。幸い種族代表の選出については、勇者ベルのおかげで犬耳族内では力で解決する方法がとられることはほとんどありません」

 餅は餅屋。ティナのこれまでの話を総合するとそういうことだろう。

「ですが、話はそう上手くいきませんでした。それを実現させるためには、どうしても一つ、解決しなければならない問題があったから・・・」

 これまでで一番、辛そうな口調の上に言葉に詰まるティナ。僕も、これまでの話とその様子から、大体を察してしまった。

「・・・それは私です。同じ家、同じ日に生まれたとはいえ私は弟の姉であり継承権は私にある。更にいえば、勇者の作った制度で選挙・・・という方法で定期的に代表が選ばれる。もし弟が仮に家を継げなかったとしても、私と身内であることに変わりわない。だから選挙になればきっと平等な競合いができる・・・ある一点を除いて」

 獣国は弱肉強食の世界だっただけに、男女における継承権の順位は年功序列らしい。血を分けた双子の弟。話の中でしか知らない彼は、一体ティナにとってどんな存在なのか。

「母はこうも言っていました。『きっと同士は私と弟の能力を比較し決めることでしょう。その時は・・・』」

 少なくとも、彼女はこうしてここにいる。きっと蔑ろにして、無視できるような存在でなかったことは確かだ。

「強い精気使いである母は私を事故死したことにし、奴隷の待遇の良いこの国に寄こしました。私は普通より強い力を秘めている、もっと厳しい世界でも何とかなるはずだと・・・だから弟のためにと全てを隠して」

 しかしそれはおかしな話だった。本当に子供思いの母親なら、一方の子のためにもう片方を手放すような真似はしないだろう。もっと別の道を模索するはずだ。それに奴隷落ちさせることも・・・。
 だが魔法やダンジョンのあるこの世界との価値観の違いだろうか、戦う力を持つことのできなかった我が子を選び、力を持つ子を厳しい世界に隠した。なんとも言えない怒りが沸々と湧いてくるが ──

「それは・・・」

 同時に、僕はティナに何か気の利いたことが言えないかと必死に考えていた。しかしどんなに考えても、ティナの気持ちを和らげてあげられる言葉が見つからない。

「母から初めて話を聞いた時はとても驚きました。それまで厳しく、おかげで礼儀作法も身につけられて、こうしてマクレランドさんの商会に買って貰えたから・・・」

 まだ小さな女の子が異国から、それも奴隷として売られてしまった。
 子供の時の経験というのはとても大事なもののはずだ。前世でそれが希薄だった分、なおさらその大切さを僕は知っている。

「それじゃあティナ・・・ティナの名前は・・・」

 僕は最後に、彼女に名前を尋ねる。ここまで話してくれた上で、ティナはどちらの名前をとるのか。どちらにしても、僕にとっての彼女は、この短期間で簡単に見捨てられない存在になってしまったことに変わりない。

「私の名前は・・・」

 今の彼女は一体どんな表情をしているのか。悲しい、寂しい、辛い・・・はたまた開き直ってしまっているのか。こんな大事な審判の時でも、空では燦然と星たちが輝いている。

「私の本当の名前はカヴァティーナ・ル・ピクシス。ティナは周りの人たちが私を呼ぶのに使っていた愛称です」

 結局、ティナは僕に本当の名前を教えてくれた。いつかまた家に戻りたいのか、それとも単なる情報の一つとして教えてくれたのかはわからない。だがこれ以上無闇に心の内を突ついてしまうのは無粋だ。 

・・・ただ一つ、僕の脳裏に浮かぶのは、こうして誰かと夜空を眺めていると思い出す前世の記憶。

「リアム様?」

 本当の名前を聞いて黙り込んでしまった僕に、ティナが不安そうな声で話しかける。

「ん?・・・ああごめんごめん・・・ちょっとね、思い出していたんだ」

 ティナに名前を呼ばれ現実に戻った僕は、自分の世界に入ってしまっていたことを謝る。

「僕が生まれた時に世界からもらった記憶にね、ベートーヴェンって人が作曲したカヴァティーナっていう曲があるんだ」

「私と、同じ名前?」

「そうだね・・・」

 ベートーヴェン作 弦楽四重奏曲第13番 第5楽章 Cavatina。

「カヴァティーナは弦楽器の四重奏でとても美しい旋律、特にこういう綺麗な星空を見上げながら聴くことができれば、それはもう嫌なことを全部忘れさせてくれるくらい」

 故郷の秋の夜風、子供の頃両親と空を見上げながら聴いた古い異国の歌。カヴァティーナは叙情的な旋律主体が特徴の器楽曲、または声楽曲という意味の一面も持つ。

 生まれつき体の弱かった僕が体調を崩し学校に行けず、家で退屈していたまだ残暑残るある初秋の頃、平日にも関わらず仕事で忙しい両親が時間を作ってくれ、気温の丁度良い夜に星を観に連れて行ってくれた。この時父がかけてくれた曲こそがカヴァティーナ、レコードで流すあたりが父らしかった。あまり有名な曲ではなかったものの、書斎でお気に入りのこの曲を聴きながら読書する父の姿は今でも鮮明に思い出せるし、あの日の思い出を忘れられないものとしてくれた。

  ”〜〜♩”

 すると、感傷に浸り空を見上げていれば、どこからともなく聞き覚えのある旋律が流れてくる。

「これは」

 どこからか、そよ風に乗って運ばれてきたように優しい旋律が聞こえてきた。

「マスターの記憶から、曲を再現してみました。どうでしょうか?」
「・・・本当、なんでもありだな」

 それは、イデアが流してくれたカヴァティーナだった。おそらく僕たちと会話する要領で記憶から呼び出し再現したのだろう。

『これは、今後ミュージックプレイヤーとして使えるかもしれない・・・』

『今回はティナのためにサービスで流しましたが、今後は私に自由にできる魔力100を払っていただけると、1曲流します』

『おい・・・って魔力もらってどうするんだよ』

『単なる趣味です』

『・・・そうか』

 物理的に聞こえてくる音楽とは別に、頭の中では念話の形で妙な交渉が成立する。今ではイデアはティナのことを単純な固有名詞呼びだ。それほどまでにこの短時間で仲良くなったというのか。
 しかし今はイデアにツッコむ気力もほとんどない。今はただ、懐かしい思い出の曲に浸りながら、ただただ幸せな時間を過ごしたいと思ったから。

「・・・これがカヴァティーナ。ティナと同じ名前の曲で僕が大事な人たちと・・・」

 そして8分ほど経った頃、曲も終わりふと感想を聞こうとティナの方を見るが ──

「・・・っと」

 やはりこうゆったりとした曲は子供にはつまらなかっただろうか・・・いや、スヤスヤと寝息を立てるティナの目尻から一筋の涙が流れる。そしてその表情は、とても穏やかで幸せそのものだった。

「おやすみ・・・ティナ」

 森の中にぽっかり空いた穴から覗き輝く星々。いつの日か、あそこに人の手が届く日がやってくる。そんな夢のように果てしなく長い道のりであるが、きっとティナの心が晴れる日も来るはずだ。面倒ごとをと思う人もいるかもしれない、偽善だという人もいるかもしれないが、この日、僕はそんな彼女が一日でも早く自由な生活に戻れるようにと手助けすることを決意し、深い眠りについた。

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