「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

 物事をはっきり言わないと伝わらないアメリカ帰りという点ではなくて――入省後に研修などで海外に派遣される人間が多い上に大学の時に留学歴の有る人間も少なくはない。厚労省ではそうでもないが、外務省などは帰国子女も多いので彼らの特殊性でもある自己主張の強さとかプライドの高さも知っているものの――この教授の矜持の源はそういうものではなくて、手技という数値化出来るモノと田中先生に愛されているという二点だけのような気がした。
 それだけで生きていける感じの。
 ごくごくシンプルだが、そういう「不要なもの」を取り去った純粋で無垢な人というのは周りにはいないので新鮮だった。清々しいほどの――そして俺自身は絶対無理な――生き方は、確固たる輝かしい実績の持ち主だからこそ可能なのだろう。
 もちろん自己の手技の向上は日々考えたり努力したりしているに違いないが、それ以外のことは考えていないような気がする。そして恋人の田中先生のこと以外は関心の外にあるような感じだ。
 職場では「仕事のことしか考えていない人間」を、そして本命の恋人が出来てからはプライベートでは全く行ってはいない歌舞伎町に良く居る「恋愛しか考えていない」人間は見てきた。
 ただ、そういう人は「出世したい」とか「良い恋人なりパトロンなりを見つけて楽しい生活とか楽な生活が手に入れば嬉しい」と思っているのは明らかだ。俺自身も出世してこの内部から見てもどうしようもない省庁を変えようという気持ちは大きいので他人のことをとやかく言える資格などはないが。
 そういう意味での野心めいたものを全く持ち合わせていない香川教授――才能も頭脳にも恵まれているにも関わらず――というのは本当に宝石のように稀有な存在だった。
 俺自身も権謀術数は得意ではある。常に相手の動向を窺い、弱みを見せたら一気に蹴落とすという世界が嫌いではない。
 行動にはそれほど移さないだろうが、田中先生も弱みを握ることまでは実行済みだろうし、そういう意味では俺と五十歩百歩だろう。
 しかし、俺自身も弱肉強食の世界に身を置いていると、どうしても様々なことを想定してその対処法はどうするかなどを常に考えて身構えているのが常だった。
 そういう世界とは一線を画して、しかもその才能や容姿には恵まれていながらもそれを武器とも思わず生きてきた人だからこそ、田中先生があれほど惚れこむのだろうなと思う。
 泥の中から咲いた、睡蓮の花のような人だと思った。
 そして。

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