死にたがりの俺が、元いた世界を復活させようと頑張ってみた結果。
理不尽VS龍神~復讐とはかく在るべし(わりと偏見)~
龍の気を解放したムスペルの姿は、もはや最初の印象とは別物になっていた。
瞳は殺意に赤く染まり、全身の肉と神経が二回り以上にも膨れ上がり、そこらの刃物よりよっぽど鋭利な爪や牙が不吉な色に輝いている。
首筋や胴体は褐色に変色しただけで人の素肌に近いものの、腕や下半身にはびっしりと鱗が張り付いており、むしろ異形の印象を際立たせていた。
成り形は人型を保ってはいるものの、もうこいつを『ヒト』と呼ぶことはできないだろう。強いて言うのならば〝人龍”とでも呼ぶべきか。
「ん……」
今のうちに、こっちも整えておく。
地面や天井など存在しないこの空間で、果たして肉弾戦は可能なのか? 以前アルティと殴り合った事もあったが、あん時は無我夢中だったのでよく覚えていない。
色々試した結果、どうやらこの空間自体が『魔法』の様なものだと見当がついた。すなわち、イメージ力に依るところが非常に大きい。
跳んだり走ったりしたい時には〝そこに地面がある”のだと強く信じるでそれが可能となる。
そう聞くと難しいと考える奴もいそうだが、いかなる時でもイメージ通りの動きが可能だという事で、俺にとってはむしろやりやすい。
体を動かす時に一々地面の存在を意識している者などいないだろう。要は、考え過ぎない事が正解って事だ。
俺がコツを掴んだのを見計らった様に、ムスペルが口を開いた。
「準備は出来たようだな」
「わざわざ待っててくれたのかよ。礼儀正しい奴だな、他の奴にも見習わせたいね」
「礼儀、か……」
本心と皮肉の半々なセリフに、顎に手を当てて真面目に考え込む龍神。
もっと軽く返してくれた方がやりやすいんだが、どうやらこいつは根っからこういう気質らしい。
「いや、それは少し違うな」
「んん? 何が?」
「オレはお前を――」
周囲の雑音、障害物。
余計なモノが何もない、文字通り俺とヤツだけの空間のなかでは、想いの伝達速度は何倍にもなる。
ああ……わかってるよ。
「ただ完膚なきまでに殺したいだけだ」
「――へっ」
さっきのやりとりが効いたのか、向けられるストレートな殺気に思わず苦笑した。
そうだ、それでいい。いまや俺とヤツの間に存在するのはただただ殺意……その一色に他ならない。そしてその空気こそが復讐劇には相応しい。
「「――――――っ」」
復讐劇に開始の合図などあるはずもなく、ただお互いに養われた本能のみで闘いの始まりを嗅ぎ分ける。
身構えた直後、目の前に剛腕が迫っていた。
速ぇ!?
「悪いが楽しませてやるつもりはない。手短に死んでくれ」
鉄板すらも紙切れ同然に切り裂けるだろう爪をぎらつかせながら迫る掌と同時、冷えた声が降ってくる。
狙撃ライフル弾よりも早く動ける生物など、前世の常識では考えられない。
今までのあらゆる実戦経験を上回る攻撃に俺は何の抵抗もできず――
「――なわけねえだろボケ」
首を掻っ切る軌道で薙ぎ払われた腕をするりとかわし、代わりにがら空きの顎へ大強振の蹴打をお見舞いしてやった。
ヤツにとっても完全に予想外な反撃だったのか、何一つ反応する事無く無防備に入る。
「ッ!?」
「こっちこそ悪いね。いつもだったら、敵の一撃目はどんな強力な攻撃だろうと受けてやるのが俺的セオリーなんだが……」
吹っ飛ぶ相手に言葉を投げる。聞こえていようがいまいがどうでもいい。
どちらかといえばこれは、この闘いにおける俺のスタンスを再確認する為のものだから。
「先約があるんでな。今回はお前の『期待度』の味見で済ませてやる」
向こうがどんだけマジで来ようが、こっちは極限まで付き合うつもりはない。もちろんその程度で死んでしまうようならそこまでだったという話だから、加減なんてしてやらんが。
強いて言うならタイミングが悪かったな。
『神域魔法』やら『対抗魔法』やら……今回の旅で、ちっとばかし面白そうなモノを立て続けに見つけてしまったから、今んとこ満腹状態なんだよ。
それに、まあ―
「困った事に、今は死ねない理由もあるしな」
俺が死ぬ事より他を優先するなんざ、前の世界含めても俺の人生史上かなりのレア状況だぞ。
爆風に撒き散らされた砂利の如く、ムスペルは遥か彼方へ吹き飛び止まらない。壁や地面など存在しないこの場所ではどこまでも飛んでいってしまう気さえしたが、ヤツは翼を広げ勢いを殺していた。
……便利だな、あれ。
完ッ壁に意識の外から急所を打ち抜いたはずだが、ムスペルは虫でも当たった様に蹴られた顎をさすり、不思議そうに呟いた。
「殺すつもりだったんだがな……さすがにそう簡単にはいかないか」
その口調はなんというか、行きつけの定食屋がその日に限って満席状態だった事に首を傾げてるサラリーマンみたいに軽いものだった。
俺の蹴りってば一応、素のままでも鉄板くらい割れるんだけども。
ましてや今は、ヴァルガの魔法により身体能力が数倍増しに強化されている。例え重戦車の装甲だろうと、一撃で突き破れる自信があった。
だってのに、直撃を受けたはずのムスペルは大したダメージもなさそうに、するりと立ち上がりやがった。
……自信無くしますよ?
