「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

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「私の記憶違いでなければ、山口県で起こった母子殺人事件の時に被害者が二人なのに死刑判決が出ましたよね?遺族感情を慮った妥当な判決だったと思いますが」
 田中先生の「素朴な」疑問というか反論には――まあ、仕事が激務なのでニュースを見る時間とか思いっきり専門外の裁判について調べる時間がないので仕方ないだろう――想定の範囲内だった。
「あの事件は、平和の象徴でもある赤ん坊とその無辜の母親が被害者だったので――正直なところ、人の命の重さは区別されます。例えば反社会勢力同士の抗争での殺人を犯した人間の量刑は正直軽いのです。あくまでも対立する組に所属している者同士が加害者と被害者だった場合だけですが――」
 田中先生の瞳が理知的な光りを増した。
「なるほど……。反社会勢力の構成員とは対極に位置するのが赤ん坊と幼子を抱いた母親ということですか。だったら余計に極刑判決が妥当だったのでは?」
 マスコミ対策として厚労省が出て来そうなドラマや映画はもちろんのこと、ワイドショーまでチェックするのが仕事の一環の俺とは――といっても自分だけでは到底時間が足りないので部下や、場合によっては恋人にまで協力して貰っている――異なって、田中先生がそんなことに時間を費やせと要求する方が酷だろう。
「このままだと死刑判決が出かねないと『人権派』の弁護士が手弁当で全国から数十人も集まっての弁護団が集まったのです。罪のない赤ん坊とそのお母様よりも『加害者』の命の方が大切だというイデオロギーの持ち主が、ね。
 私はそういう『加害者』の人権を認めない人間なのもお分かり頂けたかと思います」
 田中先生はふと何かを思い出したような表情になった。
「ああ、そう言えばそういう話を『人権派』ではない弁護士の先生から聞いたような気がします。ただ、お恥ずかしいことに莫大な情報を蓄積しておくだけの容量が脳にないもので……。どうでも良い情報はさっさと消去してしまうクセが付いてしまっています。
 これが私の恋人の脳のスペックの高さなら覚えていられるのでしょうが……。
 つまり、そういう法律とか裁判所とかの網の目をくぐっているような『加害者』に人権はないということですよね?」
 田中先生が確認するような眼ヂカラの強い眼差しで俺を見た。
 それに、香川教授は狙われているとはいえ「まだ」――出来れば永遠に続いて欲しいが――何の害も受けていない。
 その点がジレンマだったが、今回の敵は解明すべき謎が多すぎて――充分な情報を得た後でないと作戦など立てられないのは俺にとって自明の理だった――外堀を埋める必要がある。
 だとすれば。

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