その科学は魔法をも凌駕する。

神部大

第36話 ハイライト=シグエー




ハイライト=シグエー。
今でこそそう名乗る彼に、少年に、名前等なかった。


ある男の麻袋をたまたま盗んだ事でまさかこんな事態になるとはその時の幼き少年には分かる筈もない。



少年はそのパンパンに膨れ上がった麻袋を腰に提げる男を馬鹿だと思った。
大量の金を入れてそんな所に吊る下げる等、と。


少年の身長から最も盗みやすい位置にある大量の金が入っている筈の麻袋。それをいつも通り素早く盗み取り、知り尽くした街道の物陰まで走る。


対象が追ってこない事を確認し、興奮冷めやらぬと言った気持ちでその異常にも固く縛られた麻袋をやっとの思いで開いた。
だがそこにあったのは期待していた金等ではなく、何かの獣の死骸の様な物だったのだ。


かつて嗅いだ事のない甘い香りを感じながら少年は思わずそれに目を奪われていた。だが内に苦しくなる呼吸、何が起こったのかと頭が混乱して間もなく少年は歪む視界の中意識を無くしていた。





再び意識を取り戻した時、少年はベッドの上にいた。
そして横には麻袋を盗んだ対象である男が何やら疲れた表情で此方を見ている。


その男、よくよく見れば人をその存在だけで恐れさせる事が出来るような顔立ちに、よく鍛えられていると言うのが服の上からでも分かる程の体。


少年は自分がこんな男から物を盗んだのかと改めて危険を認識させられた。
そんな考えに頭を巡らせていると、男は黙って少年に小さな四角い紙の上に乗った白い粉をただ飲めと一言言ってグラスに入った水と一緒に少年へと差し出した。



少年は訳もわから無いその事態を拒否したが、男は少年にお前は死ぬところだったと麻袋の中身を説明して来たのだ。


少年は恐怖した。
獣にはそんな恐ろしい物がいるのだと言う事に、自分が如何に危険だったかを改めて理解させられた。
そう、少年は死にたい訳ではない。生きるために必死だっただけなのだ。
その為に危険を犯してはいたがそれは少年にとって生きる為の必然であり、ましてやその行為事態いけない事だとは微塵にも思っていなかった。


だからこそ、自分が行った行為によって死ぬなどと言う事は幼い少年にとって考えも及ばない物であり、初めて味わう恐怖でもあったのだった。



少年は自分を助けようとしてくれた男の言う事を素直に聞き入れ、白い粉を水と一緒に口内へ流し込んだ。
排尿を多くしろと言われればひたすらに水を飲み続け、ただ死にたくないと言う一心で男の指示に従った。


そんな中、少年の小さな心には一つの思いが形成される。
初めて誰かに命令される、心配される、そんな事が少年にとってはとても不思議でそして嬉しいと言う感情が芽生えていたのだった。





その後少年はその男に付いて回り、男もそれを拒みはしなかった。
そんな男の名はハイライト=ソーサリーと言う。
少年はそんな男の旅に着いて行き、様々な事を学びとった。
獣との戦い方から人間、植物や獣、毒、世界の事と。



少年はいつしか憧れていた、その男、ハイライト=ソーサリーを。名すらも無かった少年にとってはその男が世界の全てだったのだ。













「……ん」


シグエーは一人テーブルに齧り付く男の背中を見詰めながら、その空間にもう一つ用意されていた椅子に座ったまま寝ていた事に気づいた。



「よく寝ていたな……人に頼み事をしておいて眠りこけるとはこの国の国務官はどうなってる」


「いや……ちょっと昔の夢を見てました」



自分とこの男の出会いを夢で見た事を思い出し一人ほくそ笑む。



「……ふん、お前がシグエーの毒を吸ってぶっ倒れた事か?」
「え、まぁ……」


「お前、何やらワシの名を語っているそうじゃないか。折角良い名を授けてやったと言うのに……」



ハイライト=シグエーは過去にこの男からつけられた名前を今も使っている事に不名誉さを感じつつもそれを捨てる気にはならなかった。
シグエー、それはかつて名も無き少年を死なせかけた獣の名前である。
男は半ば嫌がらせにも近い意味で少年をその獣の名を取ってシグエーとそう呼んでいたのだった。