「なんだよその変態耐久力。お前本当に関節と脳味噌付いてんのか?」
「残念ながら完備だよ。人間のそれとは少々質に差はあるけどな」
コキコキと首を鳴らし、ムスペルが言ってのける。個人的に言わせてもらえば、戦車より遥かに頑丈な事を少々とは言わないと思う。
俺が半ば呆れていると、
「何を呆けている?」
おもむろに距離を詰められた。
「やべっ」
さっきのが全力ではなかったらしい。
明らかに速度や鋭さが増した拳が飛んでくるのを紙一重で避ければ、さらに速い蹴りが飛んでくる。それも躱せば次はさらに速い肘が、その次は膝が、頭が、踵が――――
「ちっ!」
全神経を集中して、猛攻を紙一重で避けながらも針で糸を通すように反撃を捻じ込んでいく。しかし、どこの急所をどう打とうと、まるで堪えた様子がない。
鱗に守られていない首や脇腹にも入っているはずだというのに、芯に届く手応えがないというのはどういう事かとずっと考えていたのだが、ここまで単純だと否応なしに答えが出てしまう。
それを悟るとほぼ同時に、ムスペルからも答え合わせがきた。
「パワー不足だな」
「そーみたいだ、ね!」
ガードの上から蹴りをぶち当てて、いったん距離を取る。
――そう、単純に、攻撃力が足りないのだ。
『鎌』はフル活用の上でヴァルガの強化魔法も受けていて正確に急所を貫いてなお、まだ足りていないのだ。
「まいったなこりゃ……」
倒すどころか、ダメージを与える事すら難しいぞ。
あんな大見得切って残ったというのに、これはちっとばかし格好悪い。やっぱりアオイ達を先に行かせておいて良かった。主に俺の体面的な意味で。
一区切りついた空気の中、どこか不満げにムスペルがこちらを見ていた。
「お前、本気出してないだろ?」
「うん? なんでそう思う?」
「ヒョードルがこの程度の相手に負けるはずはない。お前にはまだ何か隠し玉がある」
断定的に言われる。実際、否定はできないところだが。
『ヘイト』をまだ使っていないのは『パラドクス』との戦いでちょっと予想外に消費してしまったので、できる事なら節約したかったから。
それともう一つ、残している手段は、ある。
そっちを使わない理由は――
「はあ……」
嘆息を禁じ得ない。
〝アレ”使った時の感覚を思い出す度に反吐が出る。クソッたれが。
「大っっっ嫌いなんだよコレ使うの」
いくら俺が自身の不死性を呪っているとはいえ、さすがに自虐が過ぎるっつの。
「すぅ――」
呼吸法からの脱力。
――『蛇鞭』
「……」
ムスペルは沈黙したまま俺のやる事を眺めている。どうやらこっちの用意ができるのを待つつもりのようだ。
その態度は確かに『強者』としては板についてはいたが……まあいい、それについては後で指摘してやる。
俺は鞭と化した腕をしならせ、自身の全身を満遍なく叩いていく。
正確には全身のツボを、だ。すなわち、『パラドクス』の時にハルンに施した技をさらに精密に行う。
具体的に言うならば、常人なら死んでもおかしくない危険な経穴までをも刺激していく。
心臓が一際強く脈を打ち、応じる様に全身の筋組織が鬨の声をあげ始める。体中に迸る沸騰しそうなほどの熱量は、生存本能を直接刺激された生命の猛りに他ならない。
神経が飛び出しかねないほど血管が浮かび、二回り以上膨れ上がった肉体。臨界点を超えた箇所からは間欠泉の如く血液が噴き出していた。
「しゅううううう……」
呼吸の度に口元から白い大気が吐き出される。既に俺の体内の温度は、明らかに外界とは一線を画していた。
「む」
外見だけではなく、中身の変化をも察したのだろう。ムスペルの表情に険しさが混じる。脳味噌は八割方沸騰し、残った二割だけが冷静にその様子を見ていた。
頭の天辺からつま先に至るまでの血液という血液が激痛を伴って駆け巡り、それに比例して感覚という感覚が剥き出しになった様に鋭さを増していく。
この状態ならば、ヤツの鱗一枚一枚の鮮明な色形まで把握できる。
「お前、その力は――」
ムスペルが言動に驚愕を滲ませている。
俺は内心で笑ってやった。ちょうどいい、ここらでさっきの仕返しをしてやろう。
「何をぼさっと……してんだよ!」
ヤツの眼前まで、瞬時に距離を詰めた。
小細工無し、ただ全身に込められた破裂寸前の爆弾じみたエネルギーを両足に集中し炸裂しただけの爆走だ。
異常な点といえば。
それが人間の肉眼に捉えられる限界を超えた速度であったという事か。
「な――っ」
明らかにムスペルの反応が遅れている。確信した、ヤツはこの速度に付いて来れていない。
「う――らあああああッッ!!」
がら空きの腹に拳を抉り込んだ。
「ぐ――かはっ!?」
芯を打ち据える手応え。
感触で分かる、確実にダメージが通った。そしてそれで終わらしてやるほど甘い俺じゃない。
みぞおち、こめかみ、背骨、延髄――さっきまでまるで効果のなかった急所をなぞる様にひたすら叩き込んでいく。
『火事場の馬鹿力』や『走馬燈』という言葉がある。あれらは危険を察知した本能が尋常ならざる力を引き出す典型例だが、俺はその状態を意図的に発揮する事ができる。
だって死ねないし。
