「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

 俺がでっち上げた手術ミスの画像の件を知るや否や烈火のごとく怒るのが、そういう実績に裏付けられた人間の常だと思っていたにも関わらず、全く意に介していないことに逆に驚いた。
 田中先生の反応の方が俺には良く分かったし理解しやすかった。
 人間は、特に社会人ともなるといくつもの仮面ペルソナをつけているのが普通だろう。
 俺自身は数えるのが面倒になるほどの仮面を持っている。相手によってそれを使い分けるために。
 ただ、素顔は――田中先生も誤解している節があるけれども――ごく善良な人間だと自己分析している。しかし、この仕事は弱肉強食の摂理がまかり通っている。そのため防御策として第一のペルソナが「目的のためなら手段を選ばない」というものだった。
 呉睦実という好みの具現化したような人に対しても使ってしまったほど、その仮面は強固に性格に蔓延はびこってしまっているが。
 そして、物凄い偶然の産物だった道後温泉の慰安旅行の日にちと旅館のバッティング。
 管轄省庁でもある我が省と病院の関係は――建て前上は仲が良いように振る舞ってはいるものの――お互いが蛇蝎のように嫌っている。教授の医局の慰安旅行と、一応席を置いている大阪の厚労省のメンバーとが同じ旅館に泊まるのを俺の恋人から聞いて、一人で交渉に赴いてくれた。
 好みではないものの、あの大輪の花のような肢体を是非味わってみたいと思うのは多分同じ性的嗜好の持ち主ならば誰でも思うのではないだろうか。
 その時にキッパリと断られたのは想定内だったが、その時の反応に違和感を強く抱いた。
 この人は貞操堅固というよりも、田中先生しか恋愛の対象としてしか見ていないのではないか、という点。
 そして、人間を田中先生とそれ以外に分類していて、田中先生だけは特別枠に入れていて、それ以外の人間を――普通の人が無意識に行うように好きか嫌いかとか上下関係とかで捉えているのでは、という点に。
 つまり世界の中心が「自分」ではなくて、田中先生と決めているような。
 恋人が大切なのは誰しも一緒だろうし、これが異性間だったら妻子が一番重要というのも分かる。そういう一般論ではなくて、教授は田中先生が居なければ世界など意味がないほどの気持ちを持っているのではないかと推察出来た。
 ならば。

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