アナザー・ワールド 〜オリジナルスキルで異世界とダンジョンを満喫します〜

Blackliszt

72 あの日の君が・・・

『やってしまった・・・』 

 僕はあれから一人、その場から逃げ出すと街道を走り、アースに戻って自宅の部屋に閉じこもった。 

 逃げた・・・逃げてしまった。 

 僕の人生で他人に、誰かに憤りを感じたことがあっただろうか。 

 自分が他の人より不自由で融通が利かなくて、その不幸を呪うような出来事があっても憤りはせず、只々諦めているばかりだった。 

 そもそもエリシアが普通の状態じゃなかったのは目に見て取れたし、あそこはしっかりと話を聞くべきだったのに・・・何故急にあんなにも怒りが湧き上がり責め立ててしまったんだ・・・まるで子供のように。 

 自己嫌悪に苛まれる。僕は彼女よりも年は若い・・・といってもそれは肉体的な話、精神的にはもう成人し、ましてや子供を持っていてもおかしくないほどの年月を積み上げているはずだ。 

 ましてや誰かを想って自分から行動するなんて一度も・・・ ・・・いや、一度だけあった。 

 それはもう遠い前世の話、僕の忘れてはいけない数少ない大切な思い出が。 


▽      ▽      ▽      ▽ 

 あれは今日みたいに暑さ増す初夏の日のこと・・・中学生になって一年と少し経った頃、その日僕は日課である病院附属の図書館へと足を運んでいた。 
 この時期、僕は長期に入院することが恒例で、更に様々な不安とプレッシャーからかなり心を病んでいたことを今でも明確に記憶している。この時すでに学校に登校することもほとんどなくなっていた。 

 空調の効いた図書館の端で、昨日とは一つ横にずれた参考書を手に取り席につく。 

「ねぇ、一緒に遊びましょ?」 

 いつもの机のいつもの席で、昨日とは違う参考書を本棚から持ち出し読みふける。この時間、この時だけは自分の劣等感から解放されていた。 

「ねぇったら〜・・・無視?」 

 論理に適った淡白な情報が載る参考書を端から眺める事は嫌なことを忘れるのに最適な単純作業、僕はただただその情報の海に溺れていた。 

「ふ〜ん、だったらこれならどう?」 

 すると突然、本の上から差す長方形の影・・・そして ── 

「フラーッシュ!」 

 次の瞬間、明滅する光と影。 
 僕はその突然の出来事に目を眩ませ、顔を上げる。 

「・・・誰」 

 顔を上げ原因を探ったその先には、目の前でライトの点いたスマホ片手にこちらを見つめる女の子がいた。 

「あ、やっと気づいた」 

 どうやら先ほどの急な光の明滅は、彼女がスマホのライトボタンを連打した結果らしい。 

「私は日登 鈴華。ねぇ、遊びましょ!」 

 唐突に自己紹介を始め、おかしなことを言う女の子。そして僕はそんな彼女の意味のわからない行動に冷静なツッコミを入れる。 

「・・・なんで?」 

 僕のこの反応はきっと正常なはずだ。だって知らない人がいきなり他人の読書の邪魔をして、遊ぼうと話しかけてくるのだから。 
 しかしそもそも、これまでに碌な人付き合いをしてこなかった僕は、この反応が正しかったのかどうかさえ判断することができなかった。 

「なんでって ・・・別に理由はないよ? ね、直人くん?」 

「ど、どうして僕の名前を!?」 

 するとまたもや、彼女は僕に衝撃をを与える一言を発した。僕はその驚きに、思わず席を立ってしまう。 

「そんなに驚かなくても、別に難しい事じゃないよ・・・ほらこれ」 

 しかし驚く僕とは裏腹に、冷静に机のある一点を指差す彼女。 

「・・・あっ」 

 僕はそれを見て間抜けな声を出す。なぜなら彼女が指差した先、そこには僕の名前 ”一条 直人”の名が記された貸し出し用の図書館カードがあったからだ。 

「いつも難しそうな本ばっかり読んでるから頭いいのかなって話しかけるのに少し緊張したんだけど、どうやら杞憂だったみたいね」 

 間抜けな声を出し唖然とする僕を見て、からかうように相好崩す彼女の表情カオはとても眩しく見えた。しかし ── 

「・・・いつも?」 

 僕は彼女の言葉始めにあった、不思議なワードに気づいてしまう。 

「あっ・・・いや、なんでもない!今のは忘れて!!」 

 彼女も自分の失言に気づいたのか、取り繕うようにその顔を赤面させるのであった。 

「まあとにかく、毎日図書館だけじゃ退屈しない? 偶には体を動かさないと」 

 華奢な腕から差し伸べられる綺麗な手。僕にはそれがとても力強く、そしてとても羨ましく思えた。 


 あの日、彼女と出会ったあの日から、僕の日常は少しずつ色づいていった。 
 最近では自分で読みたい本を探すようになり、前みたいに端から順に参考書を取ることもなくなった。 