本能がどれだけ危機を察知し暴れ狂おうと、実際には死ねないとわかっていればどうしても頭の片隅には冷静な自分が残ってしまう。
結果として俺は、そういった超常現象ともいえる力を一つの『技』として行使する事が可能になった。もとはといえば死ぬ為の手段を求め続けた果てに手に入れた力なのだから、俺からすれば皮肉以外の何物でもない。
つまり俺はこの技が嫌いだ。使う度に、過去に味わった数多にも及ぶ絶望を思い出してしまうから。
ただ、頭に大の字が付くのにはさらなる理由があるのだが……
打たれるまま、宙で踊り狂うムスペルの体。一発一発の効き目はともかく、ここまで連撃されればいかにヤツと言えども絶対にただでは済まないはずだ。
もう何十発目かも覚えていない連打の上にさらなる追撃を加えようとしたその時――
「ぐ――っ」
攻撃を食らってもいないのに、肺からせりあがってきた血の塊を盛大に吐き出した。
人体の基準をあまりに外れた動きを長時間続けたせいで、外より先に内側が引き裂かれつつあるのだ。
「くっそ……がッ」
もうちょっとだってのに!
ムスペルは瞼を閉じて沈黙している。
意識を失っている様にも見えるが、ヤツの頑強さを肌に感じた俺の勘が言っている。あいつは意識を飛ばしてなどいないと。
――待っている。
どのみちこちらの速度に付いて来れないならば下手な抵抗などせず、僅かな体力の消耗すら抑え、徹底的に反撃の機を窺っているのだ。
そして。
唐突に閉じられた瞼が見開かれ、眼がギラリと動いた。視線は確かにこちらを見据え、背筋を凍えそうな悪寒が吹き抜けていく。
今の俺はダメージの噴出で動きの鈍っている、それを見透かされていた。
「そこか」
「ぐ、ぎ……ッ」
追撃の為に半端に伸ばしていた左腕を、今までの沈黙が嘘の様な俊敏さで捕らえられ、ただでさえ呼吸困難なところに握力による圧迫感まで加わり、まともに息ができなくなる。
ギチギチと激痛と共に軋む左腕。ムスペルはその一本を両腕でがっちりと固めており、数トンの重りが圧し掛かろうと振り回せるはずの今の腕力でもってしても、引き剥がせる気が全くしない。
このまま腕を圧し折られてしまえば、もはやさっきの勢いでの連打はできなくなる。ほんの僅かな誤差で形勢が引っ繰り返るこの状況でのそれは、敗北と同じ意味を持っていた。
必死に歯を食い縛り、なんとか最悪の事態だけは凌いでいると、気付く。
ぽたり、ぽたりと。
目の端に映っては消えていく何かがあった。
……何だ?
目を凝らして見れば、それはムスペルの口元から垂れ落ちていた。俺とヤツ以外は白しか存在しない無色な空間の中でその色は、見間違え様がないほど鮮明に瞼に焼き付いた。
結んだ口の端から溢れてくる――血液。
自身の口元から流れるそれに、俺とほぼ同時に気付いた龍神は、僅かに目を見開いていた。
「ふん……」
そのまま真っ赤な舌を伸ばし、絶えなく流れる赤い筋を舐め取る。それから何故かしばらく遠い目をした後、おもむろに語り出した。
「お前の力、生命の灯が尽きる間際に引き出される限界以上の能力……そうだな?」
「それがどうした」
「いやなに、懐かしいと思っただけだ」
「はあ?」
「昔戦場を駆け回っていた頃、今のお前と同じ目付きや雰囲気を纏った奴が稀にいたよ。人間だけじゃない。獣人や魔族、普段は大人しいエルフにさえ、極限まで追い詰められた者達の中に、それまでの限界を数段上回る力を持って向かってくる事があった」
「……ふーん」
全くもって興味なし――と言えば少し嘘になるか。
人や龍以外の種族の事、龍神が戦った相手の事……そういうのは少し気になる。
だがさすがに。
「うぎぎぎ……!」
この、左腕を固められた状況で聞きたい話じゃない。さっきから外そうと試みているのだが、こいつ話し込みながらもまるで力を緩めない。
「ああ、懐かしいよ」
話は続く。
俺はあらゆる関節を駆使して、ヤロウの拘束から逃れようとしていたが、
「感謝するぞ、キラノ・セツナ」
――その言葉を聞いて、全ての動きを止めていた。
「……感謝?」
「急所を撃たれる衝撃。意識が揺らされるほどの痛み。追い詰められた敵の底力。自分の血の色と、そしてなにより」
抵抗を止めた事で左腕が圧迫に耐え切れず骨に亀裂が走るが気にならない。
そんなどうでもいい事より、こいつのセリフの続きの方がよっぽど重要だ。
「敗北への恐怖」
ムスペルは、最初に見た穏やかな笑みを浮かべて、言った。
――ギチ。
「戦場を離れて久しく忘れていたものを、全て思い出させてくれた。その力を自在に扱えるというなら、ヒョードルを倒したというのも事実なんだろう。懐かしい事を思い出させてくれた礼を込めて」
――ギチギチギチ。
「苦しませずに殺してやろう」
――ギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチ――
「ざっけんなあああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!」
爆発した。
圧し折られる寸前の左腕でも、限界を超えて駆使された肉体でもなく、俺の感情がこれ以上耐え切れない。
ヤツの口から発せられる、何の価値もない戯言を聞いている事に!
