カイカイカイ…

霜月 秋旻

黒沢アカネ

黒沢アカネ。僕に声をかけた彼女の名前だ。耳の少し下くらいまでの黒いショートヘアに、四角く太い黒縁眼鏡。前髪がすこしかかったその眼鏡ごしに、大きな瞳でじぃと僕を見つめる。なぜ彼女は、僕に声をかけたのか。彼女は僕と同じクラスであり、窓際の一番後ろの席に座っている。それは僕の席のすぐ後ろだ。その地味なルックスのせいかクラスではあまり目立たない。口も開かないほうだ。
彼女とはさすがに席が前後ろなだけあって、教室内で最低限のやりとりは今までにあった。床に落ちた僕の消しゴムを彼女が拾ってくれたり、授業中居眠りしているのを彼女が後ろからつついて起こしてくれたりなど、お互いのプライベートに関与しない程度のやりとり。教室の外で彼女と会話したことは、たぶん僕の記憶にはない。
「先生がさっき、二人以上で帰るようにって言ってたわ。なのになんで一人で帰ろうとしてるの?」と彼女。
僕に一緒に帰るほど仲のいい友達がいないのを知って、からかっているのだろうか。そうとも感じられる質問だ。しかし彼女もみたところ、ひとりのようだ。
「ひとりで帰るのが気楽だからだよ。ゆっくり歩いて、物思いにふけるのが好きなんだ」
その言葉に偽りは無かった。「悪い?」と僕は更に続けた。
「別に悪くは無いわ。あなたが誰と帰ろうがひとりで帰ろうが、どんなことを考えてようが個人の自由だし、私には少なくとも関係のないことだものね」
関係のない、と口にした彼女の口調はどこか冷たく、寂しく感じた。僕と彼女の間に、透明な分厚い扉が突如出現したような、そんな感じがした。いや、もともと扉は存在していたのかもしれない。ただ、透明なのでいままで気付かなかっただけなのだ。今まで彼女に近づこうとしなかったから。物理的にではなく、心理的または精神的に彼女に近づこうとしなかったから、扉に触れることもなかった。しかし今、彼女に話しかけられて僕は少し彼女に近づこうとした。もちろん物理的ではなく精神的に。その結果、ひんやりとした見えない扉に触れることになり、その扉の存在を認識してしまった。その扉には鍵がかかっている。扉を開けられる鍵を僕はいま持っていない。扉を開けるには巨大なハンマーでぶち壊すか、内側から彼女自身に開けてもらうしかないのだ。
「家、こっちのほうなの?」と僕が尋ねると、彼女は首を横に振った。どうやら彼女の家は反対方向らしい。僕に話しかけるためにわざわざついてきたのだろうか。
「この先の山奥に、私の兄の店があるの」
彼女はこれからまっすぐ、自分の兄に会いに行くらしい。どういうわけか、僕も同行することになった。別に家に帰っても特別やりたいことがあるわけでもない。だから断らなかった。
「それでね、これから行くその店に入るには、ルールがあるの。それを今から説明するわ」
「ルール?」


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