その科学は魔法をも凌駕する。
第60話 勇者の矛先
「……お、おまちどう様です。エール三つと葡萄サワーになります」
アリィとフレイのやり取りは恐らく注文の品を運んできた女にも聞こえていたのだろう。
何処か気まずそうにしながら木の盆に載せたグラスとジョッキをそそくさと真達のいるテーブルに置いて立ち去った。
「くっ、こうなったらやけ酒だぁ…………くぅ、ウマイ!エールだけは裏切らない……今日は馬鹿オッパイの奢りだからっ、乙女の心を傷付けた罪は重いんだからねっ!」
「なっ、わ、私だってな……そんなおっぱいおっぱい言われて嫌な気分なんだ。好きでこんな胸になった訳じゃない!くそ…………っぷはぁ!もう一杯くれ!」
「あ、アタシにもちょーだいっ!!」
口争いの次はフレイとアリィによるエール一気飲み大会が開催されている。
二つ、三つと次々に空になるジョッキ。
「と言うかルナ、お前のそれも酒じゃないのか?未成年だろ」
「未成年てなんれすかシン兄様!わたしだってのめるのですよ!大人なんれす、子供扱いしないれくらはい……わたしらっれフレイさんには負けない…………」
この世界で何歳から酒を飲めるのかを真は知らないが、誰も何も言わない所を見るとそこまで制限は無いのかもしれない。
何だかんだと訳の分からない事を吐き出しながらテーブルに突っ伏すルナを見ながら未だ飲み比べをするフレイとアリィに呆れ顔を浮かべる真であった。
酒は人を狂わせる。
地球でも幾つかある趣向品の一つである酒だが、その成分はエチルアルコールの形で存在する。
アルコールは脳内で興奮物質であるドーパミンの分泌を促し、他にも真が服用しているラベール花に含まれるセロトニンの分泌も促してくれる為人間はとても楽しい気分になれる娯楽品だ。
ただドーパミンを抑制するGABAをも抑制してしまうのでその効果は青天井、やがては体内で分解され毒素アセトアルデヒドを生み出すと言う結果に陥る過去には危険な物でもあった。
フレイと真に関してその点心配はもう無いのだが、普通の人間であろうアリィやルナにはその辺り何とも気を付けて貰いたいと真は明日のトーナメントの事を考えながらそんな二人をただぼんやりと眺めていた。
「おいおいおい、こんな女に囲まれて一人で傍観たぁ良い趣味してんじゃねーかよ兄ちゃん。俺らにも楽しませてくれよ、なぁ……へへ、ホントにいい乳してやがんなぁ……くぅ、たまんねぇ!」
「うひひ、俺はちっパイ好きだぜぇ!一緒に飲もうや」
どこから沸いて出たか、いやむしろ最初から店で飲んでいてフレイとアリィのやり取りを聞いていたのだろう、それなりに鍛えられた体の男二人はそれぞれフレイとアリィの間に椅子を持ち込み割り込んで来ていた。
「なんだお前達……勝手に人の食事を邪魔するな」
「へへ、いいじゃねぇかよ。こんなひょろい男一人じゃ味気ねぇだろ?何ならこの後どっかで飲み直さねぇか……ジュル……でへへ、やべぇ、おっ勃起まう……すげぇな」
「俺はただデカイだけの乳よりやっぱり品のある、つまりは品乳だな、それこそ女のあるべき姿だと思ってんだ、分かる男だろう?俺はサイムってんだ、嬢ちゃん童顔だな、可愛いぜ。幾つだ?」
勝手に話を進める男達はそれぞれフレイとアリィを必死に口説いていた。
同じく貧乳であるはずの寝たままルナはどうやら蚊帳の外だ。
「だぁれが貧乳だってぇぇ!?この筋肉馬鹿!弱そうな男には興味ないんれ。えへへ、シンちゃんのほうら強そうだしぃ……アタシの目利きは間違い無いんらっ!」
既に泥酔しているのか軟派な男にとんでも無い事をいい放つアリィ。そのお陰でサイムと名乗っていた男の視線が真へと向けられる。
「……ふん、癪だがそこは私も同感だな。女を口説くならもう少しスマートさを覚えるべきだ、分かったらとっとと外せ。今は食事中だ」
「んあぁんっ!?……おいおい、こんなモヤシのが俺らより良いってか?は、笑わせるぜ。これでも俺は前年度ザイールトーナメントで準準決勝まで行ってんだ、サイムに関しては準決勝。今年はシードって訳だ!な、サイム?はは、まぁビビらせるつもりはねぇんだ。ちょっと楽しく飲もうって話さ」
矛先がフレイとアリィから自分へと向けられ何とも複雑な心境で真はただ目の前にあるエールを流し込む。
サイムと言う男はどうやら準決勝まで行く程の腕がある様だが、その目には貫禄さよりも真への憎悪で満ちている様に見えた。
「俺の品乳ちゃんをお前が……一人占め?許せねぇなぁぁ……」
「誰があんらのよ、あたしのはシンちゃんのもろぉーへへへっ」
「おいっ、アリィ!挑発するな!」
フレイの言葉を無視して挑発するアリィに目の色が変わったサイムは椅子から激しく立ち上がり真へと指を向ける。
「上等だぜてめぇ、俺の品乳に手を出すたぁ!モヤシ野郎表に出ろ――――」
「――――お、お持たせしました。ラムディップとモンスーンビーフライになります」
「……あぁ、悪い。此方だ」
全く場違いな店員の言葉に真はそちらに気をとられていた。