「!? 何を怒る? 自分が殺される事にか? いや、そんな技を使っているのなら、生に執着する性質ではないんだろ?」
「分からない? 分からねえか。そうかそうか、そうだよなあ……!」
ところどころ目に付いたこいつの立ち振る舞い。変に違和を感じると思えば、そういう事か。
戦闘準備が整うのを待っていたり、最初から全力を出さずにこっちの力を確かめる様に徐々上げていったり、奥の手を出すのをじいっと見つめていたり……
挙句の果てには感謝する? 苦しませずに殺してやるだあ?
こいつは『復讐鬼』より『龍神』としての自分を優先してやがる。こんなふざけた話があるか!
自由な右中指を眼前に突き立ててやった。
この度し難い馬鹿野郎に、本物の〝復讐”ってヤツを教えてやる。
「おい、レッスンその一だ復讐初心者」
「なんだと?」
「仇を殺る時には憎しみで頭を一杯に一杯に一杯にして欠片一片も残さずにこの世から消滅させる事だけ考えろ。相手が自分よりどれだけ弱かろうが関係ねえ。『強者』としての慈悲も余裕もプライドも必要ない。ましてや感謝なんぞドブにでも吐いて捨てちまえ」
「貴様――」
「ああ、そおいやお前ってば『最強』だったっけ? そりゃそうなっちまうのも無理ねえわな。なんてったってどこのどいつがどう掛かって来たって返り討ちにできるんだからな。お仲間がやられた復讐だって一日二日で終わっちまうんだろうさ! ――さて、そこで一つ疑問なんだがお前さ」
ずいと顔を近づける。息が当たるほどの位置まで寄せ、聞き逃しようがないところで囁いた。
「本当に仲間の復讐の為に戦ってんの?」
ずっと疑問だった事を訊ねる。
ムスペルの殺気のわりに復讐への意識の薄さは、ちょっとおかしい。
「お前って本当はさ」
それを――ぶつけた。
「〝仲間を殺した相手を殺して自分が一番強い!” って言いたいだけなんじゃねえの?」
「――――」
おっと間違いない。俺は今、こいつの逆鱗に触れた。
ムスペルの瞳は今や怒りの紅を通り越し、どす黒い紫へと染まっていた。
「憎しみ一色で欠片も残さず消滅させろと、そう言ったな?」
「うん」
「いいだろう……望み通りこの世から消してやるッ!」
左腕からとうとう致命的な音が聞こえてきた。
しかしまだダメだ。甘い、温い――薄いよ龍神。
決壊寸前の左に僅かな抵抗力だけ加えて時間を稼ぎ、止めを刺してやる事にした。
普通の相手ならここまでしない。ただこいつは、あまりにも俺と自分の関係って奴が見えていなさすぎるから。
「お仲間の死体が見つからないって言ってたよな? どうして見つからないのか教えてやろうか?」
「っ!?」
んべっと舌を出し、お腹を軽く叩いて、言った。
「ごちそうさまでした♪」
ムスペルの全身が。
ぶるりと一瞬震え。
「キ――――――サマアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッッッッッ!!!!」
数十キロ先まで届きそうな龍の咆哮が、零距離で肌を殴り付けていく。首を回し、片耳を抑える事で鼓膜の破壊は免れたが、それでも脳に刃物が突き立てられるかのごとき痛みに神経が痺れる。
ヤツの形相はもう、龍神のそれじゃあない。
自身の戦う動機、仲間の死を冒涜されて怒り狂う『復讐鬼』そのものだった。
「はあ……やっとかよ。まさかここまで火付きが悪いとはな」
やっと、俺とこいつの関係は至極単純なモノとなった。
復讐する者と、迎え撃つ者。余計な肩書きなど必要ない、俺達の戦う意味などそれ一つしか有り得ないのだから。
これでようやく、腹を決められる。
「俺はお前を、倒せるよ」
どす黒いモノで意識が染まり切ったこいつには届いていないだろうが、それは間違いなく俺の勝利宣言だ。
自由な右手を掲げ、握り締めた。
ムスペルは微塵も意に介する事無く左腕を破壊しにくる――どころかこれはもう、肩口から半身を引き千切ろうとでもしている力だ。左腕はスクラップ寸前にまで破壊されているというのに、それを土台にしてさらなる血肉を求めてくる。そして引き千切られた血肉は、貪り食われこいつの腹に収まる事になるのだろう。そんな想像をさせるだけの狂気が、今のヤツの瞳には込められていた。
対して俺の一撃では、こいつの意識すら刈り取れない。
それを理解して――いや、していなくても同じかもしれないが、こっちの攻撃の気配に何の防衛反応も示さない。
こっちの攻撃を、万が一にも躱さない。
条件は揃った。
「見せてやるよ。頭に〝大”の付く理由」
『死神の鎌』最速最鋭最大威力秘中の秘。
――『撃鉄』
瞳は殺意に赤く染まり、全身の肉と神経が二回り以上にも膨れ上がり、そこらの刃物よりよっぽど鋭利な爪や牙が不吉な色に輝いている。
