碧き舞い花

御島いる

442:長い長いトラセスの民のお話

「遊界人から分かれたわたしたちの祖先は、元々、空間を圧縮することしかできませんでしたの」
 ネルは視線をわずかに下に向け、遥か古代にまで遡り話しはじめた。
「圧縮した空間、つまり時の濃度が濃い空間に頻繁に入っていた彼らは短命でした。一回一回はわずかな瞬間であっても、それが積み重なれば長大な時間になる。実際、当時の彼らは長くても四十年しか生きられなかったという記録も残っています。世代を重ねるごとに一族の数は減り、一族の滅亡が囁かれはじめましたの。そしてその時の王が古くからの対策としてあった多夫多妻に代わる一族単位での延命研究をはじめました。編み出したのが時の濃度を薄めるという方法。空間の拡大ですわ。王は一族中に拡大の技術を広め、一族は寿命を延ばしました。しかしそれでも短命の者は減らなかった。さらには異様な長生きをする者まで現れてしまった。技術が広まっても、拡大か縮小の片方しか使わないという者たちがいたからです。短命は一族の滅亡に直結するのでいいとして、異様な長命の方が厄介な問題でした。長生きといっても、周りの普通の時を歩む人間に比べて濃度の薄い時間を多く過ごすわけですから、成長や老化が遅く同年の人に比べて若い身体を持つということになる。それまでも多夫多妻の文化によって近しい血縁者の間に子どもが生まれていましたが、次第にその当時よりさらに近しい血縁者同士の間に子どもが生まれるようになった。あまりに近しい遺伝子を持った男女の間に生まれる子どもは多様性に欠け、弱い存在になります。今度はそのことによって、赤ん坊たちの生存率が下がり、結果、一族を受け継いでいく者の数が減っていくことになります。一度は数を増やした一族ですがそれは束の間の休息でしかなく、再び滅亡という道を歩みだしたということですわ。その事態が明確になってくると、拡大を開発した王から二代あとの王は前進の意思は圧縮、後退の意思は拡大という考え方を広めはじめました。当初は従わない者もいたようですし、そもそも意思を広めるというのは目に見えた技術を広めるより困難でしたの。最終的に王家の記録では、拡大の王から四十六代あとの王の時代まで『拡大王の従者』と呼ばれる一派が存在したとなっています。そうして紆余曲折ありながらも長い時間をかけて刷り込まれた意識は、遥かに時が経った今のわたしたちの中にもはっきりと根付き、思考の箍となっているというわけですわ」
 顔を上げ、セラと目を合わせるネル。
「あなたが短命になろうが、長寿になろうが関係のないことですし、空間伸縮を大いに役立ててくださいますのなら圧縮で後退しても、拡大で前進しても構いませんわ。ですが! この世界で、わたし以外の前でそれをするのはやめてくださいませね。渡界人のあなたがわたしたち一族の箍を壊すような真似はしないでください。いいです?」
「うん。わかった」セラは小さく頷いた。そして口角を上げる。「やっとネルと、ちゃんと話せたね。このまま他の話もしようよ。今日は子どもたちも帰っちゃって鬼ごっこの続きできないし、ヅォイァさんもその子どもたちにとられちゃってるしさ」
「鬼ごっこはもういいですわ。最後のイツナとの距離を詰めたのを見れば問題ないでしょう。明日からはわたしが直々に叩き込みますから。覚悟なさいね」
「ほんとに? ネルがどんな風に戦うか、楽しみだな」
「あなたより強いですわよ? わたし」
「嘘だよ、それは」
「嘘じゃありませんわ」胸を張るネル。「明日、驚きますわよ」
「ふ~ん、楽しみにしてる。で、逸らそうとしたみたいだけどさ、お話、しよ」
「……っ、そんな時間、ありませんわ」
「そんなこと言わずにさ、色々訊きたいんだよ、研究者のネルに。強さはともかく、知識はわたしより持ってると思うし」
「お、おだてたって、だ、駄目ですから。まったく隙あらば距離を縮めようとして、あなたはっ」
「いいじゃん、縮めるの得意でしょ、ネル」
「それを言うのであれば、広げるのも得意ですけどね」
「あっ、ふふふ、そうだね」
「ふん、なにもおかしくなんてありませんわ。それでは、わたしは城に戻りますから」
 切り株から立ち上がるネル。セラはすかさず、強引に話題を振る。
「まずは今さっき話してたことからなんだけどさ、思考の箍って、例えば他の世界ではどんなのがあるのかな?」
 ピタリ。
 ネルは動きを止めた。
「あ、そういうのはさすがのネルでも知らないかぁ。外、出ないもんね」
「そんなことありませんわっ」
 腰を掛け直すネルを横目に、セラは内心でほっとしつつ拳を握った。
 先の温泉でやり取りで異世界へ出れることに対して変に気を使わなくていいことはわかっていた。しかし今のは少し攻め込みすぎたかもしれないと心配もしたのだが、杞憂に終わった。ネルを綻ばせるきっかけとなりえるだろうと思っていた研究の話題で、さらには今までの彼女の言動から彼女はなにかとセラより優れていようとしていると感じていたので、そこをうまく刺激することにも成功した。トラセスの姫もナパスの姫に負けず劣らずの負けず嫌いなのだ。
 しっかりと話す機会を得た。この一回でとは言わない。これから幾度と会話の機を設けて、着実に心の距離を詰めていこう。鬼気迫ることはない。これは命を賭けた戦いではないのだから。一歩一歩を積み重ねて、友達になろう。
「その薄ら笑いをやめてくださる?」
「え~?」セラは自身の口角が上がっていることに気付いていながら、わざとらしく首を傾げる。「わたし笑ってた? ふふっ、だとしたらネルとお話しできるのがうれしいからかな」
「……帰りますわよ」
「ごめんごめん。ちゃんと聞くから、教えて」
「ふん、いいでしょう。一言一句逃さず聞きなさいね」
「はーい、先生」

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