その日、僕は初めて自分を知りました。

椎名蒼

赤紙編③

春間先生の笑顔は綺麗だった。
校内で一番美人で、優しくて、しかし時には厳しく叱りつけ......思いやりがあって上品な僕の担任は理解準備室の窓から雲行きが怪しくなってきた外を見つめている。


僕はそんな春間先生の後ろに座りながら中谷と一緒に持つペンを走らせ、手渡された数学のプリントを解いていた。


スラスラと解き続ける中谷とは裏腹に文系な僕はさっきからペンというよりも消しゴムと頭をポリポリかく手が止まらない。貧乏ゆすりをしたり止めたり、後ろの壁に寄りかかったりを繰り返した。


春間先生はそんな僕たちをにこりと見て向かいの椅子にゆっくりと腰をかけた。


「中谷君、鼻血は?」


「あ、もう平気です。」


そう短く答えた中谷に笑みを向け、今度は僕の方へ向いた。僕はドキッと固まりちらっと春間先生の顔を窺った。そしてまたドキッとなって手が汗ばんで手を止めてしまった。


何緊張してるんだろう僕......。


「でもびっくりしたな。あんなに勉強嫌いな赤宮君が私に数学教えてくださいなんて。どうしたの?なんかあったの?」


「先生。俺は勉強できないわけじゃなくて集中できないだけ!」


「はいはい。そうだったわね」


僕はなぜか緊張で汗ばんだ手を再び走らせた。それと同時に隣の中谷の出来た!という声に思わず反応した。


「中谷君本当に数学得意なんだね。赤宮君はまだ問2ですか。」


春間先生は柔らかい微笑みを浮かべた。


「う、うるさいやい!いいなぁ、中谷はよぉ、俺にも脳みそ半分分けてくれよ〜」


「えへへ。赤宮はいいじゃねぇか。文系得意なんだからよ。俺英語とかチンプンカンプンだもん」


「英語なんて文法覚えればできますよ中谷君」


「そんなこと言ったら数学は公式覚えればできますやーい」


「はいはい、2人とも威張らない。そして赤宮君は早く解く!」


「へいへーい」


僕も中谷も春間先生も笑った。僕はまた問題を解き始めた。そんな僕らを見つめてから、春間先生は椅子から立ち上がり、「ちょっとトイレ行ってくる」と化粧袋を手に取った。


「え、何?先生化粧してんの?そんなに美人なのにさらに美人にするの?」


「先生だって化粧くらいするわよ。ちょっと直してくるだけ。」




春間先生はそう言うと理科準備室を出て行った。


僕らはそれを見届けると、はぁー、と大きくため息をついた。中谷は自分の鼻に手をやると、いてて......と痛みを露骨に訴えた。


「鼻、大丈夫か?」


「うん」


そうは答えたものの中谷の顔は言葉とは裏腹にとても辛そうだった。骨は折れていなかったものの、とても強くめり込んだには違いがなかった。


それに次は折られるかもしれない。大内は何をしてくるかわからない。だから未然に防ぎようもなかった。


「お前が今日、春間先生を教室に呼んでくれたのか?」


中谷は痛みを顔で表しながら僕にそう問った。


「ああ。今日は早めにきてくれって言っておいたんだ。」


「ありがとな」


「礼なんて言うなよ」


「......」


「お前は何も悪くない。俺は友達として当たり前のことをしてるだけだから。こんなことしかできないけど、大内も結構気まぐれなやつだからころっといじめ止めちまうかもしれないしさ。俺、昔嫌がらせされてたからわかるし。だから、それまで何とか頑張ろう。」


僕は一生懸命中谷を励ました。中谷はそう続ける僕から一旦目をそらし深いため息を吐いて壁に凭れた。


「もし、今先生に言ったら、俺たちどうなるかな......先生は大内のことも赤紙のことも知らないんだよな?」


破れた赤紙を見つめながら中谷は僕に言った。


「俺たちは春間先生に本当のことなんか言えないのかもしれない。もしここで先生に話しても赤紙によるいじめはこれからも絶えないと思う。それに何より大内が逆上して大内の周りの奴らやバックに連れてるヤンキーたちが出てくるかもしれない。でもこのままじゃいけない。だから、それを2人で考えよう。」


「うん」


僕は再びペンを走らせた。


「なあ、赤宮」


「ん?」


「ありがとな。」


「だからいいって。」


僕は窓を覗いた。少し、雨が降ってきたようだった。



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