真は恐らくそれがアリィの頼んだ物だろうと理解し、重そうに料理を両手で抱えるその店員から皿を受け取ってやる。
「あ、ありがとうございます」
料理を取ってやっただけなのに何故お礼を言われたのか分からなかった真。
店員は再びそそくさと厨房へ戻っていった。
「てぇめぇっ!!無視してんじゃねぇぇっ?」
「すまない、料理が重そうだったんだ」
「シン、女心が分かってきたな。男はそうでなければな」
「シンちゃんやるぅ、この魔男ぉ」
「おいっ、このモヤシ野郎。完全に舐めてやがんな……男は力だ、なぁサイム?」
どうやら事態は面倒な方向へと転んでいた。
真はただアリィが勝手に頼んだ料理を受け取っただけなのだが、フレイとアリィの余計な一言が遂には軟派な男達を激怒させていた。
こう言った輩は過去の地球でもどうしてなかなかいるものである。
海外遠征で格闘技大会に出る事になった時も真を外見だけで判断し「fake ass nigga」と侮辱してきた男がいたが、今となってはあの時に一々相手をひれ伏さしていた自分が恥ずかしいとも思える。
真は内心で歳だろうかと実際に老いない身体を持ちながらそんな事を考えていた。
「――――いい加減静かにしてくれる?そこのお嬢さん達も困っているじゃないか」
「あぁん!?」
「おぉんっ!?」
そんな時だった。
カウンターから一人の黒髪の青年が何やら妖しい笑みを浮かべながら此方のテーブルへと向かって来る。
男達は突然水を差す様なそんな言葉を発する主へと揃って顔を向けていた。
「はぁ……全く何処の世界もこう言う奴はいるんだね。それにそこのお兄さんも連れの女一人も庇えないなんて……それだけの女性を連れながらそれじゃあ情けないよ?ハーレムする価値なし」
「あぁ、てめぇガキ。何急に入ってきてんだよ、舐めてんのか。ここはてめぇみたいなガキが来ていいトコじゃねぇんだよ、すっこんでな!」
流れる様な黒髪の少年とも青年とも思えるその男は腰に装飾の施された剣を提げ、胸当てにしている銀のプレートも何処かで見たような紋章が刻まれ値も張りそうだ。
「君は……もしかして氷城のエミールと一緒にいた……勇者」
「ん、あれ……おっと、それ以上は言わないで。お嬢さん何処かで会ったかな。エミールさんを知ってるんだね、これは運命かな?」
どういう訳かその黒髪の青年に振り返ったフレイが食い入るようにその青年を見てそう言った。
「ガキ!この女は俺のもんだ。横槍してんじゃねぇよ、ナンパも知らねぇ小僧は帰ってママと仲良くしてなっ」
「誰がお前の物だっ、いい加減皆黙ってくれ。それと君、君には聞きたい事がある」
「……おっと、 ご指名かな。悪いけどママの所に行くのは君達みたいだ」
青年の挑発は完全に男達、特にフレイにナンパを仕掛けた男を完全にキレさせた。
「上等だぁぁ、このクソガキぃ!表出ろぉっっ」
「はぁ、全く。馬鹿には力を示さないとダメみたいだね…………STR100と350の戦士ね、そっちの人の方が強いね。でもま、僕の相手じゃない。纏めて相手して上げるよ」
「わぁ、やれやれぇー!」
「ざけんなぁぁっ!!」
ガタイのいい男は遂に表へ出る事無くその場で青年に殴りかかる。
だがそんな拳が見えているのか、青年は軽々とその拳を右手で捕らえると左手で鳩尾に掌底を放って男を昏倒させてしまった。
「ガモイ!……てめぇ。ダチに何してくれてんだ、無事に帰れると思うなよぉぉ!」
「ふぅ、君達が悪いんじゃないか」
サイムと呼ばれていた男は仲間を一瞬でやられた事に青年への怒りを露にした。だが結果は同じ、狭い店内で最短の動きをもってサイムを捌き昏倒させる。
だが真はその動きに何か違和感を感じさせられていた。
格闘技の道を血の滲む訓練で歩んできた真だからこそ解る青年の動きに対する違和感。
どんな違和感かと言えばそう、不思議と青年の動きはぎこちないと言う事であった。
早さと正確さを兼ね備え、かなりの体格差がある男を意図も容易く沈めて見せたのに、その動きは格闘技に通じ慣れていると言った動きではないと戦いに身を置いてきた真だからこそ分かる。
どちらかと言えば格闘技を覚えたての素人同然、それは何も知らない人間が加速システムを使用した様な例えるならそんな動きだったのだ。
「ふう、これで少しは静かになったかな。で、お嬢さん?さっき勇者って言ってたけど僕の事知ってるのかな?」
青年は何事も無かったように軽く手を叩くとフレイへと振り返り微笑みかける。
「…………そこまでする必要はなかっただろ。挑発しなければこんな場でこうなる事もなかった筈だ。ファンデル平野の遺跡で見た気がした、それだけだ。勇者と言ったのは気にしなくていい、お前が勇者ならシンの方がまだ幾分マシだからな」
だがフレイは急に冷めた態度で青年を突き放す様にそう言って退ける。
その際にまた俺に振るのかと青年の視線を受けながら真は内心で溜め息をついたのだった。
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