「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

29

 斉藤病院長に厚労省官僚特権でアポイントメントなしの面会を快諾――少なくとも表面上は――されて和気藹藹と面談が叶ったのは厚労大臣の――旧大学病院病院長クラスになると厚労大臣の判子の印影が本物か偽物か程度は経験則上直ぐに分かる――捺印で乗り切った。
 俺だって一応省内いや霞が関の全ての省庁の内部では、断然トップの出世頭とも霞が関の風雲児というアダ名は伊達ではない。
 ただ、斉藤病院長のような「良く居る」タイプの――妙齢かつ容姿端麗な女性秘書を侍らしたり、権力とか権威が大好きだったりする人間――扱い方法など、俺としてはもう孫悟空に挑まれたお釈迦様のように、掌で転がすだけのことなので適当におだてつつ、適度な塩加減でこちらの権威を見せていけば楽勝だ。塩加減が難しいと言う同僚も居るが、そういうのも――田中先生が頼ってくれた同じ性的嗜好の持ち主かどうかを見極めるのと同じような精度で分かってしまうのは――才能かもしれない。
 脳外科の査察に入る理由をでっち上げるのもお手の物だし。
 そして脳外科に行って見たら、医局は俺の大嫌いな混沌状態というか指揮系統がバラバラなのが良く分かる混乱ぶりだった。
 何だか無駄な支持が出て、却って医局の医師やナースは混乱している。内心呆れながらも、ヒアリングは無理だと判断して、とにかく井藤研修医の居場所を聞くことにした。
 そして更に唖然・絶句してしまったのは指導医が付いているハズの研修医の居場所を誰も知らないということだったが。
 田中先生が所属する通称香川外科では有り得ないことだと思いつつ、あの美しいとも言える医局運営が一際煌めいて見えるような気がした。
「あのう、井藤先生なら手術室の上に有るモニタールームかも知れません」
 遠慮がちな声がそう教えてくれた。その声の主は看護学校か短大を卒業したばかりの新人ナースのような感じでどこかオドオドしていることしか印象に残らなかったが、教えて貰って有り難いという気持ちと、あそこに行くのかという恐怖心が胸の中を交互に去来してしまう。
 俺が苦手な外科であっても、医局は大丈夫なのだが手術室には近付きたくない。
 ただ、モニタールームに行かなければ井藤とかいう研修医と会えないのであれば行くしかない。
 脳外科の医局から出て、大きく息を吸って恋人の居る不定愁訴外来に現実逃避も兼ねて足を運びたくなる衝動に自分ながら良く耐えたと内心で自画自賛した。
 病院の建物の見取り図などは頭に入っているので間違えようはないのだが、手術室のエリアに近付くにつれて足が鉛でも入れたように重くなってしまっている。
 ただ、我ながら不思議なことに無茶振りをした田中先生ではなくて、井藤という研修医に対してしか怒りとかそういうマイナスの気持ちは抱かなかった。
 田中先生だって、ネタみたいな感じで血液とか内臓のことは口にする。しかし、話題にするのと実際見るのは異なるわけで彼は絶対に視野には入れないようにという配慮をしてくれているのは知っていた。
 手術室のエリアの上部に通じている階段を上る時は、何だか死刑囚が刑を執行される時の心境のような気がして、一歩一歩が果てしなく重く、そして遠く感じた。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品