プリンセスセレクションー異世界からやってきたお姫様は王様を目指す
21話 3人目のプリンセス 選定官No.0:道化のジャウィン
うず高く白い布が大量に積載されている一室に一人の子供が膝を抱えて泣いていた。
子ども扱いに耐えかねて病室を逃げ出したマルは以前のかくれんぼで利用したこのリネン室に逃げ込んだのだ。
(どうしてみんな僕のことを子ども扱いするんだよ)
溢れる涙を服で拭う。それでも尽きぬ涙は頬を伝って流れ落ちた。
子供だから、しょうがないなんて言いたくないのだ。自分の手で大好きな人を守りたいだけなのに、自分は守られてばかりで何もできなかった。
何故自分は子供で弱いんだろう。あの時、自分が大人で力を持っていたのなら。
そんなことを考えていると、不意にリネン室の扉が開かれた。
まずい、ナースさんが来たのだろうか?それともお姉ちゃん達が連れ戻しに来たのだろうか?どちらにせよ気まずいことになる。身構えて開かれていく扉に注視する。
「おや? 泣き声が聞こえてたから誰かいるのかと思ったら。こんなに可愛い先客がいたとはね」
はたして入ってきたのはどちらでもなかった。そこには顔に変な模様の化粧を施した女の人が立っていた。その立ち姿はサーカスにいるピエロを連想する控えめにいって奇抜なファッションだ。
「誰お前? ここに何しにきたの?」
「僕かい? 僕の名前はジャウィンさ、ここには知り合いが働いていてね、その縁で病院をうろついていると声が聞こえてきたから気になって見にきたというわけ、君のお名前は?」
「マル。ジャウィンって変な名前だね」
「ははは、よく言われるよ。それに比べて君の名前はいいね。とても可愛らしい響きだ」
「ありがと、でも用事がないなら早く帰ってよ。今は1人でいたいから」
しっしっと手で追い払うが彼女が出ていく気配はない。むしろニコニコしながら近寄ってきて隣に座る始末だ。
「うーん、1人悲しみを抱えて涙する人を放置していけるほど薄情にはなれないよ」
「余計なお世話って知ってる?」
「手厳しいなあ。そんなこと言わないでさ、マル君はどうしてこんなところで泣いてるのか僕に教えてよ?」
もしかしたら何か力になってあげられるかもしれないしね。そう言うジャウィンに対して感謝よりも先に苛立ちが浮かんだ。初対面の人に泣いてるところを見られて気恥ずかしいというのもあったのだろうが、その知った風な喋りにいらいらする。ついさっき会ったばかりの他人だ、一緒に遊んだこともないし、友達じゃない。そんな人間に何を相談すると思うのか。
「僕のお母さん、通り魔におそわれて大怪我しちゃったんだ。その時に僕は見てるだけで何も出来なかったの。ねぇ、僕はどうすればよかったのかな?」
付きまとってくる相手に……あえて自分の心境を、とげを混ぜて教えてやった。子供心にこういう重い話をしてやれば他人というのは愛想笑いを浮かべ、当たり障りない言葉で濁して立ち去っていくことを知っている。これでこいつもどこか他所に行くだろう。
「それってもしかして、一月前に隣町で起こった通り魔事件のことじゃないかな?」
しかしジャウィンのリアクションはマルの予想とは違うものだった。軽薄な態度をやめて、何か考える様にあごに手を当てている。
「え? 知ってるの?」
「うん、たくさんの人が刀みたいな刃物で滅多刺しにされたんだよね。幸いにも死人は出なかったって話だけど多くの人の心に消えない傷を残した事件だったと聞いてるよ」
ジャウィンの嘆かわしいという言葉に、一月前の出来事が思い浮かぶ、闇に包まれた世界で母に刃を突き立てるフードを被った人間が笑うその様を。
「そうだ、あいつが全部悪いんだ、あいつさえいなければ」
「君は犯人を見たのかい?」
「変なフードをかぶってたからハッキリとは見えなかった」
思い出そうとしても何かもやのようなものがかかったように見えない。あの時、道路に転がっていた自分の角度からはフードの中身が見えていてもおかしくなかったのに、不思議と犯人の顔を見ることはできなかったのだ。
