碧き舞い花

御島いる

469:道具

 若き肉体を得たハンサン。
 腰の細剣を抜くと、セラに向かって構える。
 静かでゆったりとしたその動作。セラが見たのはその初動だけ。


「っぐぁあぁぁぁ……!」
「ごめんネル。これしか思いつかなかった」
 ドレス姿のまま黄色いお湯に入れられたネルは、まろやかな空間には不釣り合いな絶叫を上げて暴れ狂う。さすがに身体を貫いた傷の治りは遅いだろう。それにかかる負担も大きいはずだ。それでも、命が最優先。セラは友の姿に心を痛めながらも、すぐにその場をあとにする。敵がこの場に来るなどもってのほかだ。
「すぐ戻るから」


「お友達に酷いことをしますね、セラさん」
 セラが屋上へと舞い戻ると、ハンサンは全てわかっていると言わんばかりに余裕の笑みを浮かべて細剣を構えた体勢で待っていた。
「あのまま放っておけばすぐに楽になったでしょうに。それを再生などさせて、再び死に向かう痛みと恐怖を与えることになるだけですよ?」
「そうはならない」
「おやおや、力量も計れないほど頭に血が上っているようですね」
「わたしは冷静よ。これ以上ないほどにね」
 今もなお首から下がる没頭の護り石のおかげでもあるのかもしれない。明かされた数多の事実に繋がる記憶が、セラの中にはいくつかあった。
 極集中の鍛錬の最中に会ったハンサンとフュレイから受けた、気配の上で似ていないという印象。
 ヴェールの力を見たいと願ったフュレイ。
 セラとハンサンの戦いを追う目を持つフュレイ。
 先祖返りの研究の進展を望んだフュレイ。
 あの夜も気配を感じなかったのではなく、気配を消してセラの部屋に侵入していたのだと今なら考えられる。
 神の語った話は、今だけは忘れている。
 それでも未だに判然としないことが残っている。
 ハンサンがフュレイと繋がったのが異世界なのは言うまでもないだろう。しかし、フュレイはこの世界に受け入れられていた。ハンサンの孫だとネルでさえ思っていた。ネルの記憶が抜け落ち、改変されていたようにこの世界の全員の記憶がその対象となっていてもおかしくはない。
 だが、それが仮に神の力によって成せるだったとしても、フュレイは今その力を取り戻したばかりだ。力があるならばそもそもこんなことはしないだろう。
 ではなにが人々の記憶を弄ったのか。
 セラはその答えの影を捉えている。
 それは――。
「道具」
 セラの唐突な呟きにハンサンは片眉を上げた。「?」
「ハンサン。あなたはあの時、『道具』と言った。記憶の話をしたあの朝ご飯の時。わたしがあなたに、記憶を操れる力があったらどう使うかを訊いた時。……ネルが色んな技術を再現してて、そのほとんどが道具だからそう言ったのかと思ってたけど、違った。あなたは記憶を操れる道具を持ってる」
「ふぅん……」ハンサンは思案顔を見せると、細剣を下げた。「いいでしょう。我が主がそうしたように、私もあなたに冥土への土産話をしてあげしょう」
 空いた手を仕立ての良い執事服の懐に入れるハンサン。すっとそこから出てきたのは一本の鍵。針金が複雑に絡まり合って鍵の形を成したものが、執事につままれて出てきた。その形成も独特なものだが、セラが一番目を引き付けられたのは鍵の先端だった。
 立体十字に三つの円。
 セラの胸元で光を反射して輝く『記憶の羅針盤』そのものといっていいものがついていた。
 記憶と鍵。その二つがセラの中で結びつく。
「それは……『追憶の鍵』?」
「ほぉ、知っているんですか?」片手で鍵を弄びながらハンサンはわざとらしく驚いてみせた。「あの時は言及しなかったのに」
「まさか紛失してるソウ・モーグ・ウトラ扉の森の鍵が身近にあっただなんて思わないわ。それに危険なものだってこと以外は記憶を覗けるってことしか教えてもらえてなかったし」
「さすがは評議会に所属していることだけのことはありますね。ネルお嬢様はこの存在すら知らないですよ。この鍵の力を使うまでもなく、それ以前から」
 セラは評議会としての使命も忘れない。「他の鍵は? 他のもあなたが持っているの?」
 サパルやルピのため、そして異空のため、害悪となりうる七封鍵は回収しなければならない。
「他、ですか? 残念ですが、私が知るのは鍵を持ち出すことを依頼した女怪盗が他の鍵も持っていた、ということろまでです」ハンサンは肩をすくめて首を横に振った。それから鍵を懐にしまう。「そうですね、ではわたしがこの鍵を手に入れた経緯から話していきましょうか」

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