首筋や胴体は褐色に変色しただけで人の素肌に近いものの、腕や下半身にはびっしりと鱗が張り付いており、むしろ異形の印象を際立たせていた。
成り形は人型を保ってはいるものの、もうこいつを『ヒト』と呼ぶことはできないだろう。強いて言うのならば〝人龍”とでも呼ぶべきか。
「ん……」
今のうちに、こっちも整えておく。
地面や天井など存在しないこの空間で、果たして肉弾戦は可能なのか? 以前アルティと殴り合った事もあったが、あん時は無我夢中だったのでよく覚えていない。
色々試した結果、どうやらこの空間自体が『魔法』の様なものだと見当がついた。すなわち、イメージ力に依るところが非常に大きい。
跳んだり走ったりしたい時には〝そこに地面がある”のだと強く信じるでそれが可能となる。
そう聞くと難しいと考える奴もいそうだが、いかなる時でもイメージ通りの動きが可能だという事で、俺にとってはむしろやりやすい。
体を動かす時に一々地面の存在を意識している者などいないだろう。要は、考え過ぎない事が正解って事だ。
俺がコツを掴んだのを見計らった様に、ムスペルが口を開いた。
「準備は出来たようだな」
「わざわざ待っててくれたのかよ。礼儀正しい奴だな、他の奴にも見習わせたいね」
「礼儀、か……」
本心と皮肉の半々なセリフに、顎に手を当てて真面目に考え込む龍神。
もっと軽く返してくれた方がやりやすいんだが、どうやらこいつは根っからこういう気質らしい。
「いや、それは少し違うな」
「んん? 何が?」
「オレはお前を――」
周囲の雑音、障害物。
余計なモノが何もない、文字通り俺とヤツだけの空間のなかでは、想いの伝達速度は何倍にもなる。
ああ……わかってるよ。
「ただ完膚なきまでに殺したいだけだ」
「――へっ」
さっきのやりとりが効いたのか、向けられるストレートな殺気に思わず苦笑した。
そうだ、それでいい。いまや俺とヤツの間に存在するのはただただ殺意……その一色に他ならない。そしてその空気こそが復讐劇には相応しい。
「「――――――っ」」
復讐劇に開始の合図などあるはずもなく、ただお互いに養われた本能のみで闘いの始まりを嗅ぎ分ける。
身構えた直後、目の前に剛腕が迫っていた。
速ぇ!?
「悪いが楽しませてやるつもりはない。手短に死んでくれ」
鉄板すらも紙切れ同然に切り裂けるだろう爪をぎらつかせながら迫る掌と同時、冷えた声が降ってくる。
狙撃ライフル弾よりも早く動ける生物など、前世の常識では考えられない。
今までのあらゆる実戦経験を上回る攻撃に俺は何の抵抗もできず――
「――なわけねえだろボケ」
首を掻っ切る軌道で薙ぎ払われた腕をするりとかわし、代わりにがら空きの顎へ大強振の蹴打をお見舞いしてやった。
ヤツにとっても完全に予想外な反撃だったのか、何一つ反応する事無く無防備に入る。
「ッ!?」
「こっちこそ悪いね。いつもだったら、敵の一撃目はどんな強力な攻撃だろうと受けてやるのが俺的セオリーなんだが……」
吹っ飛ぶ相手に言葉を投げる。聞こえていようがいまいがどうでもいい。
どちらかといえばこれは、この闘いにおける俺のスタンスを再確認する為のものだから。
「先約があるんでな。今回はお前の『期待度』の味見で済ませてやる」
向こうがどんだけマジで来ようが、こっちは極限まで付き合うつもりはない。もちろんその程度で死んでしまうようならそこまでだったという話だから、加減なんてしてやらんが。
強いて言うならタイミングが悪かったな。
『神域魔法』やら『対抗魔法』やら……今回の旅で、ちっとばかし面白そうなモノを立て続けに見つけてしまったから、今んとこ満腹状態なんだよ。
それに、まあ―
「困った事に、今は死ねない理由もあるしな」
俺が死ぬ事より他を優先するなんざ、前の世界含めても俺の人生史上かなりのレア状況だぞ。
爆風に撒き散らされた砂利の如く、ムスペルは遥か彼方へ吹き飛び止まらない。壁や地面など存在しないこの場所ではどこまでも飛んでいってしまう気さえしたが、ヤツは翼を広げ勢いを殺していた。
……便利だな、あれ。
完ッ壁に意識の外から急所を打ち抜いたはずだが、ムスペルは虫でも当たった様に蹴られた顎をさすり、不思議そうに呟いた。
「殺すつもりだったんだがな……さすがにそう簡単にはいかないか」
その口調はなんというか、行きつけの定食屋がその日に限って満席状態だった事に首を傾げてるサラリーマンみたいに軽いものだった。
俺の蹴りってば一応、素のままでも鉄板くらい割れるんだけども。
ましてや今は、ヴァルガの魔法により身体能力が数倍増しに強化されている。例え重戦車の装甲だろうと、一撃で突き破れる自信があった。
だってのに、直撃を受けたはずのムスペルは大したダメージもなさそうに、するりと立ち上がりやがった。
……自信無くしますよ?