「本当かい? 本当は見たんじゃない? そのフードの中の素顔を、ほらよく思い出してみて?」
ジャウィンは首を横に振る僕を執拗に責め立てる。その勢いに気圧されるが、何故だろうか?ジャウィンの声を聞くたびにフードの人物を覆い隠す記憶の中のもやが薄れていくような気がする。
「実はね、僕はその犯人にちょっとだけ心当たりがあるんだ。この前、知り合いに聞いた話なんだけどさ。この病院に斬原ってお医者さんがいるよね? 会ったことあるかな?」
「ある。お母さんの怪我を見てくれる人だ」
目に大きな隈がある人で、お医者さんのくせに患者さんよりも病気してるみたいな女の人。
「実はその人、人を斬ったことがあるとか吹聴してたみたいで、みんなは武勇伝とか冗談みたいに聞き流してるらしいんだけどさ、やっぱり気になるじゃない? 時期的にもしかしたらってさ」
ジャウィンの疑いになるほどと思った。もちろん冗談だったのかもしれない、でも。
『それで思い出したかな? そのフードの中身、誰だった?』
その問いかけを聞いた時、カッと記憶のもやが完全に取り払われる。暗闇が隠していたフードの中に、不健康そうな隈が残った醜悪な笑みを浮かべる斬原の顔がはっきりと残っていた。
「あいつだ! 間違いないよ、僕はなんで今まで気がつかなかったんたろう?」
きっと薄暗い場所とフードで顔を見ていないに違いないって思い込みがあったのだろう。そうだ、そうに違いない。僕は立ち上がってリネン室から飛び出した。
「マルくんどこに行くの?」
「決まってるでしょ、警察につーほうするんだよ」
受付のロビーには公衆電話が置いてある、そこから110番して警察にあの女を逮捕してもらおうとしたが、リネン室から出た直後に、ジャウィンにその手をつかまれる。
「駄目だよ、証拠なんて一つもないんだよ? 子供の戯言だって聞いてもらえないよ」
「じゃあこのまま黙ってろっていうの!?」
あんなひどいことされて、泣き寝入りなんてできない。あいつには報いを受けさせなきゃダメなんだ。
「すごいね、普通の人は目の前の恐怖に心をおられてしまうのに、君は恐れず立ち向かうんだね」
「そうだ、僕は強いんだ、もう子供なんかじゃない、弱くなんかない!」
「……マルくんはさっき、自分はどうしたらいいのかって聞いたよね? 一つだけ方法があるよ」
軽妙な声が1オクターブ下がったような気がした。ジャウィンはその低くなったどんよりと粘りのある声をあげる。
「君が始末をつければいいと思わないかい?」
人の良さそうに見えたジャウィンの顔にある道化のペイントが、気づけば歪んでいた。その口元には三日月を思わせる不気味な笑みが浮かんでいる。
「自分が憎いんでしょう? 無力な自分が、子供でしかない自分が歯痒くて仕方ないんだろう? なら、私が力をあげよう。私が君の仇の居場所を教えてあげる。ね? お母さんに酷いことをした敵を君が倒すんだ。なに、先に攻撃してきたのは向こうなんだ。君には復讐するべき正当な権利がある、彼女には報いを受けるべき背負うべき義務があるんだ! だからマルくんは何も悪くないんだよ」
その呪いとも言える声が耳を通してマルの心にスッと溶けていく。
「そうだあいつだ、あいつが悪いんだ! 全部悪いんだ! 許さない、絶対に許さない!!」
「いいね! その意気だよぉ。そんなマルくんに僕からのささやかな餞別をあげよう」
ジャウィンは懐から一本の銀色の刃物を取り出した。それはマルも見たことのある病院に当然置いてあるべきものだ。
「メスだよ。ここは病院だからねぇ、一本くすねるくらいは訳はないのさ。さぁ、これを彼女の胸に突き立てればいい。お母さんの仇を討ってあげるんだ。これは勇敢な君にしか出来ないことなんだよ」
「うん、僕やるよ。あいつからお母さんを守るんだ」
そうだ。あんなやつにお母さんは渡さない、あんなやつにお母さんの怪我を治すのを任せる訳にはいかない、だからこれはしょうがないことなんだ、これはやらなきゃいけないことなんだ。
「マルちゃん?」
そんな暗い考えに陥っているところに、不意に声がかけられた。
