その科学は魔法をも凌駕する。

神部大

第137話 最初で最後のプラチナ



「バァちゃん、私、行くよ!」
「行くってあんた……な、何を言ってるんだい!およしっ!」



 アリィはロードセルを投げ捨て、自分の祖母であるローズにそう告げていた。
 

 ローズはそんな孫娘の言葉に思わず曲がった腰を伸ばしカウンターから身体を乗り出す。
 だがアリィは全て決心した上で店内の階段を駆け上がっていた。真に繋がった筈のロードセル、その相手は真であって真でない者。

 それでもアリィは信じて疑わなかった。真が助けに来ることを。
 100パーセント、絶対に疑っていないと言えばもしかしたら嘘になるかもしれない。

 あの時に真が確かに言った言葉。
 辛かったら、助けて欲しかったら自分を頼れと、そう言ってくれた真を、騙されていると分かりながらも自分に付き合ってくれた真を、アリィは信じていた。


 遠方秘談で態度が悪かったのはもしかすると魔族が操作していたのかもしれない。
 もしかしたら真の身に何かあったのかもしれない。

 だがどんな事があろうと真は負けたりしない。必ず自分を助けに来るとアリィはそう確信していたのだ。



 人を信じると言う事はただ他人に期待するものじゃない。

 頼るという事は自分の意思で、自分を信じる事なのだと、アリィは一人で魔物の大軍に向かうルナを見てようやく気がついた。 



「バァちゃん。ルナはさ、こんな私なんかを全部受け入れてくれたんだ。こんな私をさ、いっぱい人を騙したのに、いっぱい酷いことも言った!それなのにあの馬鹿……私を、友達って」
「アリィ……あんた」

「ルナは私の大切な友達なんだ!こんな所で震えてなんかいられない!」



 アリィは思い出していた。
 ルナが最後にこの店を出る時、必死で無理して笑っていたルナを。
 震えていたルナを。

 それでもルナは真を信じて、あるかも分からないような自分の使命を本気で信じて立ち向かっているのに。自分はと。



「ダメだ、行かせやしないよ。あんたまで死んじまったら、あたしはあの子達になんて言えばいいんだい!」
「ううん、それでも私行かないと。バァちゃんは早く逃げて。ごめんね……私、ルナより歳上なんだよね!!」

「アリィ!お待ちな!!」



 アリィはそれだけ言うと遂にローズの言葉を振り切って店を飛び出した。

 いつかにここを出ていった時とは全く違う、そんな清々しさすら感じる孫娘アリィの表情にローズは心打たれていた。孫の安全を考えての事、だがアリィはもう一人前の大人だったのだと。


 自分はもう何十年と生きただろうか、どれだけ大切なものを失っただろうか。もうこれ以上、死んだ息子と義娘に恥を晒したくは無かった。


「歳上ってんなら……あたしのほうこそじゃないか」


 ローズは重い腰を上げ、今日を人生最後の日と感じながら店にある一つの杖を手に取った。













 王都は既に大混乱であった。
 空には時折黒い鳥型の魔物が飛び、城の方から放たれる魔力がそんな魔物を幾つか貫いていく。恐らくはファンデル城の騎士達が応戦しているのだろう。
 それでも街のあちらこちらで少しずつ煙が上がり出している事に、アリィはこの王都が魔物に襲撃を受けているのだと言う現実を突きつけられていた。


「ルナは……こっちね!」


 そんな凄惨な情景を脳裏から振り払い、アリィはポケットから一つの小さなブローチを見ながら必死に王都正門を目指す。
 正門に近づく程に明滅するそのブローチは以前ザイールのトーナメントでアリィに貸与したローブのブローチと呼応していた。