「なんだよその変態耐久力。お前本当に関節と脳味噌付いてんのか?」
「残念ながら完備だよ。人間のそれとは少々質に差はあるけどな」
コキコキと首を鳴らし、ムスペルが言ってのける。個人的に言わせてもらえば、戦車より遥かに頑丈な事を少々とは言わないと思う。
俺が半ば呆れていると、
「何を呆けている?」
おもむろに距離を詰められた。
「やべっ」
さっきのが全力ではなかったらしい。
明らかに速度や鋭さが増した拳が飛んでくるのを紙一重で避ければ、さらに速い蹴りが飛んでくる。それも躱せば次はさらに速い肘が、その次は膝が、頭が、踵が――――
「ちっ!」
全神経を集中して、猛攻を紙一重で避けながらも針で糸を通すように反撃を捻じ込んでいく。しかし、どこの急所をどう打とうと、まるで堪えた様子がない。
鱗に守られていない首や脇腹にも入っているはずだというのに、芯に届く手応えがないというのはどういう事かとずっと考えていたのだが、ここまで単純だと否応なしに答えが出てしまう。
それを悟るとほぼ同時に、ムスペルからも答え合わせがきた。
「パワー不足だな」
「そーみたいだ、ね!」
ガードの上から蹴りをぶち当てて、いったん距離を取る。
――そう、単純に、攻撃力が足りないのだ。
『鎌』はフル活用の上でヴァルガの強化魔法も受けていて正確に急所を貫いてなお、まだ足りていないのだ。
「まいったなこりゃ……」
倒すどころか、ダメージを与える事すら難しいぞ。
あんな大見得切って残ったというのに、これはちっとばかし格好悪い。やっぱりアオイ達を先に行かせておいて良かった。主に俺の体面的な意味で。
一区切りついた空気の中、どこか不満げにムスペルがこちらを見ていた。
「お前、本気出してないだろ?」
「うん? なんでそう思う?」
「ヒョードルがこの程度の相手に負けるはずはない。お前にはまだ何か隠し玉がある」
断定的に言われる。実際、否定はできないところだが。
『ヘイト』をまだ使っていないのは『パラドクス』との戦いでちょっと予想外に消費してしまったので、できる事なら節約したかったから。
それともう一つ、残している手段は、ある。
そっちを使わない理由は――
「はあ……」
嘆息を禁じ得ない。
〝アレ”使った時の感覚を思い出す度に反吐が出る。クソッたれが。
「大っっっ嫌いなんだよコレ使うの」
いくら俺が自身の不死性を呪っているとはいえ、さすがに自虐が過ぎるっつの。
「すぅ――」
呼吸法からの脱力。
――『蛇鞭』
「……」
ムスペルは沈黙したまま俺のやる事を眺めている。どうやらこっちの用意ができるのを待つつもりのようだ。
その態度は確かに『強者』としては板についてはいたが……まあいい、それについては後で指摘してやる。
俺は鞭と化した腕をしならせ、自身の全身を満遍なく叩いていく。
正確には全身のツボを、だ。すなわち、『パラドクス』の時にハルンに施した技をさらに精密に行う。
具体的に言うならば、常人なら死んでもおかしくない危険な経穴までをも刺激していく。
心臓が一際強く脈を打ち、応じる様に全身の筋組織が鬨の声をあげ始める。体中に迸る沸騰しそうなほどの熱量は、生存本能を直接刺激された生命の猛りに他ならない。
神経が飛び出しかねないほど血管が浮かび、二回り以上膨れ上がった肉体。臨界点を超えた箇所からは間欠泉の如く血液が噴き出していた。
「しゅううううう……」
呼吸の度に口元から白い大気が吐き出される。既に俺の体内の温度は、明らかに外界とは一線を画していた。
「む」
外見だけではなく、中身の変化をも察したのだろう。ムスペルの表情に険しさが混じる。脳味噌は八割方沸騰し、残った二割だけが冷静にその様子を見ていた。
頭の天辺からつま先に至るまでの血液という血液が激痛を伴って駆け巡り、それに比例して感覚という感覚が剥き出しになった様に鋭さを増していく。
この状態ならば、ヤツの鱗一枚一枚の鮮明な色形まで把握できる。
「お前、その力は――」
ムスペルが言動に驚愕を滲ませている。
俺は内心で笑ってやった。ちょうどいい、ここらでさっきの仕返しをしてやろう。
「何をぼさっと……してんだよ!」
ヤツの眼前まで、瞬時に距離を詰めた。
小細工無し、ただ全身に込められた破裂寸前の爆弾じみたエネルギーを両足に集中し炸裂しただけの爆走だ。
異常な点といえば。
それが人間の肉眼に捉えられる限界を超えた速度であったという事か。
「な――っ」
明らかにムスペルの反応が遅れている。確信した、ヤツはこの速度に付いて来れていない。
「う――らあああああッッ!!」
がら空きの腹に拳を抉り込んだ。
「ぐ――かはっ!?」
芯を打ち据える手応え。
感触で分かる、確実にダメージが通った。そしてそれで終わらしてやるほど甘い俺じゃない。
みぞおち、こめかみ、背骨、延髄――さっきまでまるで効果のなかった急所をなぞる様にひたすら叩き込んでいく。
『火事場の馬鹿力』や『走馬燈』という言葉がある。あれらは危険を察知した本能が尋常ならざる力を引き出す典型例だが、俺はその状態を意図的に発揮する事ができる。
だって死ねないし。
本能がどれだけ危機を察知し暴れ狂おうと、実際には死ねないとわかっていればどうしても頭の片隅には冷静な自分が残ってしまう。
結果として俺は、そういった超常現象ともいえる力を一つの『技』として行使する事が可能になった。もとはといえば死ぬ為の手段を求め続けた果てに手に入れた力なのだから、俺からすれば皮肉以外の何物でもない。
つまり俺はこの技が嫌いだ。使う度に、過去に味わった数多にも及ぶ絶望を思い出してしまうから。
ただ、頭に大の字が付くのにはさらなる理由があるのだが……
打たれるまま、宙で踊り狂うムスペルの体。一発一発の効き目はともかく、ここまで連撃されればいかにヤツと言えども絶対にただでは済まないはずだ。
もう何十発目かも覚えていない連打の上にさらなる追撃を加えようとしたその時――
「ぐ――っ」
攻撃を食らってもいないのに、肺からせりあがってきた血の塊を盛大に吐き出した。
人体の基準をあまりに外れた動きを長時間続けたせいで、外より先に内側が引き裂かれつつあるのだ。
「くっそ……がッ」
もうちょっとだってのに!