振り返るとそこには、白銀の髪を汗で肌に張り付けたナニィお姉ちゃんが立っている。
その所々で息が切れてる様はきっと病院内を走り回って探してくれたのだということが分かった。
「お姉ちゃん……」
「良かった、探したんですよ? さぁ、しぐれさんのところに帰ろ? しぐれさんに心配させたらだめですよ」
柔らかな笑みを浮かべながら差し出されたその手を思わず取ってしまいたくなる。でも、それはだめだ、今の僕にはやらなきゃいけないことがあるんだから。
「何で刃物持ってるんですか? そんなの持ってたら危ないですよ、ほらこっちに渡して?」
「お姉ちゃん、聞いて? 僕ね、見つけたんだよ! お母さんにひどいことした奴を、しかもそいつ自分はあんなことしておいてお医者さんなんかやってたの。信じられる? だから守らなきゃ、僕がお母さんを守るんだ、この手で、この力で」
「マルちゃん? 一体何を……」
「おっとそこまでだよ。これから勇気を振り絞って母親の仇を討とうとする小さな戦士の邪魔をさせるわけにはいかないからね」
何を言っているのか分からない。そんな様子で首を傾げるナニィお姉ちゃんの行く末をジャウィンが塞いだ。
「さあ、マルくん! 君は先に行ってくれ。ここは僕が食い止めよう。君は地下深くに隠れ潜む悪魔を駆逐するんだ」
「うん、ありがとう。僕、頑張るね!」
そうだ、あのキラキラしたものに惑わされちゃだめだ。あの女をこの手で、このメスで、お母さんにした酷いことをやり返してやらなきゃいけないんだから。
「マルちゃんダメ、行ったらダメです!」
「おっと、君の相手は僕だよ? 無視しないでもらいたいかな?」
僕はナニィお姉ちゃんの声を振り切って階段を下りていく。
地下にいるあのあくまの心ぞうに銀のメスをつき刺すために……
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
走り去っていくマルちゃんを呼び止めても、振り返ってくれることはなかった。本当は今すぐにでも追いかけたいけど、目の前の道化が道を阻む。
「何のつもりですか?」
「またまたぁ、もう想像はついてるんだろ? その白銀の髪に、蒼玉の瞳は確かワロテリアの、えっとどっちの方だったかな?」
私の問いかけに、道化の少女はその化粧に恥じないおどけた仕種で応じる。
やっぱり彼女は女王選抜試練の関係者でしたか。
銀髪蒼眼はワロテリア王家の子女に共通する特徴で、ワロテリアの姫といえばそれは姉様か、ネミィちゃんのどちらかを連想するのは分かる。
しっかりいない子扱いされていることに慣れと諦めを同時に噛み締めながら溜息をついた。
「そのどっちでもない方です。
私はワロテリアの第二王女、ナニィ・ワロー・テール。私の友達をそそのかして何をさせる気ですか? 返答次第じゃあ許しませんよ!」
「……ナニィ・ワロー・テール? 知らない名前だなぁ。てっきり叡智の魔術師か眠り獅子のどっちかかと思って身構えちゃったんだけど」
私の名乗りに道化の少女は聞いたことがなかったようで、首を傾げていた。
「まぁいっか。それにそそのかすとは人聞きが悪いよね、僕はただマル君の背中を押してあげただけだよ? だって僕の使う魔法『扇動する愚者の言霊』はその人間が抱く感情を媒体にする必要があるからね。本人に心にもないことを強要することはできないんだ。つまり、マルくんがこうしているのもマルくん自身の意思に他ならないってわけ、だとするとぉ僕は悪くないのは確定的に明らかだよねぇ?」
ニマニマと責任転嫁する目の前の少女に知らず拳に力が入る。
体内で練り上げ、精製した魔力を右手に集めた。
「マルちゃんの様子がおかしかったのは貴方の魔法のせいだったんですね! 魔法の力でマルちゃんを焚きつけておいて、本人の意思とは聞いて呆れます」
「ふむ、子が親の仇を討とうというのがそんなに可笑しいことかな? 僕の目には正当な復讐を邪魔する君の方がよっぽど奇異に見えるけど?」
「候補者は候補者同士で雌雄を決するべきです。こっちの世界の人を巻き込むやり方はやめてください」