 アリィ改造魔石機、追尾型魔力増強ブローチである。

 大会用のローブをしっかり買い取らせていたアリィの抜け目の無さが事ここに於いては功を奏したとも言えた。


 逃げ惑う都民に一人逆行する背丈の小さな少女、否アリィは齢20の立派な女性だ。

 絶望と言う名のトンネルをどれだけ長い事歩いてきたのだろうか、今のアリィにはこんな魔物の襲撃を受ける最中でも、まるでそんな暗いトンネルを抜け出たような清々しさでただ友の為に、自分の殻を破った自分の生き様に満足しながら走った。


 民は皆ファンデル王都の地下水路へ避難したのか、既に正門は堅く閉ざされ周囲には国の騎士達が詰めていた。
 外は危険と判断され一般市民が外へ流れないようにしているのか、はたまた外からの魔物の最後の砦となっているのか。どちらにせよアリィが外に出られる隙等無いように思える。


「ちょっとそこ開けてよ!友達が外にいるの!!すぐ閉めていいから!」


 アリィはそんな騎士など関係無いとばかりに三叉槍を手に持ち集まる騎士達へそう叫んでいた。


「ん!なんだ君、まだ避難してなかったのか!?此処は危険だぞ、早く地下水路へ行くんだ」
「おい、まだ子供じゃないか!?道が分からないんだな、よし俺が誘導するから着いてこい」

「ちょ、お前それで逃げる気なんじゃねぇのかよ?ずりぃぞ、俺だってこんな目に遭う為に騎士になった訳じゃねぇ!!」
「なっ、俺はそんなつもりじゃ」

「あぁうるさぁぁい!!何なのアンタ達!それでも国を守る騎士!?情っけない!私の友達は一人で魔物と戦おうとしてるってのにっ、まだ15の子供なのに!私は、私はもう……大人なのに」


 アリィを避難させるのに誰が付き添うかで言い争う国の騎士達。その誰もが皆こんな魔物を相手に命を散らせたくは無いと考えていてもそれは仕方の無い事かもしれなかった。

 だがほんの先程までは自分もこの騎士達と同じであった事、友達を見捨てて自分の命を優先させようとしていたそんな自分自身を見ているようで、アリィはその苛立ちを思わず騎士達に向けていた。


 アリィは走る。
 長く続く城壁を横目にそんな騎士達の呼び声を無視して。

 ブローチの明滅はだんだんと緩やかになり、光は一層強さを増していた。近い、ルナはすぐ側に居るはずだとアリィは思わず声を上げていた。
 ブローチの光が遂に明滅を止め、穏やかな光が魔石の呼応を知らせる。


「ルナァ!!そこに居るの!?」



――「ぇ、アリィ、さん!?」

「ルナっ!?そこ!そこに居るのね!?」



 アリィはルナの返事を分厚い城壁の向こう側から僅かに捉え、その場で更に声を荒げる。

 ルナはこの外でたった一人魔物と戦っているのだろうか。そう考えるだけでアリィはいても立ってもいられない気持ちだった。


――「アリィさん!何で!ダメです、此処は魔物で溢れてます、早く逃げて」
「何言ってんの!あんたは一人で戦ってるじゃない、私だけ逃げるなんてそんなダッサイ真似出来る訳ないでしょ?その……友達、なんだから」

「アリィさん?はっ!火風の舞ファイアサウンド!!」
「ルナ!?ルナ!!大丈夫なの!?」

「……はぁ、はぁ。だ、大丈夫です。私だってやれば出来るんです!シン様が居なくたって、だ、大丈夫。怖くなんかない!私も、アリィさんみたいに一人で何でも出来る強い女の人になれますかね!?」


「は?な、何言ってんの!ルナはもう十分凄いじゃん!私なんかよりずっと。前に言ったことは謝るから、だからもう戻って来てよ。そうだ、シンちゃんにも連絡したの!だから直ぐに助けに来てくれる」



 アリィは必死だった。
 姿の見えない友が、この壁の向こうで今にも魔物にやられてしまうんじゃないかと。もしそんな事になったら自分はまた一人で生きていかなければならない、そんなのはもう真っ平だった。


