９

　そういう人だからこそ、田中先生にも強く愛されているのだろうし、俺個人としても、公的・私的にも――決して邪まな意図ではなくて――「守らなければ」と思ってしまう。
　俺が権謀術数の泥にまみれている分だけ、そういう心根の綺麗な人に憧れる面も有ったのも事実だし、病院内、しかも教授職の人間であんなに清冽な生き方が出来る人は知る限り皆無だった。
　日本国内の大学病院の足の引っ張り合いとか内部抗争を嫌というほど見てきたし、それが普通だと思っていたのだが、香川教授は政治力皆無で――斉藤病院長に守られているとはいえ――手技の実績だけで燦然と輝いているのだから。
　人間は自分にないモノに憧れるらしいが、俺にとっての香川教授は将にそうだった。
　大学病院で生き残るためには実力だけでない。俺の恋人だって、精神科の出世は諦めている。何しろ真殿教授と喧嘩したので、それは当然の帰結だろう。しかし、不定愁訴外来のブランチの設立を病院長が許可したのは――患者さんの不定愁訴は年々増加しているとはいえ――病院から手放すのが惜しい人材だと判断されたからだし、実際に不定愁訴外来で患者さんが訴える数々の相談というか愚痴を延々と聞き続けて、その内容が「単なる個人的なワガママ」なのか、それとも「入院している科の問題」なのかを正確に見極めた上で、後者ならば病院長に報告をしている、業務の一環として。
　大学病院に残るには病院長の覚えがめでたいことが第一だった。
　俺の恋人も精神科医として――決して贔屓目ではなく――優秀な人材だが、真殿教授とかいう人間を激怒させたという過去が有るのでこれ以上の出世の道は閉ざされている。本人は病院に留まれれば良いと思っているようなので、それはそれで尊重したかったが、真殿教授の頭越しに斉藤病院長とギブアンドテイクで繋がっているからこその病院残留だ。
　香川教授はそういう駆け引きなしの文字通り圧倒的な実力だけで周囲を黙らせている。
　霞が関詣でも律義にこなしてくれている点も――他の教授達は内心はどうであろうと――監督省庁でもあるウチに対して平身低頭といった感じで来るにも関わらず、香川教授はノルマをこなす感じの淡々とした態度ながらも発表の時には完璧過ぎてお歴々すら黙るしかない、物凄く練り込まれた内容を披露してくれていたし。
　ウチの省からの熱烈なオファーを断っていたのも「田中先生と過ごす時間を大切にしたい」という一点からだと分かったので、斉藤病院長には極めてさり気なく田中先生も呼ぶようにと示唆したことは教授も田中先生も知らないだろうが。
　それでも――俺の恋人からの情報で――田中先生の激務振りを聞いていたので、同行出来ない日もあった。その時に限ってナンバー２に狙われたのだが、その件は１０倍返しで黙らせたが。
　そして。