「それで姫野さんがね、内緒で私でも食べられるケーキを作ってきてくれて・・・」 

 彼女と出会って1週間、天気の日はこうして病院に併設する森林を通る遊歩道を歩きながら他愛のない話を、雨の日は図書館で互いにオススメの本を交換して読み合あった。 

「ちょっと聞いてる〜?」 

「聞いてる聞いてる・・・」 

「ならいいけど」 

 いつもと変わらない笑顔で笑ってみせる彼女を見るのは、ここ最近の僕の日課だ。 

「それとね、実はこれが本題なんだけど・・・この前話してた件、OK出たよ」 

「本当?」 

「ほんとホント! だから私もこれを持ってきたの・・・だから今から行かない?」 

 そんなサプライズでも仕掛ける子供のように無邪気な笑顔を見せる彼女は、先ほどからチラチラと見えていたあるケースを掲げてみせた。 


▽      ▽      ▽      ▽ 

「暗いな・・・」 

「他のフロアはまだ使ってるところがあるから電気は通ってるらしいよ?」 

 僕たちは暗い廊下を歩き、目的地に向かう。 
 そこは病院の敷地端っこにある旧本棟、教室ほどの広さの多目的室。病院から借りた鍵で扉を開け、僕たちは中へ入る。 

「ほら!あるでしょ?」 

 扉を開けた途端姿を現したそれを見て、どうだ!と胸を張る鈴華。 

「ホントにあった・・・」 

 僕もそれを見て驚きを隠せない。 

「ピアノ・・・」 

 そこにあったのは、どうやってこの部屋にそれを入れたのか疑問が浮かぶほど大きなグランドピアノだった。 

「埃っぽいから窓開けようよ」 

 僕たちは部屋に入った後、陽の光を入れるためにカーテンのドレープを開け、空気の入れ替えのために窓も開ける。 
 時折吹き込む風に揺られ陽に照らされるレースのカーテン。 

「うわー・・・大丈夫かな」 

 差し込む陽の光によって判明したグランドピアノの上にかかる保護布の埃。その埃がここが随分暫く使われていないことを物語っていた。 

 それから僕たちは軽く部屋の中を掃除した。 

「よい・・しょ・・・」 

 そして掃除が終わると、僕はピアノの上に覆いかぶさっていた布を下ろし畳んで、ピアノの前屋根を折り重ねた後、大屋根ごと持ち上げて突上棒で固定する。 

 鍵盤蓋を上げ、露わになる白と黒の縞々。 

「・・・ポーン」 

 僕は一通り鍵盤が埋まったりしていないか確かめた後、基本の音であるドの鍵盤を叩いた。・・・どうやら調律の必要はなさそうだ。 

 そして椅子に座り、ペダルのチェックも済ませると ── 

「タタタ・・・」

 早速、指の体操を兼ねて鍵盤を叩いていく。
 曲はバッハ作曲、インベンションの第一番だ。

 語り合いのような追いかけっこのようなこの曲は、ピアノの教育用として知られるバッハインベンションの第一番を飾り、指の体操にはもってこいだ。 

「面白い曲だね、追いかけっこしてるみたいで」 

 一分ほどの短い曲が終わり、鈴華が感想を言ってくれる。僕も初めて弾いた時にそう思ったものだ。 

「今のは体操・・・」 

 ましてや家族以外に演奏を聴かせたのが初めてだったため、変に緊張してしまう。 

「ドーン・・・ターン・・・・ドーン・・・」 

 静かな始まりからクレッシェンドし徐々に重厚さを増す音を響かせる。僕は久しぶりに響くこの音色に興奮を覚える。 

 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 第一楽章。 

 それは僕が一番お気に入りで共感できるコンツェルト。 

 今回の入院は今日で大体3週間、もうすぐ1ヶ月が経とうとしていた頃で、僕にとっては久しぶりに奏でる馴染みの曲である。 

 鍵盤を叩く指の動きは一気に加速し、流れるように音を響かせる第一主題。そして頭の中で流れるバイオリンによる主旋律に、チェロやコントラバスのピッツィカート。 

 その後も第二主題では主旋律をのぞかせながら、頭の中で流れるオーケストラの音色と共に曲を仕上げていく。そして最後には、完全に入った自分の世界との別れを惜しみつつ、力強く曲を弾き終える。 