「そんなこと僕に言われてもなあ、別にこっちの世界で女王選抜試練をやるって決めたのは僕って訳じゃないし、例えば課題で現地の人の協力が必要な条件が課されたらどうするの? 何もせず脱落してあげるの? それは何か違うよねぇ、そこまでいくとゲームとして成立してない」
現地の人間に迷惑がかかるのはあくまでゲームの大前提とされていることを強調する道化の少女。
「それに君の傍にいた少年もちょっと面白いことになってるみたいだよ。彼も君に関わりさえしなければこんなことにはならなかったのにね? ほら、そう考えると君だってしっかりこっちの世界の人間を巻き込んでるじゃん。彼に迷惑をかけて悪いと思わないの?そんな君にとやかく言われる筋合いはないよね? それともなにかな、自分は良くて他人は駄目って話なのかな? 僕は子供の屁理屈に付き合ってあげるほど優しくないよ?」
「彼? ……まさか!? ムクロさんに何かしたんですか!?」
「あはっ、アーハハハハッ!! 結論から言うと大正解っ! 君の協力者は、僕の協力者によって眠らされて地下室に連れて行かれたよ。子宮で物を考えてそうな顔してる癖に、意外と鋭いところもあるじゃん、褒めてあげるよ」
「っ! 貴方を倒してマルちゃんを追う理由が一つ増えました。そこをどいて下さい!」
「うん、いいよ」
私が気迫を込めて叫ぶと、拍子抜けするように道を開けた。
「……本当に何のつもりなんですか貴方は? 人のことをおちょくって楽しいですか?」
「やだなあ、そんなに怒らないでしょ。そもそも先にどけって言ったのは君でしょ? それにほら、誰だって自分の好きな人のために力を貸してあげたいって気持ちも分かるもん。だ~か~ら~さぁ~」
道化の少女がパンパンと手を鳴らすと、ぞろぞろと白衣に身を包んだ女性が出てくる。それは病院の中で何度か見かけた顔だ、それもそのはず彼女達は病院で働いているナースさん達だ。しかしその目には正気の光が失われ、とても虚ろだ。
「同僚のために力になりたいって彼女たちの意志も汲んであげなきゃだよねぇ?」
道化の少女が手を広げて、ナースさんを指し示す。
「これは? みんな操られてるんですか!?」
「ふふっ、君程度の雑魚の相手をしてあげるほど、僕も暇じゃないからね。君の相手は彼女達にお願いするよ」
彼女達は鉄の棒みたいな鈍器の他にメスや注射器を構えてこちらを見ていた。
「僕は選定官No.0:道化のジャウィン。さぁ! 楽しいゲームにしようか? もちろん僕と遊んでくれるよね? ナニィ・ワロー・テール!!」
主から発せられたゲームスタートの合図に、周囲を取り囲んでいたナースさん達が襲い掛かってくる。今、私にとっての……女王選抜試練の2戦目が幕を切って落とされた。
子ども扱いに耐えかねて病室を逃げ出したマルは以前のかくれんぼで利用したこのリネン室に逃げ込んだのだ。
(どうしてみんな僕のことを子ども扱いするんだよ)
溢れる涙を服で拭う。それでも尽きぬ涙は頬を伝って流れ落ちた。
子供だから、しょうがないなんて言いたくないのだ。自分の手で大好きな人を守りたいだけなのに、自分は守られてばかりで何もできなかった。
何故自分は子供で弱いんだろう。あの時、自分が大人で力を持っていたのなら。
そんなことを考えていると、不意にリネン室の扉が開かれた。
まずい、ナースさんが来たのだろうか?それともお姉ちゃん達が連れ戻しに来たのだろうか?どちらにせよ気まずいことになる。身構えて開かれていく扉に注視する。
「おや? 泣き声が聞こえてたから誰かいるのかと思ったら。こんなに可愛い先客がいたとはね」
はたして入ってきたのはどちらでもなかった。そこには顔に変な模様の化粧を施した女の人が立っていた。その立ち姿はサーカスにいるピエロを連想する控えめにいって奇抜なファッションだ。
「誰お前? ここに何しにきたの?」
「僕かい? 僕の名前はジャウィンさ、ここには知り合いが働いていてね、その縁で病院をうろついていると声が聞こえてきたから気になって見にきたというわけ、君のお名前は?」
