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カイカイカイ…

霜月 秋旻

孤立

『その少年の家は貧しくて、少年は親に欲しいものをねだっても買ってもらえなかったの。そんなもの必要ない、無くても生活していけるというのが、親の口癖だった。みんなが当たり前に持っているものを、自分だけ持っていない。だからみんなの話題に入っていけない。みんなから置いてけぼりをくらう。今ではみんなが当たり前のように持っている多機能携帯電話。クラスで少年ひとりだけ持っていない。携帯電話のメール機能があれば、口が利けなくなった少年でもクラスの人間と会話ができたかもしれない。しかし、少年に携帯電話を買い与えてやるほどの経済力を、少年の親は持っていなかった。無くても生活していけるということで、片付けられた。
次々に新しいものが流行る時代。みんなが流行に乗り遅れないように、次々に新しいものを得る。しかし少年にはそれが出来ない。そう、少年に霊能力がなくても、どのみち少年は、クラスの中では孤立していた。ここでも暗黙の多数決。たしかに携帯電話なんて無くても生活していける。無くては生活していけないと言うのなら、携帯電話が発明される前はどうしていたのかっていう話よ。少年の親の言うことは間違ってはいない。でも、古い考えだと切り捨てられてしまう。結局、数が多いほうが正しいの。皆がそう言えば、それが正しいことになってしまうのよ。
末永さんが生きてきた青春時代には、携帯電話なんて無かったでしょうね。だから、携帯電話が無いと生きていけないっていう若者のことばを聞いたら呆れるでしょうね。そして言うと思うわ。みんなに合わせなくてもいい、自分は自分だって。
時代が進んでいって、どんどん新しいものが発明されていった。便利な世の中になっていった。わざわざ店まで出向かなくても物が買えるし、手紙を書かなくても、携帯のメールで用が足りる。まるで機械と会話をしているような人が、多くなっていった。家に引きこもりがちな人も同様、多くなっていった。
そんな時代の進歩に、末永さんは懸念していたわ。昔は機械に頼らなくても当たり前に出来ていたものが、便利なものの普及のせいで、出来なくなっている。人間が退化していく一方だって、よくわたしに話していた。わたしもつくづくそう思ったわ。
昔は苦労してようやく出来たことが、今では苦労せずとも簡単に出来てしまう。そこには感動がまるで無い。呼吸することのように、できて当たり前。そんな世の中に、末永さんは嫌気がさしていたそうよ。

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