その科学は魔法をも凌駕する。
第87話 ギルド官の言葉
リトアニアグループを統括する会長、サモン=ベスター。
そもそも王都のギルド本部の元がリトアニアグループの一商会であった事を知るのは今や数少ない。
リトアニアグループは商業の活性化と国の自衛を目的とし、国からの出資を受けながらギルドと言う名の団体組織を設立した。
ギルドと商会はそれぞれ個々に規模を増して行き、今や互いに数えきれない程の支部支店を持つ。リトアニア商会に至ってはその財力を活かして国外にまで進出している上、中流の商会の殆どはリトアニアの出資、援助を受けていると言っても過言ではない。
そんなリトアニアを取り仕切るこの男。
言うなれば国よりも、いや、神にも等しいこの男が無類の女好きと言うのは一部の中で有名な話であった。
シグエーは過去にギルド本部の受付をしていた―今は採集品の買い取りのみに徹している―サニア=エルサがこの会長に誘われるのを目撃した事がある。
その際にそれを断ったが故に処罰を受けそうになったサニアを庇った、当時の時期ギルド長とも言われていた副ギルド長は今やリヴァイバルでどうなっているか等考えたくもない。
「えぁ……あ、それ、は」
「ノルトに専用住宅がある。他の女もまあ満足している様だからお前も気に入るだろう。いや、何だこの家にも部屋は余っているから何ならそっちでも構わんぞ?ただ数日は激しくなるかもしれんがの……フヒヒ、ひぷ」
おぞましい程厭らしく笑うベスターの口元はこれがリトアニアの会長かと思いたくなるほどに緩み切り、視線はネイルの膨らんだ胸元から下半身に釘付けだった。
その時シグエーは理解した。
自分の一件等この男にとって大した話ではない、ただそんな噂話を元手に遊び半分でギルドの女を囲おうとしているのだと。
一応は同じリトアニアグループのギルド、その人員に手を出す事はギルド長の名が許すまい。
だがギルド長ベイレルはシグエーの、元はシンが起こしたこの一件を無き物とするべくネイルを売ったに過ぎないのだ。
ネイルはあまりの恐怖に身を固め、二の句が告げないでいた。
だがこの誘いも考えようによっては最高の昇進とも言える物だ。もう二度とつまらない仕事に従事せずに贅の限りを尽くせるのだから。
ギルドの受付をする女は大概にしてそうした金と権力も持つ者に目掛けられるのを夢見ている事はシグエーも勿論知っていた。
と言っても、それはあくまで外見麗しい若き騎士貴族達に見初められる事であって、大いなる金と権力を持つとは言え間違ってもこんな中年の醜態男の性奴隷となる事ではないのは分かりきった事である。
どうするべきか。
自分の出来る事は果して。
シグエーはこう言った権力を傘に物事を推し進める人間が好きではないが、今や組織に属しそれで生かして貰っている以上この男とネイルのやり取りに自分が入る幕などある訳も無い。
「ぃ……や……わた、私」
「……ネイル」
「ん?ん?聞こえなかったぞ、どうした?」
ネイルの蚊の泣くような声。
それは隣りにいるシグエーにはっきりと聞こえ、思わずネイルの方を振り返っていた。
だがベスターは、そんな潤んだ瞳で怯えるネイルを見るのが余程嬉しいのかその笑みは増すばかり。
どうするべきか、ここでネイルがこの男の誘いを断る事はあまりにも危険すぎた。そしてシグエー自身にもそれをどうにかしてやる程の権限等持ち合わせてはいないのだ。
だがシグエーは持ち得る全ての正義感を奮い立たせ、出来うる限りの礼節を持ってリトアニアの会長へと言葉を投げ掛けたのだった。
「サモン=ベスター会長様、コレはまだギルドの経験も浅く言葉選びが中々出来ない様でありますので……後日改まりましてご挨拶に伺わせるというのは――」
「嫌ッ!いやいやいや、そんなの嫌!こ、こんな変態に……こんな奴に使われる位ならギルドなんて辞めてやるわッ!」
「っかふ!?」
「ネイルッ!?」
だがシグエーが満を持して提供した渾身の誤魔化しは、刹那に放たれたネイルの嫌悪に満ちる悪態の羅列に全ての意味を失ったのだった。
ネイルは咳を切った様に身体を震わせ、怒りに満ちた顔付きでリトアニアの会長を睨む。
シグエーは自分の判断に後悔の念を抱かずにはいられなかった。
ネイルに矛先が向かったのは自分の一件による物。それを組織のやり方と見なし何の異議も唱えなかった自分にも責任はあった。元からネイルの様な女が目的だったとは言え、少し考えれば何かしらの対策は出来た筈。
だがネイル自身がこう言った暴言を吐いてしまった今、最早シグエーがどうこう出来るレベルを超えてしまった。
真っ向からこの世界の半分を牛耳ると言ってもいいリトアニアの会長に暴言を放ったネイルがただで済む訳もないのだ。
「……ほ、ほほ、これは粋のいい。やはりそうでないと面白くないわなぁ。思った通りの気の強さだの、最近はめっきりこう言うのが減っていたんだ。是が非でも欲しくなったわ!ネイルとか言ったな、お前にも家族はいるであろうよ?」
「っ!?」
最悪の展開だった。
リトアニアの会長ともあろう人間がここまで一人の受付嬢に拘る事になろうとは。