「マル。ジャウィンって変な名前だね」
「ははは、よく言われるよ。それに比べて君の名前はいいね。とても可愛らしい響きだ」
「ありがと、でも用事がないなら早く帰ってよ。今は1人でいたいから」
しっしっと手で追い払うが彼女が出ていく気配はない。むしろニコニコしながら近寄ってきて隣に座る始末だ。
「うーん、1人悲しみを抱えて涙する人を放置していけるほど薄情にはなれないよ」
「余計なお世話って知ってる?」
「手厳しいなあ。そんなこと言わないでさ、マル君はどうしてこんなところで泣いてるのか僕に教えてよ?」
もしかしたら何か力になってあげられるかもしれないしね。そう言うジャウィンに対して感謝よりも先に苛立ちが浮かんだ。初対面の人に泣いてるところを見られて気恥ずかしいというのもあったのだろうが、その知った風な喋りにいらいらする。ついさっき会ったばかりの他人だ、一緒に遊んだこともないし、友達じゃない。そんな人間に何を相談すると思うのか。
「僕のお母さん、通り魔におそわれて大怪我しちゃったんだ。その時に僕は見てるだけで何も出来なかったの。ねぇ、僕はどうすればよかったのかな?」
付きまとってくる相手に……あえて自分の心境を、とげを混ぜて教えてやった。子供心にこういう重い話をしてやれば他人というのは愛想笑いを浮かべ、当たり障りない言葉で濁して立ち去っていくことを知っている。これでこいつもどこか他所に行くだろう。
「それってもしかして、一月前に隣町で起こった通り魔事件のことじゃないかな?」
しかしジャウィンのリアクションはマルの予想とは違うものだった。軽薄な態度をやめて、何か考える様にあごに手を当てている。
「え? 知ってるの?」
「うん、たくさんの人が刀みたいな刃物で滅多刺しにされたんだよね。幸いにも死人は出なかったって話だけど多くの人の心に消えない傷を残した事件だったと聞いてるよ」
ジャウィンの嘆かわしいという言葉に、一月前の出来事が思い浮かぶ、闇に包まれた世界で母に刃を突き立てるフードを被った人間が笑うその様を。
「そうだ、あいつが全部悪いんだ、あいつさえいなければ」
「君は犯人を見たのかい?」
「変なフードをかぶってたからハッキリとは見えなかった」
思い出そうとしても何かもやのようなものがかかったように見えない。あの時、道路に転がっていた自分の角度からはフードの中身が見えていてもおかしくなかったのに、不思議と犯人の顔を見ることはできなかったのだ。
「本当かい? 本当は見たんじゃない? そのフードの中の素顔を、ほらよく思い出してみて?」
ジャウィンは首を横に振る僕を執拗に責め立てる。その勢いに気圧されるが、何故だろうか?ジャウィンの声を聞くたびにフードの人物を覆い隠す記憶の中のもやが薄れていくような気がする。
「実はね、僕はその犯人にちょっとだけ心当たりがあるんだ。この前、知り合いに聞いた話なんだけどさ。この病院に斬原ってお医者さんがいるよね? 会ったことあるかな?」
「ある。お母さんの怪我を見てくれる人だ」
目に大きな隈がある人で、お医者さんのくせに患者さんよりも病気してるみたいな女の人。
「実はその人、人を斬ったことがあるとか吹聴してたみたいで、みんなは武勇伝とか冗談みたいに聞き流してるらしいんだけどさ、やっぱり気になるじゃない? 時期的にもしかしたらってさ」
ジャウィンの疑いになるほどと思った。もちろん冗談だったのかもしれない、でも。
『それで思い出したかな? そのフードの中身、誰だった?』
その問いかけを聞いた時、カッと記憶のもやが完全に取り払われる。暗闇が隠していたフードの中に、不健康そうな隈が残った醜悪な笑みを浮かべる斬原の顔がはっきりと残っていた。
「あいつだ! 間違いないよ、僕はなんで今まで気がつかなかったんたろう?」
きっと薄暗い場所とフードで顔を見ていないに違いないって思い込みがあったのだろう。そうだ、そうに違いない。僕は立ち上がってリネン室から飛び出した。
「マルくんどこに行くの?」
「決まってるでしょ、警察につーほうするんだよ」
