プリンセスセレクションー異世界からやってきたお姫様は王様を目指す

笑顔

19話 闇への勧誘

 月が青みのかかった空のキャンパスに浮かびあがり、星々はそれを飾るように輝いていた。
 光が優しく降り注ぐ地上に、捻くれたように浮かび上がる影がそこにいる。


 その影は願いを叶えてあげると言いながら近寄ってきたのだ。


 控えめに言って、相当怪しい。
 その影は少女の姿をしており、赤帽子を目深に被っていてその奥に紅の瞳が輝いている。
 道化のような化粧を可愛らしい小顔に施した少女はその華奢で小柄な身体を、赤と黄色を基本とした衣装に身を包んでいて抱き締めれば折れてしまいそうに儚い印象を受けた。
 しかし力弱そうな少女から漏れ出す気配は得体のしれない禍々しいオーラのような物を感じる。


 仕事終わり、望まぬ仕事で心身ともに疲れ果てた状態で出会うには少々気が重そうだ。
 目の前の少女に知らず警戒度を高め、身体が強張るのを感じた。


「あれぇ? ノーリアクション? おっかしいなぁ、てんぷれによると人間って生き物は、願い事が叶うってそそのかせば言うこと聞いてくれるって書いてあるんだけどなあ?」


 逃げ出すか通報するか、検討する私に対して少女は小首を傾げていた。
 少女は手に持っていた文庫本を投げ捨てると、ニコニコ笑いながら近寄ってくる。


「なに? 貴方、宗教の勧誘なら他所を当たってくださる? 生憎と私は無信教なの」


 神様なんて物があるなら、私がこんな辛い思いをする道理なんてない。
 私は信じない、そんなものは私を救いはしない。
 冷たく突き放す私の顔をじーっと見つめてくる少女、その透き通る琥珀色の瞳を見ていると何もかもを見透かされる気がして思わず目を逸らしてしまう。
 だが、私のささやかな抵抗は今にして思い返せば、あまりにも遅すぎた。


「神様がいるなら誰も苦労してませんって顔してるね」


 少女に胸中を当てられ、ざわりと身体が揺れる。


「……あら? マインドリーディングってやつかしら? そういうので信用を稼いでから、勧誘するのがあんた達詐欺師の常套手段なんでしょ? でも残念だったわね。私にそんな子供騙しは通用しないわよ」


 動揺を悟られまいとするが、目の前の少女に対して効果があるかは疑問だった。


「うーん、そんなちゃちな代物と同一視されるのは心外なんだけどね。まあいいや、僕はどっかの教祖って訳じゃないし、神様なんてご大層なものじゃない。強いて言うのなら、夢見るお姫様ってところかな」


 若干呆れ混じりに呟きながら少女は笑う。


「お姫様も充分ご大層なものだと思うけど?」


「生まれた場所がちょっと高貴なところだったからって与えられた称号が大層なもんか。いいかい? 人から崇められるべき存在っていうのはね、勇敢で知性に溢れ、何よりも華がなければならない。みんな言うだろ? 可愛いはジャスティスだってね」


 道化の衣装が与える印象を裏切らず、おどけた様にケタケタ笑う少女に眉をひそめる。
 桃色の髪をくるくると回して弄りながら道化の少女は唇を三日月に歪めた。


「でね、もうすぐその華をみんなで選ぶ品評会みたいなのがあるんだけどさぁ〜。ぶっちゃけ、僕らって価値観とか共有できないじゃん? みんなが綺麗だと思う華が、僕にとってはゴミかもしれないよね? そういうの困るんだよね〜。だーかーらー、僕にとっての世界に一つだけの花ってやつを選ぶための下ごしらえをしておきたいんだよ。で、その下ごしらえをするために現地の協力者として君に白羽の矢が立ったというわけなのです。ドゥユーアンダスタン?」


「……下ごしらえ? なにをする気なの?」


「やって貰いたいことはいっぱいあるんだけどぉ、とりま、適当に通行人でも襲って貰おうかな。本番が始まったら騒がしくなっちゃうから耐性つけておいてあげなきゃだし」


「お話にならないわね。私がそんな犯罪行為に走ると思ってるのかしら?」


 日々の暮らしに不満はある、生きていく未来にやるせなさはある。でも初めて出会った見知らぬ少女のために全てを投げ捨てる道理はない。意味不明な少女を置き去りにして立ち去ろうとして、不意に視界が反転した。


「痛っ、ゴホッ!?」


 背中に激痛が走る。痛みでチカチカする目を見開けば満月が私を見下ろしていた。


「ちょっ、やめ!?」


 地面に寝かされて抗議の声をあげる、しかし少女は耳を貸さずに、虚空から長い刀を引き抜いていた。その白刃の美しさに恐怖で身がすくむ。そんな私を見下ろす少女は酷薄な笑みを浮かべ……何故か自身の左腕を切り裂いた。
 一体何をしているのか?呆然とする私を赤い雨が濡らしていく。


「ちょっ、あんた何やって?」


 少女は刀を地面に突き刺して狼狽する私の胸倉を掴みあげる。


「なぁにカマトトぶってんだよ? もっと自分に正直になれよ! 本当は斬りたくてしょうがないんだろぉ? 柔らかい人肌に硬いもの突き刺したいんだろ? その血が本当に赤色なのか確かめたくてしょうがないんだろ?」


 道化の化粧が醜く歪み、叫ぶ。おびただしい熱量を伴ったそれは真っ直ぐに私の心を捉え、常識や倫理観、良心といったものを虚しく溶かしていく。目の前の少女の言葉が何よりも正しいものに思えてしまう。


「君はただ、僕に踊らされて仕方なくやるだけなんだ……安心してくれていいよ! そのための力も後始末も全部僕がやってあげるから」


 はむと私の耳を甘噛みしながら、子供が親におねだりするように少女は呟いた。


「ねぇ? 僕のお願い、聞いてくれるよね?」


甘くとろけるような声が鼓膜を揺らして、私は熱に犯されたように頷くより他になかった。



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