自ら撒いた種とは言え、あまりにも理不尽だ。
その権力と金に物を言わせて自らの欲望を満たす為、親兄弟をも人質に取るその浅ましさ。
「……家族を、どうするつもり……そんな、そんな事したら国が黙っていないわ!ファンデル法恫喝罪よ、訴えるわ!」
「ネイルよせ!」
「ふほほ、ほぅほぅ。いいのぅ……若いと言うのはどうしてこうもまだ儂の欲をそそるか」
どうすればいい。
シグエーは今この状況を打破できる方法は無いかと最大限冷静に、そして迅速に思考を巡らせていた。
この男が本気になれば一ギルド官ネイルの家族を社会から抹殺する事等容易い。だがそれはあくまでも間接的に、少なくともこの国で生きづらくする程度が限界なはずである。
でなければ一人の女の為に国から危険と見なされる様な行動を、ここまで大きくなったリトアニアの会長が取るとは考えづらかった。
今の会長の発言は、ネイルの言う様に確かに恫喝罪に当たる。
と言ってその程度で此方側もそれを国に訴えるだけの証拠も、この会長を上回る程の信頼もない。
もっとリトアニアを危険に晒す様なネタがなければ……と、そこでシグエーは思い立ったのだった。
何故今までこの事を忘れていたのかと。
組織に長く属するあまり、上層部の指揮司令が絶対と全てを飲み込んでいたシグエー。
だがネイルはどうか、若さ故の無謀かもしれないが自分の本音を素直にぶつけている。それがたとえ優良な仕事を失う自体になろうとも。
そもそもそこまで国務官でいる事に固執する必要がどこにあろうか、シグエーはシンに言われた言葉を脳裏に再生し、自分がどんな過去を歩んで来たかを思い出させられていた。
そう、突破口となるネタを自分は持ち得ている。
そもそも何故シンがリトアニア商会の人間を殺める事態になったのか、それはシグエー自身が此処に来た理由にも繋がる一つの事態が背景にあるのだ。
リトアニア商会の恐らくは裏の顔とも言うべき商売、奴隷商。
リヴァイバル王国では国柄として多種排斥を掲げている為、表立ってこそ獣族の奴隷化を認めてはいないが、奴隷商売に目を瞑っている所がある。
だがファンデル王国はそうではない。
多種族、移民を多く受け入れ国を繁栄させている。ノルランドの様な大国もまたそうであるからこそあそこまで国が繁栄し、ファンデル王国とライバルの様な関係にあるのだ。
つまり今やここまで大きくなったリトアニアグループが奴隷商を行っている事が明るみに出ればどうなるか。
馬鹿で変態でも金儲けには目敏いこの男ならそれ位は分かる筈、つまりこの男の感知せぬ所で事が行われているのは明白だった。
「ベスター会長」
「むふ……ん、何だ、まだいたのか?お前の件は話したとおりだ。下がっていいぞ、後は此方の要件だ。ベイレルも周知している」
「いえ、リトアニア商会の者を手に掛けたのは私で間違いありませんがその理由をお聞きいただけないかと」
「!?……シグエー?」
「んんっ!?何だ、一般人を殺めた事を認めながらその言い訳をしたいだと?ふん、面白いが儂にはもう興味はない。その件は終わった、お前の異動で不問にしてやるから有り難く思うんだな」
自らの人生が危ぶまれているにも関わらず、ネイルは驚きの表情をシグエーに向け口を閉ざす。
ベスターに至っては最早どちらでも構わない様だが、話の本題はここからなのだ。
シグエーはいつの間にか握りしめていた拳を緩め、しっかりとベスターを見据えて続く言葉を冷静に解き放った。
「リトアニア、その商会の名を語り奴隷売買を行う者がいたので処罰を下したまでです。ギルドに属する以上、リトアニアグループの名を守る必要がありました。報告が遅れてしまったのは申し訳ない事と存じますが何分一ギルド官風情の話、上に届くのに時間がかかってしまった様です」
「な!?」
今度はベスターが驚く番であった。
だがベスターはその感情を瞬時に抑え、薄っすらと笑みを浮かべながらシグエーを見据える。
「な……何の言い訳かと思えば、子供のお遊び以下だ。そんな与太話を私が信じると思うのか?」
「ギルド官である私が唯の商人を殺める事に何のメリットがありますか。リヴァイバルではどうやら定常的に行われている様です、そしてその人間達と繋がっているファンデル王都のリトアニア商会。商業認可証も確認していますので間違いありません……この話が当国に及べば、起こる事態は会長なら直ぐにでも判るかと」
「……まさか、最近リヴァイバルの本店から上がる売上が多いのは……いやしかし何の報告も上がってはいない。こいつの話に何の証拠が」
「会長、証拠よりもこう言った報告が今上がっている事自体が重要では?私の話の真意よりも確認するべき事があるのではないでしょうか」
シグエーは今この場を乗り切った確信を得ていた。
上層部の保身。それはシグエーやネイル等一介のギルド官に過ぎない者達とは比べ物にならない程大きなモノだ。
シグエーは目を泳がせ動揺するベスターを見るなり、やはり奴隷商売がこの会長の預かり知らぬ所で起きている事に胸を撫で下ろしたのだった。
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