「ハイライトさんの事を世に知らしめようかと……」


「……ふ、冗談言うな。でもまぁ今日は機嫌がいい、このバジリスクの眼球から作れる薬を教えてやってもいいぞ?シグエー」



シグエーはその呼び方に苦笑いしたが、何となく昔に戻った気がして普段の堅苦しい世界を少しばかり忘れた。



ハイライト、シグエーはこの男ハイライト=ソーサリーが自分の存在を世から隠したい事をよく知っていた。
だからこそその名が世に知れ渡らない様に、自らがハイライトと名乗ってその名を馳せようとしていたのだった。


そうする事でハイライトと言えば伝説の薬師ではなく、元A級ギルド員にしてファンデル王都の優秀なギルド官だと世間が認識すると信じて。






そんな時だった。
突如上階から何かの物音と声が聞こえる。


「何だ?」
「……ん、イルネ?」



シグエーはその音に何か嫌な予感を感じ、ソーサリーに自分が見てくると伝え上階へと狭い通路を駆けたのだった。





店のカウンターへ床下から這い上がった時には既にそこに人影はなく、少ないながらも陳列されていた僅かな治療薬が散らばっているだけであった。


何が起こったのか、その事態は少女イルネの姿がそこに無い事から二つに一つ。
シグエーは呆然としながらも内心で久しぶりの不安を感じた。





イルネはこの世界に存在しうる獣族の子供である。


他国へ好意的で移民を多く受け入れるファンデル王国とは違い、リヴィヴァル王国に於いて人間以外の種族と言うのはあまり好意的に見られない。
だが悲しいかな獣族が多く住む里はリヴィヴァル王国管内にあり、王都へ買い出しに出掛けた獣族等はリヴィヴァル王国の住民から酷い扱いを受ける事が多くあった。
当然ながらそんな国から逃げ出そうとする獣族も増えたが、リヴィヴァル王国の人間達はそんな奴隷の様にも扱える獣族を逃がしたくも無かったのだ。


そんな中、一人の獣族の子供がリヴィヴァル王国の人間に捕まりかけていた。
恐らくはその子供から獣族の里の場所を聞き出そうとしたのだろう、それをたまたま止めに入ったのがシグエーとソーサリー。



ソーサリーは種族間差別を嫌い、そんなソーサリーを慕うシグエーもまた同じ考えになっていた。
そんな二人が関したのはリヴィヴァル王国で奴隷商を立ち上げようと企むある集団だったのだ。
シグエーとソーサリー、二人の力はそんな事をもろともせず獣族の子供を救ったが集団は自らの商売を邪魔されたと逆恨みし、二人、否三人を執拗に追い掛ける様になっていた。


集団の数は多く、このままでは埒が明かないと三人はファンデル王国へと身を寄せる事になる。
それがシグエーとソーサリー、そして獣族の少女イルネの出会いである。





それから何年の月日が過ぎただろう、シグエーは今の今まですっかりそんな過去が頭から抜け落ちていたのだ。
何故この国でギルド官になったのか、そんな目的すら今この状況に陥るまで忘れていた。


平和だと思っていた。
だがそれは甘かったのかとシグエーは腹の中に込み上げる黒々しい物を感じ思考を巡らせた。



「まさか……な」



イルネが一人で出掛ける事は最近であればよくある事だ。
王都には同じ様な獣族がいる上、何やらイルネは同じ種族の友達が出来たとも楽しそうに語っていた事があった。


ならば友達とやらの所へ遊びに行ったか、それでもソーサリーに一声掛けて行くはずである。
もしくは友達が遊びに来て、ソーサリーがいる場所を見せない様に黙って出掛けたと言う事もある。


ならば先程の物音とこの散らばった物の説明はどうつけるか。


まさかの事態と何でもない事態、二つに一つでは前者が有力とも思えるこの状況に不安と僅かな焦りを感じながらシグエーは再び急ぎ足で階下へと戻ったのだった。

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