碧き舞い花

御島いる

523:他の誰でもなく

 揺れと揺れとの間隔が狭まっていくグゥエンダヴィード。
 決着を見ない渡界人二人と赤褐色の大男の戦いは次第に障壁の中の、特にナパスの民たちを不安にさせていった。
 ユフォンをはじめ、イソラやルピ、それからキノセやヅォイァまでもがナパスの民たちに声をかけて回り勇気を与えていた。
 この状況で自分がそれができていないことに、セラはもどかしさを感じる。その役割は誰よりも自分にあるはずなのにと。
 やはり神の力に対抗するには、目覚めさせないといけない。普段は扱えない技術でさえ可能にする、いにしえを。
 セラはズィーにガフドロを任せて戦線から退いた。障壁を背に記憶の羅針盤の隣、真っ青な石に手をかける。
 フェースとの戦いでは踏みとどまったが、ここでは、ここでこそあの力が必要だった。
 ――あの力。
 セラはふと没頭の護り石から手を放す。
『そのヴェール……マスターを感じるぞ』
『神の力まで読めるのは、やはりマスターの血か』
 マスター。
 ヴェイル・レイ=インフィ・ガゾン。
 あの力に頼るということは、敵が崇めるヴェィルの血に頼るということなのではないのか……。
「セラ! どうした!」
 ガフドロの相手をするズィーが叫ぶ。
「セラ?」
 壁の中のユフォンも訝しむ。
「ねぇ、あなた」
「はい?」
 壁の中で女性がユフォンに声をかけたのがセラの耳に届いた。
「あのセラという人は……本当に、セラフィ様なんですか? レオファーブ様の娘さんの」
スィアはい
 ユフォンが淀むことなくナパス語で答えた。
「彼女はセラフィ。セラフィ・ヴィザ・ジルェアス。『碧き舞い花』。僕たちの、碧き希望です!」
 ふっと笑った息があってからユフォンは続けた。
「他の誰でもなくね、ははっ!」
 ちなみにとユフォンはズィーについても口にしていたが、セラの耳にはぼんやりとしか入ってこなかった。
 彼女の頭の中にはユフォンの言葉が響いていた。
 他の誰でもない。
 セラなのだ。
 わたしは。
 わたしはわたしなんだ。
 この身体にどんな血が流れていようとも、それはわたしの血だ。
 急激な平坦が彼女の感情に訪れた。
 思考として復讐はある。民や仲間を守るということも頭にある。
 それでもどこか他人事のように、自分をもう一人の自分が俯瞰している感覚。
 あの時と同じ。
 目覚めた。
 こうも簡単になってしまうものかと思えるほどに、あっけなく。
 目覚めた!


 碧きヴェールが一度大きく辺りに広まって、それから彼女の元へ纏わり戻った。
「ズィー、下がって。わたし一人でいい。みんなをお願い」
「は? いやなに言って……セラ?……っ?」
 ズィーは碧き花を散らしてガフドロの前からセラの横へ跳んだ。セラが触れずに跳ばした。できる、そう思ったままに。
「お願いね」
 呆気にとられるズィーを置いて、セラはゆっくりとガフドロに向かって歩き出す。途中、彼女が軽く後方へと腕を振ると、ユフォンたちやナパスの民を閉じ込めていた障壁はちらちらと消滅していった。
「!?」ガフドロがわずかに目を瞠った。「この状況で古の遺伝子を覚醒させた……さすがはマスターの血と言わざる負えないな」
 ガフドロがセラの向かう先から姿と気配を消した。神の移動だ。
「だが、逃がさない。皆殺しにすれば済むはな……っ!?」
 セラには行先がはっきりとわかっていた。ナパードで先回りすると、ナパスの民たちに囲まれる場所で、ガフドロの手首を掴み、抑えた。
「……」
 セラの拘束から逃れようとガフドロが力を籠めるが、動かない。
 セラは一番近くにいたイソラに静かに言った。
「イソラ。みんなを」
「う……うん」
 目が見えていなくとも、感覚の鋭いイソラはセラの雰囲気が違うことを明らかに察知していた。神妙に頷く。
「みんな! 今のうちにこの世界を出るよ!」
 イソラの声で、評議会の面々とナパスの民たちはようやく動き出す。ルピが鍵を使い、塔の上まで通じる扉を開けた。
 評議会の戦士に支えられたり、互いに支え合ったり。ナパスの民たちが移動をはじめた。
「させるかっ」
 ガフドロは見た。
 塔を。
 塔の上部が弾け、出口の光と共に消えた。

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