カイカイカイ…

霜月 秋旻

キヅキの木槌

『黒服の男が口を開いたのをきっかけに、あたしは尋ねた。あなたは何者なのか、どうやってこの部屋に侵入してきたのか、このハンマーはいったいなんなのかと。すると黒服の男は、表情を変化させることなく、事務的に話し始めた。
「キヅキ。とりあえず名乗っておこう。私の名はキヅキだ。そして、私が何者で、私がどうやってこの部屋に侵入したかは説明をしないでおく。適当に自分で推測しておいてくれ。しかし今君がもっているハンマーについては説明しよう。私が何者かよりもそっちが一番重要なことだからな」
そう言うとキヅキと名乗るその男は、粉々になったあたしのスマートフォンの破片を拾った。
「そのハンマーの名は<キヅキの木槌>。君がさっきまで読んでいた本<壊の書>を読み終えることで、君はこの<キヅキの木槌>を持つことが許される。そして次の段階へと進むことができる。その木槌は、修了証書のようなものだ」
キヅキの説明は非現実的で、あたしの頭が理解するには時間を要した。しかし、少なくともあたしがブックカフェ<黄泉なさい>で受け取った本が関わっているということは理解した。
「そして君がいま壊したこのスマートフォンだが、これは君が、心の奥底で壊したいと願っていたから壊れたのだ。壊すつもりなどなかったのかもしれないが、この木槌は君の心と共鳴する。君が心の中で少しでも壊したい、もしくは必要ないと感じると、この木槌は本来の重さになり、壊したい対象を破壊する。この木槌は、君のこころが生んだもの。君のこころの一部だ。こころは人からは見えない。ゆえに、そのハンマーは常人には見えない。しかし君が見せようと思えば、見せることが出来る」
またしても非現実的な説明だったが、理解できないこともなかった。要するにこの木槌は、ブックカフェでもらった本を読み終えたことで発現した、あたしのこころを形にしたものだということなのだろう。あたしは疲れているのかもしれない。これは夢なのかもしれない。もうすぐあたしは夢から醒めるのだ。
「さて、君がいま壊したこのスマートフォンのほかにも、この部屋にはまだ、君が壊したいものがあるはずだ。壊してはいけないとためらっているものがあるだろう。違うか?」
夢。これは夢なんだ。現実にこんなことがあるはずがない。密室に男が突然立っていたり、わけのわからない巨大な木槌であたし自身が自分のスマートフォンを壊すなど、ありえないことだ。これからあたしが何をしようと、これは夢だ。何もかも、なかったことになるはずだ。
「そうだ、壊せ。壊して、次へ進め…」
キヅキがそう言うと、あたしはまるで催眠術でもかけられたかのように、無我夢中で木槌を振り回した。なにもかも、どうでもいいかのように、なにも考えず。
そして気が付くと、あたしの部屋にあったあらゆるものがこなごなに壊れていた。いままでに、あたしが誰かから貰ったもの。欲しがって得たものではなく、引き受けたものが全部、形を失っていた。長かったあたしの髪の毛も、全部無くなっていた。全部あたしが壊したのだ。キヅキは、あたしがすべてを壊してしまったのを見届けると、あたしに「ついてこい」と一言告げた。気が付くと、手に持っていたはずの木槌は消えていた。それからあたしはキヅキに導かれるまま、夜道を歩いた。気が付くと、キヅキの姿はなく、いつのまにかあたしはこのブックカフェ<黄泉なさい>の前に立っていた。』

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