「すっごい! 私聴き入っちゃった!」 

 再び僕の演奏を褒めてくれる鈴華。しかしその内容は最後、少しだけアレンジしてはいるが連弾用でもなければソロ用でもなく、オーケストラの協奏曲となんら変わらない譜面だ。もしこの曲をオーケストラで聴いたことがない人は少し、ん・・?となるかもしれないが、僕はそれでも十分に美しい曲だと思う。まあ他にも、妄想のオーケストラとの共演が楽しすぎるから・・・という理由もあるのだが。 

「僕がね、ピアノを始めようって思ったきっかけがこの曲だったんだ」 

 この曲を弾いていると、今でもあの日のオーケストラが頭の中で流れてくる。 

「小学校に入学したばかりで中々学校に登校できなかったある日、母さんと父さんが気分転換に初めてコンサートに連れて行ってくれてくれたんだけど・・・」 

 誰とも上手くいかず、あまり両親と会話をしなくなった頃、ある日ふらっとそんな僕を連れて協奏曲コンツェルトの演奏会に連れて行ってくれた。そういえば、最近もまたあまり話をしていないような気がする。 

「その日、それまで演奏された曲の数々はとても素晴らしくて衝撃を受けて・・・今でもその感動を覚えてる・・・」 

 もちろん、その日の演目はラフマニノフのみならず他のコンチェルトもあったのだが ── 

「そしてその時に聞いたこのコンチェルトが今でも忘れられなくて・・・」 

 ステージの上で一際目立つグランドピアノに座り、緊張感のある出だしから重厚なオーケストラにも負けない伴奏を奏でたかと思えば主旋律を軽やかに弾き語る。まるで大きな波に強く足を引っ張られそうになりながらも立ち続ける強さのような力を感じた。 

 そんな子供っぽくて単純・・・というか、それぐらいでもすぐ行動に移して挑戦しなければ何もできることがなかったというのも事実なんだけど、やはりその時その時に感じた僕の感動は僕だけのものである。共有する仲間がいても、それを生み出す彼らがいても・・・、僕と同じ感動を得た人がいても、やはりその感動はまず僕の中にあるものだと自覚したいと強く思わされるほどにあの時の感動は一入だった。初めは指を動かしたりそもそも届かせる事に苦労してアレンジしていたが、最近ではその必要も徐々になくなってきている。それにこの曲の裏話を聞いた時は・・・ 

「他にもベートーベンやショパン、モーツァルトなんか有名な人ばっかりかもしれないけど家にいる時は良くピアノを弾くようになって、それはそれで長く愛されている理由を感じることができたし、かなり体力使うんだけどそれでもやめられなかった」 

 柄にもなく自分語りをしてしまった。そして自分の好きなものを語れることが、こんなにも楽しいことなのだ・・・と。 

 初めて話をしたあの日から彼女と話しているうちに明らかになった二人共通の趣味、それが読書と音楽だった。 

「私はね、年の少し離れたお姉ちゃんがバイオリン奏者で初めてコンサートに招待してもらった時、コンサートマスターとして演奏するお姉ちゃんを見て私もーッ!ってなって・・・」 

 背景は違くとも、どうやら彼女も僕がピアノを始めたのと同じ気持ちでバイオリンを始めたようである。 

「あーッ!直人が語るから私まで変に語っちゃった!」 

 恥ずかしさを誤魔化すように窓の外を眺め、パタパタと手で顔を仰ぐ鈴華。僕も彼女の言葉と様子につられて顔が熱くなる。 

「ということで! 何か一緒に弾いてみようよ!」 

 鈴華は仕切り直すように、パンッ!と手を合わせる。 

「何かリクエストとかある?」 

 そして僕にリクエストを尋ねた。 

「・・・メヌエット、とか?」 

 バッハ作曲のメヌエット。その誰でも一度は聞いたり学校の授業で弾いたかもしれない互いに初心者用の曲。しかし二人のバイオリンとピアノで合わせて調律の取れる曲を考えたら、パッとそれしか思いつかなかったのだ。 

「えッ?」 

 確かに僕があんな曲を弾いたばかりなのに、その選曲にはギャップがありすぎる・・・しかし── 

「フフッ!・・・いいよ、弾こう!」 

 彼女がメロディー、僕は少し左手の伴奏強めにスローテンポで曲を奏でる。 

 蝉も鳴き始める初夏の候、暑い日差しを時折さらう涼しげな風を感じながら、誰かと一緒にささやかな幸せを共有する。そんな初めての経験を胸に、新たに生み出される音はとても心地よく、それからこの時間は僕たち二人だけの秘密の演奏会を開く事となった。

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