碧き舞い花

御島いる

406:絶世界

 会議ののち、ンベリカによる呪いの浄化の儀は早急に執り行われた。
 グースによって用意されただだっ広い円形の一室。その中心の台座に置かれた『悪魔の鍵』。その前に立つ司祭。普段とは装い変って、薄衣を幾重にも重ねて作られた荘厳な外套を纏っている。
 そんな彼は今、淡い光を纏い、鍵に向かってその光を差し向けている。かれこれ二時間は経っていた。ンベリカはただじっと動かず、光を手綱に鍵と繋がり続ける。
 室内だというのに、大自然に囲まれているような雰囲気に包まれている。森閑とし、ステンドグラスの窓から差し込む光が優しく床に七色を落とす。入口の扉は閉ざされ、開口部が一つもない状態にも関わらず、澄んだ空気は肌を撫でている。
 その情景を壁際で体感するセラ。窓から光が入っていなければ、時の経過という概念を忘れてしまうような感覚に囚われていた。とにもかくにも清々しい。
 そんな彼女と共に儀式を静観するのは、ズィー、グース、キャロイの三人だ。
 しかし彼ら彼女らはセラとは違い、この空間に浸っているとは言えなかった。ズィーは白輝の二人を気に掛け、険しい顔で師を見守る。グースは腕を組み、まばたき少なに様子を観察している。
 そしてキャロイだが、彼女は静観しているのに変わりはないのだが、壁にもたれて座り、瞳を閉じていた。完全に眠っていた。部屋の空気に合わせるように、静謐に。
 キャロイは浄化をしている人間に呪いはかけられないと会議で口にしていたが、それは技術を持つ者の知識として出た言葉らしかった。今回のンベリカの浄化に合わせ呪いを相手にかけるという役目は、彼女が預かっていた。そのためか、鎧はおろか武器一つ身に着けていなかった。
「ん……?」
 グースが静寂を破った。とても小さな声だったが部屋を反響し回り、数度、セラの耳朶に触れた。
「早かったわね」キャロイがパッと目を開き、立ち上がった。「もう出番なんてね」
「任せましたよ、キャロイ」
「ええ」
 ズィーは背中のスヴァニを鳴らした。「変ことすんなよな」
「しないわよ」
「近くで見ていい?」
 ンベリカのもとへ足音響かせ歩み出したキャロイに、セラは訊いた。すると女将軍は「構わないわよ」と振り向き、顎を艶めかしくしゃくってセラに同行を促した。
 ンベリカへと近づくにつれ、靴が床と奏でる音が神々しく感じられる。床の材質が、別の何かに変ってしまったかのように、一歩一歩、現実感が薄れていく。
 司祭の背後に来た折には、すでに別世界。
 音が鮮明に、普段より大きく聴こえる。自身のまばたきや鼓動の音、筋肉の動きや血流に至るまで、身体の深部の音が聴き取れる。かといって遠くの音が聴こえるかというとそうではない。超感覚が意味をなさないほど、この空間を悟る。
 光もそうだ。
 全てを漏らすことなく瞳が捉えて、窓から差す光だけでなく、あらゆるものが自ら光りを放っていることを知る。セラ自身も、身に着けている衣服も装備も淡々あわあわと輝いている。
 気が狂いそうな感覚ではあるが、気分は悪くなるどころか果てしなく昂揚していた。それも呼吸する度に、浄化された空気が肺胞をくすぐる度に、全身を巡る度に。際限なく。
 慣れることは絶対にない。ずっと慣れないままだ。慣れたくても慣れられない。いつまでも新発見が続く、飽くなき旅。
 ここでなら止まってしまってもいいと、思える場所。
 絶景ならぬ、絶世界。
 これほどに美麗を感じることのできる世界はこの世にはないだろうと、セラは恍惚と涙を流していた。
「セラフィ」
「っえ………………!?」
 キャロイがセラの肩に優しく手を触れていた。セラはそのことを理解するのに、長い間を要した。そうしてそれを理解し、我を取り戻したかのように見えたが、彼女は再び絶世界に身をゆだねはじめた。
 が、キャロイがすぐさま彼女の肩をポンと叩いた。
「ちょっと、せっかく引き戻してあげたんだから、また行かないでよ」
「え…………?」
「見学するなら、ちゃんとしないさいよね」
「う……ん?」
 キャロイは肩をすくめてみせた。「いい? わたしの言葉に集中して。呪いと祈りは表裏一体なの。そもそも同じ技術だし」
 セラは半ば上の空だったが、なんとかキャロイの言葉に耳を傾ける。「……うん」
「強いまじないは呪いにしろ、祈りにしろ強い影響を与えるの。浄化のための祈りは呪いを解くためにそれ以上の力を込めてるから、なおさら。まあ、本来影響を受けるのは呪いのかかった対象を浄化しようとする下手くそな人間なんだけど」
「ンベリカが、下手、なの?」
「そうじゃない、しっかりしてよ、もう。……いい、『空纏の司祭』は空気の浄化をもとにやってるから、当然空気に祈りの影響が出て、浄化されてる。その影響を二次的に受けてるのよ、セラフィは」
「そっか。でもさ、こんなにきれいなら、悪影響じゃないよね」
「はぁ……それがすでに悪影響。呪いが危害を加えるのはもちろんだけどね。清廉すぎる祈りは役立たずの廃人を作るのよ。ほらっ、戻って来て、セラフィ。やらなきゃいけないこと、あるんでしょ?」
「うん……」
 反応はするものの、セラはぽけぇっとしたまま。
 そんな彼女を余所に声が反響した。
「キャロイ、なにをしているんですか」
 ンベリカの後ろで動きを見せないキャロイに、グースがしびれを切らしたのだ。それはンベリカも同じようで、儀式から集中を逸らさないように力の入った小さな声を発した。
「セラを、俺から離せ……。これ以上は、繋がりを留めておくことは、できん。浄化しきるぞ……」
「……仕方ないわね。やっぱり男を知らないセラフィちゃんには刺激が強過ぎたってことね」
「……っ! キャロイっ!」
「あらあら、赤くなっちゃって。それとものぼせちゃったかしら?」
「…………」
 セラは下唇を噛み、声にならない音で唸った。そんな彼女に片方の口角をクイッと上げて見せると、キャロイはンベリカの背に手を置いた。
「さ、はじめるわよ。ちゃんと見ときなさい、セラフィ」

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