ムスペルは瞼を閉じて沈黙している。
意識を失っている様にも見えるが、ヤツの頑強さを肌に感じた俺の勘が言っている。あいつは意識を飛ばしてなどいないと。
――待っている。
どのみちこちらの速度に付いて来れないならば下手な抵抗などせず、僅かな体力の消耗すら抑え、徹底的に反撃の機を窺っているのだ。
そして。
唐突に閉じられた瞼が見開かれ、眼がギラリと動いた。視線は確かにこちらを見据え、背筋を凍えそうな悪寒が吹き抜けていく。
今の俺はダメージの噴出で動きの鈍っている、それを見透かされていた。
「そこか」
「ぐ、ぎ……ッ」
追撃の為に半端に伸ばしていた左腕を、今までの沈黙が嘘の様な俊敏さで捕らえられ、ただでさえ呼吸困難なところに握力による圧迫感まで加わり、まともに息ができなくなる。
ギチギチと激痛と共に軋む左腕。ムスペルはその一本を両腕でがっちりと固めており、数トンの重りが圧し掛かろうと振り回せるはずの今の腕力でもってしても、引き剥がせる気が全くしない。
このまま腕を圧し折られてしまえば、もはやさっきの勢いでの連打はできなくなる。ほんの僅かな誤差で形勢が引っ繰り返るこの状況でのそれは、敗北と同じ意味を持っていた。
必死に歯を食い縛り、なんとか最悪の事態だけは凌いでいると、気付く。
ぽたり、ぽたりと。
目の端に映っては消えていく何かがあった。
……何だ?
目を凝らして見れば、それはムスペルの口元から垂れ落ちていた。俺とヤツ以外は白しか存在しない無色な空間の中でその色は、見間違え様がないほど鮮明に瞼に焼き付いた。
結んだ口の端から溢れてくる――血液。
自身の口元から流れるそれに、俺とほぼ同時に気付いた龍神は、僅かに目を見開いていた。
「ふん……」
そのまま真っ赤な舌を伸ばし、絶えなく流れる赤い筋を舐め取る。それから何故かしばらく遠い目をした後、おもむろに語り出した。
「お前の力、生命の灯が尽きる間際に引き出される限界以上の能力……そうだな?」
「それがどうした」
「いやなに、懐かしいと思っただけだ」
「はあ?」
「昔戦場を駆け回っていた頃、今のお前と同じ目付きや雰囲気を纏った奴が稀にいたよ。人間だけじゃない。獣人や魔族、普段は大人しいエルフにさえ、極限まで追い詰められた者達の中に、それまでの限界を数段上回る力を持って向かってくる事があった」
「……ふーん」
全くもって興味なし――と言えば少し嘘になるか。
人や龍以外の種族の事、龍神が戦った相手の事……そういうのは少し気になる。
だがさすがに。
「うぎぎぎ……!」
この、左腕を固められた状況で聞きたい話じゃない。さっきから外そうと試みているのだが、こいつ話し込みながらもまるで力を緩めない。
「ああ、懐かしいよ」
話は続く。
俺はあらゆる関節を駆使して、ヤロウの拘束から逃れようとしていたが、
「感謝するぞ、キラノ・セツナ」
――その言葉を聞いて、全ての動きを止めていた。
「……感謝?」
「急所を撃たれる衝撃。意識が揺らされるほどの痛み。追い詰められた敵の底力。自分の血の色と、そしてなにより」
抵抗を止めた事で左腕が圧迫に耐え切れず骨に亀裂が走るが気にならない。
そんなどうでもいい事より、こいつのセリフの続きの方がよっぽど重要だ。
「敗北への恐怖」
ムスペルは、最初に見た穏やかな笑みを浮かべて、言った。
――ギチ。
「戦場を離れて久しく忘れていたものを、全て思い出させてくれた。その力を自在に扱えるというなら、ヒョードルを倒したというのも事実なんだろう。懐かしい事を思い出させてくれた礼を込めて」
――ギチギチギチ。
「苦しませずに殺してやろう」
――ギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチ――
「ざっけんなあああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!」
爆発した。
圧し折られる寸前の左腕でも、限界を超えて駆使された肉体でもなく、俺の感情がこれ以上耐え切れない。
ヤツの口から発せられる、何の価値もない戯言を聞いている事に!
