「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

10

「ただ今帰りました」
 恋人のスミレの花のような笑みで迎えられるのを楽しみに帰宅しているにも関わらず、今夜はなんだか憂い顔だった。
 俺が何か怒らせるようなことを言ったり行ったりしただろうかと思い返しても全く心当たりはない。
「お帰り。風呂はまだ沸かしていない。食事も準備していないので、出前でも取るか?」
 キッチンのテーブルにはコーヒーではなくて紅茶のカップが置いてある。ついでに先ほどまで食べていたと思しきマカロンの空き箱も。どうやらお上品なお菓子を一気に食べていたようだった。
 甘いお菓子には全く興味がなかったので、別にそれはどうでもいいが、恋人の笑顔ではなくて暗い表情は――もともと可憐な花のような顔立ちをしているので、それなりに綺麗ではあったが――気になった。
「どうかしましたか?また斎藤病院長に無理難題を言われたとか。出前でも良いですが、牛丼でも食べに行きませんか?お食事はまだですよね?」
 年代物のクーラーが独特の音を立てているキッチンに何となく思い空気が漂っている。
「牛丼も良いが、ピザを取ろう。お前にも相談したい話が有って、しかもそれは牛丼屋とはいえ、人の耳を憚るような問題だし」
 俺に「改まった相談」というのも珍しかったものの、二人の関係性についての話ではなさそうなので一応安心した。
「ピザですか?確かチラシがここに……」
 読んだ新聞がごちゃごちゃと積んであるスペースへと向かった。俺の記憶が確かならば、今朝の新聞の中にチラシが挟まっているハズだ。
「オレはこれとこれ。サイズはLだな……」
 物凄く美味しそうな感じで並んでいる広告用の写真は食欲もそそる。実際に配達されて来たものよりも遥かに。
 しかし、恋人がLサイズを二つも頼むことはなかった。というか、Lサイズ一枚を二人で食べ切ってしまうのが日常だったので、改めて恋人の顔を見た。
「どれも美味しそうですが、こんなに食べられますか?」
 恋人の給料は、ブランチ長になる要件の「助手」の職階の他にブランチ長手当ても含まれているので、割と好待遇だった。しかしこの、田中先生曰く「薔薇屋敷」の毎年の固定資産税がバカにならない金額なこともあって日常生活は割と質素だ。
「やけ食いというか、獏食いしたい気分なんだ……。吉○家とかじゃ、そういうの出来ないから」
 恋人がやけ食いとか「獏食い」を――自分の語彙にはない言葉だがニュアンスで分かる――したいというのは同居して初めてのことだったので、目を見開いてしまった。

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