「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

 精神疾患を抱えているとはいえ、全く同情の余地もない元研修医が起こした事件のせいで、香川教授よりも田中先生の方が心に深い傷を負っているということだった。
 その判断は現役の精神科医の恋人も、そして俺自身も――特に申し合わせたわけではない――二人を良く見ていれば分かった。
 教授や田中先生と出会った頃のことをふと思い出した。
 香川教授の凱旋帰国は、医学界で知らない者はいないほどだった上に、母校もオファーを出していてそれを謝絶されたらしく良く噂に上っていた。
 世界的な知名度や手技のレベルは周知のことだったが、初めて本人に会った時は大変驚いた。
 ちなみに、香川教授の手術ミスの画像をでっち上げたのは病院の顔とも言うべき看板教授だったので、病院に思い入れが深い人間なら自分の身体と引き換えにしても良いと思わせるだけの価値のある人間だったからだ。看板教授が別の科の人間だったら、そちらを躊躇なく選んだだろう。
 そして、ベルリンで行われた国際公開手術を成功裏に終えて帰国した時に「恋人」に言われて謝罪のために空港に迎えに行った時が初対面だった。国際公開手術のハードさは筆舌に尽くしがたいと外科は鬼門の自分でも耳に入ってきていた。外科の田中先生は矢も楯もたまらずにベルリンへと赴いて二人一緒に帰国していた。
 俺の好みではなかったものの、大輪の花のような、それでいて豪華さではなくて儚さを感じる涼しげな佇まいに、天は二物も三物も与えた人が居るのだなと内心舌を巻いてしまっていた。
 それに名誉も富も、そして容姿にすら恵まれた人間なだけに、傲慢かつ強気さを持っているのかと思っていた。どう考えても香川教授のような人はそういう驕慢さを持っていると経験則でも精神医学両面から結論付けた。
 田中先生と特別な関係に有ることは分かっていたし、しかもフライト時間の長さを考えると飛行機の中で情交を結んだとしか思えない証しが、服で隠し切れない場所にくっきりと残っていた。
 出迎えの人々は大勢いたが、そんな細かい点までしげしげと観察したのは俺一人だっただろうが。
 自信に満ちた人間が性的に奔放というのは良く聞く話しだったし、あの大輪の花のような魅力的な容姿ではそれに拍車をかけるに違いないとも思った。
 ただ、田中先生という、俺に良く似た性格の恋人が存在し、熱烈な相思相愛中というのも良く分かったが、そういう恋人が居るからこそ却って浮気も出来ないのかと思っていた。
 ところが。

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