「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

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「以前、香川教授がウチのバカなナンバー2に無体を働かれた件が有りましたよね?
 その時に身代わり役を引き受けてくれた人間が居たことを覚えていらっしゃいますか?」
 田中先生が懐かしそうな表情を浮かべた。
 当時はそんな余裕などなかっただろうが――というか、切羽詰まって俺の恋人の家に来た時のあの緊張した表情を、ささやかな意趣返しの積もりで土下座という無理難題を吹っかけた。もちろん本音ではそんなことをさせる積もりは毛頭なかったし、キリの良いところで妥結しようと思っていたのだが、俺の恋人が烈火のごとく怒ってしまったという予想外の展開になってしまっていた――今となっては懐かしい思い出に変質したのだろう。
「はい、もちろん覚えています。ただ、私はその御当人の顔を見る機会がなかったのですが、とても良く似た顔に作っていたと聞いています」
 「作った」という意味が分からなかった。香川教授に最も似ている――少なくとも暗がりでは分からない程度には――人間を選んだ積もりだったし、実際気付かれていなかった。
「ああ、美容整形外科医はごく細い針を使うらしいので手術痕も見慣れた人間にしか分からないかと思います」
 田中先生が言わんとしていることがようやく分かった。まあ、普通の人間だったら美容整形のことなど一々言いふらさないだろうし、そもそも「似ている」ことしか求めて居なかったので、それが生まれつきの顔だろうと作り物だろうと俺はどうでも良い話しだった。
「ああ、あの美しい顔は整形手術の賜物でしたか……そこまでは分からなかったです。
 香川教授は生まれつきでしょうが」
 大輪の花のような佇まいを持つ香川教授の恵まれた容姿だが、本人はその魅力に無頓着な感じは受けていた。
 だから整形をしようなどと一ミリも思ったことはないハズだ。そこまで自分の顔に執着がないという点も好ましく映ってしまうが。
「はい。その『彼』を見て、何故こんなに左右対称に手術痕が有るのだろうかと疑問に思ったらしいです。普通は左右対称にそんな痕が有れば外科医なら美容整形を疑いますが。
 そこまで考えが至らなかったのは、していない証拠でしょうね。
 まあ、最初の頃は私が言葉を尽くしても自分の魅力を全く自覚してくれなくて、内心困惑もしました……。そういう点も含めて好ましく思っています」
 田中先生が肩を竦めている。先ほどのようなワケの分からない人間に遭遇してしまった疲労のようなモノではなくて、恋人自慢をしている感じだった。
 ただ、語彙力とか表現力にも恵まれている田中先生が言葉を尽くしても余り伝わっていなかった点は内心で可笑しかったが、表情には出さないでおこう。
「その彼がどうかしましたか?」
 田中先生が興味深そうに聞いてきた。
 俺自身の経験則だが、陰謀を巡らせる時に考え付いたプランが全て使えるわけでもない。むしろボツにする類いが圧倒的に多い。
 だから。

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