「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

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『一度切るよ。FB経由で電話掛けるから……』
 嫌な予感が的中しそうだ。
 直ぐにかかって来た電話はビデオ機能も使っていて、美樹の妖しくも妖艶な表情――といっても、俺が今居る車椅子を押したナースとか、パジャマ姿で芝生の上を散歩している人ばかりなので、何だか現実離れした感が大きい。
『口直しにさ、雅さんが相手してくれるって言うので全然オッケーだよ』
 美樹のピンク色の猫のように尖った舌が――完璧なフォルムだけは香川教授と同じだ――どことなく淫蕩いんとうそうな動きで薄い紅色の唇を舐めている。
 以前彼に教授の代役を頼んだ時は美樹もお金に困っていたらしくて優先順位はまずお金だった。
 それが今はその心配が払拭ふっしょくされたこともあって「そういう誘い」になったのだろう。
 以前、もし実現したらラッキーという軽いノリで香川教授に「大人の付き合い」の誘いをかけてみた。
 あの時の香川教授の表情は――その表情を見せる程度なら大丈夫だろうが、その直前に俺が何を言ったのかまで説明する羽目になるのは火を見るよりも明らかなので絶対に出来ないが――田中先生に出来れば見せたいと思わせるワンショットだった。もちろん、スマホなどで撮影はしていないが。
 俺の読み通り香川教授が揺るぎない恋人の座に田中先生を座らせていて、しかもそれが永久なのだろうな……と想像していた。
 しかし、このような嗜好の持ち主は美樹みたいな感じの人間も多い上、教授のように黙って微笑んでいるだけで居合わせた客のほとんどから――当然下心付きの――グラスが一斉に集まるだろう。
 あくまで軽いつまみ食い程度はしてくれるかも知れないな……と思ってはいた。美樹のように「それ」だけが好きなわけではないだろうが、恋人とはまた異なる味も試したくなる人が多いのも経験に基づいた事実だった。
「先ほど、怖い声でお電話したのは……」
 普段の無表情ではなくて苦悩に満ちた顔へと変えた。
『うん、何?京都に行って若いオトコを落とせば良いだけの話しじゃんね?
 そんな暗い顔しないで、パーッと飲んでその勢いのままシーツの海にダイブしよ?』
 香川教授に誘いを掛けた時「あわよくば」という気がなかったと言えば嘘になる。ただ、俺の野望(?)を教授が頷いてくれて、そして救急救命室でお仕事中で帰宅が午前三時とかの田中先生にはバレない自信が有ったからだ。絶対に口外無用と念を押せば――目敏い田中先生は気づくかも知れないが――教授自身で「関係」を死んでも言わないだろうと思っていた。「二人だけの秘密」は少なくとも香川教授が漏らすとは絶対に思えない。
 しかし、美樹はそういう武勇伝を好んで吹聴する性格だった。
 俺の恋人が新宿二丁目界隈に近づくことはないだろうが、ウワサはタンポポの綿毛のようにどこからともなく飛んで来たら大変なことになる。
 絶対に逃げないとマズい!
 俺の恋人に知らせると、屋敷を追い出されるどころか命の危険さえあるような気がした。
 だとすれば。

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