「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

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 血液の独特の臭いもさることながら、人の内部というのはさまざまな悪臭と――俺にはそうとしか思えない――内臓などを視覚的に感じること全般が駄目だった。
 もちろん、そんなことを他人には気取らせないように渾身の精神力で耐えてはいた。
 それに、世間の常識として医学部イコール医師になる人間ということは定着している。
 その上、実家が産婦人科なので、あの大量の血を毎日接しなければならないとなると、まさに地獄絵図そのものだと思ってしまう。
 医師免許を取得するのは――どうせ試験はペーパーのみで実技がないという点も俺には味方してくれているような気がする――別に構わないが、実家は絶対に、何が何でも継ぎたくない。
 そこで考えたのが厚労省という医師免許を活かしつつ、なおかつ世間的にも妥当だと見做される職場への就職だった。
 幸い姉も医学部だし、実家の全てを――それほど仲が良いわけではないが、それとこれとは話が別だ――姉に譲って「天下国家のために」という錦の御旗を振りかざすことにした。
 ただ、東大というブランドの上に医学部の学生という極上の――俺が自分で言うのもナンだが――ステイタスとか将来性プラス「俳優になれるんじゃ?それも二枚目というかイケメンのさ」と真顔で言ってくれた島田を始めとする――生粋の九州男児はどうやらお世辞は言わないらしい――同級生が認めるほどのルックスの良さも相俟って、女の子に不自由はしていない。というか合コンの度に順番待ちというか、俺の前に座りがたる女の子がわらわらと群がって来た過去がある。
 その頃から猫を被るのも得意だったので何人かの積極的な女の子と「そういう」関係になったが、何かが違うという気持ちが募るばかりだった。女性に恋愛感情が持てない人種なのかと悟ったのは、俺自身ではなくて、その背後に有るもの込みで――実家がクリニックだとか東大医学部だとか――狙っているのがあからさまだったからかも知れない。
 青臭い考えかも知れないがT京大学医学部とか、実家がクリニックだとかいう背景抜きで、本当の自分を好きになってくれる人――出来れば対等な立場で物事をはっきりと言ってくる人と生涯を共にしたいと思っていた。
 そういう点では、香川教授よりも恋人の方がよりいっそう魅力的だ。
 本来ならば、世界的な知名度とか輝かし過ぎるほどの実績を持っているのは香川教授なので、もっと強気に出れば良いと個人的には思うものの、彼の場合は自己評価が低すぎるのか、それとも生来の性格的なものなのかは不明だが自己主張というものをお母様のお腹の中に忘れて来たのではないかとついつい勘ぐってしまう。
「メープルシロップを『適量』まぶしておいたから、しっかり食べろ。そして病院に迷惑が掛からないように完璧に企んでくれよ。そういうの、大好きだろう?
 脳の働きに糖分は不可欠だし。でっち上げとか捏造とか、何だったら『法律に触れないように』だけ気を付けてくれれば、井藤とかいう研修医を葬ってくれても構わないので」
 恋人が差し出してくれた「物体」を見てげんなりとした。
 しかし。

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