受付のロビーには公衆電話が置いてある、そこから110番して警察にあの女を逮捕してもらおうとしたが、リネン室から出た直後に、ジャウィンにその手をつかまれる。
「駄目だよ、証拠なんて一つもないんだよ? 子供の戯言だって聞いてもらえないよ」
「じゃあこのまま黙ってろっていうの!?」
あんなひどいことされて、泣き寝入りなんてできない。あいつには報いを受けさせなきゃダメなんだ。
「すごいね、普通の人は目の前の恐怖に心をおられてしまうのに、君は恐れず立ち向かうんだね」
「そうだ、僕は強いんだ、もう子供なんかじゃない、弱くなんかない!」
「……マルくんはさっき、自分はどうしたらいいのかって聞いたよね? 一つだけ方法があるよ」
軽妙な声が1オクターブ下がったような気がした。ジャウィンはその低くなったどんよりと粘りのある声をあげる。
「君が始末をつければいいと思わないかい?」
人の良さそうに見えたジャウィンの顔にある道化のペイントが、気づけば歪んでいた。その口元には三日月を思わせる不気味な笑みが浮かんでいる。
「自分が憎いんでしょう? 無力な自分が、子供でしかない自分が歯痒くて仕方ないんだろう? なら、私が力をあげよう。私が君の仇の居場所を教えてあげる。ね? お母さんに酷いことをした敵を君が倒すんだ。なに、先に攻撃してきたのは向こうなんだ。君には復讐するべき正当な権利がある、彼女には報いを受けるべき背負うべき義務があるんだ! だからマルくんは何も悪くないんだよ」
その呪いとも言える声が耳を通してマルの心にスッと溶けていく。
「そうだあいつだ、あいつが悪いんだ! 全部悪いんだ! 許さない、絶対に許さない!!」
「いいね! その意気だよぉ。そんなマルくんに僕からのささやかな餞別をあげよう」
ジャウィンは懐から一本の銀色の刃物を取り出した。それはマルも見たことのある病院に当然置いてあるべきものだ。
「メスだよ。ここは病院だからねぇ、一本くすねるくらいは訳はないのさ。さぁ、これを彼女の胸に突き立てればいい。お母さんの仇を討ってあげるんだ。これは勇敢な君にしか出来ないことなんだよ」
「うん、僕やるよ。あいつからお母さんを守るんだ」
そうだ。あんなやつにお母さんは渡さない、あんなやつにお母さんの怪我を治すのを任せる訳にはいかない、だからこれはしょうがないことなんだ、これはやらなきゃいけないことなんだ。
「マルちゃん?」
そんな暗い考えに陥っているところに、不意に声がかけられた。
振り返るとそこには、白銀の髪を汗で肌に張り付けたナニィお姉ちゃんが立っている。
その所々で息が切れてる様はきっと病院内を走り回って探してくれたのだということが分かった。
「お姉ちゃん……」
「良かった、探したんですよ? さぁ、しぐれさんのところに帰ろ? しぐれさんに心配させたらだめですよ」
柔らかな笑みを浮かべながら差し出されたその手を思わず取ってしまいたくなる。でも、それはだめだ、今の僕にはやらなきゃいけないことがあるんだから。
「何で刃物持ってるんですか? そんなの持ってたら危ないですよ、ほらこっちに渡して?」
「お姉ちゃん、聞いて? 僕ね、見つけたんだよ! お母さんにひどいことした奴を、しかもそいつ自分はあんなことしておいてお医者さんなんかやってたの。信じられる? だから守らなきゃ、僕がお母さんを守るんだ、この手で、この力で」
「マルちゃん? 一体何を……」
「おっとそこまでだよ。これから勇気を振り絞って母親の仇を討とうとする小さな戦士の邪魔をさせるわけにはいかないからね」
何を言っているのか分からない。そんな様子で首を傾げるナニィお姉ちゃんの行く末をジャウィンが塞いだ。
「さあ、マルくん! 君は先に行ってくれ。ここは僕が食い止めよう。君は地下深くに隠れ潜む悪魔を駆逐するんだ」
「うん、ありがとう。僕、頑張るね!」
そうだ、あのキラキラしたものに惑わされちゃだめだ。あの女をこの手で、このメスで、お母さんにした酷いことをやり返してやらなきゃいけないんだから。
「マルちゃんダメ、行ったらダメです!」