 真には助けを呼んだものの、正直な所来てくれるかは定かじゃない。

 それでもルナを此方に引き戻せるならどんな嘘でもつくつもりだった。


――「シン様が……それなら、もう大丈夫かもしれないですね。そうだアリィさん!今目の前でシン様とは違う勇者さんが戦ってるんです!やっぱり言い伝えは本当でした、私もこれが使命なんじゃないかって」

「馬鹿いわないで!!」

――「あ、え、アリィさん?」

「そんな言い伝えなんか知らないっ!!そんな昔話どうだっていい!勇者がいるなら任せなさいよ、ルナ!私を一人にする気!?あんたは私の友――ぶぁ、ゴぼ」


 ルナの悠長な話に焦りと怒りをぶつけたアリィはだが、ふと感じる腹部の熱と口から溢れ出る吐血にそれより先の言葉が出なかった。

――「アリィさん?」

「グげっげっげ!!コドモ!ニンゲンコドモ、ウマい!コドモウマい」

――「何!?え、アリィさん!?何か聞こえましたけど、大丈夫なんですか、アリィさん!!」

 
 突然途絶えたアリィの声、微かに聞こえたおかしな音に異変を感じたのか、ルナの叫びが厚い城壁の向こう側から響く。

 アリィは必死の思いで背後を振り返った。

 そこに見えるは僅かに燃える家屋の火。
 そしてそんな火に影となって映る魔物の姿だった。

 ケラケラと無邪気な笑いでアリィを見つめるそれは悪魔族ガーゴイル。まだ生まれたてだろうその魔物にこれと言った意思は見られない。

 そんな光景を他人事のように眺め、だが同時にアリィは自分の死を薄らと理解していた。

「こ、の……化け物、豪炎のバルフレイム光槍ランス
「ゴ!ゴゲェェ」

――「アリィさん!どうしたんですか!?大丈夫ですか!アリィさんっ!」

「――う、うるさいわね、ルナ。だい、じょぶよ……別に、大した事ないわ。ちょっと魔物が、いただけ。はぁ、はぁ、はは!ざまぁみろよ!私の、魔力増強ブローチを使った、魔力結石の威力、思い知ったかっての、よ」


 アリィはいざと言う時の為に持ち歩いていた火の魔力結石で眼前のガーゴイルを業火の槍で貫き焼き捨てた。

 自分の勇姿を見えないルナに語りかけるが、それもアリィの精一杯の強がり。
 高価な中級魔術を操れるそれはブローチの魔力増強によって上級クラスの魔術に変貌する。

 だが使えるのはたった一度きり、次に魔物が現れればもうどうにも出来はしないのだ。



 だがもうその必要もなさそうだった。



 アリィの腹部に空いた穴から止めどなく流れる血液。
 既にその光を失った火の魔力結石は力の抜けていくアリィの手からぽとりと零れ落ちた。

 それはまるでアリィの命の灯火がそれまでとも言うかのように。


――「アリィさん!魔物って……まさか、大丈夫なんですか!?ま、待って下さい!今、今すぐそっちに行きますから!!魔力よ、風の魔力、力を貸して。風の流麗ウィンドアシスト――わ、わわ!!」


 壁の向こう側から聞こえるルナの声とドサっと何かが落ちる音。恐らくはルナが風の魔力でこの城壁を越えようとし上手く操れなかった音だろう。

 アリィは自分が危機に瀕した事であっさりと此方へ戻ろうとするルナに思わず笑みを零していた。


 今まで必死に説得しようとした時間は何だったのかと。
 そしてそれ以上に、自分をそこまでの相手だと思っていてくれた唯一の友人ルナに出会えた事に胸が熱くなった。


「なんで、泣いてるんだろ。あたし……ルナ、私は、あんたに会えて――プラチナ、幸せ、だった」

 
 アリィの涙は誰にも届く事無く、ただ厚い城壁の向こう側に居るはずの友人の声だけがそこには響いていた。




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