「!? 何を怒る? 自分が殺される事にか? いや、そんな技を使っているのなら、生に執着する性質ではないんだろ?」
「分からない? 分からねえか。そうかそうか、そうだよなあ……!」
ところどころ目に付いたこいつの立ち振る舞い。変に違和を感じると思えば、そういう事か。
戦闘準備が整うのを待っていたり、最初から全力を出さずにこっちの力を確かめる様に徐々上げていったり、奥の手を出すのをじいっと見つめていたり……
挙句の果てには感謝する? 苦しませずに殺してやるだあ?
こいつは『復讐鬼』より『龍神』としての自分を優先してやがる。こんなふざけた話があるか!
自由な右中指を眼前に突き立ててやった。
この度し難い馬鹿野郎に、本物の〝復讐”ってヤツを教えてやる。
「おい、レッスンその一だ復讐初心者」
「なんだと?」
「仇を殺る時には憎しみで頭を一杯に一杯に一杯にして欠片一片も残さずにこの世から消滅させる事だけ考えろ。相手が自分よりどれだけ弱かろうが関係ねえ。『強者』としての慈悲も余裕もプライドも必要ない。ましてや感謝なんぞドブにでも吐いて捨てちまえ」
「貴様――」
「ああ、そおいやお前ってば『最強』だったっけ? そりゃそうなっちまうのも無理ねえわな。なんてったってどこのどいつがどう掛かって来たって返り討ちにできるんだからな。お仲間がやられた復讐だって一日二日で終わっちまうんだろうさ! ――さて、そこで一つ疑問なんだがお前さ」
ずいと顔を近づける。息が当たるほどの位置まで寄せ、聞き逃しようがないところで囁いた。
「本当に仲間の復讐の為に戦ってんの?」
ずっと疑問だった事を訊ねる。
ムスペルの殺気のわりに復讐への意識の薄さは、ちょっとおかしい。
「お前って本当はさ」
それを――ぶつけた。
「〝仲間を殺した相手を殺して自分が一番強い!” って言いたいだけなんじゃねえの?」
「――――」
おっと間違いない。俺は今、こいつの逆鱗に触れた。
ムスペルの瞳は今や怒りの紅を通り越し、どす黒い紫へと染まっていた。
「憎しみ一色で欠片も残さず消滅させろと、そう言ったな?」
「うん」
「いいだろう……望み通りこの世から消してやるッ!」
左腕からとうとう致命的な音が聞こえてきた。
しかしまだダメだ。甘い、温い――薄いよ龍神。
決壊寸前の左に僅かな抵抗力だけ加えて時間を稼ぎ、止めを刺してやる事にした。
普通の相手ならここまでしない。ただこいつは、あまりにも俺と自分の関係って奴が見えていなさすぎるから。
「お仲間の死体が見つからないって言ってたよな? どうして見つからないのか教えてやろうか?」
「っ!?」
んべっと舌を出し、お腹を軽く叩いて、言った。
「ごちそうさまでした♪」
ムスペルの全身が。
ぶるりと一瞬震え。
「キ――――――サマアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッッッッッ!!!!」
数十キロ先まで届きそうな龍の咆哮が、零距離で肌を殴り付けていく。首を回し、片耳を抑える事で鼓膜の破壊は免れたが、それでも脳に刃物が突き立てられるかのごとき痛みに神経が痺れる。
ヤツの形相はもう、龍神のそれじゃあない。
自身の戦う動機、仲間の死を冒涜されて怒り狂う『復讐鬼』そのものだった。
「はあ……やっとかよ。まさかここまで火付きが悪いとはな」
やっと、俺とこいつの関係は至極単純なモノとなった。
復讐する者と、迎え撃つ者。余計な肩書きなど必要ない、俺達の戦う意味などそれ一つしか有り得ないのだから。
これでようやく、腹を決められる。
「俺はお前を、倒せるよ」
どす黒いモノで意識が染まり切ったこいつには届いていないだろうが、それは間違いなく俺の勝利宣言だ。
自由な右手を掲げ、握り締めた。
ムスペルは微塵も意に介する事無く左腕を破壊しにくる――どころかこれはもう、肩口から半身を引き千切ろうとでもしている力だ。左腕はスクラップ寸前にまで破壊されているというのに、それを土台にしてさらなる血肉を求めてくる。そして引き千切られた血肉は、貪り食われこいつの腹に収まる事になるのだろう。そんな想像をさせるだけの狂気が、今のヤツの瞳には込められていた。
対して俺の一撃では、こいつの意識すら刈り取れない。
それを理解して――いや、していなくても同じかもしれないが、こっちの攻撃の気配に何の防衛反応も示さない。
こっちの攻撃を、万が一にも躱さない。
条件は揃った。
「見せてやるよ。頭に〝大”の付く理由」
『死神の鎌』最速最鋭最大威力秘中の秘。
――『撃鉄』
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