プリンセスセレクションー異世界からやってきたお姫様は王様を目指す

笑顔

32話 親近感

 誰もいない世界で私は独り、そこに立っていた。
 一面に張られた浴槽を前に、思わず息を飲む。微かに香る臭い、湯気を立てるその浴槽へと向けて歩みだす。ペタペタと素足がぬめりを帯びた床石を踏み進めば目的地はもう目の前だ。


「これが、温泉……」


 つま先でお湯を確かめ、熱めの温度を感じとる。しかしここで尻込みをしていても何も始まらない。意を決して足を踏み入れると、ゆっくりと身体を沈めていった。


「ふぅー、生き返りますね〜」


 湯船に張られたいっぱいのお湯に肩まで浸かると少しだけ長い息をつく。広々とした旅館のお風呂はとても広く、足を思いっきり伸ばせるのが懐かしく感じる。
 ワロテリアの浴場はここよりもなお広く、華やかだが私はこちらの方が風情があって好きだ。何より上を見上げれば、綺麗な夜空が見えるというのが素晴らしい。世界鏡から得た知識でこういう形式を露天風呂と呼ぶらしいが、こちらの世界はすごいことを考えるものなんだなーと感心し、上をガラ空きにするような作りにできる治安の良さを少し羨ましく思う。向こうの世界でこんなことをすれば泥棒に根こそぎ持っていかれるし、最悪暗殺者を送り込まれて殺されるかもしれない。だから、向こうの世界で同じ建築様式のものは作れないので、この機会に心ゆくまで楽しんでおこう。


「わぁ、胸ってほんとにお湯に浮くんだ」


「ひゃい?」


 世界の価値観の違いを楽しんでいたところに、突然話しかけられたものだからびっくりした。バシャっとお湯が跳ねる音が響き渡る。


「四葉ちゃんか、もう! 驚かさないでくださいよ」


「ご、ごめんね。驚かすつもりはなかったんだけど……」


 首を回して後ろを見ると四葉ちゃんが申し訳なさそうに覗き込んでいた。
 ふわふわした金色の髪を、タオルで頭の上に括っている少女との出会いはほんの数時間前のこと。船の上から落ちそうになっていたところを助けた由縁あってか、いろいろと便宜を図ってくれる良い人だ。今滞在しているこの旅館も四葉ちゃんのお母さんが手配してくれたものである。ムクロさんはキャンプ場でテントを張るつもりだったらしいのだが、それならばと懇意にしている旅館の部屋を開けてくれたため、好意に甘えてのんびりとした時間を過ごさせてもらっていた。
 四葉ちゃんは私の隣に入り、その華奢な身体がお湯に浸かりきると息をついた。その吐息には一日を戦い抜いた達成感が伴っているように感じてしまうのは、目の前の少女が現在多忙を極めていることを知っているからだろうか。


「今日はなんか色々あって疲れちゃった。海には落ちそうになるし、アリスちゃんは問題起こすし」


「えっとアリスさんはその……」


「アリスちゃんならまだ部屋で反省させられてるからしばらくは来ないと思うよ」


「そうですか」


 そう聞いて少し安心する。彼女は助けられたにも関わらず礼を言うどころか、暴言を吐いたのは忘れもしない。四葉ちゃんや凪さんがとりなしてくれなかったらとても許せなかっただろう。外見は四葉ちゃんと瓜二つなのに、内面は雲泥の差と言わざるを得ないというのが私の個人的な意見だ。


「ごめんね? アリスちゃんいつもは面倒見の良いぐらいなのに、虫の居所でも悪かったのかなぁ?」


 四葉ちゃんは目を伏せて愚痴をこぼす。それにしても……二人はよく似ていた。 


「四葉ちゃんとアリスさんはよく似てますけど、やっぱり双子なんですか?」


 もしもここにアリスさんが居て、四葉ちゃんと隣り合っていればその違いを見分けることが私にできるだろうか? 二人の違いはよくよく見れば目つきによる印象が違うくらいで今みたいに目を瞑られたら多分、分からない。


「あははっ!」


 何気ない質問のつもりだったけど、四葉ちゃんは何故か楽しそうに笑い始めた。


「え? 私なんか可笑しなこといいましたか?」


「ううん、違うの。私達を見た人が、みんな同じこと言うから面白くて」


 くすくすと可愛らしく笑いながら目尻に浮かんだ涙を拭い取っていた。笑ったところを見られたのが恥ずかしかったのか、コホンと咳を払って平静を取り戻す。


「私とアリスちゃんは双子じゃないよ。血も繋がってないしね」


「そうなんですか?」


 双子はともかく、血縁関係にさえないとは意外だ。


「アリスちゃんと初めて会ったのは今から1年くらい前になるかな? アリスちゃんが事務所のオーディションを受けに来て、私は審査員のゲストで呼ばれてたんだけど、最初私のドッペルゲンガーなんじゃないかって思ったの覚えてるなぁ」


 四葉ちゃんは懐かしい思い出を呼び起こすように夜空を見上げる。


「それで結果はどうだったんですか?」


「……そっくりさんなんて、おこがましいよ。アリスちゃんの歌はとても力強くて、気高くて、凛々しくて……太陽みたいに眩しい、私にとって理想そのものだった」


 アリスさんについて語る四葉ちゃんは恋する乙女のように熱っぽい。


「アリスさんはすごいアイドルなんですね」


「うん、私なんかが足元にも及ばないくらいのね」


 溢れ出る敬意を感じ、私にとってのエミィ姉様が、四葉ちゃんにとってはアリスさんなんだと解った。大好きな人を語る四葉ちゃんに対して親近感がぐっと湧いてくる。
 でも、それと同じくらい疑問だった。何で四葉ちゃんはそんな遠い目をするんだろ? 背中を追いかけることさえ出来ない私なんかと違って四葉ちゃんには隣に立つことさえ出来る才能があるはずなのに。


「ふふっ、変なの。こんなこと誰にも話したことないのに、ナニィちゃんってなんか話しやすくて……笑われちゃうかな?」


 しかしそんな疑問は、照れ臭そうにはにかむ笑みの前に霧散することになった。


「笑ったりしないです。私も、すごい姉が居て。エミィ姉様みたいになりたいって思うけど自分なんか全然で、だから誰かに憧れちゃう気持ちってすごく分かるんです。えっと、私は口下手で上手いことなんか何も言えないけど、四葉ちゃんのこと笑ったりなんかしないって約束します」


 誰かに憧れる気持ちに水を差し入れるような真似はしたくない。無遠慮な指摘がどれだけ崇高な気持ちに泥を塗るかを、私はワロテリアで嫌というほど味わってきたんだから。身の程を知れと嘲笑う人間には私は意地でもならない。


「ナニィちゃん……」


 気づかないうちに私たちは手を取り合っていた。
 四葉ちゃんとの間に、共通理解が築けたような気がする。


「うん、決めた。私、やっぱりアリスちゃんに仲直りしてもらいたい!」


「四葉ちゃん?」


 勢いよくお湯から立ち上がると、決意を固めた様な顔をしていた。


「えっと何をするつもりなんですか?」


「全部……私に任せちゃってください」


 ちょっと勢いについていけずに困惑する私に、四葉ちゃんはそう高らかに宣言した。



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