碧き舞い花

御島いる

455:閉ざされた扉

「わぁ、きれい……!」
 現れた石たちを納め、自らのサファイアを輝かせるセラ。ガラスの箱になら触れても問題ないだろうと箱に手を添わせ、食い入るように魅せられる。
 それぞれの石が原石、粉末、宝石と三種類の形状。資料に触れて出てきたことから、護り石や魔素石だと予想されるが、予想するまでもなくすぐに答えは出た。
 連ねられた石たちを順繰りに見ていると、一つ種類を皮切りに魔素を微弱に感じる列に代わったのだ。今までの列が護り石で、そこからが魔素石。そして魔素石の並びが終わると、今度は粉末と一つまみ大の立方体に形作られた金属の並びに変わった。石とは違った輝きを見せるそれらの金属からも魔素を感じ、魔素金属だとわかる。これがユフォンやヒュエリがつけている銀細工のブレスレットになるのか、そう思考を巡らすセラの足もその巡りを止めない。
 そうしてふと気になって、セラは顔を上げて振り返った。一体自分はどこまで歩いてしまったのだろうかと。ネルは三十分ほどで作業が終わると言っていた。あまり遠くに行っては、いくらセラの気配が鋭くナパードがあるからと言えども、ネルは心配するだろう。例えしなかったとしても、機嫌を悪くするかもしれない。
 だが、セラの心配は杞憂に終わった。振り返った先に映る景色は彼女に驚きと懐かしさを覚えさせた。
 大きな扉。
 セラの視線の先には、ネルの部屋へと続くあの大きな扉が大きさを変えることなく映っていた。
「これって、魔導――」
 思い出を口に出しかけたとき、扉が開きネルが入ってきた。そしてセラの台詞を奪うように淡々とどこか怒気のこもった声で続ける。
「魔導書館の地下通路、通称禁書迷宮と一緒。そう言いたいのでしょう?」
「……ネル」怒りの印象を受けることを疑問に感じつつも、セラはいたって普通に返す。「終わったの?」
「ええ」頷きつつ、セラに歩み寄るネル。ちょうどいい間合いで止まるかと思えば、セラに詰め寄る。「あなた!」
 あまりの剣幕に仰け反るセラ。「ぇ?」
「指一本中のものには触れないと約束しましたわよね?」
「うん……え? それって影光盤もなの?」セラは訝しみながら、脇のガラス箱に視線を向ける。「こうやって出てきたもののことだと思ったんだけど。ほら、だって見ていいって言ってたし。影光盤に触れなきゃ資料は読めないでしょ?」
「……そう、ですが! そうなんですがっ……!」
 苦虫をかみつぶしたような表情でなにやら煮え切らないネル。傍から見れば身勝手にむかむかしているようにしか見えない。虫の居所が悪い理由は、セラには一向にわからない。
「わたしは、わたしと……いいえ、お母さまがどれだけすごいかということを見せたかっただけで! ずかずかと、わたしたちの思い出に踏み込んで欲しくなかったのにっ! やっぱり許すんじゃなかったわ!」
「ネル……?」セラは状況をまだ理解できかねていた。「どういう……」
「出てって!」
 ネルは力強くセラの手首を掴むと、ぐいぐいと扉の方へと引っ張る。それに抵抗せず、セラは呆気にとられながら身を任せる。大きな扉を抜け、ネルの部屋の入口の扉も抜けた。
「あなたに話すつもりなんて、ありませんわっ!」
 バタン……――。
 昨夜はセラによって優しく閉じられた扉。今夜はネルによって力いっぱい閉められた。
 静観する扉を呆然と見つめるセラ。なにか声をかけるべきだろうが、あまりに突然の立腹に言葉が見付からない。そうして扉の前で立ち尽くすことになると思われたその時。扉の向こうからネルが動く気配がした。わずかにぎしっと扉が音を立てた。開く音ではない。ネルが扉に寄りかかり軋んだ音だ。そして、小さく落ち込んだ声が聞こえてきた。
「突然、申し訳ありませんわ……。でもこれから先、あなたと仲を深めるなんてこと金輪際ありません。仲良くすると約束した訳ではありませんし……構いませんわよね…………」
 セラはそっと扉に手を添えて、彼女の名前を呼ぶ。「ネル」
 次第に思考も回りだしてきた。状況も飲み込めはじめる。しかしあまりに色々なことが頭に浮かぶために、整理にはまだ遠い。
 とりあえず目の前の状況を整えはじめる。
 唐突な刺々しい態度、突然の拒絶、そういったことにセラ自身が悲しむ気持ちもあった。それでもそれ以上にネルの声からは、彼女自身を傷つけているような痛ましさがあった。昨晩ぼそりと零したあの言葉とは大違いだった。
 その変化の原因は彼女と母親のことが関係しているのだろう。ネルの母は彼女が幼い頃に亡くなったというが、それ以上のことを今は彼女の口から訊ける状況にない。そして今後も彼女の口から訊けることはないだろうと思われた。
 原因のことは訊けずとも、自分の取った行動が引き金であることをセラは理解している。だから心惜しい。後悔が脳裏に漂う。せっかく開きかけたと思った扉が、閉ざされた。こんなにも近くにいるのに。もう声も届かないかもしれない。
 セラが表情を落としていると、扉の向こうからネルのぽつぽつとした声が聞こえてきた。
「……研究が進むかもって舞い上がっての判断で、もっと強く念を押しておくべきだった……これはわたしの落ち度ですから、空間伸縮に関しては引き続き面倒を見ます。研究に関しても、手伝ってもらいます……。それ以外は、ありませんわ……おやすみなさい」
「……おやすみ、ネル」
 それ以上の会話は不可能だと感じ取ったセラは、それだけ声をかけると扉の前を離れた。
 とぼとぼと廊下を歩くいていると、「うぅっ」と喉に力を入れて押し殺そうとした声が聞こえた気がしたセラだった。

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