その日、僕は初めて自分を知りました。

椎名蒼

赤紙編⑤

その病院は相変わらず陰気な空気を放っていた。




建物がかなり古いため、余計にそう感じたのかもしれない。ここは外との繋がりが完全に絶たれたまるで牢獄のような病棟だった。壁に寄りかかって空中の何かを見つめる少年、人形に話しかける老婆、泣きわめく女性、奇声を発する患者たち。それらを目にしながら、僕は薄暗いナトリウム灯が照らす仄暗い廊下を木村がいる病室へと歩を進めた。入り口から案内してくれている木村ん家のおばさんを見たときは、言葉が出なかった。顔色が悪く、痩せこけていて、生気が全く感じられなかった。明るく、活発でパワフルだったあの頃のおばさんと同じ人だとは到底思えなかった。僕はそんな木村のおばさんの変わり果てた背中を追うようにして進んだ。


面会許可が下りたのは単に木村と親密な立場にいた僕だったからなのか、それとも、いじめを受けていた木村に救いの手を差し出せなかった僕に自分の息子の変わり果てた姿を見てもらいたかったのか、おばさんの真理はわからなかった。ただ、どんな理由であれ、僕は木村に合わす顔なんてなかった。おばさんは細々となってしまった足をやっとの思いで動かしながらしばらく進むとピタリと立ち止まり、その部屋のドアを軽くノックした。


「孝文?赤宮君がきてくれたわよ」


中から返答はなかった。おばさんはドアを開けると、どうぞ入ってと僕に手で合図した。僕は一礼すると、木村の病室に入った。ドアを跨ぐと、そこは殺風景な部屋だった。あるのはベッドとテレビぐらいなものだった。窓が無く、空気が湿っていてとても暗かった。


....木村?


ベッドのシーツはくしゃくしゃによれていた。木村はそのベッドの上に蹲って座っていた。顔が窺えなくらい頭をだらんと下へ倒している。その体はおばさんと同様、痩せこけていて、髪がボサボサに立っていた。部屋に入ってきた僕に木村が気づいているのか気づいていないのかそれさえわからなかった。外の世界の音も、廊下にいる人々の声も固く閉ざされたこの病室には聞こえてこなかった。僕は耳をそばだてると、木村が何かぶつぶつと囁いているのが聞き取れた。それがとても低く、掠れているのがわかった。


「......木村?......」僕は目の前にいる変わり果てた親友でありクラスメイトである木村にそっと話しかけた。木村はその声に反応した。こんな時でも僕は内心期待していた。「なんちゃってな」と僕をからかってくるいつもの木村を。「俺はもう大丈夫!」と笑ってくれる木村の笑顔を......
しかし、現実は違った。木村は項垂れていた顔をそっと上げ、僕を見上げた。目はうつろで血の気がなかった。木村は僕の姿を確認するとまた顔をだらんと倒した。


「......」
僕はかける言葉がなかった。どうすることもできないでいた。すると、木村はベッドの上で激しく身を震わせた。それはまるで痙攣しているかのようだった。


「孝文?!」
「ゔぁぁぁぁぁあああああ!!」


おばさんは木村のもとに駆け寄った。木村は、しわくちゃになったベッド上で奇声を発しながら暴れまわった。それはただをこねるときの子供のように、あるいは寝っ転がりながら1人で戯れる猿のようだった。そんな木村の姿を僕はただ呆然と見ることしかできなかった。


「今日は帰って!」


おばさんは僕の方を向くとそういった。僕は絶望と悲しみを胸に残しつつ、病室のドアを開け、病室を出たのだった。






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春休みが開け、校庭には満開の桜が咲いていた。


その日は僕の、人生の中の旅立ちの日であり、人生最大の後悔をした。


その日、入学式当日。僕の前にはつい数週間前までの学年の雰囲気がなかった。
なぜ?入学式だから?中学の制服で大人っぽくなったから?


違う。みんなが以前より暗く見え、以前より無口になり、怯えていた。


その理由は、僕にはわかっていた。それは、あの男の存在がその場にあったからだ。小学校時代、僅か8回しか学校に現れたことのない、顔立ちが凶暴で、不敵な笑みをし、両頬に刺青をしたヤクザの息子。大内友永がいたからだ。


これが、悲劇の始まりであり、後の最悪な事件への序章であったのだ。













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