「おっと、君の相手は僕だよ? 無視しないでもらいたいかな?」
僕はナニィお姉ちゃんの声を振り切って階段を下りていく。
地下にいるあのあくまの心ぞうに銀のメスをつき刺すために……
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
走り去っていくマルちゃんを呼び止めても、振り返ってくれることはなかった。本当は今すぐにでも追いかけたいけど、目の前の道化が道を阻む。
「何のつもりですか?」
「またまたぁ、もう想像はついてるんだろ? その白銀の髪に、蒼玉の瞳は確かワロテリアの、えっとどっちの方だったかな?」
私の問いかけに、道化の少女はその化粧に恥じないおどけた仕種で応じる。
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ニマニマと責任転嫁する目の前の少女に知らず拳に力が入る。
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「ふむ、子が親の仇を討とうというのがそんなに可笑しいことかな? 僕の目には正当な復讐を邪魔する君の方がよっぽど奇異に見えるけど?」
「候補者は候補者同士で雌雄を決するべきです。こっちの世界の人を巻き込むやり方はやめてください」
「そんなこと僕に言われてもなあ、別にこっちの世界で女王選抜試練をやるって決めたのは僕って訳じゃないし、例えば課題で現地の人の協力が必要な条件が課されたらどうするの? 何もせず脱落してあげるの? それは何か違うよねぇ、そこまでいくとゲームとして成立してない」
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「それに君の傍にいた少年もちょっと面白いことになってるみたいだよ。彼も君に関わりさえしなければこんなことにはならなかったのにね? ほら、そう考えると君だってしっかりこっちの世界の人間を巻き込んでるじゃん。彼に迷惑をかけて悪いと思わないの?そんな君にとやかく言われる筋合いはないよね? それともなにかな、自分は良くて他人は駄目って話なのかな? 僕は子供の屁理屈に付き合ってあげるほど優しくないよ?」
「彼? ……まさか!? ムクロさんに何かしたんですか!?」
「あはっ、アーハハハハッ!! 結論から言うと大正解っ! 君の協力者は、僕の協力者によって眠らされて地下室に連れて行かれたよ。子宮で物を考えてそうな顔してる癖に、意外と鋭いところもあるじゃん、褒めてあげるよ」
「っ! 貴方を倒してマルちゃんを追う理由が一つ増えました。そこをどいて下さい!」
「うん、いいよ」
私が気迫を込めて叫ぶと、拍子抜けするように道を開けた。
「……本当に何のつもりなんですか貴方は? 人のことをおちょくって楽しいですか?」
「やだなあ、そんなに怒らないでしょ。そもそも先にどけって言ったのは君でしょ? それにほら、誰だって自分の好きな人のために力を貸してあげたいって気持ちも分かるもん。だ~か~ら~さぁ~」
道化の少女がパンパンと手を鳴らすと、ぞろぞろと白衣に身を包んだ女性が出てくる。それは病院の中で何度か見かけた顔だ、それもそのはず彼女達は病院で働いているナースさん達だ。しかしその目には正気の光が失われ、とても虚ろだ。
「同僚のために力になりたいって彼女たちの意志も汲んであげなきゃだよねぇ?」
道化の少女が手を広げて、ナースさんを指し示す。
「これは? みんな操られてるんですか!?」
「ふふっ、君程度の雑魚の相手をしてあげるほど、僕も暇じゃないからね。君の相手は彼女達にお願いするよ」
彼女達は鉄の棒みたいな鈍器の他にメスや注射器を構えてこちらを見ていた。
「僕は選定官No.0:道化のジャウィン。さぁ! 楽しいゲームにしようか? もちろん僕と遊んでくれるよね? ナニィ・ワロー・テール!!」
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