碧き舞い花

御島いる

466:いつの日もある日の前日

「今日もヅォイァのおじさま、戻ってこなかったわね」
 酒を飲むセラとネル。ネルが開いた窓からもうじき満ちる月を見上げながら言った。
「うん。やっぱりわたしも行くべきだったかな」
 紫色の液体の入るグラスを回しながら呟き、肩を竦め微笑むセラ。
 トラセードを充分に使いこなせるようになったセラは、エァンダの言っていた通りスウィ・フォリクァに帰ってもよかったのだが、ネルの先祖返りの研究が終わるまではトラセークァスに留まることに決めていた。そのことをヅォイァに頼んで評議会に伝えに行ってもらったのだが、その彼が二日経ってなお戻ってきていないのだ。
 ナパードではないことを考えても時間がかかり過ぎている。セラの剣として追従することを選んでいる彼が何も言わずに彼女のもとから長いこと離れるとは考え辛いが、スウィ・フォリクァでゼィロスか誰かになにか指示を受けたのだろうか。それなら頷けなくもない。彼ほどの実力者が道中に災難に見舞われることもないだろう。
「そんな心配しなくても大丈夫だと思うんだけど、ごめんねネル。やっと研究が成功したのに。これもお祝いのお酒なのに」
「いいえ、わたしも心配だもの」肩をすくめてそういうと、転じてにっと得意気に、かつ冗談交じりに笑う。「こうなったら、ナパードで最初に跳ぶのはヅォイァおじさまのところね」
「その前にこの世界から出られるかでしょ?」
「ふふっ、そうね。楽しみだわ、ナパード」
 グラスを傾け、二人して酒を喉に通す。
「ほんと、おめでとう。ネル」
「ありがとう。セラ。でもちゃんと成功かどうかがわかるのは明日よ、明日。そう、明日ね……ふぅ、それにしても、これは運命のいたずらかしらね」
「え?」
 突然湿っぽい笑みを浮かべたネルに、セラは小首をかしげる。
「実はね、明日なの。お母様の命日」
クィフォうそ……」
「そうよね、ほんとに驚くべきことよね。でも、お母様の命日ってことは、わたしの初めての研究が完成した日でもある。だから今回も必ず成功するわ」
 セラはどこか上の空で黙り込む。「……」
「……って、セラ聞いてますの?」
「え、ぁ、うん。聞いてる…………」
「なんですの?」とネルが訝る。
「明日が……」セラは確認するように問う。「ネルの誕生日ってことだよね?」
「そうですわね。そういうことにもなりますわ」
「ほんと、運命のいたずらなかな……」
「ええ、だからそう言って――」
「わたしも明日、誕生日なの」
「……? クィフォうそ……」
「ほんとに」
「753年の159日生まれ?」
「そう! 753年の159日!」
 2人が誕生日を確かめ合うと、部屋に沈黙が訪れた。そのまま見つめ合うサファイアは徐々に興奮と喜びを帯びてゆき、先にネルが口を開いた。
「まぁ! そんなことってありえますのっ?」
「ほんとにね! でも、これもネルのお母さんのおかげじゃない?」
「圧縮した空間に何度も入った!」
「それでネルが普通より早く産まれた!」
 二人の姫はこの偶然の一致を大いに喜んだ。従者の安否や母の命日のことを一時だけ忘れて。
 そして、月に薄い雲がかかりはじめていることにも気づかずに……。

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